第10話 因果の回廊

 魔術師シーク殿の所に行った帰り道、アンデッド達に襲われた夫とエレサが、アイスメイルとミキア、ロキアに助け出されて十日がたった。エレサは、数日、夜泣きをしていたが、最近では普通に過ごしている。

 エレサの左目はやはり少しずつ進行している様にも思う。夫もエレサのことが心配になり、有名なシーク殿に診てもらう為に、あんな危ない所に行った。夫は、王としては、軽率だったと、かなり落ち込んではいたが、父親としての行動であることには、嬉しくも思う。

 

 すると、横のエレサの部屋と通じる扉が開いた。


「お母様、ナントが、お漏らししちゃったわ」

とエレサが、甥っ子で、まだ、おむつが取れたばかりのナントの手を引っ張ってきて、お姉様ぶって報告してくる。


「あら、あら、大変。後はロッテさんに、任せましょうね。それより、エレサ、そろそろ聖霊魔法の先生がいらっしゃるわよ」

と羽ペンを置いてエレサに向かって語りかけた。


「えー、聖霊魔法、面白くなーい」

とナントの手を離し、ソファーの方に逃げて顔を埋めて駄々をこねた。


 ナントをメイド長に託した後、エレサが顔を埋めて抵抗しているソファーに座って、

「エレサ、シン王国では魔法が使える者は、聖霊魔法は必須なのよ」

「でも、面白くない。タン先生が良いわ。武術の方がずっと面白い」

とクッションの山に潜ったまま、くぐもった声で抵抗する。


「困ったわね。タン先生は、聖霊魔法の授業の後に来てくださるわ。それから ……」

と言葉を切って、エレサをクッションの山から引っ張り出して、

「今度、ミキアさんとロキアさんがいらっしゃるわ。エレサの聖霊魔法が何処まで上達したか、拝見したいって」

と言うと、目を丸くして、

「ミキアとロキアが来るの。何時? お食事も一緒? …… 」

と質問が爆破した。


「うーん、来週かしらね。でも、エレサの聖霊魔法が上達していないと、きっとアイスメイルさんが来るわね」

と目を天井に向けて答えた。


「えー、アイスメイルさん、私、怖いの」

とエレサは顔をしかめて答えた。


「じゃあ、頑張りましょう」

と葉っぱを掛けると、大きく頷いて、自分の部屋に戻っていった。


 アイスメイル。あのアンデッドの事件の時、真っ先に夫とエレサの所に駆けつけた異端審問官。ガル湖の悲劇の前から、先王の密命を帯びて審問官になっていたようだ。前最高司祭の制度改革に反発する異端審問官達の動きを探るためだったらしい。そして、その事件の後、かなり若いにも拘わらず、長官に就任した。それ以来、異端審問官達の闇雲な逮捕は無くなったことから優秀なのだろう。でも私には、得たいのしれない人物と言う感じがつきまとう。


   ◇ ◇ ◇


「姫様、姫様、そうでは無く、こう歌うのです」

「嫌、私全然うまくいかないわ」

「困りました。この回復術の歌は、基本中の基本です。姫様も真名を覚えいらっしゃるのですから、魔法の素質はあるのですよ。だから、もう少し ……」

「嫌、歌なんか退屈なの。嫌」

とエレサは駄々をこねる。


「それじゃ、今日は一節だけでも覚えましょうか」

「一節? 」

「そう、一節。それをタン先生にお教えするのは、如何でしょう」

「まあ、一節なら良いわ」


🎶


と突然、エレサが左目を押さえた。


「痛い、目が痛い」

と転げ回った。


「誰か、誰か」

と聖霊魔法の先生は大きな声で人を呼び、


🎶、♫


と回復魔法を掛けて痛みを和らげようとした。


   ◇ ◇ ◇


「どうだ、アイスメイル。ロージの居場所は分からないのか? 」

と私はアイスメイルに問いただした。


 今朝も、エレサは左目が痛いと訴え、回復魔法で癒したところだ。一時的には痛みは消えるものの、症状は良くならない。これを治すには呪いを掛けたロージを殺すしかない。


「陛下、残念ながら、まだ分かりません。ただ、ロージを逃がしたと思われる女が言っていた、ガル湖の悲劇について再度調査致しました。オクタエダルが沈めたはずのシルヴィの遺体が消えておりました。石棺の蓋や石棺内についた水藻の具合、石棺の破損した部分の崩れ方からして、少し前にそこを守る錬金陣が破壊され、開けられたと推察いたします」

