トリックスター、あるいは誰よりも冷酷な少女
「ほらほら~! こっちだよ~ん! もたもたしてくと置いてっちゃうぞ~!」
「ぐふ、ぐふふふふふ……っ! 無邪気にはしゃいじゃって、本当に可愛いなあ、やよいは……!」
木々の間を子猿のように飛び跳ねるやよいの姿を見つめながら、タクトが薄気味の悪い笑みを零す。
右へ、左へと生い茂る木々を自在に飛び跳ね、適度にタクトとの距離を保っているつもりであろうやよいのことを思うと、どうにも愉快な笑みが止まらない。
(僕がその気になれば、簡単に追い付けちゃうっていうのに……そんなことにも気付かないで、僕を翻弄してるつもりになっちゃって! ぐふふっ! 僕の本気を知った時のやよいの顔が楽しみだなあ!!)
タクトが全身を雷の気力で強化し、一直線にやよいへと飛びついたなら、彼女のことなど簡単に確保出来るだろう。
敢えて、彼がそれをしないのは、彼女との追いかけっこを楽しみたいという下心故のことであり、ここで彼女を調子付かせることで後に自分との実力の差を知らされた時の衝撃を大きくするという目的があってのことだ。
視界の悪い森の中にあってもやよいの姿を見失わない適度な距離を保ちながら、その後を追うタクト。
彼の視線は丈の短い装束を着ているやよいの露出した太腿や、あわやそこから覗きそうになるふっくらとした丸みへと集中している。
それはそれは、もう言葉にも出来ないくらいの絶景。
毎週購読している漫画雑誌のグラビアなど比べ物にならないくらいに艶めかしいやよいの体を存分に堪能していた彼は、込み上げてくる興奮をそのまま妄想へと転化して頭の中で過激な空想を繰り広げる。
(勢いで蒼を置いてきちゃったのは失敗だったけど、どうせあいつらは王毅たちがやっつけてくれるでしょ! 僕はやよいをチート能力を使って超余裕で倒して、一目惚れさせるんだ! そして、その後は……ぐふふっ!!)
可愛らしい小動物のような容姿と、それに相反して育っている女性としての部分。
漫画やアニメでしか見たことのない、自分の好みドストライクであるロリ巨乳美少女としての要素を完璧に備えたやよいは、何としてもものにしたいとタクトは思っている。
あの白い肌も、大きく揺れる胸も尻も、それ以上に大事なところだって、全部自分の物。
元の世界では冴えないいじめられっ子だった自分は、こっちの世界でスーパースターとしてやり直す機会を得た。
ならば、そのチャンスを最大限に活かしてやろう。手始めに、童貞卒業から済ませてやろうではないか。
時期は今よりそう遠くない未来。相手は勿論、この戦いを終わらせた頃にはすっかり自分の虜になっているであろうやよいだ。
自分を操っていた悪玉である蒼を倒して自分のことを助けてくれたタクトに永久の愛を誓った彼女は、その証明として清らかな純潔を自分に捧げて――
「へぶっ!?」
――とまあ、完全に妄想の世界に飛び立っていた彼は、目の前に現れた太い木の枝に顔面を強かにぶつけて情けない悲鳴を上げてしまった。
そのまま、真っ逆さまに地面へと落下して頭を叩き付けた彼のことを、同じく木の上から木の葉と共に舞い降りてきたやよいが腹を抱えて嘲笑う。
「あははははっ! ま~ぬけ~!! 背中越しでもあなたが集中してないのがわかったよ? そんなんじゃあ、あたしには勝てないかにゃ~?」
「うぐぐ……! ちょ、ちょっと失敗しただけさ! それよりも、もう追いかけっこは終わりでいいのかい?」
「うん! もう十分かな! 今度は少し、あなたの腕前を見せてもらいたいと思ってさ! 異世界の英雄なんだもん、きっとすっごい剣士なんでしょう?」
「へ、へぇ……? そ、そう、思う? まあ、人に自慢する程じゃあないけど、それなりにはね……!!」
自慢と謙遜が入り混じる不可思議な言葉を口にするタクトは、完全にやよいの掌の上で弄ばれている。
無邪気に笑い、男心をくすぐる蠱惑的な仕草で彼を魅了しながら、言葉でもタクトを翻弄するやよいは、大きく胸を張ると開いた胸元から覗いている自分の胸の谷間を指差して……
「ねえ、ここだけを斬ることって出来る? あたしの肌に傷をつけないで、着ている服だけ斬れるかな?」
「う、うえっ!?」
小悪魔のような笑みを浮かべたやよいからの突然の質問に素っ頓狂な声を上げたタクトは、ごくりと生唾を飲み込みながら彼女の動きに合わせて揺れるたわわな果実を凝視する。
