§029 「『恋人のふり』をするってことでいいのかな?」
俺たちは、普段なら乗り込むはずの広島電鉄の線路を越えて、人気はない公園に来ていた。
ブランコとベンチしかない住宅街にひっそりと佇む公園。
そこで更科はブランコに揺られ、俺はブランコを囲うレール柵に腰を落としていた。
彼女の座るブランコはキーコキーコと拙い旋律を奏でている。
「なあ更科……勝手なことして悪かったよ。そんなに怒るなよ」
「…………」
「あの時は更科を守らなければの一心で。俺にはあの方法しか思い浮かばなかったんだ」
「…………」
さっきからずっとこの調子だ。
更科はよほど怒っているのか、帰り道はずっと無言を貫いたままだ。
彼女の方から「一緒に帰ろう」と誘ってきたので、それなりのことを言われるのは覚悟の上だったが、この調子だとさすがにお手上げだ。
俺は途方に暮れて、夕映えの空を仰ぐ。
「怒ってなんかないよ……」
更科がブランコを止めて、静かに口を開く。
「……うん?」
「怒ってなんかないよ。未知人くんが私のこと助けてくれて……その……なんていうか……すごく嬉しかったの。あまりにも嬉しかったものだから、何を話していいのかわからなくなっちゃって……」
それはとても更科らしくない言葉だった。
俺は思わず更科に目を向けるが、俯き加減の彼女の表情は読み取れない。
「あんなやり方しか思いつかなくてごめんな」
「ううん。本当にありがとう」
更科は俺の言葉に首を振りつつ、しっとりとした声を返してくる。
「そういう恥ずかしいことをサラッというなよ。また、更科らしくなくなってるぞ」
俺は自分の顔が紅潮するのがわかって、とっさに顔を逸らす。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、更科がポツリと言う。
「最近思うの。こっちが『本当』の私で、あの強気で、生意気で、自分勝手な私が『偽物』の私なんじゃないかって」
「おいおい、あんまり自分を美化するなよ。お前はどこまでいっても強気で生意気で自分勝手だけどたまにしおらしい更科だよ」
彼女は顔を上げて、ふふっと笑う。
いたずらっぽい笑みはいつもの更科だ。
「ねえ、未知人くん。さっきのあれは『恋人のふり』をするってことでいいのかな?」
更科はわざとらしいくらいに潤んだ瞳を俺に向けてくる。
恋人のふり……か。
正直、あのときは無我夢中で先のことについては考えていなかった。
ただ、更科を助けたい一心だったから。
でも、確かにクラスで大見得を切ってしまった以上は、俺が『彼氏役』になって男どもの抑止力にならなければ更科にまたどんな危険が及ぶかわからない。
「少なくともこの一件が落ち着くまではそうした方がいいと思う。更科が嫌じゃなければの話だけど」
「……そっか」
更科は表情を変えないまま、数回瞬きをして俺の目を真っすぐに見つめる。
刹那の沈黙の後、更科が続ける。
「私は嫌じゃないけど、未知人くんに迷惑をかけちゃってる気がして。全部私のせいなのに」
「更科だけのせいじゃないだろ。黒板には俺の名前も書かれてるんだから俺も当事者だ」
「それでもなんか心が押しつぶされそうで」
「教室で啖呵を切ったのは俺だ。その責任ぐらいは取らせてくれよ」
「でも……」
「それにほら、俺一応ヤンキー扱いだからさ。ボディーガードとしては悪くないと思うぞ。この赤髪もたまには役に立つものだな」
そう言って俺はハハハと笑い声を上げる。
そんな俺を弱々しく見つめていた彼女がブランコからふわりと立ち上がる。
「本当に迷惑じゃない?」
「ああ」
「今日みたいなことがあったら、また助けてくれる?」
「当たり前だろ」
「私のことちゃんと守ってくれる?」
「もちろん」
「後戻りできないよ?」
「わかってる」
俺の言葉を聞き終えると、ふぅ~と呼吸を整えるように目を瞑る彼女。
肌寒くなってきた風が公園を吹き抜け、彼女の絹のような髪の毛をさらさらと揺らす。
彼女はスッと目を開けると、その整った顔をこちらに向けて、こう言った。
「じゃあ私と付き合ってください」
俺と彼女の視線が交差する。
彼女の透き通るようなアーモンド形の瞳が、期待に揺れる。
「こちらこそよろしくお願いします」
俺は姿勢正しく頭を下げて、それに応じる。
うん……これでいい。
これはあくまで『恋人のふり』だ……。
俺と更科の間には『好き』の言葉は存在しなくていい……。
少しでも彼女の力になれるのなら……。
「あとね……」
頭の上で更科の声が聞こえる。
「今日の未知人くんは本物の王子様みたいでかっこよかったよ!」
顔を上げると、そこには夕陽に照らされてニッコリと微笑む彼女がいた。
王子様……か。
それを言うなら、いまのお前は世界のどのお姫様よりも輝いて見えるよ。
ホントに……自分の可愛さぐらいちゃんとコントロールしろよ。
さすがに反則だろ……その笑顔は。
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