§025 「お粥作るよ」

「未知人くん!」


「おっ……おう」


 教室に入るなり、更科はすぐに俺のところに駆け寄ってきた。

 いままでの更科ではありえない行動だったので、驚きのあまり素っ気ない返事になってしまった。


 国分の「更科はとっくにお前のこと『好き』なんじゃねーのか」という言葉がここになってボディブローのように地味に効いてきている。

 意識しないようにすると、逆に意識してしまうとはこのことなのだろう。

 俺はこの気恥ずかしい気持ちが悟られないように、努めて明るく更科に声をかける。


「いやー昨日はマジで散々だったな」


「うん……」


「あの後はちゃんと帰れたか?」


「うん……」


 ってあれ? 更科……いつもの勢いがないじゃん。

 いつもなら『子供扱いするな』とか言ってきそうなものだけど……。


「どうした? もしかして……体調悪いのか?」


「それは未知人くんでしょ!」


 更科は俺の言葉を聞くや否や、俺のことをキッと睨みつけ、人目もはばからずに大きな声をあげる。

 普段の彼女なら絶対に取らない行動だったので、俺は面食らってしまった。


「ちょ……ちょっと落ち着けよ。みんなにメッチャ見られてるから」

 

 俺は慌てて更科をなだめる。

 クラスを見渡すと更科の異変に気付いて、こちらの様子を窺ってるやつらが何人かいる。

 俺はなんとか更科を落ち着かせようと彼女に目を移すと、彼女はいまにも泣き出しそうな顔をして唇をキュッと結んでいた。


「そんな真っ青な顔して誤魔化せると思わないでよ……」


「えっ……」


「私はそんなバカでも鈍感でもないよ。体調悪いならちゃんと言ってほしかった」


「あっ……いやこれは」


「ごめん。完全に私のせいだ……」


 彼女は振り絞るように、いまにも消えてしまいそうな声を出す。


 ああ、体調悪いのやっぱり隠し通せなかったか。

 正直なところ、さっきから悪寒がやばいし、熱も上がってきてるんだろうなと思ってはいたけど……。

 それにやっぱり更科はこういうのに責任を感じてしまうタイプだったか。

 そこは予想どおりではあったんだけど、これは無理して登校してきたのが裏目に出てしまった感じだな。

 俺の身体もうちょっと頑張れよ。

 女の子にこんな顔させるなよ。


「いや全然更科のせいじゃねーから。あれは俺が勝手にやったことだし」


「でも……」


「元気出せって。そんな更科を見てたらこっちも気分が沈んでくるよ」


「じゃあさ……」


「……うん?」


「……私に何かできることない? 私にできることなら何でもやるよ。それくらいの罪滅ぼしはしたい」


 俺は唐突な更科の提案に少々面食らってしまった。

 いきなりできることって言われても……こんな状態の更科の弱みにつけこんで何かをさせるわけにもいかないし……。


 しかし、更科は懇願するような視線で俺のことを見つめてくる。

 更科って一度言い出したら聞かないんだよな……。

 さて、お得意の軽口でも言って、この重苦しい空気を吹き飛ばすしかないか。


「風邪といったらやっぱり……」


「やっぱり……?」


「『お粥イベント』だよな!」


「お粥……?」


『お粥イベント』とは、女の子が風邪を引いた男にお粥を振る舞うというラノベなどでよくあるイベントの1つだ。

 まずもって女の子が看病してくれるというだけで全国のオタク男子は泣いて喜ぶところを、さらに女の子お手製のお粥付き。

 極めつけに「食べさせてあげるからね。はい、あ~ん」とかなったら、悶絶すること間違いなしだ。

 これはもう男の憧れと言っても過言ではないだろう。


 しかし、どうやら更科はピンと来てないようで複雑な顔をして首を傾げている。

 まあそれもそのはずだ。

『お粥イベント』はラノベやアニメでは定番中の定番と言えるが、現実でそんなイベントが発生するかといえば答えは『NO』だ。

 まず女の子が男の家に上がり込むこと自体ハードルが高い。

 それに加えて、男の家で自由に台所を使えるシチュエーションでなければならない。

 ラノベとかではなぜか主人公が一人暮らしをしていることが多いが、現実の高校生で一人暮らしをしているやつなんてごく稀だろう。少なくとも俺はそんなやつに会ったことはない。


 すなわち、『お粥イベント』は実現可能性の極めて低いオタクの妄想上の産物なのだ。

 いくら責任感の強い更科といえども、これだけ無理難題をふっかければ「そんなのできるわけないでしょ!」と笑ってくれるはず。


「……お粥作るよ」


「はい?」


「未知人くんがそれで喜んでくれるなら……お粥作るよ」


「え? え? ちょっと待てよ更科」


 更科の予想外の返答にテンパりまくる俺。


「私こう見えても料理得意だし、多分美味しく作れると思う。ネギと生姜を入れれば身体も温まるし卵で栄養も摂れる。隠し味でお味噌を入れてもいいかもしれない……(ぶつぶつ)……」


 真剣な表情でお粥に入れる食材を反芻する更科。

 いまにもスーパーに食材を買いに行ってしまいそうな勢いだ。


 あれ? これやっちゃったパターンじゃね。


「いや……ごめん冗談のつもりだったんだけど」


「は?」


「だって、うちにはオカンいるし」


「はぁ?」


 更科はすぐさま状況を理解したようで、いままで俺に向けられていた心配の表情はすぅっと消え、今にも右手が飛んできそうなほどの怒りの表情に変わる。

 俺のことをこれでもかと睨みつける更科の肩はわなわなと震え、耳はいまにも火が噴き出しそうなほどに真っ赤に染まっている。


「あの……えっと……ここは今一度、ラノベの主人公に一人暮らしが多すぎることについて議論した方がいいと思うんだが」


「あんたさぁ……」


 俺の必死の抵抗も虚しく、氷点下まで落ちた更科の声が教室内にこだまする。


「はいぃぃ! なんでしょう……」


「私の慈悲をあんなわかりづらい冗談で返すなんて、覚悟できてるんでしょうね……」


「いや、ちょっと待て更科。俺は病人だぞ」


「病人ならさっさとこの場から消えなさいッ!」


 ビシッと廊下を指さす更科。


「はいっ! 仰せのままにっ!」


 そうして俺は、1限を迎えずにして、家に強制送還されることになった。


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