一方その頃、妖刀と遭遇した王毅たちは……




「急げ王毅! ぼさぼさしてると辻斬りが逃げちまうぞ!」


「待ってくれ! 花織がついて来られてない! もう少しペースを落とさないと……」


「も、申し訳ありません、王毅さま……」


 磐木の町を襲った濃い妖気を感じた人間は、燈たちだけではなかった。

 彼ら同様に高い気力を持つ王毅たち一行もまた、ただならぬ気配を感じてその出所に急行していたのである。


 丁度その時、二つのグループに分かれて警邏を行っていた王毅は、幸運にも気配を察知すると同時に迅速に動くことが出来た。

 妖気を感じ取り、道案内をする花織とタクトと順平。計四人で行動していた王毅は、花織の導きに従って薄暗い磐木の町をひた駆けて行く。


「あれが妖刀の圧力ってやつか! ヤバさ満載って感じでゾクゾクしちゃうよね!」


「油断するなよ、タクト。相手はもう何人も人を殺してる、俺たちだってやられかねないぞ」


「わかってるって。でも、僕たちチート能力持ちなら余裕でしょ!」


 どこか緊張感のないタクトの様子に不安になりながらも、自分だけはまともであろうと気を引き締める王毅。

 実力では自分たちよりも数歩劣る順平に期待は出来ないし、花織なんてもってのほかだ。


 予想外の事態が起きた時、別行動中の慎吾たちと合流するまでは自分がしっかりしなければならない。

 そう自分に言い聞かせ、集中力を高めていた王毅に対して、妖刀の気配を探っていた花織の声が響く。


「目標、すぐそこです! この通りを抜けた所にいます!」


 駆け抜ける細い道を抜ければ、敵がもうすぐそこにいる。

 花織のその言葉に流石のタクトも口を閉ざし、戦いへと集中するために無言になった。


「まずは状況の確認に努めよう! 俺が前衛を張る!! みんなは後ろへっ!」


 仲間たちへの指示、問題はない。

 どんな状況になっても対応可能な自分が前に出て、敵の出方を伺う。

 敵が不審な動きを見せた瞬間にはそれを鎮圧出来るように、そんな陣形を整えながら通りを駆け抜けた王毅は、やや広めの道に出ると共にそこに立つ一人の青年の姿を捉えた。


 がっしりとした体形をした、自分たちよりも少し歳が上だと思われるその青年は、一見するとただの町民か農民にしか見えない。

 立派な体格も鍛え上げられているというよりかは、日々の生活の中でそうなっていったという感じのものだ。

 武術や剣術を習得しているような、洗練された雰囲気は彼からは感じられない。


 だかしかし、青年の腰には一介の農民が所持しているはずがない武神刀が差されている。

 程離れた位置にいる王毅にも感じ取れるくらいの禍々しい雰囲気を感じ取った王毅は、この青年が辻斬り事件とは無関係の存在ではないという確信を抱くと共に、口を開いた。


「止まれ! ……お前が磐木の町周辺で暴れている辻斬りか!? その刀は、幕府から盗んだ妖刀だな!?」


 敵を威圧するように、自分の心を奮い立たせるように、勇ましい声を上げる王毅。

 相手は既に何人もの命を奪っている人斬りだ。弱気になれば、その隙をつけこまれてしまうだろう。


 人殺しであるお前のことも、妖刀の力だって、俺は恐れていないぞ……そう、態度と言葉で青年へと告げた王毅であったが、彼から返ってきたのは予想外の言葉であった。


「辻斬り、だぁ……? 俺を、あいつと一緒にするな!! みんなの命を奪ったあいつと俺を、一緒にするんじゃねえっっ!!」


「えっ……!?」


 青年は、はっきりと自分は辻斬りではないと王毅の言葉を否定する。

 その言葉に一瞬面食らった王毅であったが、彼が手にしている武神刀の禍々しさを改めて感じ取ると気を取り直し、気後れしないように強い口調で彼を詰問していく。


「お前が辻斬りでないというのなら、その妖刀はなんだ!? それは東平京で盗まれた妖刀『禍風』だろう!?」


「あっさりバレる嘘をつくのは止めなって! お前が涼音ちゃんの弟か!? そんな嘘ついて、あんなに可愛いお姉ちゃんを泣かせるなよ!」


「姉、だと……? 俺に姉なんていねえ! いたのは妹だ! まだちっこくて、働き者で、将来はいい男と結婚して幸せな夫婦になるはずだったのに……それなのに! あいつがその幸せを奪いやがったんだ! 俺の家族と! みんなの幸せを! あいつが、奪った! 殺したっ! 許せねぇっ!! 俺は仇を取らなきゃならねえんだよ!!」


「……なんだ? なにかがおかしいぞ。あいつが持っているのは妖刀で間違いないはずなのに、自分は辻斬りじゃないと言い張ってる。この食い違いはなんなんだ?」


 厳しく追及する王毅の言葉にも、彼を嘲るようなタクトの言葉にも、等しく怒りと嫌悪感を見せる男の様子に何か違和感を感じた王毅は、警戒を強めつつもこの疑問に対する答えを見つけ出そうとしていた。


 あの武神刀が放つ雰囲気は、明らかに通常のそれとは比べ物にならないくらいに邪悪だ。

 自分も初めて遭遇するが、あれが幕府から盗まれた妖刀であることは間違いない。ならば、その妖刀を用いて人斬りを行っている彼は辻斬りで間違いないはずだ。


 それなのにどうして、彼はそのイコールの方程式を否定するのか?

