第31話 呪詛烏

 シャミスはあれから呪詛じゅそがらすについて調べていた。

 リタの話を聞いた時、何故だか嫌な予感がして仕方がなかったのだ。

 頭の隅で何かが引っ掛かっているが、いざそれに意識を向けると取り逃がしてしまうような、そんな感覚だった。

 それは、リタがライリーの背に乗りたいと言っていたことを忘れるほどに強烈なものだった。

(隠密の術が何故リタには見えたんだ? わざと見せたのか? いや、だったら何故リタを襲わなかった? 何故ライリーだけ襲ったんだ?)

 シャミスの頭の中にはあらゆる憶測が飛び交い、しかしそれらは行きつく場を失って消えていく一方だった。

 古い書物を調べてみても呪詛じゅそがらすについてはあまり書かれていなかった。

 どうやら隠密の術というのは名ばかりではないらしい。

 シャミスは大きく頭を掻いた。

(僕だけでは知識不足だ……魔術に詳しい者に聞きに行こう)

 シャミスは立ち上がり、ペンとメモ帳を勢いよく掴み取ると足早に研究部屋を後にした。


「アルバート! ちょっと聞きたい事があるんだけど、何処に居るんだい?」

 シャミスは目当ての人物が見当たらず、辺りを見渡した。

 ここはシャミスたち研究者が居る部屋とは真反対に位置する魔術を学ぶ学舎だった。

 目当ての彼は必ずここに居るとシャミスは知っている。

 何故なら彼はここの学長だからである。

「おーい、アルバート! 何処だい?」

「そんなに大きな声を出すな、聞こえておるわ」

 アルバートと呼ばれた老いた男性は、長く蓄えた白銀色しろがねいろの顎ひげをゆっくりと触りながらシャミスの前に現れた。

「アルバート、呪詛じゅそがらすについて教えて欲しい」

 唐突なシャミスの質問にアルバートは眉をひそめた。

「呪術師の化身か……研究者のお前の口から聞くとは何事だ」

「リタが呪詛じゅそがらすを見たって言うんだよ」

「見た?」

「うん、僕が知る限り呪詛じゅそがらすは隠密の術だから見たっていうのは変だなと思って、色々調べてみたんだけど分からなくて……何だか胸騒ぎというか、嫌な予感がするんだよ」

「……確かに呪術師たちが呪詛烏を見せるというのは、あまり聞いた事が無いな」

 アルバートはしばらく考え込んだあと、何かを思い出したようにぱっと顔を上げた。

「研究書があったはずだ。当時は興味がなくて奥にしまい込んでしまった気がするが、さて何処にやったかな」

 アルバートは頭を掻きながら、奥の書物庫へと向かった。

 書物庫の扉を開けると中は薄暗く、古くなったインクと紙の独特の匂いが鼻をついた。

 床一面には書物や何かの資料たちが散らばっており、天井につきそうなほど高く積み上げられた書物の山がいくつもあった。

 部屋の端や書物と書物の間など至る所に蜘蛛の巣が大量に発生しており、巣のあるじたちはシャミスたちが近づくごとに足元を縫うようにしてどこかへ散っていった。

「ここから探すの?」

 シャミスは顔を引きつらせながらアルバートに訊ねた。

「まさか、ここは書物庫ではないわ」

 アルバートはシャミスの問いを鼻で笑いながら指を一つ鳴らしてみせた。

 すると、アルバートの足元にあった書物や資料が風に乗って渦を巻き始めた。

 それらは次第に大きな渦となり、やがて部屋全体に嵐が来たような大きな竜巻が発生した。

 書物も資料も、扉の木材も岩壁さえも竜巻に巻き取られ、物凄いスピードでシャミスたちの周りを旋回していた。

 しかし、二人の周りだけは竜巻の影響を受けず、普段と変わらない空間が存在していた。

 シャミスはこの不思議な光景に目を丸くした。

「こんな魔術もあるのか……僕もこれが使えれば、レベッカに研究部屋を片付けろって怒られないかな」

 シャミスは感心と羨ましさの混ざった口調で呟いた。

 それを聞いたアルバートは、シャミスの方を振り向きながら小さく首を振った。

「魔術は一見便利そうに見えるだろうが、常に危険だって伴うんだぞ。何にでも使って良いわけじゃない。規律の中で正しい使い方をしないと、使う者によっては攻撃の刃になることだってあるんだ。だから皆わしのもとで学ぶんだ」

 そう言うとアルバートはシャミスの結界を解いた。

「さあ、ここが我らダイモーン一族の書物庫だ」

 アルバートに言われて周りを見渡したシャミスは、目の前の空間をみて言葉を失った。

 そこには葬られた崖ガル・デルガがすっぽり入ってしまいそうなほど大きな空間が広がっていた。

 見上げるほど高い書物棚が等間隔に間をあけて綺麗に並べられており、どんなに目を凝らしても奥行、左右の端が見当たらず、何処まで続いているのか見当もつかなかった。

「待ってよ、こんなの……すごく興奮するよ! なんで今まで僕にこんな書物庫があるって隠してたんだい!?」

 シャミスは興奮気味にアルバートに詰め寄った。

「ここを知ったらお前は、食事も睡眠もとらずにここから出てこないだろう。だからだよ」

 アルバートは呆れたようにそう答えると、 もう一度指を鳴らした。

 すると、目の前の書物棚たちが音も無く動き出し、ゆっくりと一つの棚がシャミスたちに近づいてきた。

 アルバートは棚に近づくと上から落ちてきた一冊の書物を取り、シャミスにかざして見せた。

「これだこれだ。昔、魔術だけでは飽き足らず、呪術についても研究していた変わり者がいたんだ。これはそいつの研究書だ」

 アルバートはページをパラパラとめくりながら呪詛じゅそがらすの文字を探した。

「あったぞ。呪詛じゅそがらす……呪術師にとって呪詛じゅそがらすとはそれを飛ばすことが目的ではない。この術の最も恐ろしいところは精神を繋ぐことである。隠密の本当の意味は精神を支配し、代わりの者が事を成し遂げる、わば身代わりの術に由来する」

 二人は同時に顔を見合わせた。

「まずいぞ! リタが危ない!」

 アルバートはそう叫ぶと研究書を放り投げ、再び指を鳴らした。

 研究書が棚に戻ったのを確認することも忘れ、二人は急いで元いた学舎に戻った。

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