エピローグ ~それから少し後のお話~


 

 それからの戦は、完全に一方的な内容となった。

 狒々たちにとっての最後の希望であった猿鬼は討ち取られ、前後からの挟み撃ちを出来なくなったことで、妖軍には逆転の方法が潰えてしまった。

 予想していた援軍が訪れないことに士気を低下させた狒々たちと、破竹の勢いで進軍する王毅たち。両者がぶつかり合えば、どちらが勝利するかなんて明白だ。


 狒々たちの総大将は英雄の筆頭である王毅に討ち取られ、その他の中心メンバーたちも目覚ましい活躍を見せ、敗残兵となった狒々たちも次々と掃討されていく。

 中には取り逃がしてしまった狒々たちもいるが、そこは大和国の軍隊が山狩りを行い、一匹残さず掃討すると約束してくれた。

 敵の総大将と主だった将を打ち、壊滅的な打撃を与えることに成功したこの戦は、人間側の圧倒的勝利という結果で終わったのである。


 初陣を快勝で飾り、英雄としての力を大和国中の人々に示した王毅たちは、これからもこの国の人間たちの希望を背負って、妖たちと戦うことになるのだろう。


 しかして、その陰にも少なくない犠牲は存在している。

 この戦のために集まった武士たちや、英雄扱いされる王毅たちを守るために危険な役目を任された兵士たち、そして、異世界から召喚された英雄の一人である、日村の命もまた、この戦で散ってしまった。


 燈に続き、また仲間を失ったことに胸を痛める王毅。

 しかし、彼の置かれた状況は、その感傷をいつまでも抱いていることを許してはくれない。


 慎吾からの叱責を受け、自分自身の立場というものを顧みて、日村の死もまた乗り越えなければならない試練であると判断した彼の心からは、少しずつ、日村の記憶が薄らいでいった。


 それにつられ、他の仲間たちも彼を喪った痛みを忘れていく。

 同じクラスの生徒たちも、彼と仲が良かったあの二人組でさえも、いつしか「馬鹿が馬鹿をやって死んだ。自分たちはああならないようにしよう」程度の認識しか持たなくなり、その悲しみを忘れ去ってしまったのである。


 戦が終わって、一週間もする頃には……日村の死を重く受け止めている人間は、ほんの一握りだけになってしまっていた。


 燈が死んだと聞かされた時もそうだが、生徒たちは仲間の死をどこか他人事のように受け止めている。

 自分たちには凄い才能があると聞かされ、世界を救う英雄になって欲しいと請われ、そうして自分自身の価値を必要以上に過信するようになった彼らは、散っていった者たちのことを見下すようになっていたのである。


 誰かが死んでも、自分はああならないという根拠のない自信があった。

 莫大な量の気力を扱いきれずに討ち死にした奴らは、ただのまぬけだという考えが胸の中に生まれるようになっていた。


 そうして、燈と共に日村勝成という人間の存在も彼らの中で忘却されようとしている中、数少ない彼の死を重く受け止めている人間の一人である正弘は、汗だくになりながら木刀の素振りをしていた。


「やあっ! やあっ! やあっ!」


 息も荒く、お世辞にも格好のいい太刀筋とはいえないが、彼は真剣に訓練に打ち込んでいる。

 へろへろになりながらも、一生懸命に木刀を振り続ける彼の背に、凛とした女性の声が届いた。


「……頑張ってるわね、後輩くん。初めて会った時の死んだ目が嘘みたいよ」


「あ……!」


 そう、自分に声をかけてきた冬美の姿を見て、正弘は剣を振る手を止めた。

 丁度、疲れも限界に来ていたとばかりに休憩を取り、汗を拭う彼に向け、冬美は平坦な声で疑問を投げかける。


「でも、いきなりどうしたの? あの戦を見て、自分も手柄を立てたくなった?」


「いえ、違います。手柄なんて、そんな……」


 竹元軍の雑用係に甘んじていたはずの正弘が、急に刀の訓練を始めたことを訝しむ冬美。

 あまり戦いには積極的ではなく、才能もない彼の変化に驚く彼女に対して、正弘は流れる汗を手拭いで拭きながら自分の心境を説明する。


「なんていうか、思ったんです。才能がないとか、そういう言い訳を重ねて立ち止まってるだけじゃ、なにも変わらないって。何もしないままでいたら、俺は弱いまま。ずっと誰かに守ってもらう人間のままなんてのは、御免です。せめて、自分の身は自分で守れるようになろうかな……って、そう思って……」


