その復讐が終わる時


「煩いっ!! 誰も、そんなことは望んじゃいないんだよぉおおっ!!」


 激高、そして咆哮。

 憤怒と狂気を入り混じらせた鼓太郎がは叫びを上げると共に、燈へと真っ向から突っ込んでいく。


 これまでずっと待ちの戦法を取り続けていた彼が、ここで初めて自分から攻勢に出た。

 それが鼓太郎の精神に宿った狂気故の行動なのか、あるいは昨日に自分の得意戦法を破った相手である燈には今までとは違う戦い方で勝負を挑まなければならないと考えたからこうしているのか、正確な答えは判らない。


 攻める鼓太郎と、迎え撃つ燈。

 復讐に心を支配された鼓太郎の全てを受け止めるという燈の言葉に相応しい様相を呈する戦いが火蓋を切って落とされる中、二人が手にする刀が最初のぶつかり合いを見せた。


「ぐっ! らあああっっ!!」


 片手で力任せに『泥蛙』を振るい、燈へと叩き付けるように斬り下ろす鼓太郎。

 怒りを、憎しみを、心の中の全ての悪感情を込めたその一刀は、『紅龍』を防御の型に構えた燈によって容易く弾かれる。


 されど、そこで気骨が萎える鼓太郎ではない。

 強引に体を捻り、筋肉と骨を軋ませるくらいの無茶な動きで体勢を立て直し、なおも二撃、三撃と続けざまに刀を振るって、燈の防御を崩そうと猛攻を繰り広げた。


 型もへったくれもない、子供が拾った棒切れを振り回しているかのような動き。

 そんな動きでも、妖刀『泥蛙』の能力を以てすれば、一刀で人の命を奪える殺人剣と化すのだ。


「ぐるおぉおおぉおっ!!」


 獣のような唸りを上げる鼓太郎の瞳から、理性が消え去っていく。

 それにつれて、彼が手にする『泥蛙』の刀身に、地面から伸びた泥が付着していった。


 より巨大に、より太く、より強靭な刃へと成長させていくように……妖刀の魔力を含んだ泥が、『泥蛙』を覆い尽くして新たな姿へと変貌させていく。

 やがて、鼓太郎の瞳に狂気が満ち満ちて、彼が完全なる殺意の獣と化した時、『泥蛙』は真の姿を解放し、燈の前に立ち塞がる。


 大人の腕くらいはありそうな巨大な刀身。

 自在に分離し、飛び道具にも強靭な刃にもなる泥を纏った妖刀は、禍々しい気を放ちながら獲物の血を求めてうねり狂う。


「ガアアアッッ!! アアアアアッッ!!」


 再び、咆哮。

 気力が込められた、腐臭を放つ黒い泥を『泥蛙』からまき散らしながら刀を振るう鼓太郎の攻撃を、今度は一歩退いて回避する燈。


 斬り下ろしから次いで繰り出された斬り上げも、鼻先すれすれで躱せる位置で静止した彼は、三度目の攻撃を繰り出さんとする鼓太郎の腹を蹴り飛ばし、自分もまたその勢いで後方へと飛び退くことで距離を取った。


