第30話 呪詛烏

 リタは長老の部屋を後にしたあと、ある人物を訪ねる為に大きな扉の前にいた。

 初めて入るその部屋は葬られた崖ガル・デルガの北側に位置し、最下層に作られた研究部屋だった。

 リタはゆっくりと大きく息を吸い、ふぅと一気に吐き出した。

 覚悟を決めて扉に手をかけると、扉は難なく内側に開かれた。

 冬の寒さに加え、日が当たらないこの部屋の空気は骨の髄まで凍えるような寒さだった。

 あごが無意識に上下し、ガチガチと歯が鳴るのを止めることが出来なかった。

 それでもリタは白い息を吐きながら、ゆっくりとを進めた。

 探していた人物は、発光虫の入った籠をかたわらに置いて一心不乱にペンを走らせていた。

「シャミス、お願いがあるの」

 突然声をかけられたシャミスは驚いて持っていたペンを投げ捨てた。

「うわ!? ……びっくりしたリタ! どうしたんだい、こんなところまで来て」

「お願いがあるの。私に、飛竜に乗る方法を教えて」

 シャミスは一瞬顔をしかめた。

「どういう意味だい?」

「ライリーに乗りたいの」

「いや、そう言う意味で聞いたんじゃないよ。どういう理由で乗りたいのかって方だよ」

 シャミスは穏やかな口調でリタに訊ねながら、椅子の背に掛けてあった自分のローブをリタの肩にかけた。

「ここは君には寒すぎる。こっちへおいで」

 シャミスに連れられて奥の部屋に入ると少しだけ寒さが和らいだような気がした。

「あっちはわざと温度を下げてるんだ。頭がよく働くようにね」

「?……ダイモーンは温度を感じないってジョナが言ってたよ?」

 

 リタは数週間前の雪がちらついた朝を思い出した。

 寒さで体を震わせていたリタにだんの入った袋を渡してくれたのがジョナだった。

「俺たちは温度を感じないがお前は違う。これを懐に入れておけ。中身は見ない方がいいぞ」

 受け取った袋はぽかぽかと温かく、かじかんだ手をじんわりと温めてくれた。

 懐に入れると、寒さで縮こまっていた体がゆっくりと解けていくのを感じて安堵したのを覚えている。

 あとでジョナの忠告を聞かず、こっそりと中身を見てしまい後悔したのは言うまでもない。そこには大きなミミズのような物体が脈打ちながらひしめき合っていた。

 懐かしいジョナとの記憶がよみがえると、何とも言えない寂しさがリタを襲い、それを振り払うように小さく首を振った。

「ダイモーンは確かに温度を感じない。だけど僕は混血だからね」

「混血?」

「そう、僕はダイモーンと天使の子孫との混血なんだ。だから多少温度は感じるし、そんなに魔術も得意じゃない」

 シャミスは少しだけ困ったような表情でいつものように丸眼鏡を指で持ち上げた。

「それで? どうしてライリーに乗りたいんだい?」

 シャミスは椅子に座るよう促しながら、話を戻した。

「……長老が、もう少しで人間との戦いが始まるって言ってた」

 リタは歯切れが悪そうに話始めた。

「アバン王が飛竜を討伐しようとしてるって。それでライリーは呪詛じゅそがらすに襲われて……私凄く怖くて、何も出来なかった」

呪詛じゅそがらす!?」

 突然シャミスが大声で叫んだのでリタは体を跳ね上がらせた。

「今、呪詛じゅそがらすって言ったかい?」

「う……うん。明日の飛行訓練の練習をしようと思ってライリーを飛ばした時に見たの」

「リタは呪詛じゅそがらすを知ってたのかい?」

 シャミスは驚いた口調でリタに訊ねた。

「ううん、長老に教えて貰ったの」

「……そうか」

 シャミスは一言そう呟くと顎に手を置き、何やら黙ってしまった。

 こうなるとシャミスはなかなか戻ってこない。二人の間に長い沈黙が訪れた。

 そんな静寂を打ち消したのは部屋に入ってきた一人の女研究者だった。

「お! リタじゃないか! こんなところで何してるんだい?」

 入ってきた女研究者は両手いっぱいに持っていた資料を机の上に置くと、頭を左右に深くかたむけながらポキポキと首を鳴らした。

 他の研究者たちも続々と入ってきては、皆疲れた様子で椅子にドカっと腰をかけた。

「シャミスとお話してたんだけど、その……また来ます」

 リタはそう言うと逃げるようにして研究所の部屋を後にした。


 リタが走り去った数分後やっとシャミスはリタが居ないことに気が付いたようだった。

「リタ……ってあれ? リタは?」

「あんたがまた別の世界を旅してる間に帰ったよ」

 女研究者はそう言うと、呆れたようにその癖どうにかしなよと小言を吐いた。

「なあ、レベッカ、呪詛じゅそがらすって知ってるかい?」

 シャミスの突然の質問にレベッカと呼ばれた女研究者は首をかしげた。

「ああ、あの根暗な呪術師どもが使う術だろ?」

「そう、あれを見たことがあるかい?」

「はあ? あれは隠密な術だろ、見えたら意味ないじゃないか」

「そうだよな……僕もそう思う」

 そう言うとシャミスは納得がいかない表情で一点を見つめて、また黙ってしまった。

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