「……ふぅん」


 その答えを聞いた冬美は、興味なさげに呟きながら、その実、隠れて笑みを浮かべていた。

 狒々と猿鬼に取り囲まれ、絶体絶命になったあの時、正弘は冬美を見捨てて逃げようとはしなかった。武神刀を持っていた竹元軍の面々は即座に逃げ出したというのにも関わらず、何の武器も戦う術も持っていなかった彼だけが、自分のことを案じて残ってくれた。


 結果として、彼が何かを成せたわけではない。あの二人組が来てくれなければ、自分たちは狒々たちに嬲り殺しにされていただろう。

 それでも、腕っぷしの強さではない、心の強さならば、正弘はもう既に持っているのではないかと、そう冬美は思っていた。


 そんな彼が、前を向いて歩き出したことが何故だか喜ばしい。戦力にはならないだろうが、それでも一生懸命に明日へ向かって進もうとする人間の姿を見ることは、気分が良いものだ。


「まあ、雑用を次々任されるんで、訓練の時間はそうそう取れないんですけど……それでも、あいつらをびっくりさせるくらいには強くなってみせますよ!」


「そう、頑張りなさいな。……案外、いい根性してるわね、あなた」

 

「へっ!?」


 去り際にそう呟いた冬美の一言に、正弘が驚きの表情を浮かべる。

 尊敬する先輩と全く同じ評価を冬美からも受けた正弘は、照れたように頬を搔いた後、素振りを再開した。


(先輩、俺もやれるだけやってみます! 次に会った時、あなたに胸を張れる自分でなるために!)


 自分を守り、颯爽と戦場から姿を消した燈のことを思いながら、広く青い空を見上げた正弘は、この空の下で今も困っている人間を助けているであろう先輩の姿を思い浮かべ、懸命に刀を振り続けるのであった。
















 流れる雲と、何処までも広がる空。その美しさは何処で見たとしても変わりはしない。

 夜は煌びやかな店の灯りと遊女たちに彩られる輝夜の町であっても、昼の主役はこの空だ。


 元の世界と何ら変わらない、吹き抜ける青い空を見上げながら一息ついた燈は、背後から近づく気配に振り向き、笑みを見せる。


「おう、旅支度は終わったか?」


「う、うん……あの、その……本当に私、自由になれたんだよね?」


「ああ、『黒揚羽』のご主人には話をつけた。最初の話通り、五十両でお前を身請けさせてもらったよ。これでお前はもう遊女じゃねえ、晴れて自由の身だ」


 そう、改めてこころへと告げた燈は、彼女を身請けしたことを証明する証書を見せつけ、ひらひらとそれを揺らした。


 燈と蒼、二人が戦で立てた武功は、目標金額である五十両を軽く超えるだけの報奨金を得るに十分なものであった。

 正体を隠している手前、学校の仲間たちの前に出ることは出来なかった燈は「体力の消耗が激しいので休ませてほしい」と適当な嘘をつき、論功行賞の場に出ることを避け、蒼一人に出席してもらったのだが、その場はそこそこに荒れたらしい。


 武功の第一は、敵の総大将を討った王毅に決まった。

 その内容は一番手柄に相応しいものではあるが、そもそもがこの戦は王毅が敵の総大将を倒すように運ばれていた部分がある。そのため、輝夜で募集された武士たちの間には不満を持つ者もいたようだが、元々の金払いが良かったことと大和国の兵たちが鋭い目で彼らを睨んでいたため、表立って不平不満を口にする者はいなかったようだ。


 それでもやはり、出来レースのように仕組まれた論功行賞では、それ以降も英雄として扱われる生徒たちの名が次々と挙げられた。

 大和国側からすれば、自分たちが召喚した英雄たちが初陣で華々しい手柄を立てたという実績を作りたかったのだろう。流石に露骨過ぎるやり方ではあるが、それほどまでに彼らが王毅たちに自国の未来を賭けているということなのだろうと燈は思う。


 それよりも、あの戦で死した者たちはしっかりと供養されたのだろうか?