と跪き、三角帽を胸に当てて応えた。


 シルヴィの遺体が消えた。これは今回の事件と関係するのだろうか。


 ガル湖の悲劇は、私が物心つく前の話だし、ロージが気が狂ってサスリナに死霊魔法を使って危害を加えたのは、サスリナと結婚する頃のこと。そしてエレサが生まれるとき、やはり死霊魔法で左目を傷つけられた。その左目を診てもらいに行った直後アンデッド達の襲撃に遭い、ロージと再会した。そしてロージを匿った女と思われる犯人がガル湖の悲劇を持ち出した。


 まるで因果が巡っているようだ。一連の流れの中で共通するのは死霊魔法だが。


 そう言えば、ロージとオクタエダル先生が対峙したとき、『死霊魔法を何処で習った』と聞いていたのを覚えている。ロージを匿った女が教えたのだろうか。


 跪いたまま、何かを待っているアイスメイルに

「もう良い。とにかくロージを探せ。確実に仕留めよ」

エレサの為だ。それにサスリナに対しての憎悪の火の粉を払わなければならない。


「かしこまりました」

と顔を見せずに、深い礼をして出て行った。


 誰かが仕組んでいるように思う。


 私は、誰に相談するか迷った。

 

 今誰が如何絡んでいるのか分からないからだ。


 それでも、やはり先生しか思い浮かばない。シルヴィを消滅させなかった事にも何か理由があると信じたい。しかし、アルカディアは学生の事以外では他国不干渉を貫いている。シン王国のためでは、これ以上、先生は動けないだろう。


   ◇ ◇ ◇


———シン王国は、教会と王宮が一体となっているだけではなく、執務に関しても一体となっている。民政、軍事、外交については王家が、宗教に関しては教会がと責任範囲が決まっているが、ほぼ一体となって運営され、他の国にはない組織構造を持っている。そのため、王家と司祭とはかなり頻繁に、そして垣根無く行き来できる———


「王よ、今日はどうされた」「された」

と双子の聖霊師の最高司祭様が、私室の一連なりになった、大きな机の向こうから声を掛けてきた。子供の身体に合わせて有るため、かなり低い。


「実は、シルヴィについてです」

とこちらの方が高い位置になるソファーに座って話を切り出した。


 それを聞いた、双子の聖霊師は、執務用の机から離れて、特製の踏み台を使って私の向かいのソファーに座り直した。


「先日のガル湖の悲劇について調査を進めたところ、シルヴィの遺体が消えたと言う報告がありました」

と話を続けた。


 双子の聖霊師は、少し片眉を上げて、首を傾げた。

「まだ、誰が何の目的で移動したのかは分かっていないのだな」「いのだな」

と聞いてきた。二人は合わせ鏡のように対照的に動いた。


「はい、まだ、そこまでは。そこでエレサの左目と事件の関係などをご相談したいと思いまして ………… 」

と少し、話の間を空けると、

「ニコラスに相談したいじゃな。我らから、要請しておく。ただ、何でもエルメルシアで異変が有ったようじゃ。それを片づけてから来てもらうことになるじゃろう」「なるじゃろう」

と私が言おうとしたことを先に言われてしまった。


 覚醒した双子の聖霊師は、洞察力と言うより読心力がずば抜けて高く、相手の思考が分かってしまうらしい。その他にも体内の聖素の動きが分かったり、武術家の様に気の流れも察知出来るようだ。ただ、年がら年中、多人数の思考が入ってしまうと、気が狂ってしまうため必要なとき以外は、閉ざしていると聞いた事がある。今は多分全開なのだろう。


