§038 「私をお姫様のように扱いなさい」
真壁事件があった翌週の日曜日、俺と希沙良は電車に揺られていた。
急に希沙良が「海が見たい」と言い出したためだ。
「海なんていつでも見れるじゃないか」と説得はしたが、どうやらそういうことではないらしく、結局は日帰りで海を見ることができる『
広島県の尾道といえば、数多くの映画の舞台として選ばれるような超有名な観光スポットだ。
瀬戸内海に面している展望台からの景色はまさに絶景。
また、最近は『猫の街』としての人気も高く、『猫の細道』なるものもできているらしい。
もうすっかり『恋人のふり』に慣れてきた俺と希沙良は、俺たちらしくボックス席の窓際をそれぞれ陣取り、それぞれが見たいときに外の景色を見て、それぞれがしゃべりたいときに好きなことをしゃべった。
こういう関係性が俺はいつの間にか心底好きになっていた。
「ねえ……彼氏ならたまには私の服装を褒めたらどうなの?」
そう言われて、改めて彼女の服装に目をやる。
今日の彼女は旅行を意識してか、いつもよりカジュアルだ。
クラシカルなノースリーブワンピースに涼しげなヒールサンダルを合わせ、アクセントとなる麦わら帽子をかぶっている。
以前に一緒に買ったボストンタイプのメガネをかけているのがなんとなく嬉しく思える。
「すごく似合ってるよ。芸能人の休日ファッションって感じ」
「それなら第一声で言いなさいよ。私が言わせたみたいになってるじゃない」
窓の縁に肘をつきながら、不服そうに、でも少し恥ずかしそうに口を尖らせる。
「電車の中なのに帽子は取らないんだね」
「バカなの? これはファッション。帽子を取ったら人前で服を脱ぐのと一緒なの」
「帽子は取らなくていいから、そのワンピースを脱いでくれるというのも可」
「私、この下に何もつけてないから捕まっちゃうわ」
「えーっと、詳しい事情は署の方で聞かせてもらってもよろしいでしょうか」
「捕まるのは未知人くんよ。強制わいせつ罪」
「その響きはリアルに怖いからやめて」
大げさに脅えて見せる俺を見て彼女がくすくすと上品に笑う。
今日はどうやらエレガントモードの希沙良のようだ。
「そういえば、最近は私の前でラノベを読まなくなったわね? 今日は電車に長い時間乗ることがわかってるんだから絶対にラノベを持ってきてると思ったのに」
「全く読んでないわけじゃないけど、なんか最近は『恋人のふり』でいっぱいいっぱいというか」
「ふぅ~ん、初めてデートした時なんかは私の隙を見てはラノベを読もうとしてたくせに、人は変わるものなのね」
希沙良は少しいたずら心を含んだジトっとした視線を俺に投げかけてくる。
「いまはラノベで学んだ恋愛の知識を総動員して『恋人のふり』をどうにか成功させようと必死なんだよ。ラノベ知識のアウトプット期間っていうことさ」
「なるほどね~。じゃあ今日はさぞかし期待できる『大人のデートプラン』を用意してくれてるのよね?」
「あっ……ホテルはちゃんと予約してあるよ」
「帰るわ」
「冗談です。日帰り旅行ということで承っております」
「それで?」
「今日は時間の兼ね合いもありますので、到着し次第昼食を食べ、『猫の細道』を楽しんだ後、ロープウェイで展望台のある公園に昇るというのはいかがでしょう」
「ふむ。苦しゅうない」
「お気に召されたようで光栄の極みでございます」
「で、海は?」
「げっ」
「海は?」
「展望公園から臨む海はまさに絶景でございます」
「私は足をちゃぷちゃぷするような海岸をイメージしてたのだけど」
「恐れながら、希沙良様の本日のお召し物では、足元が濡れてしまうおそれが」
「まあいいわ。あと希沙良ちゃんいいこと思い付いちゃった」
「いいこと?」
「このやり取りが気に入ったわ。今日1日は私をお姫様のように扱いなさい」
「いや……いつもじゃん」
「返事が聞こえないわ」
「仰せのままに」
「苦しゅうない。良きに計らえ」
そう言って満足そうに車窓から外を眺める希沙良。
あれ……なんとなくノリでこんな感じのやり取りしてたけど、マジでこれを今日1日やるの?
そんなに語彙力ないんだけど……。
果たしてこの旅はどうなるのか……。
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