第8話 ガル湖の悲劇
ガル湖の悲劇。私も先王から聞いた事がある。今の最高司祭様のレミーとミリーが覚醒するきっかけとなった事件だ。まだ、今のミキアとロキア同様に美しい成人の女性で、アイスメイルが一介の若き異端審問官だった頃の動乱だ。
事件の引き金を引いた犯人は、何と当時の最高司祭 アマン・ゾルターン、その人だった。
昔から、最高司祭は、聖エルフ族の血が濃い人属から選ばれる事が多かった中で、エルフの血の薄い人属のそれも双子でない最高司祭は、数十年ぶりだった。このため最高司祭就任の時には、改革派として名をはせ、様々な古く非合理なしきたりを替え、成文法として成立させた業績もあった。
そして、改革の最後の仕上げとも言えるものが、異端審問官制度の廃止であった。ゾルターンが就任する前は異端審問官の力が強く、しばしば強権を振るって、魔族どころか、市民、さらには王族であっても、逆らう者にあらぬ疑いを掛けては、投獄し獄死させていた。
それをゾルターンは数年掛けて、異端審問官の力を削ぎ、最終的には制度の廃止まで行くところだった。この為、当時の異端審問のガリ長官との軋轢は目に見えて激しくなっていた。
◇ ◇ ◇
「最高司祭様、ただいま戻りました」
とミリーは、ゾルターンにオクタエダルが建てた工房から、帰ってきた挨拶をした。
「ああ、ミリー、先生は、またどっかに行ったのかい?」
と空中に浮かした聖典から目を離し、私に語りかけた。
「ええ、まあ」
と、私は曖昧な返事をした。
「また、タンを誘って、北の大陸にでも行ったのでしょう。全く彼奴ら、学生の頃とちっとも変わらないわね」
と今度は、最高司祭の執務室にいたレミー姉さんが、あきれ気味に呟いた。
「そうね」
と、私はまた曖昧な返事をした。
学生の頃から、ニコラスは、自分が創造したホモンクルスのロニーさん、そして、武術家を志すタン・ユアンジアさんと一緒に研究旅行だ、武者修行だ、と言っては旅に行って、全く落ち着かない。最近、アルカディアの助教授になったはずだが、あれで教鞭を執れるのか不思議に思っている。
「ところで、シルヴィ様のお加減は如何でしょう?」
と私は心配して聞いた。シルヴィ様は最高司祭の最愛の妻で、何時も仲睦まじい。次期最高司祭となるべくアルカディアから、連れ戻された私や姉さんを不憫に思い、よくお茶会や食事会などに誘っていただいてた。しかし、最近大病をしたようで、最高司祭自ら聖霊魔法を掛けて回復を試みているが芳しくないようだ。
「いや、大分良くなっているように思うのだが」
とまた、聖典に目を落とし、ページをめくり始めた。
それからレミー姉さんと私は修練所に戻り、聖霊魔法の鍛錬を行う日々の生活が流れていった。
そんなある日、修練所に若い異端審問官が来た。
「アイスメイルと申します。お二方にちょっと伺いたいことがありまして」
と、細身で目の細い男が、三角帽を胸に当てて慇懃に挨拶をしてきた。
「異端審問官に話すことなど無い」
とレミー姉さんが、とりつく島を一切与えずに断った。
「いや、そのような事を言わずに。他ならぬ最高司祭猊下についてで御座います」
と嫌な感じがした。
ゾルターン最高司祭様は、異端審問官制度の廃止に動いているのため、異端審問官とは軋轢が生じている。その敵とも言える審問官が最高司祭の事について、聞いてくるなど、陰謀の匂いがプンプンする。
「いやいや、私が陰謀を企てているなら、あなた方の所になど来ませんよ」
とアイスメイルは、歯を見せて笑った。
顔色を読まれて、ちょっと頭にきたレミー姉さんが、
「で、何を聞きたいのだ」
とぶっきら棒に答えた。
「最近の最高司祭様の奥方様のご容態についてですが、お加減のご様子は如何でしょうか? 」
とおよそ心配しているとは思えない顔つきで聞いてきた。聞き方は丁重だが、尋問に近いと思った。
「最高司祭様、自ら回復魔法を掛けておられ、回復の方向と聞いています」
と私は答えた。
「ほう、そうですか。ところで、最高司祭様がガル湖の方に居を移されたそうですが、何か理由とかご存じですか? 」
と続けて聞いてきた。
今度はレミー姉さんが
「温泉があって、奥様のお体の回復に気候が良いからでしょ。ガル湖周辺は王族方の別荘も沢山有るじゃ無い」
と異端審問官を嫌っている態度を隠さずに答えた。
「そうですか。いや、最近ガル湖周辺で、死霊復活術の儀式が行われているとの噂がありましてね。猊下がガル湖に居をお移しなられた時期と一致するものですから」
と私達と目を合わせずに壁の方を向きながら話をした。
「何を言っている? 聖霊教会の最高司祭様たるお方に関係なかろう。可笑しな噂を立てているのは、お前達審問官じゃ無いのか? 」
とレミー姉さんは怒りだした。
———死霊復活術とは、死霊魔法の一つであり、死人を生き返らせる術である。主に死霊魔術師が使う術式体系であるが、その悍ましさ、死者を弄ぶ残忍さから、その体系全体が禁忌とされている。しかし、驚くべき事に元は聖霊魔法の一部でなのである。そして、本来、異端審問官は、この死霊魔法を行う者を捕らえるために設立された組織である———
「いやいや、そうお怒りにならず。調べることが我ら異端審問官の仕事ですので」
