第7話 新しい家族
とはいえ、彼ももう十五の齢。男として、こんな情けない姿を出会ったばかりの少女にさらすのはダメだと言い聞かせ、まぶたが赤く腫れてしまうほど強く腕で涙をこすりとった。
まだまだ瞳から溢れんとする涙で、視界はボヤける。それでも、ウルレナたちのほうへ背を向けて視線を足もとにおろしたアオイには、小さな黄色が見えた。
「これは」
それは、とてもとても小さな黄色。掴めば、容易くつぶれてしまいそうな黄色。
――――だけど、強かった。
ようやく溢れる涙をすべてぬぐったアオイが目にしたのは、踏みならされた焦げ茶色の地面で一輪の黄色の花を咲かせる蒲公英。
あまりに小さく、もろそうな蒲公英。しかし、その凛とした姿にアオイは思わず心をうばわれた。
「花?」
空に花は咲かない。だからアオイの知る花というのは、発熱をやわらげる
それもすべて、戦士たちが獣の国からむしりとってきたもので、こうして大地に根付いて生きた花の姿を見るのは初めてのことだった。
いつの間にかアオイの涙はとまり、その蒲公英に見惚れていた。
「あっ」
じーっと、蒲公英の花をながめていると、アオイはあることに気づく。
ここはウルレナたちの集落で、この焦げ茶色の地面は彼女たちが生活するために踏みならしたであろう土地。雑木林の緑は遠く、アオイにはまるでこの蒲公英が仲間はずれにされているように思えてならなかった。
「そうか、君もひとりなんだ」
親も、兄弟も、友だちも、この蒲公英の周りにはいない。
たったひとり、そよ風に揺られる姿は心なしか寂しそうにも見えた。
「俺と同じだ」
そんな蒲公英の姿に、アオイは自分の姿を重ねあわせる。
でも不思議と、そこにはほんの少しの違和感があった。それもそのはず、ひとりになって尚、蒲公英はかたい大地に力強く根をはって風を一身に受けとめる強さがある。
その強さが、アオイにはなかった。
「俺もひとりに――」
アオイがぼそっと呟いたその時、彼の頬を細い指さきがぎゅっとつまんだ。
「違うよ、ひとりじゃない」
「ウルレナ?」
突然、背後から飛びだしてきた手に驚いてアオイが振りかえる。そこにいたのは、頬にえくぼをつくって微笑むウルレナだった。
「おなか減ったでしょ? いま鹿を煮こんでるから、それ食べたら私たちはもう家族」
「家族って……さっき会ったばかりだし、ウルレナ以外のひととは話しもしてないし」
「同じ鍋のものを食べたら、私たちは家族なの。私はそう教わったけど、アオイがいたところでは違う?」
はっとしたように目をまん丸させてウルレナを見つめるアオイは、そろそろと口をひらく。
「いや、その……違わない」
高齢で腰がすっかり丸くなってしまっていた船長も似たようなことをいっていたし、母だって、隣に住むキンジュだって。それは常識として船のうえに根ざしていたこと。
「同じ船に住む人たちは家族だから、同じ鍋のものを食べるのは当然だって――」
「船っ!? もしかしてアオイって、空のうえにいたの!?」
在りし日の記憶につかろうと、心地よい思いでに足の指さきをつけた瞬間、ウルレナはそんなアオイの言葉をさえぎって橙色の瞳をキラキラと輝かせて声をあげた。
「えっ? まあ、うん」
「空のうえってどんなところ? アオイが海を知らないのは、やっぱり自然の水がなかったから?」
「たぶん、そう」
「そのかわり雲海っていう、きれいな海があるって聞いたけどホント?」
「雲海は海じゃなくって、ただの雲――」
「獣がいないってホント? 安全なの?」
ウルレナの質問の量と言葉の圧は、もはやアオイの答えを聞く気があるのかさえ疑ってしまうほど。
目をキラキラ輝かせながら、嬉々として質問を口から吐きだしてくるのは、それだけ<空のうえ>という環境に興味と憧れがあるからなのだろう。
今まで、たくわえこんだ憧れを全部吐きだしてやろうとばかりに、ウルレナが質問を続けようとした時だった。
「俺はその坊主を呼んでこいっていったはずだが?」
ふたりのもとに現れた大男のぶあつい手が、ウルレナの頭をぎゅっと押さえつける。
「あっ……ごめんなさい」
「アオイだっけ? うちの頭領が呼んでんぜ、話がしたいってさ」
「頭領?」
首をかしげたアオイの視線のさきで、大男は深くうなずいた。
「集落を仕切ってる爺様さ、案内するからついてこい」
すると、大男はアオイの返事も待たずに踵をかえし、大きな歩幅で歩きだす。
きっと拒否することなんてできないのだろう。そんなことをぼんやりと思いながら、アオイはウルレナに頭をさげ、駆け足で大きな背中を追った。
ウルレナはまた他の女衆たちと一緒になって大鍋をかこみ、なにやら両手をあわせて祈っているようにも見える。
「普段はあんな風に自分からペラペラ話すような子じゃないんだけどな」
「ウルレナが、ですか」
背中ごしにころがりこんだ男の言葉に、アオイは驚きをかくせなかった。
「別に無口ってわけでもないが、周りが大人だらけっていうのもあって、素の自分をだせないんだろうよ」
「素の自分……ですか」
今ウルレナと一緒に大鍋をかこんでいる女衆も、大男をふくめた集落の男衆も、皆アオイやウルレナから見れば随分はなれた大人ばかりだと、いわれてはじめてアオイは気づく。
