嵐からの手紙


『姉さんへ。僕は今、狂気に塗り潰されそうな意識を必死にとどめて、この手紙を書いています。きっとこれが、僕があなたの弟として最後に遺せるものとなるでしょう。こんな愚かな僕を、どうか許してください』


 百元の屋敷、その中で割り当てられている自室にて、涼音は一人、そんな書き出しから始まる手紙を読んでいた。

 差出人は鬼灯嵐。つい先ほど、自分の目の前で亡くなった実の弟だ。


 戦いを終え、王毅と燈たちとの和解を見届けた後、未だに整理し切れていない気持ちを抱えたまま、師である百元の下に戻った涼音を待っていたのは、自分たちが飛び出してからすぐに届いたという弟からの手紙であった。


 おそらくは、死を覚悟していた嵐が姉に対して最期に伝えようとした何かがしたためられているであろうその手紙を、百元は宛名に書いてある自分の弟子へと手渡す。

 差出人の名と、彼の最期の姿を思い返した涼音は、悲しみに打ち震える胸をぐっと抑えると、一人部屋に籠り、無言でその手紙の内容へと目を通している真っ最中であった。


 あっという間の別れで、満足に話すことも出来なかった嵐との別離に手紙を掴む拳を震わせながら、涼音は見慣れた弟の文字でしたためられた手紙を読み進めていく。

 そこに込められた、嵐の感情に思いを馳せながら――。


『先生と姉さんを裏切り、妖刀に手を出してしまったことは、何度謝っても許されることじゃないことはわかっています。目の前に現れた強くなれる機会に目が眩んで、正常な判断が出来なかった。僕は、本当に馬鹿な人間です。僕が得たかった強さは、そんなものじゃないってことはわかっていたのに、甘い誘いを断ることが出来なかった……その結果、姉さんや先生にとんでもない迷惑をかけてしまいました』


『僕は、自分が思っている以上に焦っていたんだと思います。姉さんや先生が僕に期待し、将来を渇望してくれていたのは理解していました。でも、僕の実力はまだまだで、その期待に応えられない自分自身が不甲斐なくて仕方がなかった。そんな中、遂に最強の武士団を結成する仲間たちと合流すると聞かされて、僕の焦りは頂点に達してしまいました』


『このままでは実力不足の僕が嘲られるだけでなく、僕を指導してくれた先生や姉弟子である姉さんまでもが他の面々から軽んじられてしまうのではないだろうか? 弱い僕のせいで姉さんや先生の立場が危うくなったとしたら、どうすればいいのか? ……急ぎ、強くならなくては。そんな不安と焦燥感に支配されるようになった僕の心は、最悪の選択をしてしまいました。それこそ、姉さんや先生の立場を悪くする選択だということに気付けないまま……』


『今更何を言っても、言い訳にしかなりません。いえ、言い訳にもならないでしょう。ただ一つ、姉さんに理解してほしいことは……僕は、姉さんを恨んだり妬んだりなど、していないということです』


『姉さんも、先生も、僕にとって大切な存在です。失望も、嫉妬も、怨恨も、心の中に一切存在していません。全ては愚かな僕が誤った選択をしてしまったが故の悲劇。本当に、姉さんたちには迷惑をかけてしまいました。愛していたはずの姉さんに負けないくらいに強くなろうとしていたはずなのに、妖刀を手にしてからの僕は、その愛情に殺意が紛れるようになっています。自分自身の見栄のために強さを求めた時点で、僕はもう駄目だったのだろうと、今になって思えるようになりました』


『どうかお願いです。僕を止めてください。もう僕は、自分で自分を抑えることが出来ない。こんなのは間違ってると思いながら、人斬りの悦びと興奮に溺れることしか出来なくなっています。愚かな弟からの最後のお願いです。どうか、どうか……』


 ――そこで、一枚目の手紙は終わっていた。

 狂気と理性の間で苦しんでいた嵐の本心を知った涼音は、うっすらと瞳に涙を浮かべながら二枚目の手紙を読み進める。


 そこには、一枚目の手紙とは違った、至ってシンプルな文が記載されていた。


『姉さんへ、もしもこの手紙を全てが終わった後に読んでいるとしたなら……厚かましいことですが、もう二つだけお願いがあります。一つは、どうか僕を斬ったことを苦しまないでほしいということ。姉さんは正しいことをしました。あなたが斬ったのは、鬼灯嵐ではありません。ただの人斬り、外道です。その死を悼むことも、胸を痛める必要もありません。だからどうか、苦しまないでください』


「……無理に決まってるじゃない、馬鹿嵐……!!」


 そんな簡単にこの胸の苦しみを割り切ることなど出来ないと、自嘲気味に笑いながら涼音が言う。

 この苦しみこそ、自分が嵐を愛していた証なのだ。それを捨てる選択など、出来るはずがない。

 これから先、どれだけ苦しみ続けようとも、嵐の死を背負い続けると決めた彼女は、最初と比べると随分と筆圧が薄くなり、途中で途切れている文字を読んでいく。


『そしてもう一つ、本当に厚かましいお願いですが、どうか――』


 ……嵐の手紙は、そこで途切れていた。

 最後の願い、その全てを記す前に『禍風』の狂気に意識を飲まれてしまったのであろうと思いながら、涼音はそこに書かれていたはずの嵐の願いへと思いを馳せた。


 たとえ、こうして文字として描かれていなくとも、その全てを書き記すことが出来ておらずとも、姉である涼音には嵐が何を頼みたかったのかが理解出来ている。

 これまでずっと、鬼灯嵐という人間の全てを見てきた彼女だからこそ、彼が最後に何を望んだのかを感じ取ることが出来ていた。


「ええ、わかったわ、嵐。約束する、あなたの夢は、私が引き継ぐから……!!」


 弟からの手紙を抱き締めながら、涼音はそう呟いた。

 嵐が最後に願ったこと、それは大和国の人々を守るという自分の夢を、姉である涼音に受け継いでほしいというものだったに違いない。


 歪んで、曲がって、その夢を忘れてしまった自分に代わって、どうかその夢を実現してほしいと……その夢を姉になら安心して託せると信じたからこそ、嵐は笑顔で逝けたのだろう。


 ならば誓おう、その願いを叶えると。

 妖に対する復讐でも、嵐に妖刀を手渡した最凶の武士団への復讐でもなく、彼の想いを継いで自分は戦うと、そう亡き弟に誓おう。


 お互いに足りない物を補い合って、自分たちは真の意味で武士となった。

 志と強さを重ね、二人で一つの目標を、夢を追って、仲間と共に戦うことを誓った涼音は、最後に静かに弟への言葉を口ずさむ。


「ずっと、一緒よ。あなたの想いは、私の中に宿ってる。だから、だから――」


 どうか、天国で見守っていてくれと、そう口にしようとした言葉は音にならず、ただ嗚咽の声が部屋の中に響く。

 それでも、自分が弟の手紙から全てを感じ取ったように、弟もまた自分の想いを汲み取ってくれるはずだと、そう信じて止まない涼音は、嵐からの手紙を抱き締めながら暫しの間、涙にくれる。


 嵐を思い出して涙するのは、これで最後だ。

 自分は、弟が憧れた強い人間になってみせる。そして、彼の夢を実現してみせる。


 そんな誓いを胸に、されど今日だけは弱い姉として弟の死に涙する涼音の頬を、静かに涙が伝い続けていた。


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