「違うだろ、お前らの仕事は、あらぬ事を騒ぎ立て、濡れ衣を着せて、投獄し、拷問の末、殺すことだろ? 」
とレミー姉さんが食ってかかった。
「姉さん、言い過ぎです」
と私はたしなめた。それを聞いてちょっと悪く思ったのか、
「お前のことを言ったわけじゃない」
と謝ったが、顔は横を向いていた。
◇ ◇ ◇
私が聞いたところでは、現在の最高司祭であるレミーとミリーも、この頃、ゾルターン最高司祭が、まさか本当に死霊復活術の儀式を行ったとは思ってもいなかったようだ。しかし、ゾルターンは、病で亡くなった妻を生き返らせるために施術したと報告書にある。
そして、その妻シルヴィは蘇った。
それは、シルヴィの面影は残すものの、その心は冷え切り、残忍な怪物となって蘇ったと言われている。蘇った直後、ゾルターン最高司祭を食い殺し、まだ、幼い少女のクリルまでも食い散らかしたと異端審問官達の報告書には記載されている。
その後さらにガル湖に滞在していた王族をも襲い続けた。その身体から発する瘴気は動物を殺し、樹木を枯らし、湖の水を猛毒に替えた。こうしてガル湖周辺が、死の森となったと言われている。
異端審問官や、聖霊師たちは、シルヴィを止めようと聖霊魔法で対抗するも、何故かシルヴィには効果が無かった。普通のアンデッドは聖霊魔法で消滅するはずであるが、シルヴィには効かないどころか、普通の人属のように回復してしまうのである。
聖霊教会は、シン王家に助けを求めて、正規軍による討伐が開始された。しかし、一人の死人返りのシルヴィに翻弄され続け、正規軍でさえも多大な犠牲を出していった。
そして、アルカディア学園の生徒に危険が迫ったとき、学園から生徒の救助とシルヴィ制圧にやって来たのがニコラス・オクタエダルだった。
オクタエダルは、その頃独自に開発した拘束水の雨をシルヴィに降らせ、くっ付いて流れない水で押さえつけた後、呪文を掛けて眠らせ石棺と供にガル湖深くに沈めたと言われている。
しかし、悲劇はまだ続いた。異端審問官達は、ゾルターン最高司祭の一族郎党、その使用人までも次々の捕縛し始めた。それだけに収まらず、異端審問制度廃止に賛成してた王族、貴族にまで、死霊魔法と関係があると嫌疑を掛け、捕らえ始めたである。聖教会の地下の牢獄は、囚人で溢れかえり、地下深くまで拡張しているにも拘わらず、入り切らなかったほどだと記録にあった。
◇ ◇ ◇
そんなある日、アルカディアに学生と供にある人物を送り届けて、湖畔の工房に戻ってきたオクタエダルの元に、影が忍び寄った。
「誰だ? 儂の仕掛けた錬金術の罠に引っかかることなく、ここまで来た事は褒めてやる。じゃが儂も簡単に捕まるわけにいかぬな」
とオクタエダルは、湖畔を見続けて振り返らずに答えた。
その影は、意外な言葉から話し始めた。
「ここから見るミクラ湖の眺めは素晴らしいですね。夕日と遠く王城が見える風景は格別です。先生、捕まえに来たと仰ったので、私の身分はお分かりですね」
と後ろの人物は、もはや影に隠れること無く堂々と立っているようだ。
「異端審問官だろ? そろそろ、来るのではないかと思っていた。さて、三十六計逃げるに如かずだな」
と飛行雲の試験管を取り出して、足下に垂らそうとした。
「お待ちください。私は確かに異端審問官ですが、王命を持ってこの任に当たっている者です」
と後ろの男は、少し早口で答えた。意外に思い、試験管の蓋をしないまま、ローブに隠して振り返った。
そこには、三角帽を胸に当てて、頭を下げて礼をしている細身の男がいた。
「異端審問官のアイスメイルです。お見知りおきを」
と答えた。
「アイスメイル殿、王命と聞いたが儂に何の用だ? 」
「私は王命により、他の異端審問官達に捕まりそうな人たちを逃がせと仰せつかっております。勿論、逃げられるだけのお力をお持ちのかた以外にはお知らせ出来ません。先生は問題ない方かと思います」
とアイスメイルは下を向いたまま話した。
「ああ、表をお上げられよ。それは、ありがたく思うが、逃げるのを呼び止めたのは、他にも理由があるだろ? 」
「はい、レミー様、ミリー様も危ないです。どうか、このお二人を何処かへ、アルカディアまでお連れいただけませんか? 」
と頭を上げることなく、話を続けた。
「ふむ、相分かった。それでは急ぐとしようか」
と試験管から液を垂らそうとすると
「もう一つ。お願いがあります。その、今日のことは勿論他言無用ですが、今後、私と先生とは不仲という事にしておいてください」
と、また、意外な事言ったが、すぐに理解できた。
異端審問官達は、その任務の性格上、非常に閉鎖された組織である。そのため、他の組織、つまりは、彼らが呼ぶ表の人たちと馴れ合いは良しとしない風潮があるらしい。王命を受けて潜り込んでいるこの者が、我らと馴れ馴れしくするのは不味いと言うことと解釈した。
「構わぬよ。儂の悪口を言っても。そうだ、高慢ちきな似非錬金術師とでも罵倒しておくれ。ハハハハ」
と笑いながら、今度こそ、液を足下に垂らして、生じた雲の上に乗って、ミリーとレミーが居る修練所に向かった。
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