逆恨みの代償


 戦場に響く手柄名乗りの声。その声に応えるように、多くの武士たちが歓声を上げる。

 敵の強者を打ち倒し、栄誉を手にした燈を称えるようなその叫びは、この場の人間たちに伝播していった。


 その光景と、燈の巻き起こした爆炎に茫然とした表情を浮かべていた冬美の前に、そっと手が差し出される。

 目の前に伸びてきた手を目にして、はっと我に返った彼女に対して、傍らにもう一体の猿鬼の首を抱えた蒼が心配そうに声をかけてきた。


「大丈夫ですか? 怪我は、ありません?」


「え……? え、ええ、大丈夫よ。あなたたちのお陰で助かりました。本当にありがとう」


「……でも、間に合わなかった人もいる。僕たちがもっと早く駆けつけていれば、一人も死者を出さずにすんだかもしれません。ご友人の死を、心から悼ませていただきます」


 物悲し気な表情を浮かべた蒼は、冬美へとそう告げながら頭を下げた。

 彼が狒々たちに惨殺された日村のことを言っているのだなと気が付き、小さく表情を歪めた冬美は、確かに自業自得であったとはいえ悲惨な最期を遂げた彼の死を悔やむ。


(私がもっと上手く判断を下せていれば、あるいは……)


 自分の気力の管理が上手ければ、指揮官としての判断能力が身についていれば、日村は死なずに済んだかもしれない。

 燈に続き、第二の死者を生み出してしまった自らの不甲斐なさを責めつつも、冬美は救援に駆けつけた二人組の武者の強さに心の中で驚嘆していた。


 派手に、強引に、日村をいとも容易く倒した猿鬼を撃破した包帯男もそうだが、それ以上にこっちの優男の強さは底が知れない。

 燈の戦いに注目し続けていた正弘は知らないが、実は蒼の方が早くに猿鬼を倒していたのである。


 流麗な技と、余裕のある体捌き。槍を持つ猿鬼の刺突、薙ぎ払い、それら全ての攻撃は薄皮一枚といったところで蒼に当たらない。

 どれだけ素早く連打を繰り出そうとも、広範囲を激しく薙ぎ払おうとも、すんでの所で蒼に躱され、傷一つ負わせることが出来なかったのだ。


 攻め続ける猿鬼の攻撃を次々と躱す、あるいは弾く。蒼の動きについていけない猿鬼はがむしゃらに槍を振るうも、攻撃を繰り出す毎に状況が悪くなっていくばかりだった。


 それは、本当におかしな戦いであった。


 攻撃し続けている猿鬼が追い詰められ、それをいなすだけの蒼が優勢を握る。

 状況だけ聞けば、蒼が危機に陥っていると誰もが思うだろう。しかし、その戦いを直に目で見てみれば、間違いなく蒼の方が相手を追い詰めていると理解出来る戦いであった。


 そして、戦いの終焉が不意に訪れる。

 疲れ果て、槍の冴えが失われつつあった猿鬼の隙を見逃さなかった蒼は、一瞬の間に相手の懐に踏み込むと、その首目掛けて鋭い一閃を繰り出した。

 水が跳ねる、ぴしゃりという音。それに続いて蒼の刃が描く、剣閃が光る。


 気が付けば、瞬き一つの間に猿鬼の首は落ちており、彼との命のやり取りを終えた蒼は、感じていた緊張を吐き出すようにして深く呼吸を行い、勝利の余韻に浸る間もなく、周囲の狒々たちの警戒を行っていた、というわけである。


 強い、と素直に冬美は二人の実力を認めた。

 気力というステータスの概念では自分たちの方が上なのだろうが、この二人組には自分たちにはない戦いの経験値というものがある。


 特に、蒼の実力は自分を遥かに超えていた。

 何かの本で、槍を持った相手と戦う場合、剣士はその三倍の実力が必要だという話を聞いたことがある。

 それになぞらえて考えるならば、蒼はあの猿鬼の三倍……いや、それより圧倒的な強さを有しているはずだ。


 気力さえ残っていれば、自分だってあいつを倒せたはず……と思いながら、自分は蒼のように敵の攻撃をいなす剣術は使えないと思い直し、自分に足りない物を再認識する冬美。

 英雄扱いされているといえど、やはり自分たちはまだまだ未熟なのだと自らの不甲斐なさを噛み締める彼女がふと顔を上げると、猿鬼を討ち取った包帯男が、日村のズタズタになった遺体に近づき、武神刀を振るっている姿が目に映った。


 静かな炎を刀身に灯らせ、ばらばらになった遺体を風呂敷か何かで纏めてからそれを燃やす。

 肉の燃える、嫌な臭いが鼻を衝いたが、包帯男はその間近で手を合わせると、その死を悼むようにして祈りを捧げていた。


「……英雄さまたちは、どこか別の世界からこの大和国に参られたとお聞きしました。相棒は、その死を弔いたいようです。別の世界に来て、亡骸が戦場に転がったままだなんていうのは、悲し過ぎますから」


