第40話 解放の鐘(完)

 その夜、広間では盛大な宴が開かれていた。

 テーブルにはきらびやかな食事が並び、ダイモーンも天使の子孫たちも入り混じり、皆勝利の時を楽しんでいた。

 ルアンナは、戸惑っているシャミスの手を取って、楽しそうに中央で音楽に合わせて踊っている。

 そんな姿を微笑ましく眺めながら、リタはジョナと小さくグラスを重ね合わせた。

「行かなくていいの?」

「俺は、ああいうのは苦手だ」

 リタの問いにジョナは顔を歪めながら答えた。

 束の間、二人の間に沈黙が訪れた。

「あの時……止めてくれてありがとう」

 リタはぽつりと呟いた。

「……ああ」

「お母さんが見えたのは、敵の罠だったのかな?」

 リタはずっと引っかかっていたことをジョナに訊ねた。

「いいや、いくら呪術師でも呪詛じゅそがらすなしにタバルを操る事は出来ない。それに、俺はあの時一切指笛を鳴らさなかった。あれは紛れもなく師匠だったよ」

 ジョナは、楽しそうに騒ぐダイモーンと天使の子孫たちを眺めながら答えた。

「そっか……だったら良かった」

 リタは嬉しそうに微笑みながらグラスに口を付けた。

「リタ、よくやったね」

 ふいに後ろから声をかけられて、リタは慌てて振り返った。

「長老!」

 慌てて椅子から立ち上がり、挨拶をしようとしたリタを長老は手で止めた。

「いい、そのまま食事を楽しみなさい」

 そういうと長老はリタの横に腰掛けて、穏やかな表情で中央の踊りを眺めていた。

「お前たち親子には、本当に驚かされてばかりだよ」

 長老は少し困ったような顔をして、リタの頬に手を添えた。

「お前がライリーの前に立ちはだかった時、どんなに肝が冷えたことか。もうあんな無茶は二度としないでくれ。年寄りの心臓に悪い」

 リタは長老の表情をみて反省をした。

「ごめんなさい……」

 いつだって長老は私のことを心配してくれていた。

「しかしまあ、本当に飛竜守りになるとはね」

 長老はふっと穏やかに笑うとリタの目元を指で撫でた。

「驚いたよ、お前にあんな強い部分があったなんて。どこかの誰かさんのように惚れてしまいそうだったよ」

 その言葉を聞いて、隣で飲んでいたジョナは、グラスに口をつけたままむせていた。

「ま、なんにせよ、我らはアバン王に勝ったんだ。よくやった二人とも。今日はゆっくり休みなさい」

 そう言うと長老はいたずらな笑顔をジョナに向けて宴の中に戻っていった。

 そこから二人は言葉を交わすことは無かったが、リタにはその沈黙がとても心地良かった。


 アバン王との戦いから数日後。

 リタたちは広大な草原の上に立っていた。そこはかつて、天使がダイモーンと飛竜を引き連れて、地上に降り立った”始まりの場所”だと言われている。

 草原全体に穏やかな風が流れ、草木はさわさわと心地よさそうに揺れている。

 ジョナとトーイそして、ヴェリエルはそんな草原の上で円になるように立っていた。

 リタはその光景を長老の横でじっと眺めていた。

 ジョナとヴェリエルは同時に自身の指に短剣の刃を当てた。

 素早く短剣を引くと、細い線になった傷口から這うようにして真っ赤な血が溢れ出てきた。

 そして、ジョナはトーイの目元の柔らかい皮膚にも同じように刃を当て、血を溢れさせた。

「いよいよだな」

 それを見ていたヴェリエルは小さく呟いた。

 それに答えるようにジョナは小さく頷くと、トーイの目元に手をやった。

 トーイの温かい血が自分の血と混ざっていくのを感じた。

 それに続くようにヴェリエルもジョナと同じようにトーイの目元に手をやった。

 3つの血が混じった瞬間、天から大きな鐘のが響き渡った。

 それは葬られた崖ガル・デルガで聞くいつものあの鐘のではなく、いつかリタが教会で聞いたような、おごそかで、心の奥に響くとても綺麗な鐘のだった。

 それは遠く離れた天使の子孫たちの村にまで響き渡っていた。

 葬られた崖ガル・デルガではダイモーンたちの歓喜の声で大地が揺れ、天使の子孫たちの村では涙をながして喜びを分かち合っていた。

 その時、葬られた崖ガル・デルガを覆っていた分厚い雲は徐々に晴れ、何百年もの間灰色だった世界は太陽の光を浴びてきらきらと煌めき始めたのだった。

――無事血洗いの儀式が幕を閉じた瞬間であった。



 血のちぎりから解放されて、5年の歳月が経ち、リタはライリーと共に空を舞っていた。

 ついにリタの髪が全て白銀色しろがねいろに変わる事は無かったが、深紅の瞳をたずさえて、今日も太陽の光のもと、二人は自由な世界を羽ばたき続けるのであった。

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