第27話 異変

 母なる森に異変が起きたのはジョナたちが葬られた崖ガル・デルガを出発してから5日ほど経ったころだった。

 1人のダイモーンが長老の部屋に息を切らして駆け込んで来た。

「長老大変です! 母なる森の西側で、野営をした痕跡を発見したとレイアン隊長から報告を受けました」

 浅く息を吐きながら慌てたように矢継ぎ早に話すダイモーンの報告を聞き、長老は顔をしかめた。

「……報告を有難う。森全土に探索隊を送り、侵入者の詳細を突き止めるようレイアンに伝えておくれ」

 その言葉を聞いたダイモーンは深く一礼し素早くきびすを返すと、足早に去っていった。

 長老は走り去っていくダイモーンの後ろ姿を見届けた後、さっとローブをまとい別の方向に向かって歩き始めた。

(いよいよ始まるのかい。またあの地獄を見ることになるんだろうか……なあ、ローアン)

 長老は心の中で呟いた。


 母なる森――葬られた崖ガル・デルガを囲う広大な森は、かつてダイモーンが魔術をほどこして作ったものだと言われている。

 葬られた崖ガル・デルガはこの母なる森に完全に隠され、魔術に精通していない人間たちからするとただの広大な森にしか見えないようになっている。

 ただしある者たちを除いては――。

 “呪術師じゅじゅつし

 人間界にごくわずかに存在する特殊な術をつかさどる者たちを“呪術師”と呼んでいる。

 彼らは決して表立って行動することは無く、闇に身を隠しながらまつりごとや暗殺など、わば国の裏に生きている者たちの総称だ。

 時として魔術に精通している者もおり、昔からこうやって森に侵入されてしまう事は少なくはなかった。

 けれど、彼らが直接攻撃をしてくるわけではない。

 そこに国が――まつりごとや国王が絡むことで厄介な敵となるのだ。

 ここからは魔術と呪術の力比べになる。

 それは安易に術の威力や大きさのことを言うのではなく、いかに相手を上手くかわし、騙せるかの頭脳戦とも言える。

 長老は大きなため息を一つつき、部屋の一番奥にある扉に手をかけた。

(いつぶりだろうね、ここを開けるのは……)

 扉は軋みながら鈍い音を立てて、ぎこちなくゆっくりと奥へ開かれた。

 もう何年も閉ざされたままになっていた部屋の中は、床一面に真っ白なほこりが積もり、カビ臭い匂いが充満していた。

 長老は真っ白い床に足跡を残しながらゆっくりと部屋の端にある書斎机に近づいた。

 机の上に置かれた小さな木製の箱を持ち上げて、ふっと息で埃を払うと積もった埃が一斉に舞い上がり顔をしかめた。

 そして、鍵穴に人差し指を押し当てて目を閉じた。

 指先が触れている部分から徐々に青白い光がこぼれたかと思うと鍵穴からカチっと錠が外れる音がした。

 木箱をゆっくり開けると中には銀色にきらめく腕輪が鎮座ちんざしていた。

 長老はその腕輪を手に取ると懐かしそうに、愛おしそうに眺めたあと、そっと左の手首にはめた。

 脳裏には幼い息子の姿が鮮明に浮かび上がってくる。

 楽しそうに母を呼ぶ声、そっぽを向いて頬を膨らます怒った顔、目尻を下げて笑う愛おしい笑顔。

 そして、血しぶきを上げながら苦痛に歪んだ最後の顔。

 長老はぎゅっと目を閉じた。

(私がしっかりしないと……大切な者を失うのはもう二度とごめんだ)

 そう心の中で呟くと、一つ深呼吸をして覚悟を決めたように目を開いた。


 忘れもしない。あの日、迫りくる人間たちからダイモーンたちを守るのに必死だった。

 一瞬――そう、一瞬だけ自分に振りかざされた刃のきらめきに気を取られてしまったのだ。

 背後で息子の悲痛な叫び声を聞いたのはその時だった。

 振り向くと背から血しぶきを上げながら必死に母を呼び、手を伸ばす息子と目が合った。

 恐怖、苦痛、疑問、様々な感情の入り混じった息子のあの目を片時も忘れたことは無かった。

 伸ばした手が届かず宙を掴んだ、あのむなしさ。

 一瞬でも自分を守ってしまったことへの後悔。

 腕一本くらい、くれてやれば良かったのだ……。

 長老はギリっと奥歯を噛み締めた。

(今度こそ守ってみせる、この葬られた崖ガル・デルガを、仲間を――ダイモーンや飛竜たちを)

 長老は、左腕にはめた銀製の腕輪に刻まれたローアンの文字を指でなぞると、きびすを返して部屋を後にした。


 長老が大きな広間に集めたのは、レイアン隊長率いる第一捜索隊と飛竜守り、魔術に長けたダイモーンの先鋭隊だった。

「レイアン、探索隊の報告を聞かせておくれ」

「はい、母なる森の西側に野営の痕跡を見つけてから、森全土に探索隊を送りましたが、痕跡はその一つだけでした。現在も探索隊が探していますが、人間たちの姿は見当たりません。探索範囲を森より外側にも広げましたが、人間の軍が身を潜めている気配すらありませんでした。諦めて引き返したのでしょうか?」

 レイアンの報告に長老は目を閉じた。

 そして小さく頷くと、集まった仲間を見渡した。

「いや、やつらは諦めたわけじゃない。やつらは影から我らを襲う。今は下見だろう。そして、わざと痕跡を残していったんだ。闇に生きるやつらが自分たちの痕跡を消し忘れることはしない。これは挑発だろう。『見つけたぞ』というね」

「それでは……」

 レイアンは頭に浮かんだ言葉を出し渋った。

「ああ、始まるよ。ダイモーンと人間の戦いだ」

 長老の言葉に広間に集まった全員が息を飲んだ。

「案ずることは無い。我らが“守護の一族”と言われる所以ゆえんを思い知らせてやろう」

 長老はそう言うと今後の対策をそれぞれに伝えた。

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