§040 「いっせ~のせ!」

「ねえ! あっちにも何かあるよ! 行ってみようよ!」


 希沙良は展望台の横に何かを見つけたようで、風になびく麦わら帽子を押さえながら指を差す。


 指差す先に視線を移すと、まずは『恋人の聖地』と刻まれたハート形のモニュメントが目に入る。

 そして、さらにその横に視線を移すと、そこには何か金属のようなものがぶらさがったフェンスが置かれていた。


 希沙良に導かれるままにフェンスに近付いてみると、ぶら下がっている金属はどうやら『錠前』のようだ。


「未知人くん! これやりたい!」


 それを見るや、希沙良が目をキラキラ輝かせながら、おねだりのポーズをしてくる。


 どうやら、この『錠前』は絵馬のようなもののようだ。

 裏面を見ると、マジックペンでカップルと思われる男女の名前が書いている。

 錠前にカップルで名前を書いてこのフェンスにかけると、『恋愛の神様』が『永遠の愛』を約束してくれるというものらしいが、なんという阿漕な商売だと思ってしまう。


「希沙良は『恋愛の神様』とか信じるのか?」


 なんとなく希沙良がこういう願掛けのようなものを信じているイメージがなくて、ふと思った疑問が口をついて出てしまう。


「恋愛の神様? 私がそんなのを信じてると思ってるの?」


 希沙良は心底不思議そうに首を傾げて俺に聞き返してくる。


「じゃあなんでこんなものやりたいんだ?」


「うぅ~ん、信じてるとか信じてないとかじゃなくて、女の子はみんなこういうのが好きなのよ」


 そう言って、希沙良がにへらと笑う。

 わかるようなわからないような理屈だが、希沙良もなんだかんだ女の子らしいところがあるのはもう十分理解しているつもりだ。

 今思えば、出会った頃には手相占いとかもしてくれたし、実は案外こういうものを信じたい気持ちが心のどこかにあるのではないだろうか。


「ねぇ、やろうよ~」


 希沙良は尚もおねだりモードですがってくる。

 さすがにそんな瞳で見つめられたらダメとは言えないのが男というものだ。

 俺はハァと観念のため息をつく。


「わかったよ。多分あの売店で売ってるんじゃないのか」


「わーい! 未知人くんのおごりだー!」


「ちょ……ちゃんと割り勘だから覚えておけよ」


 売店に向かって走り出す希沙良の後を追って売店に入り、店内を見渡すと、それは目玉商品とばかりに一番目立つ棚に置かれていた。


 えーっと、値段は……980円(税込み)。


 ……………………うん。


 俺は渋々売店のおばちゃんに1000円札を渡して『約束の鍵』と刻まれた鍵を購入する。


 そして、待ちきれないとばかりにソワソワしていた希沙良に袋を渡して一緒に封を開ける。

 すると、中にはハートの形をした金色の錠前が1つと、同じくハートの形をした鍵が2つ入っていた。


「おお、マジで鍵だな」


「なによその感想。そんなことより早く名前書こうよっ!」


 希沙良が俺の顔を覗き込むようにニコリと微笑む。


「いや……でも本当にいいのか?」


「……なにが?」


「これってガチの恋人のやつだろ? 2人の気持ちが永遠にロックされちゃう的な。俺の名前なんかでいいのかなと思って……」


「そんな細かいこと気にしてたら禿げるわよ」


 希沙良は少しむくれた表情を見せると、備え付けのマジックペンでさらさらと自分の名前を書く。


「はい、次は未知人くんの番」


 そう言って希沙良は錠前とマジックペンを渡してくる。

 錠前に目をやると『希沙良』の文字が、規則正しく、まるで習字のお手本のように並んでいた。


「希沙良って字、上手いんだな」


「ふふ。実はこう見えて書道の師範だったり?」


 希沙良はいかにも得意げに胸を張ってみせる。


「師範? それって書道を教えられるってことか?」


「まあ、そうなるわね」


「やばいなそれ。人は見かけによらないとはまさにこのことだな」


「言っておくけど私、優等生なんだからね? じゃあ、せっかくだし私が未知人くんの文字をチェックしてあげるわよ」