「そう……その、ありがとう……」


「……感謝の言葉は、僕ではなく相棒へ言ってあげてください。僕は、大したことはしていませんから」


 急に異世界に呼び寄せられ、そこで命を落とした日村への追悼を行う燈。

 その正体を知らぬ冬美は、見ず知らずの人間が自分の仲間の死を弔ってくれたことを心の底から感謝する。


 調子に乗っていた部分もあっただろう。その死は、自業自得といわれても仕方がないものだったかもしれない。

 だが、それでも……もう、日村勝成という少年がこの世界の何処にもおらず、元の世界に帰ることも出来なくなったという事実は、同郷の人間からすればあまりにも無残で悲しい事実であった。


 せめて、そんな彼の死後が安らかなものでありますように……と、祈ってくれている燈と、その心境を解説してくれた蒼に改めて感謝を告げる冬美。

 狒々たちも他の武士たちによって掃討され、この周囲の安全は今度こそ確保出来た。


 死地から一転し、安心出来る状態になった戦場で、彼女は自分の命を救ってくれたもう一人の男へと感謝の気持ちを伝えようとしたのだが――


「おい! ふざけんなよ、この包帯野郎!!」


 そんな叫びを上げ、件の包帯男こと燈に掴みかかる男が一人。

 怒り心頭、といった様子の彼の登場に周囲の人々も驚き、唖然としたままその場で固まってしまう。


 周りの人々から視線を浴びながら、それをまるで意に介さないまま、燈に掴みかかった男こと順平は、抱えている怒りを全てぶつけるようにして吠えた。


「テメーはいったい何なんだよ!? なんで俺の手柄を奪うんだ!? 一番槍も、ここの妖も、本当なら俺が倒してたはずだっていうのに!」


「た、竹元先輩、そ、その辺にしておいた方が……」


「うるせえ! お前らは黙ってろ! これは、俺とこいつの問題なんだよ!!」


 部下である後輩を怒鳴りつけて黙らせた順平は、燈のことを思い切り突き飛ばす。

 幸い、燈自身がそれなりに踏ん張っていたため、数歩後退っただけで済んだものの、その余裕そうな反応は、順平の神経は逆撫でしてしまったようだ。


「ふざけやがって……! 俺よりも弱い、雑魚の癖に……っ!!」


 一番槍としての役目を奪われ、手柄を立てられなかったことにむくれていた順平は、命からがら逃げ帰ってきた部下たちの報告を受けて歓喜した。

 本隊の背後を突くように出現した、敵の精鋭部隊。これを倒すことが出来れば、間違いなくヒーローとして仲間たちから尊敬の眼差しを向けられるはずだと、そう考えて意気揚々と出陣した彼を待っていたのは、またしても自分の手柄を奪ったあの包帯男の姿だ。


 折角、全ての帳尻が合うと思ったのに……一番槍の手柄を失った自分に、神がもう一度チャンスを与えてくれたと思ったのに、それすらもこの男が奪った。

 ここまで全て上手くやって来たのに、一番大事な場所で邪魔が入る。この戦で手柄を立てて、仲間たちや大和国の人間たちに認められて、のし上がっていくという順平の計画は、この包帯男のせいで全ておじゃんになってしまった。


 こんな結果が認められていいはずがない。自分は英雄なのだ。この世界の人間たちなど比べ物にならない量の気力を持つ、選ばれた存在なのだ。それが、こんなわけのわからない男に手柄を奪われ、低迷していていいわけがない。


 そもそも大和国の人間は、妖の脅威から自分たちを救ってくれる順平たちに平伏して然るべきなのだ。

 それなのに、この男は二度に渡って自分の手柄を奪うという暴挙に出た。これを許しておくことなど、到底出来るはずがない。


 自分は偉い。この国の人間たちを救うために召喚された、選ばれし英雄なのだから。

 自分は強い。尋常ではない気力を持ち、それに見合った名刀を渡された選りすぐりの剣豪だ。

 自分は凄い。燈やこころといった障害を排除して、学校内でかなりの力を持つ軍団を結成したことがその証拠だ。


 そんな自分がこの世界のぽっと出の剣士に舐められていいはずがない。

 自分は、こんな男よりも優先されるべきなのだ。


 それが、そのはずが……どうしてこんなことになった? どうして自分は何も得られず、他者の立てた手柄を見るだけになっている?


 それも全部、この包帯男のせいだ。こいつさえいなければ、自分は今頃、多くの人たちから尊敬の念を送られていたであろうに……!


(許さねえ、絶対にこいつだけは……!)


