§024 「それを実行できてないお前は『0点』だ」

「うぅ……体調わりー」


 俺はとめどなく流れ続ける鼻水をすすり、喉の痛みを少しでも和らげようと、コホコホと咳払いをする。

 さっきから背筋がぞくぞくするし、頭もぼーっとする。

 これは本格的に風邪っぽいな。


「おいおい大丈夫かよ。顔真っ青だぞ」


 朝の登校時間が一緒になった国分が俺の顔を心配そうに覗き込む。

 まさか、こいつに心配される日が来るとは。


「あんまり心配しないでくれ。今日も雨を降らす気か……」


「バカか。風邪がオレにうつるのを心配したんだよ」


「ああ、それでこそ国分だよ」


 俺は渇いた笑い声を上げる。


「冗談はさておき、さすがに学校休んだ方がいいんじゃねーのか?」


「もうここまで来たら行くよ。とりあえず今日を乗り切れば明日は休みだし」


「更科に心配かけないように登校するとか英国紳士すぎるだろ」


 国分はすべてを見透かしたような目で俺を見つめニヤッと笑う。


「別にそういうのじゃねーから」


 俺はそう言って国分の言い分を否定しつつもご名答だ。

 さすがに雨でずぶ濡れになった翌日に学校を休むわけにはいかなかった。

 別に風邪を引いたのは更科のせいではないが彼女のことだ。

 きっと責任を感じてしまうだろう。

 本当にこいつは何でもお見通しってわけだな。


「そんなの2人で相合傘して帰ればよかったじゃねーか。風邪引いてまで1人で帰る必要あったのか?」


 国分は首をひねりながら俺のことを一瞥する。


「お前の言うことは正論すぎるんだよ。こっちにもいろんな事情があったんだよ」


「どんな事情だよ」


「ほら、雨のせいでいろいろ透けちゃって見えてはいけないものが見えちゃってたりとかさ」


「なるほど。それでお前は股間を見られないようにするので必死だったと?」


「バカ。そういうのじゃねーよ。さすがに気まずすぎるだろ。それに……どっかのラノベに書いてあったけど、ああいうときはさっと上着を渡して男は立ち去るっていうのがセオリーらしいぞ」


「お前の『恋愛』はマジでラノベ基準なんだな」


「恋愛じゃねーよ」


 俺は国分の言葉につい語気を強めてしまった。

 その反応を見た国分はハァとため息をつく。


「これが恋愛じゃなくて何が恋愛なんだよ?」


「いや……俺は昨日あった出来事を話しただけだし」


 国分は今度はわざとらしくため息をついた後、こう続ける。


「お前は本当にバカだな。お前が更科に言った台詞覚えてるか?」


「……俺の言った台詞?」


「『好きという気持ちは相手のことをたくさんたくさん考えた結果』とかいう、どこかのミュージシャンしか吐かないような台詞だよ」


 ああ、更科と初めて一緒に帰ったときの台詞か……。

 確かにあのときは俺の過去の恋愛と重ねてそんなことを言ってたか……。


「っていうかなんでそんな一言一句覚えてるんだよ」


 俺はあぁ~寒いと身震いする国分をこれでもかと睨みつける。


「いやさ……確かにオレも未知人の考え方はそれなりに筋の通った話だと思うよ。点数をつけるなら『80』点くらいかな。でもな……」


 そう言って国分は俺の目を真っすぐに見つめる。

 

「未知人、それを実行できていないお前は『0点』だ」


「……『0点』だと?」


 食い気味の俺に対して、国分がビシッと制してくる。


「さて、質問。お前は更科に対する自分の気持ちを真剣に考えたか?」


「うぅ……」


「じゃあ逆にお前に対する更科の気持ちを考えたことがあるか?」


「うぅ……」


「なぜ考えなかった?」


 国分の追及は止まらず、逃がしはしないという真剣な眼差しが俺に向けられる。


「だって更科は“クラスのアイドル”で俺はただの“ぼっちヤンキー”だ。恋愛関係になんてなるわけないじゃないか」


「じゃあ恋愛関係になる可能性はゼロなので、考える必要はありませんってことか?」


「…………」


「あれだけ一緒にいて特別な感情が芽生えないわけがないだろ。オレが聞いてる限りだとお前と更科はお前のいう“きっかけ”とやらを完全に超えてるぜ」


「…………」


「まあ、これはオレが口を出すことではないかもしれないけど、聞いてる限りだと更科はとっくにお前のこと『好き』なんじゃねーのか?」


「……いやさすがにそれは飛躍しすぎだろ。この前『あなたのこと好きじゃない』ってきっぱりと言われてるし」


「その言葉の真偽を含めて考えることが大事なんだろ。それに……案外と更科が『好き』って感情に気付いていないこともあると思うぞ」


 更科が俺のことを……?

