第28話 異変


「ライリー、おいで。今日は特別に空を飛ぶことが出来るよ!」

 水面下で様々なものが動き出したことをまだ知らないリタは、笑顔でライリーが居る檻を開けていた。

 “空”という音に反応したのかライリーは嬉しそう翼を大きく広げた。

「ふふ、まだ早いよ。ほら行こう」

 気が早いライリーを見ながらリタは可笑しそうに笑うと、くるりと背を向けて檻を出た。

 リタの背を追うようにしてライリーは檻から出ると小屋の通路を静かに歩いていく。

 ライリーに手綱たづなはつけていない。

 活発だったライリーは大きくなるにつれて徐々に落ち着き出し、今ではこうして大人の飛竜の小屋を通る時ですら、怯えることも無く、威嚇し合うことも無くただ真っ直ぐにリタの背を見つめて歩くのだった。

 そこで、リタは長老に頼みこんで手綱たづなを外す許可を貰った。

『何にも縛られる事のない世界』

 ルアンナから聞いた母の想いにリタは共感していた。

 本来飛竜は自由に空を舞って暮らしていたはずだ。それを、ダイモーンと人間の都合で縛っていいはずがない。

 ライリーには自由でいて欲しい、そしてそれは他の飛竜たちも同じだった。

 リタは小屋の通路を歩きながら左右の檻に入っている飛竜たちを眺めた。

(もう少しだよ、きっとジョナがあなたたちを解放してくれる。もう少し待っててね)

 リタはそう心で呟きながら小屋を後にした。


 崖の縁に立ち、慣れた手付きで指笛を慣らすと、ライリーは大きな翼を広げて空へのぼっていった。

 明日の飛行訓練にライリーも参加していいとルアンナから聞いた時、リタは心を躍らせた。

 我が子が大人の仲間入りをしたような、そんなこそばゆい気持ちにもなったのだ。

 まだまだ空に慣れていないライリーを出来るだけ慣らしてあげたかった。

 ライリーを観察するようにリタは空を見上げた。

 薄暗い鉛色の空に漆黒の飛竜がぽつりと一つ浮かび上がっている。

 ライリーはまだこの鉛色の空しか知らない。だけど、血のちぎりから解放された時、太陽の光を浴びて、真っ青な空を舞うのだ。

 リタはその光景を思い浮かべ、一人で笑みをこぼした。

 その時、一瞬ライリーが何かをよけて大きくかたむいた。

(……何?)

 リタは目を凝らしたが、ライリーの近くには何もいないようだった。

 風の流れがあったのだろうか? 飛竜が空中でバランスを崩すことはしないはずだ。

 リタは一抹の不安を覚え素早く指笛を吹いた。

 しかし、いつもなら戻ってくるはずのライリーが体を左右に振りながら大きく旋回している。

 リタは慌ててもう一度指笛を鳴らした。

(ライリー、お願い戻ってきて!)

 ライリーは見えない何かをよけながらリタの元へ戻ろうと必死にもがいていた。

 徐々にライリーが近づくにつれてその正体が明らかになってくる。リタは更に目を凝らした。

(……鳥?)

 それは半透明な青白い光で出来た鳥の形をしていた。

 ライリーの周りを複数羽の鳥がまとわり付きながらそのくちばしでライリーをつついている。

「やめて!」

 リタは叫びながら、正体の分からない鳥たちに叫んだ。

 すると鳥たちは一斉に動きを止め、リタの方に視線を移したかと思うと、ふっと姿を消した。

 リタは一瞬にして跳ね上がった心臓の鼓動を落ち着かすことも忘れ、崖の上にようやく降り立ったライリーに駆け寄った。

「ライリー! 大丈夫? 痛いところはない? ごめんね、ごめんね」

 リタは譫言うわごとのように謝りながらライリーの腕や脚、翼をくまなく調べた。

 黒光りする硬い鱗に覆われたライリーの体は、幸いにも傷一つついてはいなかった。

 しかし、リタは不安だった。

 あの青白く光る鳥の正体は何だったのか。なぜライリーを襲ったのか。何が目的だったのだろうか。

 そう考えると、どくどくと何かが全身を駆け巡り、脳がかっと熱くなっていく。

 瞳孔が開き、上手く空気が吸えず徐々に浅く短い呼吸になっていく。

(苦しい……)

 苦しいはずなのに、腹の底から湧き上がる感情を制御することが出来ず、リタは顔を歪めた。

 その時、ライリーの鼻先がリタの頬に触れた。

 はっと我に返り慌ててライリーの方を見ると、甘えるように何度もリタの頬に自分の鼻先を押しつけている。

 そんなライリーの姿を見てリタは無理やり呼吸を整えて、ライリーの頬を優しく撫で上げた。

 ライリーはこうされるのが大好きなのだ。

「ごめんね、ありがとう。ライリーのおかげで落ち着いたよ」

 リタはそう言うと、額に滲んだ冷や汗をそっと袖で拭き、大きく息を吐いた。

 慣れない空で、怖い思いをしたのはライリーのはずなのに……。

(私がしっかりしないと)

 リタは両手で頬を勢い良く叩くと、ライリーの太く大きな首に両手を回した。

(大好きよライリー。私があなたを守る)

 リタは心の中でそう誓うと、なるべく冷静を装いライリーを檻に入れたあと、足早に長老の元へ向かった。

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