 恨みがましい視線を送る順平のことを、誰もが遠巻きに眺めていた。

 それは彼が望んでいた、尊敬や敬意が込められた視線ではない。英雄として崇められていた人物の醜い部分を見てしまったが故の、軽蔑や嫌悪感が込められた視線であった。


 しかし、自分のメッキがどんどん剥がれている現状に気が回せるほど、今の順平では冷静ではない。

 手柄も立てられず、作り上げた軍団の信用は地に落ち、描いていた今後の展望が全て消え去ったことを怒る彼は、その元凶と考えている謎の包帯男へと憎悪の視線を向けていた。


 そんな順平の姿に呆れ、かける言葉もないとばかりに首を振った冬美がうんざりとした表情を浮かべる。

 そのまま、自分以外に彼の横暴を止める人間がいないことを悟った彼女は、同郷の仲間としてこれ以上自分たちの品位を貶められないように順平を叱責しようとしたが、それよりも早く動いた人間がいた。


 その人物は、怒りによって視界を狭くした順平の横っ面へと、握り締めた拳を思い切り叩き込んだ。

 人を殴り慣れていない人間の、さりとて完全に不意打ちに近いその一撃は、燈だけを見ていた順平を地面に横たえさせることに成功する。


「がふっ!? な、なにが……?」


「いい加減にしてください、竹元先輩……! あなたは、どうしてそう自分勝手なことばかり言って……!!」


 顔面を殴られた痛みに怯んだ順平は、顔を上げて自分に拳を打ち込んだ男の姿を見る。

 肩を震わせ、涙目になった正弘は、たった今、振り抜いた拳を強く握り締めながら、大声で叫んだ。


「この人たちは! ……この人たちは、俺たちのことを助けてくれたんですよ? この人たちは、俺やあなたの部下の生徒たちの命の恩人だ! それなのに、そんな人に掴みかかって、文句をぶつけるだなんて、恥ずかしくないんですか!?」


「田中ぁ……! てめぇ、俺にそんな口を叩いてただで済むと思ってんのか!?」


「今、そんなことしか気に出来ないんですか? あなたの部下が、一緒の世界から来た仲間が……日村が、死んだんですよ? あいつが死んだことも気にしないで、開口一番に手柄手柄って……そんなの、おかしいじゃないですか。竹元先輩がちゃんと軍を率いていたら、指揮を取ってくれていたら、こんなことにはならなかったかもしれないのに……そのことに関して、何も思わないなんてどうかしてますよ……!!」


「て、めぇ……っ!!」


 何の力もない、武神刀も持たない正弘が、自分を殴って、あまつさえこうして意見までしている。

 この戦場で溜まっていた順平のフラストレーションは、自分より下の人間に楯突かれたことで遂に爆発の時を迎えてしまった。


 鼻息も荒く、大きく眼を見開いた表情で、感情のままに拳を振り上げる。

 そうして、明らかに暴力的な雰囲気を醸し出し始めた自分の異変に気が付いた正弘へと、振り上げた右拳を叩きつけるために腕を振る。


 先ほど彼がそうしたように、全力で、気力を込めて……その骨も砕けろとばかりに突きを繰り出す順平。

 何も考えず、ただ怒りのままに繰り出したその右の拳は、正弘の顔面へと吸い込まれるように突き進んでいき……途中で、何者かによって打ち止められた。


「はぁ? うっ……!?」


 パシン、という乾いた音がした。自分の右手首が、何かに掴まれた感触を覚えた。

 その次の瞬間、気力で強化したはずの手が、腕の骨が、ミシミシと音を立てて軋み始める。


 腕を払いのけることも、掴まれた右手を解放することも、何も出来ない順平は、正弘を庇って立つ包帯の男に手首を握られたまま、痛みに悶えることしか出来なくなっていた。


「ぐっ、うぅっ……! は、離せっ! 離せよっ!!」


 威勢よく声を発し、威嚇するように男を睨みつけるも、その表情に先ほどまでの燃え盛る怒りはない。

 自分以上の力を発揮するこの包帯男への恐怖が、その力への焦りが、ありありと順平の顔に浮かび上がっている。


「な、なんでだ……? なんで、こんな奴に、俺が……ぐぅぅっ!?」


「………」


 自分以下の気力しか持たないはずの大和国の人間に、英雄である自分が苦戦している。

 掴まれた右手首は骨が折れんばかりに強く握られており、その手を振り払うことも出来ない。いや、間近でこの男に睨みつけられている自分は、その視線に怯えて何の抵抗も出来なくなってしまっている。


 無言で、一言も発さず、ただ包帯の隙間から視線を順平へと向ける男。

 その瞳には、紅蓮の炎のような怒りと、順平の罪を全て見透かしているような鋭さがある。


「あう、ぐ、あぅ、あ……」


 その視線を向けられ、手首を握られたまま十数秒も経つ頃には、順平の中から男への反骨心は消え去っていた。

 代わりに、彼の心には深い敗北感が刻み込まれる。手柄を奪われ、感情のままに後輩に手を上げようとした愚かさを咎められ、燃え盛っていた怒りの炎を無言のままに鎮火させられたという事実が、順平の中にあった男へのコンプレックスを確かなものにしてしまった。


「………」


「ひぃ、ひぃ、ひぃ……」


 そうして、包帯の男は、何も言わぬまま掴んでいた順平の右手首を放し、彼を解放する。

 その場に崩れ落ち、情けない呼吸を繰り返す彼の姿を一瞥した男は、もはやそんな彼など眼中にないとばかりに背を向け、戦場を去っていくのであった。


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