とくにアオイやウルレナのような、十五だとか十六だとか、それくらいの齢の少年少女にしてみれば大人というのは少し異質なもの。
子供から大人になる、そのちょうど中間地点にいるからこそ、大人に対して気をゆるせない部分もあったのだろう。
彼女とほとんど同じくらいの齢のアオイなら、大男のいうそれを少し理解できた。
「多分、自分と同じくらいのやつが
「いえ、そんな」
アオイは大男につれられ、集落でも一際目立つ屋敷をまたいだ。
藁をつんで築いた素朴な家々のなかで異彩をはなつ屋敷は、丸太をつみあげていて、えらく頑丈そうなたたずまい。くわえて、外にも内にも装飾品や置物が目立つ。
あきらかに人のそれとは異なる、狼の頭蓋骨でつくったランタンのなかでロウソクの小さな火がゆらゆら揺れ、壁にかかっていた鹿の頭のはく製を不気味に照らしだした。
「そなたが、ウルレナのひろってきた者か」
突然、仄暗い部屋のなかに響き渡った老爺の声に、アオイは驚きのあまり飛びあがる。
「アオイ、というそうです」
大男が言う。
彼がまっすぐ見つめるさきにアオイも視線をあわせてみると、部屋の奥には木を粗くけずった杖を手もとに置き、
「アオイか、そなたはハイキとなったのじゃな」
「……ハイキ?」
聞きなじみのない言葉に、アオイは首を大きくかしげる。
「先日、空から船が落ちてくるのを集落の者が見た。我々も調べたが、もう……」
言葉を喉につまらせて表情をくもらせる老爺の姿に、思わずアオイの顔つきも少しくもった。
「空のうえの暮らしは戦士会が、この獣の国より調達した資源でまかなわれておるのは知っているな?」
老爺の問いかけに、アオイは深くうなずく。
「あやつらは資源が足りぬと判断し、船を一隻ずつ落として人口を調整しておる。それにより、無慈悲にも獣の国へ落されたものは<ハイキ>と呼ばれるのじゃ」
「じゃあ、船が突然落ちたのは——」
「人口調整で、ハイキとなったのじゃ」
不幸な事故。そうどこかで思う気持ちがあっただけに、アオイは顔を真っ青にして言葉をうしなった。
これでは、アオイがあこがれた戦士会に殺されたようなものではないか。
「俺たちも、ここに来るまえは空のうえにいたんだ」
そんなアオイの思いを察してか、大男のぶあつい手が優しくアオイの肩にのる。
「なにも知らされずに神威結晶の動力をとめられて、獣の国におとされた。これまでなんとか生きのびちゃいるが、仲間は何人も死んでったよ」
大男の、どこか寂しげな声がうっすら暗い屋敷のなかに響いた。
大切な人たちが死ぬ辛さは、アオイもよく知っている。だからだろう、大男の言葉が彼の気持ちをよけいに沈ませる。
「ウルレナは、あの子は我々の希望なんじゃ」
その老爺のひとことで、アオイはうつむかせていた顔をあげて籐の椅子に腰をおろしたシワだらけの顔をまじまじと見つめた。
「ウルレナが?」
「あの子は、母なる神に歓迎された子。海への感謝の儀を生きのびた、獣の国に生まれて獣の国でそだった
どうりで、ウルレナが空を知らないわけだと、アオイは心のなかで深くうなずく。
彼女が空のうえを知らないのも、空のうえにあこがれているのも、獣の国で生まれ育ったがゆえのことなのだろう。
「海への感謝の儀って、その」
「大昔、この地にいた人々がおこなった儀式じゃ。母なる神がねむる海に、新たな命の誕生を祝して参拝にゆく。こんな世界じゃ、子をつれたまま集落の外にでれば無事はない」
「なんで、そんなこと」
わざわざ自分から死ににいくような真似をするのに納得がいかなかったのだろう、アオイは老爺をじっと見つめたまま、おそるおそる疑問をなげた。
「ウルレナのような、人々にとっての希望となりうる子を後世にのこすためじゃ。あの子の両親も、ウルレナを希望の子とするため、感謝の儀の道中で命をおとした」
「そんな……ひどすぎる」
ウルレナも、アオイと同じだった。
彼女にも、両親がいない。
「獣の国で、か弱き人が生きるためなんじゃ。あの子も、いずれ理解してくれる日がくるだろう」
老爺の非道ともとれる思想を前に、大男はうつむいたままなにも言わない。
きっと、彼もウルレナにおきた悲劇に心をいためながら、老爺と同じようにそれが後世のためと信じているのだろう。
「船の惨状を聞けば、そなたが心にどれほど深い傷を負ったかは、いわずともわかる。しかして、ここは獣の国……獣どもに支配された明日も知れぬ場所」
齢のせいか、途中で口をとめて一呼吸おき、老爺はさらにつづけた。
「はたらかざるもの食うべからず、集落ではたらいてはみぬか」
「はたらく、ですか?」
「男衆は狩りじゃ、心得はそこのベルダンやウルレナから聞くとよい。ウルレナは女衆ではあるが、幼いころから男衆に混ざって狩りにいっておる」
まだ、翼竜におそわれた恐ろしさを体や頭が鮮明におぼえているなか、それは急すぎる話だった。
拳をにぎり、しばらく考え込んだあと、アオイはおどけたように口をひらく。
「……わかり、ました」
この集落の外で、アオイひとりが生きていくのは不可能な話。彼には、ここで狩人としてはたらく以外に道は残されていなかった。
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