夜の会話・燈と涼音の場合
「少し、時間をもらえる? あなたと話がしたい」
そう、涼音が割り当てられた部屋で一人休息を取っていた燈の下を訪れてから、数分が過ぎた。
話がしたいと言っていた涼音だが、部屋に来てから体育座りの体勢になり、そのまま一言も喋らず無言を貫いている。
元々が口下手なのか、あるいは話したいことが多過ぎて何から始めたらいいのか判断がつかないのか。
広くはない部屋の中で無言の女子と二人っきりという、なんとも気まずい状況でありながらも昼間に涼音の気持ちを聞いていた燈は、彼女が自分の心を整理し、会話へと踏み切るまでじっと待ち続けていた。
やがて、そんな燈の我慢が功を奏したのか、表情も体も微動だにしないまま、ただ口だけを動かすようにして涼音が話を始める。
「……昼間に会った、あなたのお友達。凄く、いい子だった。あの子を見ていると、なんだか嵐を思い出したわ。真面目で、優しくて、姉さん、姉さん……って、私のことを慕ってくれる子だった」
ぼそりと、あまり大きくはないが燈には十分伝わる声量で話す涼音。
普段の平坦な喋り方ではなく、胸に去来する懐かしさと嵐への感情が滲むその声は、穏やかながらも僅かに震えを見せている。
「……どうすればよかったのかしら、私は……もっとあの子のことを見ていてあげれば苦しみに気付けた? 励ましてあげれば家を飛び出したりせずに済んだ? それとも、他の何かを正せばよかった? ……私にはわからない。あんなに近くにいたのに、嵐とどう接すればよかったのか? ずっとその答えがわからずにいる……」
涼音の脳裏に浮かぶ、嵐の姿。
自分を慕い、笑顔を見せてくれる弟の姿。
自分を超えようと、必死になって修行に明け暮れる男子としての姿。
自身の才能に絶望し、膝を折った人としての彼の最後の姿。
そして……『禍風』を手にして、妖刀に魂を売ってしまった彼の姿。
自分はどこで間違えてしまったのだろうか?
苦しんでいた嵐は、苦悶の表情を浮かべることもあったが弾けるような笑顔も自分に見せてくれてもいた。
あの笑顔は嘘で、自分を心配させまいと強がっていただけだったのだろうか? それとも、自分を置き去りにする憎い姉には本心を悟られたくなかったが故の虚勢だったのか?
どこからが本当の嵐で、どこまでが自分の見たいと思っていた嵐の姿なのか、涼音には判らなくなってしまっていた。
本当の嵐は自分たちが思うほど強くなかったのかもしれない。無言の姉の重圧に押し潰され、心を擦り減らし続ける日々に耐え切れる器ではなかったのかもしれない。
ならば、母親がするように暖かく彼を受け入れ、励ましてあげればよかったのだろうか?
そうすれば、嵐が外道に堕ちることはなかったのか? 暖かい励ましの言葉が、嵐の望んでいたものだったのだろうか?
涼音には判らない。判断がつかない。何が正しくて、どれが間違った嵐との接し方だったのかが判っていない。
もうこんなことを考えても意味がないことは判っている。だが、それでもずっと同じことを堂々巡りのように考えてしまう。
自分はどうすればよかったのか? 言葉を投げかけなかったのが悪かったのか? 叱責でも励ましでもいいから嵐に声をかけてやればよかったのか?
どうすれば、嵐の心の苦しみを和らげられたのか? どうすれば、こんな悲劇的な出来事を避けることが出来たのだろうかと、常に考え続けてしまう。
今日の昼に、燈と正弘の仲睦まじい姿を見てからというもの、その考えは抑えきれない勢いを持ち始めてしまっていた。
「あなたたちは、私たちとは真逆……遠く離れた土地にいて、お互いの顔を合わせることも出来なかったのに、どちらも前を向いて自分の道を進むことが出来ていた。あんなに近くにいたのに、毎日のように顔を合わせていたのに、心が遠く離れてしまった私と嵐とは何もかもが違う……」
燈と正弘、自分と嵐。
条件は何もかもが自分たちの方が優れていたのに、迎えた結末は燈たちの方が幸福的だ。
その違いに自分の不甲斐なさを感じながら、部屋を訪れてから初めて顔を上げた涼音は、自分を見つめている燈に対してこう問いかけた。
「どうして、そうなったのかしら? どうすれば、私たちもあなたたちのように上手くいけたと思う?」
「……それを俺から聞いても、意味はねえと思うぜ。俺とお前とじゃあ性格も考え方も何もかもが違う。正弘と嵐も似てるのかもしれねえが、全く同じ人間ってわけじゃねえんだしな」
「……そうね。あなたの言う通り。今更答えを得ても、もう手遅れだものね……」
率直な燈の意見に表情を曇らせ、再び俯く涼音。
ただそれだけをストレートに言い放つだけでは流石に辛辣過ぎると思った燈は、そこから更に一歩踏み込んだ意見を口にする。
「別に、そう考えちまうことを否定はしねえよ。ただ、俺たちは全員別の人間で、違う考え方を持ってる。歯車でいえば、大きさも回転の速度も何もかもが違うって話だ。俺と正弘の場合、それが上手いこと絡み合うように周囲の状況が間を挟んでくれた。でも逆にいえば、少しでも噛み合いが悪くなったらお前たちと同じようになってたってことだ」
「……なに、それ? 全ては運次第だって言いたいの?」