大きさは十分、あの揺れから察するに柔らかさも相当なものだろう。
あれを包んでいる服を断ち切って、胸の谷間を縫うように刃を入れることが出来たなら……あの見事な双房は綺麗に自分の前に零れ落ちてくれるに違いない。
「そ、そそそ、そんなことしたら、自分がどんなことになるかわかって言ってるの? や、やよいのお、おぱ、おぱぱぱぱ……」
「ふふふ……! やだなあ、皆まで言わせないでよ。あたしだってそこまで馬鹿じゃないし、ぜ~んぶ承知の上でこう申し上げてるわけなんですけれど、も……!」
「う、ははは、はぁ、っ! そ、そそ、そう、なんだ、ね? な、ななな、なら、これは合意の上の行為って奴で、僕が遠慮することなんて、何もない、わけ、だよ、ね……?」
「……ふふっ、そうだよ。でも、肌に傷をつけるのはやめてね? そんなことしたら、夜のお楽しみが台無しだもん」
「う、うおおおおっ!?」
淫靡に、可憐に、頬を染めながらやよいが口ずさんだ言葉に興奮を隠しきれないタクトは、自分の心臓が早鐘を打っていることを感じていた。
普通ならばこんなとんとん拍子に話が進むことに何かがおかしいと引っ掛かりを感じるのが人間なのだが、完全に頭が茹で上がっている今のタクトの目には、これからお披露目されるやよいの大きな胸の膨らみしか映っていない。
「ほらぁ、よ~く狙って……失敗したら嫌だよ?」
「わかってる、わかってるって……! そのまま、動かないでよ……!!」
武神刀を鞘から引き抜くことも、防御の構えを見せることもなく、やよいは無防備な姿を晒し続けている。
やはり、彼女は既に自分に好意を抱いていたのだ。妖刀の洗脳すらも凌駕する自分への愛こそが、彼女が自分の正妻であることを証明するなによりのピースではないか。
震える手で、愛刀を構える。
血走った眼でやよいを見つめ、興奮で荒くなっている呼吸を必死になって整えて、にこにこと天使のように笑う彼女の胸元へと視線を集中させたタクトは、口の端を吊り上げた妙な笑みを見せると、格好つけのために全速力で彼女との間合いを詰めた。
雷の気力を用いた驚異的な加速は、きっとやよいの目にも映っていないだろう。
彼女からすれば、タクトが視界から消えた次の瞬間には、お望み通りの出来事が起きたという感覚になるに違いない。
初めて目にする、女性の柔肌……親に隠れてこっそりとプレイしているR18のゲームなど目じゃない、現実の女の子の生の裸。
それが今、自分の前に曝け出されようとしている。全神経を集中させて、乙女の肌に傷をつけないように服だけを裂く一刀を繰り出せば、やよいの胸が自分の目の前に――
「……あげっ?」
――ズシャッと、嫌な音がした。
自分の足元で、何か違和感を覚えるその音を耳にしたタクトは、そのまま体勢を崩して木の葉が散らばっている地面をゴロゴロと転がっていく。
気力による身体能力強化で速度を限界まで上昇させていた彼の体は、まるで陸上選手がロケットスタートを切ったかのような猛烈な勢いで地面を滑り、近くにあった木へと頭から突撃していった。
「あ、あ、あ……足がっ! 足がああぁぁっ!?」
頭から硬い木の幹に激突した痛みより、地面を転がったことで擦り剥いた全身の傷より、一番の激痛を感じたのは、思い切り踏み込んでいた利き足だった。
あまりの痛みに涙目になっているタクトは、大慌てで自分の右足を確認すると眩暈に襲われる。
そこには、履いている靴の底どころか、足の甲までもを貫通する巨大なまきびしが突き刺さっていたのだ。
「にししっ! あ~あ、痛そうだね~! 血もだくだく出てるけど、大丈夫?」
「大丈夫なわけないだろう! ひ、酷いじゃないか! 僕を騙したんだなっ!?」
「あんな風に煩悩丸出しにしてるのが悪いんだよ。あたしたちは今、殺し合いをしてるんだよ? 相手の動きも策略も読めないまま、おっぱいだけに視線を向けてれば誰だってそうなるって!」
屈託なく笑いながらそう言ったやよいへと愕然とした表情を向けるタクト。
考えてみればすぐにおかしいと気が付くはずなのだが、つい先ほどまで完全に頭が茹っていた自分は、やよいの色仕掛けにまんまと引っ掛かってしまった。
わざわざ彼女が大量の木の葉と共に地面に降りてきたのも、たわわな胸を注視させるような行動を取ったのも、全ては地面にばら撒いたまきびしを隠し、その存在をタクトに気付かせないようにするための罠だったのである。