 妖刀の邪気にあてられて支離滅裂な思考に陥っている可能性も十分にあり得るが、それにしては家族のことを覚えていたりする点がどうにも引っ掛かる。


 この引っ掛かりの正体はなんなのか? もしかしたら自分は、何か見落としをしているのではないだろうか?

 そんな風に戦いを目前としながらも思考を深めていた王毅であったが、そんな彼の後手に回るような態度に業を煮やしたのか、あるいは昼間に蒼にやられた鬱憤が溜まっていたのか、すっかり調子を取り戻したタクトが愛刀を構えると得意の踏み込みで勝負を仕掛ける様子を見せる。


「タクト、不用意だぞ!! 何かがおかしい、ここは慎吾たちとの合流を待って――」


「そんなことしなくても、こいつを倒せばいいだけなんでしょ!? 僕なら一発でこいつを仕留められる! 能力の発動なんて、させやしないさ!!」


 雷の気力を用いての運動能力、及び全身の電気信号通達機能の強化。

 蒼に斬りかかった時よりも入念に気力を練り、自身を強化したタクトは、王毅の制止を振り払って独断で攻撃を仕掛けた。


 男はまだ、刀を引き抜いてすらいない。

 ただそこにぼーっと突っ立ち、自身に迫るタクトという名の脅威に対応するだけの構えをまるで見せてはいない。


 勝ったと、タクトは思った。

 蒼の時とは違い、今回は万全を期した。目の前の男には彼のように視線で自分の動きを追っている様子も見受けられないし、防御は絶対に不可能だ。

 妖刀の能力を見ることが出来ないのは残念だが、勝利に勝る栄誉は無い。

 ここで妖刀を持つ剣士を倒したとあれば更にタクトの名声は高まり、巫女たちも自分のことを一層尊敬し、愛してくれるだろう。


 戦いの最中にそんな浮ついた妄想を繰り広げる余裕を持つタクトは、ゲーム感覚で武神刀を振るい、不審な人物である男を斬り捨てようと動く。

 あと一歩、大きく踏み込めば射程範囲。自分の刀が、青年に届く距離だ。


 一刀の下に青年を斬り捨てるべく、自身の全力を以て、最後の一歩を強く踏み込むタクト。

 その足が、磐木の町に広がる石畳の地面に触れた、その時だった。


「うえぇっ!? な、なにっ!?」


 硬い反発と共に、自分に最高の加速を与えてくれるはずの地面がタクトを裏切る。

 地面を強く蹴って加速しようとしていたタクトの左足は、求めていた硬い感触を覚えることなく、逆にまるでぬかるみに足を取られたかのような予想外の感覚によってバランスを崩し、次の一歩を踏み出せなくなってしまった。