 そういえば、そんな風に考えたことはなかったかもしれない。

 そんなことはあり得ないと、どこか自分で線を引いてしまっているところはあった。

 いや、もちろん今でもあり得ないと思ってる。

 むしろ、ラノベとかでよくある「はぁ~?私があんたなんか好きになるわけないじゃん」、「ちょっと優しくしただけで勘違いするとかどれだけ脳内お花畑なの」という可能性の方が高い気がする。

 なんか更科がその台詞言ってるの想像できるし。


 それでも……それでもだ。

 俺は更科に偉そうな能書きを垂れておいて、結局は何も実践できてなかったんだな……。

 『好き』という気持ちは相手のことをたくさんたくさん考えた結果か……。


「どうだ? 少しはお前の背中を押すことができたか?」


 国分は頭の後ろで手を組み、俺に視線を向ける。

 

「サンキューな国分。やっぱお前はすごいやつだわ」


「まあ、もしまた相談があったら何でも言ってくれ。こんなチャラチャラしてても一応“何でも知ってる国分さん”だからな」


 そう言って国分はハハハと高笑いをする。

 そして、ふぅと一息つくと、今度は話題を変えるかのようにコホンと咳払いをする。


「さて、ここまでは未知人の“友達”としての国分だったが、ここからは“情報屋”としての国分だ」


「おお! 今日は何の情報だ? グラビアか? 芸能人のゴシップか?」


「ば~か。更科のことだよ」


 国分は一度言葉を切り、今までよりも真面目な口調で話し出す。


「実は未知人から聞いた赤梨の話がちょっと気になっちまって、更科の中学時代のことを軽く調べてみたんだよ。そうしたら面白いことがわかったんだ」


「面白いこと?」


 俺はゴクリと唾を飲み込む。

 国分は俺の表情を伺いつつ話し出す。


「中学時代、更科は裏で『サキュバス』と言われてたらしい」


「さ……きゅばす……?」


「なんだよ。オタクのくせにサキュバスも知らねーのかよ。サキュバスっていうのは別名『淫魔』や『夢魔』と言って、その美しい容姿で男を魅了して精力を吸い尽くす悪魔のことだよ」


「サキュバス……なんかよくわからないけどそれって悪口だよな? それが面白い話か?」


 俺は少しムッとして国分を睨みつける。

 それに対して、国分は俺をなだめるようにドードーとジェスチャーをしてみせる。


「どうやらを境に『サキュバス』と呼ばれるようになったみたいなんだ。まあ更科は今と変わらずモテたんだろうから、何かをきっかけに女子の恨みでも買ったんだろうと予想はつくが。それにこの話には続きがある」


 そう言って国分はスラリと人差し指を立てる。


「更科が『サキュバス』と呼ばれるようになった時期とほぼ同時に、更科は別の中学校に転校している」


 更科が転校……?

 そんな話は初めて聞いたな。

 赤梨と同じ中学校出身だっていうから、当然のようにその中学校を卒業したものだと思い込んでいたけど。

 しかも『サキュバス』と呼ばれるようになった時期とほぼ同時ということは……女子からのいじめか何かか……?


「転校の原因は何だったんだ……?」


 俺は純粋な疑問を投げかけたが、国分は俺の質問に少し困った表情を見せる。


「うぅ~ん、ここからは有料情報なんだけど……聞くか? 今なら昼飯3日分にオマケしておくけど」


 この一言に俺は逡巡した。

 別に昼飯3日分が惜しかったというわけではない。


 更科の過去……これを聞けばきっと赤梨との関係も明らかになっていくと思う。

 実のところずっと気になっていた話だ。

 本来であれば聞きたくて聞きたくて仕方ない情報のはずなのだが……。


「いや……やっぱやめとくわ」


 俺はゆっくりと首を横に振る。


「なんかここまで踏み込んだ話になってくると無責任に聞くことにはさすがに抵抗があるわ。更科だって自分がいないところでこんなやり取りがされてたら気分がよくないだろうし。もし俺がどうしても真実を知りたいなら直接本人に聞けばいいだけの話だ」


 俺が「悪いな」と言って謝罪を述べる。

 すると国分はまるで俺の答えを事前に知っていたかのようにゆっくりと頷く。


「まあ未知人ならそう言うと思ったよ。それに未知人が謝ることじゃねーよ。これはあくまでオレが興味本位で調べただけだ」


 そう言って国分は俺の肩に手を乗せる。


「まあさっきも言ったけど“情報屋”じゃなくて“友達”としてのオレでよければいつでも相談に乗るからな。困ったときはお互い様ってことでな」


 国分はニカっと笑う。

 こいつはつくづくいい奴だなと心から思う。

 今回だって俺が罪悪感を抱かないように、話の核心部分だけは「有料情報だ」とか言って俺に気を遣ってくれて……。


「そうだっ!」


 国分が何かを思い出したように突然声を上げて立ち止まる。


「どうした? 何か忘れ物か?」


「いやさ……早速困ったときはお互い様って話なんだけど、実はお前にしか頼めないことがあるんだよ。ちょっと真剣に聞いてくれるか?」


 そう言って急に神妙な面持ちになる国分。

 俺は国分から放たれる只ならぬ気配に躊躇しつつも、首を縦に振る。


「ああ、何でも聞くよ。困ったときはお互い様だからな」


「ありがとう。やはり持つべきものは友達だな。じゃあ遠慮なく」


「………」


「………」


「………」


「更科のブラの色を教えてくれ!」


 その後、国分の行方を知る者は誰もいなかった。


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