第4話 獣の国にて


 実りの季節をむかえた木々は、色とりどりの実をつけていた。


 朱唇桃しゅしんとうの木のくぼみに手をかけ、ウルレナは小柄な体を力強くおしあげた。猿をならって器用に太い幹をのぼり、枝に片手でぶらさがると、もう片方の手をめいっぱいのばして紅色の果実をつかんだ。


 指さきで果実をひねれば、すぐに果実は枝からはなれてウルレナの小さな手のなかにおさまる。

 辺りが実りの季節をむかえてから、早々に朱唇桃を見つけられるとはついている。

 顔をほころばせながら、女衆が祭事に唇をめかす紅花染料のような紅色のそれを草衣の胸もとにいれると、さらに近くにあった朱唇桃の果実をちぎった。


 小声で、「よし」とつぶやいて木から飛びおりたウルレナ。

 薄い草衣と自身の齢相応にふくらんだ乳房のあいだに挟まっていた朱唇桃の果実を取りだし、両手にひとつずつ果実をにぎると足早に森のなかを駆けぬけた。


「クック、お待たせ」


 有象無象の木々が生い茂る森のなかでも、ひときわ目立つ大きなガジュマルの木陰でウルレナは足をとめる。

 彼女の視線の先にいたのは、枝のあいだから差しこむ痛いほどの陽ざしから逃げるようにガジュマルの大きな木陰で翼を休ませる、猛禽の頭と翼に獅子の胴をもつ猛獣、グリフォンだった。


 クックと名づけ、小さいころから可愛がっているグリフォンに、にぎっていた朱唇桃の果実を差しだすウルレナ。

 猛禽特有の鋭い眼でにらむんだのち、クックは黄色のくちばしで果実をつかむ。


「朱唇桃はまだたくさんあったし、集落の女衆も絶対喜ぶわよ」


 つかんだ朱唇桃を人の指ほどの草が茂る地面に転がして、つつきながら、噛みながら、少しずつ美味そうに食べるクックを見て、嬉々とした笑みをこぼしたウルレナも手にした朱唇桃に大口をあけてかぶりついた。

 うぶ毛に覆われた薄皮をやぶると、ウルレナの口もとから鼻さきまで濡らすほど溢れる果汁をすすりながら、歯ごたえのある果肉を噛みきる。


 遠目には林檎と間違える大きさと色味の朱唇桃は、その食感もほかのやわらかな桃と異なる。清涼感をかきたてる林檎のような音がたつほどではないにしろ、肉厚でしっかりした歯ごたえが舌と腹を満たしていく感覚は、人も獣も好むものが多い。

 美味そうに朱唇桃をほおばっていたウルレナ。しかし、その目にガジュマルの根もとで転がる灰色の実が映るやいなや、すぐに足を動かした。


「カタカラ、どうせまた鹿が食べられもしないくせに」


 そう言ってウルレナが片手で拾いあげたのは、顔ほどある石のように硬い実。

 拳で小突いても鈍音しかしないほど頑丈な殻のなかに、歯を必要としないほどやわらかく水っぽい種子をやどす椰子葡萄やしぶどうという木の実のなのだが、ウルレナは集落の大人たちに「カタカラ」と教わった。


 それなりに美味ではあるし、香りもいいから、好奇心旺盛な獣がよく落ちたカタカラを食べようと小突いたり転がしたりするのだが、種子を外敵から守るための殻の頑丈さに折れてその辺に捨てられているのは、珍しい光景ではない。

 食べにくさは悩みどころであるものの、その味や豊富な栄養素を知っていたウルレナは、カタカラをクックに背負わせたサドルバッグに詰めこむ。


「欲しいの?」


 なめした革のバッグを引っ張るようにしめたウルレナが、クックの物欲しそうな視線に気づいて半分ほど食べた朱唇桃を差しだした。


 すると、クックは嬉々として鋭いくちばしの先端を朱唇桃に突き刺し、先ほどたいらげたものと同じよう地面に転がす。

 ウルレナが満腹になっていたというわけではないが、グリフォンの腹をすかせてはならないというのは先人の知恵だ。

 みずからの敵と味方を即座に判別してしまうほど、賢いグリフォン。しかし、やはりその本質は獰猛な獣である。腹をすかせたまま放していては、グリフォンを手なずける<鵜飼い>といえども食われしまう可能性はじゅうぶんにあるし、実例だってウルレナは耳にしたことがあった。


 地面に転がした朱唇桃を夢中で食べるクックのやわらかな羽毛で守られた頭を撫でてやっていたウルレナ。彼女の艶やかな金髪からひょっこり姿をのぞかせる小さな耳が、複数の水鶏の羽ばたきを聞いた。


「水鶏?」


 木々のすきまから見えたのは、膝丈くらいはありそうな水鶏たちの姿。

 森をさらに進めば沼地があるのはウルレナも知っているし、水鶏があたりに生息していてもおかしくはない。ウルレナが難しい顔をして訝しんだのは、ガサガサと慌てたような羽ばたく音をたてて、一斉に水鶏たちが飛びたったことだ。


 鳥にしては大きめの図体をしているくせして、めったに人前へ出てこないほど警戒心が強く、臆病な連中である。こうして茂みから一斉に羽ばたいたのは、沼地あたりでなにか外敵のようなものを察知したからだろう。


「もう少しだけ待っててね、クック」


 クックの大きな頭をもう一度やさしく撫でてやると、ウルレナは急いでサイドバッグに収めていた短刀を腰巻きに差し、投擲用の短い槍を握って、水鶏の飛んできた沼地のほうへ足を向けた。

 木のうえ、茂みのなか。いつ、どこから獣が飛び出してもいいよう、細心の注意をはらいながら深い森のなかを進んでいく。


 十六の齢と、まだまだ若い少女ではあったが、ウルレナは自身を男衆たちと同じ「狩人」という。その言葉に違いなく、クックとともに狩りへ出れば男衆に負けないほどの獲物をとってきていた。

 こうして勇敢に沼地へ足を向けるのも、彼女が狩人であるからこそ。いい皮に、いい肉を持つ獣なら仕留めればいいし、手に負えないような獣であれば集落に報せる必要がある。


 息を殺し、そっと茂みをかき分け、沼地へ近づくにつれてウルレナの履く草鞋がぬかるんだ地面に沈んでいく。ベタベタと水っぽい音がなるのを考えてか、そっとぬかるんだ地面から足をはなして慎重に前へ。

 最後の茂みをかきわけ、ひらけた沼地にでたウルレナの視界に飛びこんできたのは、沼に沈む人間の背中だった。

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