「グオオォォォ……ッ! コロス、コロ、ス……!!」


「……あれが妖刀に心を支配されるって奴か。あの状態が長引かせんのはマズいわな……!!」


 鼓太郎が狂気に支配された瞬間から、彼の太刀が重くなった。

 鋭さも早さも増し、強烈な一閃を繰り出せるようになった鼓太郎ではあるが、その力が自身の命と引き換えであることに気が付く理性も残っていないのだろう。


 あのままでは鼓太郎の命が危ない……妖刀に飲み込まれ、完全にその支配下に置かれた鼓太郎の身を案じた燈は、ふぅと息を吐くと瞳に爛々と燃え盛る炎を煌かせる。

 視線の先で自分を睨み、再び突撃を繰り出そうとしている鼓太郎の姿を見据えた燈は、彼が反応を見せる前に地を蹴り、今度は自分から打って出た。


「うおおぉおおおっっ!!」


「グギィィッ!?」


 攻めに意識を傾けていた鼓太郎は、逆に攻勢を仕掛けてきた燈の行動に対して後手に回ってしまう。

 太く、強靭さを増した『泥蛙』で燈の突貫を防ぐ鼓太郎であったが、その手に伝わる激しい振動と衝撃に口から苦悶の呻きが溢れ出た。


「ガ、グッ……!?」


 極小さな、されど確かな、爆発。

 火の気力を『紅龍』に込めた燈が、斬撃と共に巻き起こした爆撃は、『泥蛙』の柄を握る鼓太郎の手を激しく痺れさせる。

 同時に、爆発によって生み出された炎が妖刀を包む泥を乾燥させ、妖気を吹き飛ばしたただの土塊へと変化させたことで、『泥蛙』の強化も弱まってしまっていた。


「おおおおおっっ!!」


 そこから、連撃。

 僅かに付着している汚泥を、穢れの残滓を、微塵も残さぬように吹き飛ばすために『紅龍』を振るう燈が、空に赤い軌跡を残す。

 『紅龍』の刃に灯した炎と熱とで『泥蛙』の弱点を突き、その持ち味を根こそぎ破壊する乾燥による攻撃で能力を完封しながら、燈はじりじりと鼓太郎を追い込んでいった。


「ガッ!? マ、マダダ……! マダ、オレハ……ッ!!」


 理性や思考ではなく本能で、鼓太郎は自分の劣勢を感じ取る。

 このままでは自分は敗北し、復讐のための力を奪われてしまう。

 それだけは御免だ。自分は必ず、愛する者たちの仇を取るのだ。


 そのために、何を犠牲にしようとも……復讐だけは遂げなければならない。

 そう、たとえこの命を使い潰したとしても……!!


「コロスンダッ! オレハ、アイツヲッッ!! コノチカラデ、カタキヲトルッ! ソノタメニナラ、ナンダッテ――!!」


 負けられない、負けるわけにはいかない。

 復讐を遂げるために、胸の内に燃えるこの炎を嵐にぶつけるために、自分はこんなところで敗北するわけにはいかない。


 そんな鼓太郎の想いに呼応するかのように、『泥蛙』が再び妖気を放つ。

 周囲の地面から大量の泥を巻き上げ、空中に巨大な泥の拳を作り出した鼓太郎は、自らは飛び退きながらその泥の拳を燈目掛けて振り下ろした。


「シネェェェッ!! オレノ、ジャマヲ、スルナアアアアッッ!!」


 全てを飲み干す、埋め尽くす、黒い泥の濁流。

 命を磨り潰し、慈愛を押し流し、何もかもを狂気で染めるべく繰り出された一撃が、燈へと迫る。


 あの大きさならば、回避は不可能。防御しようとも重圧によって体を押し潰され、泥に全身を飲み込まれるのがオチだ。

 例え目前にまで迫った泥の拳を何らかの方法で破壊しようとも、気力が込められた泥が四散すれば鼓太郎の次の攻撃の布石となる。


 つまり、出し得の攻撃。

 鼓太郎からすれば、防御されてもされなくても、この次の行動が自分にとって有利になることは間違いない。


 それら全ての判断は、冷静な思考で汲み取ったわけでも計算して行われたものではなかった。

 純粋にただ、相手を狩るための方法が『泥蛙』を通じて理解出来ただけ……妖刀と精神を直結してしまった彼は、刀に宿る狂気すらも受け入れ、自我を失った笑い声を上げながら叫ぶ。


「ギャハハハハハハハハ! 復讐ダッ! 殺戮だっ!! コロス! 何もかもヲ! 俺たちの幸セを奪ッタ奴らは、皆殺シにシテヤルッ!! そうさ、俺ニハ、正当な理由ガあって……!?」


