仮面の女


 燈の一撃を受け、内に宿る怨念ごと意識を断ち切られた鼓太郎の手から『泥蛙』が吹き飛ぶ。

 主である鼓太郎の体とは真逆の方向へと飛ぶそれには目もくれずに駆け出した燈は、地面に激突しそうになった鼓太郎をキャッチすると、その勢いのまま暫し地面を滑っていった。


「うおっとっとぉっ!? くそっ、勢い付け過ぎたな……」


 砂埃を上げ、バランスを崩しながら、それでも鼓太郎を取り落とすことなく地面を滑った燈は、彼の体を地面に置くとその脈を計った。

 先ほどまでの狂気や激情が嘘であるかのように目を瞑り、一言も発さないまま気を失っている鼓太郎の手首から確かな鼓動を感じた燈は、彼が生きていることに安堵の息を漏らす。


「よかった……! 瀕死の重傷ってわけでもねえし、暫く休めばこいつも目を覚ますだろ。それまでの間に、気が静まってることを祈るしかねえか……」


 鼓太郎の復讐に対する想いを目の当たりにしていた燈は、そう呟きながら小さく息を吐いた。

 そうして、意識を失っている彼に届くはずがないと理解しながら、鼓太郎に向けて言う。


「……悪いな。お前の復讐はここで終わりだ。勝手なことをとキレられるかもしれねえが、これ以上、破滅するとわかってる道にお前が進むのを黙って見てるわけにはいかねえんだ」


 今の鼓太郎には、復讐が全てなのかもしれない。

 だが、その道を進んだ先には彼自身の破滅が待っている。


 復讐と憎しみと破滅の連鎖は、誰かが断ち切らねばならなかった。

 例えそれが鼓太郎から生きる目的を奪うことに繋がろうとも、他でもない彼自身と、彼を想っているであろう家族や知人たちの魂の安寧のためにも、彼に恨まれたとしてもその暴走は止めるべきだったと燈は自分自身に言い聞かせる。


 この行いが、鼓太郎をはじめとした多くの命を救うことに繋がると信じて……妖刀を手に、破滅の道をひた走っていた鼓太郎を止めた燈は、ふぅと息をつくと立ち上がった。


 戦いは終わったが、まだすべきことがある。

 妖刀『泥蛙』の回収……他の誰でもない、自分たちがそれを手にしてやっと、この戦いが終わったといえるのだ。


 最凶の武士団の結成を目論む幽仙が属する幕府に、妖刀を渡すわけにはいかない。

 これ以上の悲劇や犠牲を生み出さないためにも、彼らの手に妖刀が渡ることを阻止しようと立ち上がった燈は、『泥蛙』が飛んでいった方向へと視線を向けて……気が付いた。


 地面に突き刺さった鈍い光を放つ刀、そのすぐ近くに誰かが立っている。

 ゆっくりと手を伸ばし、ぬかるんだ地面から『泥蛙』を引き抜いたその人物は、仮面に隠された顔を上げ、燈の方へと振り向いた。


「なんだ、てめえは……!? いったい、何処から……!?」


 音もなく、気配を感じさせることもせずに戦場に姿を現した第三者へと、戦慄を感じながら燈が問いかける。


 艶やかで長い紫紺の髪と、一目で判るくらいに膨らんだ胸を見れば、その人物が女性であることは判断出来た。

 しかして、仮面に隠されているその顔や、詳しい体形は彼女の服装からは読み取れず、声もまた仮面によって籠っているせいで本来のそれとは違って聞こえているようだ。


「ふふふ……! 驚きましたよ、虎藤燈さん。入手してから日が浅いとはいえ、まさか妖刀使いを殺さずに倒してしまうなんて……!! あなたは、私たちの予想を遥かに超える逸材だったようですね」


「どうして俺のことを知ってる? てめえ、何者だ? 最凶の武士団の関係者か!?」


「あらあら、もう私たちのことを聞いているんですね。なら、話は早い。『泥蛙』は回収させていただきます。これは、私の主が作ったものですから」


「はいそうですかって素直にくれてやると思ってんのか? 妖刀をてめえらに渡すわけがねえだろうがよ!!」


「うふふ……! そう怖い顔をしないでください。同類のよしみで、今回は私に花を持たせてくれたっていいじゃないですか」


 人を食ったように嫋やかに笑った仮面の女は、腰から自分の武神刀を引き抜くとそこに気力を込め始めた。

 淡く輝く短めの刀を目にした燈は、彼女が攻撃を仕掛けようとしているものだと思って迎撃の構えを取るが、その予想は見事に裏切られることとなる。


「ふ、ふ……開け、『烏揚羽カラスアゲハ』……!」


「なっ……!?」


 気力を込めた武神刀を縦一文字に仮面の女が振るえば、その空間に目に見える亀裂が入り、その裂け目に空間が出来上がったではないか。

 出来上がった亀裂の内部へと『泥蛙』を放り込んだ女性が武神刀へと気力を注ぐのを止めれば、程なくして亀裂は消滅し、後には先ほどまでと何も変わらない景色が残る。


「い、今のは……!?」


「驚きましたか? これが、私の『烏揚羽』の能力……空間に裂け目を作り、異次元への入り口を作り上げることが出来るんです。内部に入れるのは武神刀の持ち主である私が許可したものだけ。他にも色々と制約はあるんですが、便利なアイテムボックスとして使わせてもらってます」


「……んだと? 今、なんつった?」


 静かに笑いながら自分の武神刀の能力を解説する女性の話を聞いた燈は、眉を顰めて彼女へとそう問いかけた。

 彼が気になったのは、武神刀の能力ではない。その中で彼女が口にした、とある単語だ。


 アイテムボックス……今、彼女は確かにそう言った。

 この大和国の人間が全くと言っていいほどに使わない片仮名文字の単語を平然と口にした仮面の女の物言いに違和感を抱いた燈がその部分を突っ込めば、女性もまた嬉しそうに反応を返してくる。


「あら、気が付きましたか? 大胆なようで目敏い……いえ、この場合は耳聡い、ですかね?」


「ふざけんのもいい加減にしろよ? 人をおちょくってると、痛い目見るぜ?」


「あらあら、怖い怖い……そう邪険になさらないでくださいな。私は、あなたと同じ立場の人間なんですから……」


 どこまでも掴みどころを見せず、飄々とした態度を取り続ける女性の言葉に再度違和感を抱く燈。

 彼女は繰り返し自分と燈を同類だと言い続けている。

 その言葉の意味をそのまま解釈し、これまでの彼女の言動と組み合わせた時、燈はたった一つの答えに辿り着いた。


「まさか、お前は……!?」


「……あぁ、気が付いちゃいましたか? ええ、そうです。あなたの読み通りです」


 くすくすと、仮面の下で女性が笑う。

 顔を隠す割りには素性を隠しもしない彼女の笑い声を聞きながら、燈はかつて2-Aの教室で花織から聞いた話を思い出していた。


 彼女は語っていた、異世界召喚はだと……。

 つまり、燈たちの前に二度、この大和国に召喚された人間たちがいる。

 これまでずっと、その存在に触れる機会がなかったために彼らがどうしているかなんて考えもしなかったが……まさか、こんなに唐突に答えが提示されることになるとは思わなかった。


「改めまして、虎藤燈さん……はじめまして、私はあなたたちよりも以前にこの大和国に召喚された人間の一人で……今は、我らが主である幽仙さまが作り出した最凶の武士団の一員をやっている者です。以後、よろしくお願いしますね」


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