 目にも止まらぬ神速の踏み込みから一転、急激に動きを停止させたタクトの姿に王毅たちが驚きの表情を浮かべる。

 いや、彼らが驚いているのはタクトの動きが止まったからではない。今しがた、彼が踏み込んだ左足下に、信じられない光景が広がっているからだ。


 磐木の町に広がる石畳。それは今、王毅たちがいるこの通りにもしっかりと広がっていた。

 タクトが最高のスタートを切れたのも、その硬い反発によって強く一歩目の踏み込みが繰り出せたお陰だ。


 そこから真っ直ぐに石畳は青年の下へと伸び、一部の隙なくタクトが進む道を作り出している。

 だから、彼が急に足を取られるような泥や沼など、この場には存在していないはずなのだ。


 だが、タクトの足元には確かに彼の左足を飲み込む泥だまりが存在していた。

 いや……言葉は正確に使うべきだろう。

 タクトの足元に存在しているのは、泥だまりではない。融解した石畳の沼だ。

 まるでそこだけが固まる前のコンクリートへと変化してしまったかのように、どろどろの沼地となって彼の足を飲み込んでしまったのだ。


「な、なんだよこれ!? なにがどうなって……!?」


 自分の足元を見て、その異変に気が付いたタクトが素っ頓狂な叫びを上げる。

 硬い石畳が一部分だけ沼のような性質に変化していることに驚いた彼であったが、青年はそんなタクトに対して、さらなる驚愕を与えるべく次の一手を披露した。


「んな……っ!?」


 青年と、タクトの間。

 その間にある地面が、音もなく盛り上がり始めた。


 灰色の石畳の色彩もそのまま。所々についている傷もそのまま。ただ一つだけ違うのは、平坦なはずの石畳がまるで人の拳を模したような形へと変形しているということ。

 その腕は、目の前で起きている異常事態にぽかんとしているタクトに向け、まるでバケツ一杯の泥を素手で叩いたかのような、ぬぱぁん、という音を響かせながら波打った。


 泥のようにしなり、水のようにうねり、タクトを襲う石畳の地面。

 その硬さはまさしく堅牢な石そのものであり、巨大な岩盤に直撃したのと同じくらいの衝撃を浴びたタクトは、容赦の無い岩の鉄拳の前に悲鳴もなく吹き飛ばされてしまう。


「た、タクトっ!?」


 予想外の事態に咄嗟に反応出来たのは王毅だけだった。

 気力で全身を強化し、吹き飛ばされたタクトの体を受け止めるべく迅速に動く。


 防御の修行なんて面倒臭いし地味だからやりたくないと言っていた彼は気力による防御を完全には習得しておらず、今の一撃で随分とダメージを受けてしまったようだ。

 攻撃のために身体能力を強化していたお陰で大惨事とはならなかったが、想像以上の一撃を受けたタクトは完全に気を失っており、白目を剥いてぐったりとしている。


(油断していたとはいえ、タクトをこんなにあっさりと倒すなんて……! これが妖刀の力か!)


 警戒していたつもりだが、まだどこかに甘えがあった。

 いくら妖刀といえども、本気で戦えば自分たちの方が勝つという確証のない慢心が存在していた。


 タクトの敗北を目の当たりにして、自身が抱えていた油断に気が付いた王毅は、今度こそ気を引き締めて油断も慢心もなく青年を睨む。

 ここからは、順平と自分のコンビネーションを意識して彼に立ち向かわなければならない。花織にも援護を頼んで、慎吾たちとの合流まで時間を――


「……え?」


 ――そこで、王毅の思考は中断された。

 顔を上げた瞬間に彼の視界は漆黒に塗り潰され、一拍も間を空けずして呼吸すら出来なくなる程の苦悶の時が王毅を襲う。


「がっ、ぼっっ!?」


 息を吸おうと開いた口から、鼻の穴から、大量の汚泥が流れ込んで来る。

 僅かな抵抗として眼前を斬り裂いた王毅であったが、それが何か意味を成すことはなかった。


 その切れ目から見える光景には、自分と同じく土気色の玉に飲み込まれる花織と順平の姿がある。

 彼らが自分と同じく敵の技に飲み込まれる様を目にしながら、王毅は自分自身の不覚を呪った。


(これが、妖刀の力……!?)


 接敵の瞬間から今に至るまで、自分だけは気を抜いていないと思っていた。

 敵がどんな攻撃を仕掛けてきても対処出来ると思い込んでいた。


 その結果が、これだ。

 幕府が厳重に保管し、その危険性を熟知している妖刀の力を、自分たちは侮ってしまっていた。


 確かに、予想外の事態が起きたことで仲間同士の足並みが揃わなかったという部分もある。

 辻斬りの持つ妖刀『禍風』の能力を先んじて聞いていたが故に、相手はそれを活かした攻撃を仕掛けてくるものだという先入観があったことも否めない。


 だが、この事態を招いた最大の要因は、王毅たちの想像力不足、油断と慢心だ。

 彼らは妖刀を持つ者が自分より強いとは思っていなかった。正面からぶつかり合えば、間違いなく勝利出来ると信じ切っていた。


 その慢心が最大の隙となり、青年……鼓太郎の勝利の可能性を引き上げた。

 そして何より、彼が手にした刀は、そういった相手を屠ることに長けた能力を有していたのだ。


 それは水田に潜む蛙のように、虎視眈々と獲物の隙を狙っている。

 汚れきった視界。身動きのままならないぬかるみ。それら全てを活かして敵を追い詰め、決定的な隙を見出すと共に口を開けて一飲みにしてしまう。


 決して、流麗な戦いを見せるわけではない。

 決して、褒められるような立派な勝ち方ではない。


 この刀を手にした者は、人の形をした蛙となる。

 澄んだ水とは無縁の底なし沼に敵を沈め、巨大な胃と化した泥の中に敵を封じ込め、確実にその命を奪う。


 この刀が鞘から抜かれれば、葬った相手の血と肉が泥のように広がり、その土地がぬかるむ。

 この刀が振るわれれば、その刃にかかった人々の苦悶の声がまるで蛙の合唱のように響き渡る。

 故に『泥蛙』。獲物と定めた相手を一瞬のうちに飲み干す、暗殺と不意打ちに長けた刀。


 鼓太郎が己の魂と心を犠牲にして手に入れた、悪しき邪道の力である。

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