「ぼ、僕の好意を利用するだなんて、性格が悪過ぎるだろっ! もう怒った! 泣いて謝ったって許してあげな……ぎゃあっ!?」
「……ん? どうしたの? ほら、かかってきなよ。まだ勝負は続いてるんだし、遠慮なんていらないからさ」
チャキッ、チャキッという金属音を響かせながら、やよいが手にした苦無をジャグリングする。
既に一本をタクトに向けて投擲し、彼の肩に深々と刃を突き立てた状態で、なおも彼女は追撃として取り出した暗器を次々とタクト目掛けて放り投げていった。
「ほら、避けるか防ぐかしないと死んじゃうよ! 頑張って、英雄さまっ!!」
「ひ、ひいいっ!? ま、待って! 待ってよっ!! 体勢を立て直す時間を……ぎゃああっっ!!」
また、やよいの投げた苦無が体に突き刺さる。
千本が体を貫き、手裏剣の刃が肌を傷つけ、小型の砲丸が骨を砕くようにして重い衝撃を叩き込んでくる。
タクトの反撃を許さない、怒涛の攻め。
防御しようとしても、回避運動を取ろうとしても、その予備動作すらも潰すやよいの無尽蔵の暗器攻撃によって全身を傷つけられるタクトは、堪えようのない恐怖に心を握り潰されていた。
「あ、あ、ああああっ!? 嫌だ、嫌だぁっ!!」
深く傷ついた足では立つこともままならず、恐怖に震える体は自分の思った通りに動いてくれない。
ただただ無慈悲な刃の雨に晒され、傷を受け、全身から血を流しながら怯えるだけになったタクトに出来るのは、狂ったように叫ぶことだけだった。
「狡い! 狡い狡い狡いっ! こんなのフェアじゃない! 公平な勝負じゃないっ!! まともに戦えば僕が勝つはずなのに、こんな卑怯な手を使われただけで負けるなんて酷いじゃないか! 僕は、僕は……主人公なんだぞっ!?」
ちょっと油断しただけだ。相手が卑怯な手段を使ってきたのが悪い。自分の好意を利用した悪人が相手で、そんな奴は物語の中ではボコボコにやられると決まっているはずだ。
負けるはずがない、主人公である自分が。この世界で英雄として祭り上げられる、生まれ変わって強くなった自分が、卑怯な手段を使うだけの女の子一人に負けるはずがない。
公平な勝負なら絶対に勝てる。卑怯な手を使われなければ自分が有利なはずだ。
そんな、最早後の祭りとしか言いようのない状況を読めていない叫びを上げるタクトの姿に暗器を投げる手を止めたやよいは、今までの彼女からは想像もつかないくらいにゾッとするほど底冷えした声で彼へと言い放つ。
「……ねえ、まだわからないの? あなたが身を投じてる戦いは、そういうものなんだよ? 誰もが正々堂々と戦いを挑んで来るわけじゃない。相手を格下だと侮って、煩悩に身を任せて油断して、そうしてあなたは罠に嵌った。それで、卑怯な手段を使うなって? 笑わせないでよ。命を懸けた戦いに、綺麗も汚いもないでしょう? あたしたちが迎える結末は生きるか死ぬか、その二つに一つだけ……死なないために、生きるために、全力を尽くすことの何が悪いの? 勝手に油断した馬鹿の隙を突くことの何処が卑怯なのかな?」
「うぅぅ、うあぁ……! う、うるさい、うるさいぃぃ……!! 僕は主人公なんだ。僕は強いんだ。僕は、僕は、僕は……っ!!」
最早、タクトには冷静な思考というものは残されていなかった。
間近に迫った死から、自分が敗北を迎えようとしている現実から、目を逸らすようにしてぶつぶつと何事かを呟き、怨嗟の声と自分の価値を自分自身に言い聞かせる言葉を繰り返し唱え続けているタクト。
そんな彼の様子にうんざりとした視線を向けたやよいは、手にしていた暗器を全て服の中に仕舞うと、自ら彼の傍へと歩んでいった。
「……ほら、立ちなよ。お望み通り、正々堂々とした勝負をしてあげる。この距離なら、あなたの刀もあたしに届くでしょう? 首を刎ねるでも、心臓を貫くでも、お好きにどうぞ」
「う、ううううう……!! ぼ、僕を、馬鹿に、するな……っ! お前なんか、もう、いらない……っ!」
泣きじゃくり、暴走するタクトの瞳には涙と共にやよいへの怒りの炎が浮かび上がっていた。
結局、彼女も自分を見下していた学校の女子たちと同じ人種だ。
優しくて可憐で、穢れなんて知らない純粋そうな見た目をしていた癖に、自分を裏切ってここまで追い詰めるような女なんて、こちらから願い下げだ。
そうとも、こんな女は自分のハーレムに必要ない。自分が必要としているのは、自分
(殺してやるっ! 殺してやるっっ!!)
