第6話 ダイモーン

「はるか昔、天界に住んでいた一人の天使が地上の娘に恋をした。天使は度々地上に降り立ち娘と愛を育んでいった。でも、本来天使と人間が結ばれる事は禁忌きんきとされていたの。密会が見つかってしまった天使は神々の怒りに触れ、もう二度と地上に降りられないようにと永遠に投獄される予定だった。

 でも、天使はそれに反旗はんきひるがえし、ダイモーンと飛竜を引き連れて地上に降り立った。つまり天使は天界を捨て娘の為に堕天したのよ。そこから天使は娘と結ばれて幸せに暮らしました。

 ……と言うお話なら良かったのだけれど、新たな問題が発生してしまった。自分達とは姿や形が違うダイモーンや飛竜に怯えた人間達は、娘との結婚を許さなかった。そこで天使はある”血のちぎり”を人間と交わした。


《ダイモーン及び飛竜は血の契約に従い、人間をあやめる事を禁忌とする。》


 自分達が危険では無いと証明するには何よりも拘束力の強い血のちぎりが必要だった。その時天使は人間が裏切るなんて予想もしてなかったでしょうけど……この血の契約により私達は人間に危害を加える事が出来ないの……それを逆手に取った人間達は、私達や飛竜を利用して己の地位や権力を高める為の材料にしたのよ」

 リタは何となく聞いたことがある神話とルアンナの話を結び付けて必死に理解しようと努めた。

「そして、今また飛竜に危険が迫っている……西のアバン王が飛竜討伐を計画していると噂されているの」

 アバン王――以前リタは、その名を使用人達が噂しているのを耳にした事があった。

(暴君で、戦好きな王様だって皆言っていた……)

 ふと頭の中に使用人達の顔が浮かび、胃から吐き気がせり上がってきたと同時に大事な事を思い出して、思考が止まった。

「待って、ここは何処? 私馬小屋の掃除の途中なの!」

 慌てて辺りを見渡すと見慣れない部屋に自分がいることにようやく気が付いた。

 薄暗くて気付かなかったがよく見ると壁だと思っていたものは人の手によってならされた岩壁で出入口の扉と小さな窓が一つあるだけの、とても部屋とは呼べないようなものだった。

 急いで場所を把握しようとすぐ左横にあった小窓から外を覗いてリタは絶句した。

 左右には、むき出しになった断崖絶壁の岩肌がどこまでも続いている。

 鉛色なまりいろの分厚い雲に覆われた空には太陽の光は何処にもなく、どんよりとした空気が辺り一面を覆っていた。

 それはまるで、大きな岩の中央に亀裂を入れてその中に浮かんでいるようなそんな景色だった。

 言葉を失っているリタにルアンナは申し訳なさそうに呟いた。

「ここは葬られた崖ガル・デルガ……追いやられたダイモーンと飛竜は、人が寄り付かないこの崖で身を隠すように生きている。でも安心して、ここはとっても安全だから!」

 ルアンナは最後に取りつくろうように付け足した。

「そうじゃなくて! 私お屋敷に帰って仕事をしないと! じゃないとまた酷い事されちゃう……」

 リタはあの拷問のような時間を思い出し、冷や汗をかいた。

 早く帰って仕事をしないと、伯爵夫人が帰ってくるまでにお部屋の掃除もしなきゃいけないし、洗濯もまだ出来ていない……終わっていない一日の仕事が山のように残っている……。

「ああ、それなら大丈夫よ、あなたに関する記憶を消しておいたから。あの屋敷に住んでいる人間達の記憶に、あなたはもういないから安心して。もうあんな地獄のような生活はしなくていいわ」

 さらりと言ってのけたルアンナの言葉を聞いて、リタはぽかんと口を開ける事しか出来なかった。

 どうやら井戸から溢れたあの青白い光がそれだったらしい。

「でも……」

 リタが何か言おうと口を開いた瞬間、何処からか一つ、鈍い鐘のが鳴り響いた。

 それは、教会で聞くような綺麗な鐘の音では無かったが、体に直接響くようなずっしりとした重たい音色だった。

 リタは長く響くその鐘の音を聞きながら何故だかふいに懐かしい気持ちがこみ上げてくるのを感じた。

 何処で聞いたのだろうか、思い出そうと記憶を辿ってみたが10歳の記憶など曖昧だった。

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