§041 「(     )」

「それでは、全日本クラシック音楽コンクール・ヴァイオリンの部で見事に全国大会に進むことになった赤梨朱理あかなし あかりさんの壮行会を開催いたします」


 俺は体育館の壇上で全校生徒に向かってお辞儀をする赤梨を見つめていた。


 今日は赤梨が全日本クラシック音楽コンクールの本選を突破し、全国大会に出場することとなったため、急遽、学校を挙げての壮行会が開催されることになったのだ。

 そんなわけで、体育館には1年生から3年生のすべての生徒が集められ、これから赤梨がヴァイオリンの演奏を行うらしい。


 俺は音楽のことはさっぱりなので、全国大会に出場するということがどれだけすごいことなのかわからないが、おそらくかなりの快挙なのだろう。

 赤梨を紹介する教頭先生にも熱が入っている。


「本日はわたしなんかのために、このような会を開催していただき、誠にありがとうございます」


 深々と頭を下げた制服姿の赤梨は、ヴァイオリンを片手に全国大会についての抱負を語りだす。


 赤梨が昔からヴァイオリンを習っているというのは知っていたが、まさか全国大会に出場できるほどの実力者であるとは思ってもみなかった。


 ただ、壇上に堂々と立つ赤梨の姿を見たら、不思議と納得してしまった。

 壇上に立つ彼女は芸能人のようにキラキラと輝いており、いつも見ている小柄で愛くるしい笑顔を見せる赤梨とはまるで別人のようだった。

 表情こそにこやかではあるけど、そこにはヴァイオリンに真剣に向き合ってきた気迫のようなもの感じられた。


 そういえば、いま考えると赤梨がヴァイオリンを演奏しているところを一度も見たことがなかったな……。


 別にそういう機会がなかったと言ってしまえばそれまでなのだが、俺にとって特別な存在だった赤梨の演奏を初めて聞くのが他の生徒と同じタイミングというのは、少しだけ複雑な気分だった。


 そんなことを考えながら、俺は隣に座っている希沙良に一瞬目を向けると、希沙良も真剣な眼差しで赤梨のことを見つめていた。


 希沙良……どうしてこんなに真剣に……?

 やっぱり二人の間には何か因縁みたいなものがあるのだろうか……。

 

 最近の希沙良は時折いままで見せなかったような表情を見せるときがある。

 なんというか……少しぼーっとしているときや、逆に何かを思い詰めているような。

 彼女が悩みを抱えているのは明白だったが、希沙良からその悩みを打ち明けてくれるつもりはいまのところはなさそうだ。

 この前の真壁の一件のあとの帰り道でも……結局は何も話してくれなかったし。


 確かに俺はではあるが、そんな表情を浮かべた希沙良を見るのは正直ちょっとだけ辛かった。


「それでは、感謝の気持ちといたしまして、僭越ではございますが、演奏をさせていただきます」


 赤梨がマイクを片手に、会場を見渡す。


「今回、わたしが演奏する曲は、誰もが一度は耳にしたことがある曲だと思います。心を込めて演奏しますので最後までごゆっくりお楽しみください。…………『メンデルスゾーン・ヴァイオリン協奏曲』」


 赤梨の言葉に会場が拍手で応える。


 赤梨は刹那その様子を見守り、拍手がまばらになった頃合いを見計らって、ヴァイオリンを構える。

 そして、弦を上下に2、3度動かして、音を確認する。


 会場の視線が赤梨に集まり、体育館がしんと静まり返る。


 そこからの演奏はまさに圧巻だった。

 時間にしたら10分、いや、5分くらいの短い時間だったと思う。

 それでも赤梨が会場を魅了するには十分な時間だった。


 小柄な彼女が奏でる荘厳なハーモニー。

 音色の一つ一つが心地よく身体に染みわたり、感動によって心が満たされていくような不思議な感覚。

 誰もが演奏に釘付けになり、呼吸をするのも忘れて彼女が奏でる音色に聴き入っていた。

 壇上でまるで舞い踊るようにヴァイオリンを弾く赤梨は、なんというか……美しかった。


 会場がドッと沸いて、俺はハッと我に返った。

 それと同時に俺の視界には、曲の演奏を終えて安堵の表情を浮かべる赤梨の姿が写る。

 彼女には、会場から惜しみない拍手が送られていた。


 俺も無我夢中で、赤梨に拍手を送っていた。

 興奮からなのか腕に鳥肌が立っていることに気付く。


 いや……本当にすごかった。

 音楽の技術とかは俺にはわからないが、まさに心に訴えかけてくるような音楽だった。

 自分の語彙力の無さが悔しいぐらい、素晴らしい演奏だった。


 この演奏を赤梨が……。

 きっとこの演奏ができるようになるには、並大抵の努力ではないはずだ。

 これは赤梨が本気でヴァイオリンに打ち込んだ結果だろう。


「いや~、めちゃめちゃいい演奏だったな」


 俺は拍手をしながら、隣に座っている希沙良に声をかける。

 しかし、希沙良は拍手をしておらず、複雑そうな表情をして、壇上の赤梨を真っすぐに見つめていた。


「……希沙良? どうかしたか?」


 俺は希沙良のその態度に違和感を感じて、希沙良の顔を覗き込む。

 希沙良は俺の顔が視界に入って、我に返ったのか、ハッとした感じで首を横に振る。


「……ううん。別に何でもないよ。ちょっと考え事しちゃってて」


「考え事? あんまり顔色よくないけど大丈夫か?」


「あ、うん。実は昨日ちょっと寝つきが悪くてあんまり寝てないんだよね……」


「おいおい、保健室連れていくか?」


「体調が悪いわけじゃないから大丈夫。でも、今日はなんか疲れちゃったから早退しようかな」


 そう言って、力の無い笑顔を見せると、希沙良はふらりと立ち上がる。


「ちょ……待てよ。俺も付き添うよ」


「ううん、本当に心配しないで。壮行会もまだまだ続くし、未知人くんはここに残って? 私そんなに弱い子じゃないからさ」


 希沙良は俺にそう告げると、その足で担任の先生のところに早退を告げに行ったようだ。


 そんな中でも、会場は鳴りやまぬ歓声とアンコールが響き渡っていた。

 壇上の赤梨は少し困ったような顔をして、それを眺めている。


 そんな彼女の視線が不意にこちらに向けられて、俺と赤梨の視線がバッチリと合う。

 すると、彼女はこちらに向かって手を振り、何か口元を動かしている。

 俺に向かって何かを言ってるようだ。

 しかし、当然そんな言葉は聞き取れるはずもなく、赤梨の声は歓声の渦へと消えた。


 その後は、赤梨がアンコールに次ぐアンコールに精一杯応え、壮行会、もとい、演奏会は幕を閉じた。


「赤梨さんの演奏、神がかりすぎてていつまでも聴いてられる」

「可愛いしヴァイオリンもできるとか天使すぎるだろ」

「赤梨さん彼氏いるのかな?」

「お前抜け駆けするなよ。今度LINE聞いてみようかな」


 赤梨……。

 今回の演奏会ですっかり学校の人気者になっちゃったな。


 自分が昔好きだった人が芸能人のような扱いを受けていることに、不思議な高揚感を覚えつつ、教室に戻った。


 それにしても、赤梨はあの壇上で俺に何を言っていたのだろうか……。




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