「ああ、ニコラスがシルヴィを消滅させなかった理由か? 」「理由か?」

とまたしても、私の疑問を言い当てた。


「はい。それも疑問と言えば疑問です。ただ、先生には何か理由があっての事と思いますが」

とこのような会話の流れは、もう慣れているので気にせず進めた。


「そうじゃな。実は消滅させれなんだ理由があったのじゃよ」「のじゃよ」

「と言いますと? 」


 聖霊師によれば、シルヴィを拘束水で抑えたとき、正気に戻っていた。その手には子供の縫いぐるみが握られており、それを抱えて泣いていたそうだ。


 そして、先生に対して、

「どなたか存じませんが、私を止めていただき有り難うございます。夫は死霊復活の術を使う禁忌を犯して、私を蘇らせました。ご存じないかもしれませんが、死人返りには、普通術者の魂の削って使います。私の中には夫の魂も入っているのですが、他のそれも悪しき魂も入ってます。それが感情の高ぶりに呼応すると ………… 人々に危害を加えてしまいます」

と答えたらしい。


 オクタエダル先生は、錬金陣を使って、観察したところ、三つの異質の精神が入っているらしい事は分かったらしい。そして有る問題に行き着いた。


 双子の聖霊師は、座り直して、

「そうじゃ、器を壊してしまうと、その悪しき魂がどうなるか分からないと言う事じゃ」「言う事じゃ」


 そして、オクタエダル先生は、シルヴィにこう告げたそうだ。


「シルヴィ殿。そなたは、聖霊魔法をも無効にしてしまう能力がお有りになるようじゃ。そのため、失礼ながら物理的に消滅するしかないが、そうなると、その悪しき魂がどうなるか分からぬ。申し訳ないが、長い時間を掛けて、其方と、最高司祭殿の魂とで、その悪しき魂を浄化するしか方法が思いつかぬ」


———魔素が入り込んで自然発生したアンデッドや普通の死霊魔法を使って蘇らせたアンデッドは、浄化することでその魂も浄化されて消え去る。また、魔術や錬金術で消滅させても、魂が薄いため問題はない。しかし、シルヴィのように死霊魔法の死霊復活術の儀式の場合は、魂が濃厚なため聖霊魔法の浄化以外では、肉体は消えても魂が残ってしまう。ましてや、悪しき魂となれば、放出させるとどうなるか、オクタエダルでさえも知見がない———


 シルヴィは、オクタエダル先生の説明を了解した。そして、先生はシルヴィの精神的な苦痛を和らげるためと、魂の浄化に集中させるために永久冬眠を施して、ガル湖深くに沈めたと言うことだ。


 そして、シルヴィは眠りに入る前に

「どうか、クリルをお願いしますと懇願したそうじゃ」「そうじゃ」


「えっ、クリルはシルヴィに殺されたと異端審問官達の報告書にはあったと思うのですが」

と聖霊師様に聞き直した。


「知っておる。しかし、クリルは生きておった。ニコラスが前最高司祭の別荘近くの森で瀕死の状況だったクリルを保護したのじゃ」「したのじゃ」


 程なくして、異端審問官たちの、前最高司祭関係者狩りが始まった。オクタエダル先生は、クリルを、生きていることを隠してアルカディアに連れて行った。


「母であるシルヴィが子であるクリルを殺したと報告するような、当時の異端審問官の考えが分からぬじゃろ」「じゃろ」

とテーブルの上にある箱からキャンディーを取り出して、二人、同時に口に放り込んだ。


「死んだと勘違いしたのかもしれないし、あるいは、殺し損ねたかもしれん」「もしれん」

と二人同時にキャンディーで片方のほっぺを膨らまして喋った。


 私は、キャンディーの箱を寄越して勧めてくれるので、手を伸ばしなら、

「なるほど。それで、そのクリルは今でもアルカディアにいるのですか?」

「いや、お主も知っておるじゃろ? シークじゃよ」「じゃよ」


 私の手はキャンディーに届く前に止まった。

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