 燈を陥れた人間の一人である日村も、自分たちが駆けつけるのが間に合わなかったせいで命を落とした。

 家族から離れ、異世界で妖に惨殺されるという末路を迎えた彼に対しては、過去の恨みよりも哀れさが勝る。


 せめて、死した後の無念さから髑髏となり、魂を救われぬまま現世を彷徨うといった惨い結末は迎えないでほしいと願っていた燈は、羽織の袖をちょいちょいと引っ張られて顔を上げた。


「あの、虎藤くん……私、どうすればいいのかな……?」


「んぁ? 行く場所がないんだったら、俺たちと一緒に来ればいいだろ。ま、山奥の辺鄙な場所に住んでっから、ちっと不便な生活かもしれねえけど――」


「そうじゃなくって! ……どう、お礼をすればいいのかな、って……」


 指を絡ませ、もじもじとしながらこころが言う。

 気弱そうな彼女は、強面の燈の顔を必死に見つめながら、自分が受けた恩をどう返すべきかを相談しているのだ。


 危険な戦に参加し、その報酬で得た金を自分のために使ってくれた燈と蒼のお陰で、こころは自由になれた。

 それはとても喜ばしいことではあるのだが、その多大な恩をどう返していけば良いのかがわからない。


 彼らが稼いだ大金を返すことも、それに見合った働きをすることも、今のこころには不可能だ。であるならば、どうやってこの恩を返せばいいのだろうか?

 燈に対する感謝の気持ちを抱いているからこその心苦しさにぎゅっと自分の胸元を抑えたこころの姿を見た燈は、ぽりぽりと困ったように頬を搔き、その答えを告げる。


「別に、何も望んじゃいねえよ。強いて言うなら、お前がしたいようにすれば良い」


「そんなの駄目だよ。虎藤くんは私のために危ない目に遭って、いっぱいお金を稼いでくれた。それなのに私は何もしないなんて、虎藤くんが良くても私が許せないよ」


「あ~……そこ、そこだな。あのな、椿。俺は、別にお前のために戦に参加したってわけじゃねえんだ。いや、勿論多少はお前のためだもあるぞ? でも、俺がそうした理由は、他の誰でもない俺自身が、俺がお前を助けたいって思ったからなんだ」


「……どういう意味?」


 きょとん、と小首を傾げ、燈の言葉の意味を尋ねるこころ。

 その可愛らしい仕草に胸をときめかせた自分自身を柄じゃないなと苦笑しながら、燈は自分の行動の真意を彼女に教えた。


「なんつーかな……誰かを助けたいって思いに、理由は要らないだろ? それが顔見知りなら猶更だ。俺の目の前でお前が困ってて、俺にはお前を助けられるだけの力があった。なら、そこで手を差し伸べるのが当然の話だと思わねえか? 俺は当たり前のことを、当たり前にやっただけだ。そのことに関して、お前が恩を感じる必要なんて無いんだよ」


「でも、虎藤くんのお陰で私が助かったことは紛れもない事実でしょ? 虎藤くんはそう言ってくれるけど、何も恩返ししないっていうのは、やっぱり気が引けるよ……」


「ああ、だからお前はお前の好きなように生きてくれって言ってるんだ。お前が幸せになってくれることが、俺への最大の恩返しになる」


「え……?」


 今度は小首を傾げることもせず、こころは心底驚いたような表情を浮かべる。

 そんな彼女に対して、気恥ずかしさを感じながらも、燈は自分自身の思いを告げた。


「俺は、この世界で苦しんでる奴らを助けるために頑張るって決めたんだ。んで、お前がその助けられた奴の一人目。弱って、泣いて、苦しんでたお前を、俺は助けることが出来た。そんなお前がこれからの人生を笑って幸せに生きてくれる姿を見ることが出来たなら、俺のやったことは間違いじゃなかったって思えるはずだ。だから椿、お前が幸せになることが、俺への一番の恩返しになる。お前が俺に恩を感じてるってんなら、お前のことを助けて良かったって、本気で俺に思わせてくればそれで十分だぜ」


 これからの目標と、自分自身の意思。こうして宗正の計画を知らない人間に自分のしたいことを口にすることは、人付き合いが得意ではない燈にとっては非常に恥ずかしさを感じるものだ。

 顔を赤くして、自分とは目を合わせずにそう述べた燈のことを見つめるこころは、強面の不良であると思っていた彼の可愛い一面を目の当たりにして目を丸くして……それから、堪え切れなかったようにクスクスと笑い出した。