 復讐を、殺人を、肯定するための言葉を並べる。

 これまでの幸せな人生を、大切な人たちの命を、奪われたこの怒りをぶつけることが間違った行いであるはずがない。


 良いのだ。どんな罪を犯そうとも、自分の行動は間違ってはいない。

 悪いのは妖刀を使って仲間を殺した嵐と、その妖刀を彼の手に渡るきっかけを作ってしまった幕府と、それに従う全ての人間たちなのだから。


 膨れがある憎しみが、殺意が、全ての人々への報復を肯定する。

 嵐も幕府も、目に映る全てのものを、この力で屠ることこそが自分の使命だと、そう心の底で理解した鼓太郎の目から大粒の涙が零れ落ちた。


「は……?」


 何故、自分は泣いている?

 自分の人生を懸けた素晴らしい使命を理解したから、嬉しさで感極まっているのだろうか?


 だがそれにしては、胸が苦しい。

 何か大切なものが消えていって、泡のように次々と頭の中……いや、心の中から弾けて判らなくなっているような、そんな感覚に襲われる鼓太郎の表情は、涙を流しながら笑うというなんとも不思議な様相を呈していた。


「……もう、いいだろ。もういいだろうがよ」


 そんな鼓太郎の姿を目の当たりにした燈が、やりきれない感情を滲ませながら呟く。

 握り締めた『紅龍』に気力を注ぎ、その刃を赤熱させながら、顔を上げた彼は吼えるようにして鼓太郎へと叫んだ。


「そんな風に大切だったモンを全部忘れて、ただ人を殺すだけの化物になることがお前の望みじゃねえだろ!? まだお前には、引き返せる道があるんだ! だから……っ! もう、いいだろっ!?」


 『紅龍』の刀身から、炎が轟音を立てて渦を巻く。

 鼓太郎と『泥蛙』が作り出した泥の拳を包み込み、その怨念すらも焼却するかのように受け止めた燈は、尚も燃え盛る炎を切っ先に収束させ、憎しみに心を支配された鼓太郎へと渾身の突きを繰り出す。


「終わりにしよう。お前の憎しみは、ここで断ち切るっ!!」


「ガッ……!?」


 鋭い炎の穂先が、熱によって乾燥していた巨大な泥の拳を打ち砕いて真っ直ぐに進む。

 砂粒の大きさにまで粉々に粉砕され、その一粒一粒を燃やし尽くすかのように燃える紅蓮の炎を見つめる鼓太郎は、その渦の中に失った家族や友人たちの姿を見ていた。


(兄ちゃん……もう、いいんだよ。もう、こんなことはやめにしてよ)


 幼い妹が泣きそうな顔でそう自分へと言葉を口にしたのを皮切りに、次々と大切な人々が自分に対して制止の言葉を投げかけてくる。

 もういいのだと、憎しみに囚われないでくれと、彼らは言っていた。

 その言葉を耳で聞くのではなく、心で感じた鼓太郎は、徐々に憑りつかれていた狂気から解放されていくと共に、涙を零しながら呟く。


「みんなぁ……! 俺は、俺はぁ……っ!!」


 大切だった。愛していた。だから、失った苦しみに耐え切れずに、復讐という愚かな手段に手を染めてしまった。

 家族や友人を悼むことも忘れ、彼らへの愛すらも失いかけていた鼓太郎は、巻き上がる炎と、その中で煌く砂粒と共に天へと舞い上がっていく大切な人々へと手を伸ばす。


 妹は、両親は、友は、想い人は……そんな鼓太郎に対して、それ以上は何も言わなかった。

 ただ、全て判っているとばかりに笑みを浮かべて、透き通るようにして姿を消していく彼らを見送った鼓太郎は、涙を零しながらゆっくりと瞳を閉じる。


 意識を失う寸前、彼が最後に感じたのは、胸を突く鋭くも何処か温かい、炎の感触だった。

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