卑怯な手段しか使えない癖に自分を見下す弱い女など、自分がこの手で始末してやる。
抱いていた愛情が全て憎しみへと反転し、その激情のままに武神刀を振り上げたタクトであったが、刀が真上に振りかぶられた時、黙っていたやよいが口を開き、言った。
「一応、言っておくよ。あなたが攻撃を繰り出した瞬間、私も反撃するから。確実に息の根を止めないと相打ちになるし、討ち損じたらあなただけが死ぬことになる。お互い、その辺のことは覚悟してるよね? 相手を殺すと決めた以上、自分が殺されるかもしれないってことは考えてあるよね?」
「は、あ……?」
その言葉に、タクトの心が大きく揺らいだ。
今までずっと、強者として妖や弱者の命を奪う側に回っていた彼は、ここにきて初めて自分が命を奪われる側に立っていることに気付いたのである。
これはゲームではない。死んだとしても、コンティニューは出来ない。
ここでやよいを殺すことに失敗したら、いや、成功したとしても、自分が死んでしまう可能性がある。
刀に刺し貫かれ、暗器で心臓を抉られ、首筋を搔き切られて……様々な手段で命を奪われる自分の姿を想像した瞬間、タクトの全身にぶあっと嫌な汗が噴き出してきた。
「はぁっ、はぁっ、ひ、ひぃっ、ひくっ、う……っ!?」
「……ほら、どうしたの? 速さには自信があるんでしょう? あたしのこと、殺してみなよ。あたしに殺される覚悟を持ってさ……」
「こひゅぅぅ……こ、ひゅぅ、うぅ……」
息が苦しい。呼吸が出来ない。
自分より小さくて武器も手にしていない少女であるやよいの姿が、何倍にも大きく見える。
彼女の瞳には、一時の感情で抱いた殺意ではない、命を奪う者としての黒い光が宿っていた。
戦いの場に立つ以上、自分が死ぬことも覚悟して、相手の命を奪うことにも躊躇わない。冷酷で、残酷で、戦う者としての覚悟が秘められたその瞳の奥に揺らめく炎に気が付いてしまったタクトは、肺と心臓が死神に鷲掴みにされたかのような錯覚に襲われる。
「ほら、早くしなよ……あたしのこと、殺すんでしょ……? ほら、早く……!」
「あ、あああああああ……ああああああああぁぁぁ、ぁ……」
無理だ。出来っこない。自分には彼女を殺せない。彼女を殺す前に、自分が殺されてしまう。
やよいの姿が、声が、瞳が……底知れぬ恐ろしさを持つ魔獣の物のように思える。
生半可な気持ちで手を出してはいけない少女に強い言葉を使ってしまったタクトは、自分自身の愚かさに気が付くと同時に途方もない敗北感に襲われ、口から泡を噴き始めた。
「ご、ぼぼ……ぼごっ、ご、おぉ……」
呼吸が出来ない。息が苦しい。死ぬ。死ぬ。死んでしまう!
目の前に立つ少女の重圧に耐え切れず、心をへし折られたタクトは、息を吸うことすらもままならないままその場で硬直する。
やがて、振りかぶった武神刀を手から取り落とした彼は、恐怖のあまり白目を剥いたまま気を失い、その場にドサリと倒れ込んでしまった。
「あご、ぼぉ、おぉ……! うあぁぁ……」
窒息の影響か、あるいは恐怖の名残か、股間を濡らして黄色い液体を垂れ流す彼の姿を一瞥したやよいは、無様極まりないタクトの姿を嗤いもせず、興味もないとばかりに背を向けて歩き出す。
「本当に、つまらない人。せめて刀を振り下ろす覚悟があれば、少しは見直したのに」
そんな、彼女の口から零れた呟きを、タクトが耳にすることはない。
やよいに心を折られ、プライドを粉々にされた彼は、薄暗い森の中で失禁したまま、ただ一人で取り残される。
恐怖に怯えるその表情からは少し前までの傲慢不遜な態度はまるで感じられず、タクトの心が再び負け犬として堕ちたことは、間違いのないことであった。
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