 希沙良が口角をくいっとあげて、挑発的な笑みを見せてくる。


「うげぇ、めっちゃプレッシャーじゃん」


「ほら、早く書いてみなさい」


 うぅ、こんな場所で書道の師範に文字のチェックをされるとかどんな罰ゲームだよ。

 俺は促されるままに自分の名前を書く。

 希沙良は俺の横で腕組みをして、容赦のないプレッシャーをかけてくる。


「ほら、これでいいだろ」


 名前を書き終えると、どれどれ……と錠前に視線を落とす希沙良。


「ふぅ~ん、私の文字と並べちゃうと月とすっぽんだけど、まあ、悪くないんじゃない?」


 彼女は『未知人』の文字を確認すると、満足そうな笑みを浮かべる。

 どうやら、評価としてはまずまずだったらしい。


 希沙良は錠前を大事そうに胸元に抱えると、「じゃあ、鍵かけにいこっか」とフェンスに向かって上機嫌に歩き出す。

 そして、フェンスの前までくると俺に目配せをする。


「準備はいい?」


「おけ」


「いっせ~のせで鍵かけるからね!」


「おけおけ」


「じゃあ……」


「「いっせ~のせ!」」


 ガチャリという音とともに、『未知人』と『希沙良』の名前が書かれた錠前は風景の1つになる。

 少しの間、その風景を見守る2人。


「未知人くん……」


「どうした?」


「今日はこんな素敵な場所に連れてきてくれてありがとね」


 肌寒くなってきた風が頬に当たる。

 それとともに、フェンスにかかったたくさんの鍵たちもガチャガチャと騒ぎだす。


 ああ……これで俺と希沙良の初めての小旅行も終わりか……。


 俺はふと思う。

 この鍵をかけたカップルのうち、いまでもラブラブなカップルはどれくらいいるのだろうと。

 こんな場所に旅行にきて、一緒に鍵をかけるぐらいのカップルだ。

 きっと、いまでもラブラブなカップルが大半なのだろう。

 

 でも……と俺は思う。

 俺と希沙良のこれはあくまで恋人ごっこ。

 最初から『好き』という気持ちがなければ、当然、『永遠の愛』なんて存在しないんだ。

 いくら恋愛の神様でも、そんなカップルにも『永遠の愛』を授けてくれるほどのお人よしではないだろう。

 そんなことは俺も希沙良もわかっている。

 俺たちはそれをわかった上で、今日という日を精一杯楽しもうとしているのだ。 

 

 俺は残された鍵の方を見つめる。


「この鍵ってどうすればいいんだろう」


 俺はふいに沸いてきた疑問を口にする。 


「どうなんだろうね。いらなければ捨てちゃえばいいんじゃない?」


「なっ……捨てちゃっていいのかよ」


「けど捨てちゃったら、もうあの錠前は一生外せなくなるけどね。それでもいいなら」


「じゃあ希沙良はどうするんだよ」


「……私?」


 少し考え込むように俯くが、すぐに顔を上げる。


「私は大切にしまっておくことにする。だって、未知人くんとお別れしたら、あの錠前を外しに来なきゃいけないでしょ」


「身もふたもないことを言うんだな」


「じゃあフラれないようにせいぜいお姫様に尽くしなさい」


 こうして、俺たちの長かったようで短かった尾道旅行は幕を閉じた。


 本当に長かったようで……短かった。

 いきなり「海が見たい」って言われたときは正直どうしようかと思った。

 けれど、重い腰をあげてノープランでも何でも一歩踏み出してみれば、楽しいことがまだまだたくさんあるんだなと思わせてくれるような、そんな1日だった。

 きっと俺は今日のことを一生忘れることはないだろう。


 希沙良……。

 『大人のデートプラン』でエスコートできなかったのはごめん。

 いまの俺ではちょっと力不足だったみたいだ。

 でも、次は……もし次があるならば、今度は足をちゃぷちゃぷできるような海に連れて行ってあげるから……今日のところはこれで勘弁してくれよな……。


 左肩に彼女の体温を感じながら、コトンコトンと刻まれる電車の揺れに誘われて、俺もいつの間にか眠りに落ちた。




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