「ふふふっ! なんだか虎藤くんって、思ってた印象と全然違う性格してるんだね。一匹狼って感じだと思ってたけど、今は、そう……可愛い大型犬みたい!」


「かわっ!? な、なんだそりゃあ……? ま、お前がそうやって笑えるようになったなら、もうどうでもいいさ」


「うん! ありがとう! ……ねえ、虎藤くん」


「あ? なんだ?」


 ひとしきり笑って、久々に心の底から晴れやかな気分を味わって……それから、こころは燈の目を真っ直ぐに見つめた。

 そして、出会ってから間もない彼女が見せる、嬉しそうなその笑みを見つめる燈に対して、こころは自分の今の想いを告げる。


「これからも、私はあなたの傍にいる。ずっとずっと、あなたの隣で笑っていられるように頑張るね!」


「……おう、よろしくな。色々と大変だと思うが、元の世界に戻れるまで頑張ろうや」


「うんっ! ふふふふ……っ!」


 きっと、鈍い彼は今の言葉の裏に隠されたこころの想いに気が付いてはいないのだろう。

 でも、それで良いと彼女は思う。この不器用でお人好しな青年の隣で、彼のことを見守っていく自分には、まだ彼に釣り合うだけの価値がないのだから。


 心の底から笑って、幸せになって、彼が疲れた時、迷った時、支えてあげられる女性になりたい。

 彼が文字通り、自分にとってのともしびになってくれたように……温かく、優しく、傍で寄り添っていくと決めたのだ。


「燈! 椿さん! 途中までだけど、荷馬車が僕たちを乗せていってくれるってさ! 輝夜にも長居し過ぎたし、師匠のところに早く帰ろう!」


「そうだな! ……行こうぜ、椿。荷物、俺が持つよ」


「ありがとう、燈くん!」


「ん……? お、おう。にしても量が多いな、おい。女の荷物ってこんなもんなのか……?」


 自分の呼び名を変えたこころに若干の違和感を抱きつつも、今後の生活用品や服が満載された彼女の荷物を抱えた燈は、そうぼやきながらその違和感を放り投げた。

 そうして、蒼が話を付けた荷馬車に乗り込み、青く広がる空を見上げながら、改めて思う。


 この大和国に来てから約一か月、自分を取り巻く環境は大いに変わった。悪意ある人間に裏切られ、死んだことにされ、一度はどん底にまで堕ちたこともあった。

 それでも、まだ自分は生きている。新しい環境で、新しい目標を掲げ、仲間たちと前に向かって進み続けている。弱いからといって迫害された力なき人々を救うために、やれるだけのことをやろうと決意して、今、一人の少女を救うことが出来た。夢の第一歩を、踏み出すことが出来た。


「たかが一人、されど一人……これが、はじめの一歩ってね」


 浮かれた気分でそう呟き、燈は思う。

 もっと強くなろう。もっと多くの人を助けられるだけの力を身につけよう。いつか、この世界と別れるその日までに、妖の被害に苦しむ人々を一人でも多く助けてみせよう。


 この広い空の下には、同じ目標を持つ仲間があと4人いる。彼らもまた、宗正と同等の実力を持つ師に鍛えられ、燈たちとの邂逅の日を待っているはずだ。

 彼らと出会い、この国最強の武士団を作ること……それが、次の目標。

 一人では救えない人々も、多くの人間が力を合わせれば手を差し伸べられるはず。それが燈や蒼と同じく、化物じみた気力を持つ人間同士の協力ならば、誇張抜きで世界を救えるだけの力になるはずだ。


 まだ学ぶべきことはたくさんある。まだまだ未熟な部分が山ほどある。

 それでも、自分が新たな友と共に、誰かを救うことが出来た。隣に座っている蒼が、隣で笑ってくれているこころが、そのことを証明してくれている。


「やってやるさ。最強の武士団。その一員としてやれることを、よ……!」


 この繋がりがいつか大和国全体を包む日が来ることを願いながら、燈は高く広い空へと、拳を突き上げるのであった。









 なお、その数日後に帰宅した燈と蒼は、なけなしのへそくりを全て使い果たした挙句、今回の目的である童貞の卒業を済ませていないことを宗正からこっぴどく叱られることになるのだが……それはまた、別の話である。

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