「全部がそうだとは思っちゃいねえさ。ただ、そうだな……物事が上手く進むには、多少なりとも運が必要ってこった。お前らの場合、細やかな失敗はあれど大きすぎる失敗っていうものがあったとは俺には思えねえ。強いて挙げるなら、嵐の心がどん底まで落ちた時に妖刀と出会っちまったってことなんだろうよ」
「なら、悪いのは私。あの子の心を傷つけたのは、他の誰でもない私なのだから……」
「かもな。でもよ、俺には全部お前が悪いとは思えねえよ。お前らの師匠である百元さんにも、妖刀に手を出しちまった嵐自身にも、多少なりとも責任はあるんじゃねえのか? ……って、二人のことをよく知らない俺が偉そうに言うのもおかしな話だけどよ。でも、お前がそんな風に何もかもを背負おうとするのは感心出来ねえな」
「……もう、私にはそれしか出来ない。嵐の憎しみも、怒りも、全てを背負ったままあの子を葬るしか、私は……」
おそらくは、その考えが自己満足であることは涼音も理解しているのだろう。
それでも、自分の責任の取り方に固執する彼女の姿に頬を搔いた燈は、最終的に自分の素直な考えを彼女に伝えることにしたようだ。
「言ってやりゃあいいじゃねえかよ。自分が何を考えて、どう思ってたのかを。そいつを嵐の奴に伝えてやれば、それでいいだろ」
「え……?」
「良くも悪くも面倒くせえんだよ、お前。今まで本心を伝えられずにいたことを後悔してるんだろ? なら、今からでも嵐の奴に言いたいことを言っちまえよ。そうすりゃあ、本物の嵐の姿が見えてくるんじゃねえのか?」
「そんなの……そんなことをしても、意味なんてないわ。もう全て手遅れじゃない……」
「……その言葉はな、この世から伝えたいことを伝えられる相手がいなくなった時に初めてそう言えるんだ。オメーにゃまだ伝えられる機会があるだろ。なら、その機会を最大限に活かせよ。少なくとも俺は、今まで何も伝えなかったことを後悔してるのに、事ここに及んで未だにその選択肢を取り続けるってのは馬鹿のすることだと思うぜ」
「………」
燈からの真っ直ぐな言葉に、涼音が胸を抑える。
本当は彼女も判っていた。自分が嵐に本心を伝えられない理由は、これ以上彼に憎まれることを恐れているからだということが。
嵐が妖刀に手を出す理由を作ったのは間違いなく自分だ。
嵐の中にある涼音への妬み、怒り、憎しみは、妖刀の魔力によって更に増大しているかもしれない。
そんな状態の彼に自分が何を言ったところで、何も響かないだろう。
もしかしたら、彼が抱く感情がそのまま増大して、より強い憎しみへと変化してしまうかもしれない。
それが涼音には、途方もなく恐ろしいことに感じられていた。
だから彼女は理由をつけ、嵐に自らの想いを伝えることを避け続けている。
今現在の涼音は、今更何を言ったところで手遅れだと、この状況に陥ってから良い姉ぶることは許さねないことだと、そんな様々な言い訳を繰り返しては自分の抱える恐怖から目をそらし続けていただけなのだ。
「私、は……」
もう、気付いていないふりは出来ない。
今の自分が取っている行動は、自分だけを守るためのものだ。
本気で責任を取るべきだと思っているのなら、本気で嵐のことを愛しているのなら、取るべき行動はたった一つ。
その怖れを乗り越え、自分の想いを嵐へと伝えるべきだ。
その先に報われぬ結末が待っていようとも、たとえ涼音自身が苦しむことになったとしても、このまま全てを終わらせることだけはあってはならない。
我が身可愛さに見て見ぬふりを続けてきた自分の弱さを突きつけられた涼音は、か細い声を漏らして苦悩している。
そんな彼女が出す答えをじっと待ち、腕を組んでいた燈であったが……不意に、ゾワリとした何か嫌な感覚が背筋を伝わり、不気味な感触に表情を一変させる。
「なんだ、今のは……? なんか、ぞわっと来たぞ……!?」
たとえるなら、全身に冷えた汚泥を浴びせられたかのような感覚。
まとわりつく不快感と冷たさに全身が凍え、何か良くないことが起きているということがはっきりと伝わってくるような感覚だ。
それを感じたのは燈だけではないようで、涼音もまた悩み続けていた時の苦悶の表情を一変させ、何かを感じ取った顔をしていた。
「今のは、妖気……! それに、凄く強い悪意と殺意を孕んでる気力の流れ……!!」
「妖刀持ちか? 嵐の奴が、これを?」
「違う、これは嵐の気じゃない。『禍風』の妖気でもない。こんな、殺意を隠そうともしない強大な気が磐木の町に……!?」
涼音の言葉を信じるならば、この不快な感触は嵐が発しているものではないようだ。
つまり、彼以外にもこれほどまでの気を放てる存在がいるということになる。
そこまで考えた時、燈は先ほどの会議の中で出た、妖刀は複数本盗まれたのではないかという意見を思い出す。
そして、それが正しく的中してしまったことを確信した彼は、同じ考えに至った涼音と頷き合うと、おそらくはこの妖気を感じ取ったであろう仲間たちを呼びに立ち上がった。
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