§018 「普通であって普通ではないんだよ」

「髪切ってくれるとかマジで助かるわ」


 俺はなぜか更科に家庭科室に呼び出されていた。

 何をされるのかとビクビクしていたが、どうやら俺の髪を切ってくれるらしい。


 クラスメイトに髪を切ってもらうのはいささか抵抗があったが、今月は小遣いがキツくて美容院にも行けてなかったし、背に腹は代えられないので渋々承諾した。

 さすがの更科でもそのハサミでいきなり頸動脈ザクリはないだろう。


 俺を待ち構えていた更科は、温かい日が続いていることもあり、いつも着ているキャメル色のカーディガンを腰に巻いていた。

 この時期のワイシャツ姿は目新しく、つい自己主張の強い部分に視線をもっていかれそうになるが、そこはどうにか耐えて、彼女に目を向ける。

 最近はあまり意識しなくなっていたが、改めて見ると、彼女はでたらめな可愛さを誇っていた。

 魅惑的なほどにスラリと伸びた足は女性らしさを一層際立たせ、愛くるしいほどに整ったアーモンド形の瞳は女の子らしさを一層引き立てている。

 まさに学年のアイドルに相応しい完成された“美少女”だった。


「前から気になって仕方なかったんだよね、未知人くんのその髪型」


 そう言ってニコリを微笑む更科は、「ささ、座って」と俺を散髪台代わりの椅子へと誘導する。


「そんなに変か? 俺の髪型」


 俺は前髪をくるくるといじって見せる。


「いや……変ってわけじゃないけど、なんか前時代的というか、昔のヤンキーというか」


「俺はヤンキーじゃない」


「単純に私がヤンキーみたいな雰囲気があんまり好きじゃないだけかもしれないけど。まあ、今風の髪型にすればもう少しマシになるよって意味だと思って」


 マシになるって……現時点ではマイナスって意味じゃん。

 確かにファッションとかそういうのは疎い方だけど、更科みたいなセンスありまくりのやつに面と向かって言われるとさすがに傷付くな。

 俺は更科にビニールを巻いてもらいながら、ハァとため息をつく。


「ほら、柄にもなく落ち込んだりしないで。私がカッコイイ髪型にしてあげるって言ってるんだから黙って前を向いてなさい」


 そう言い終わらないうちに両頬をむぎゅっとされて無理やり正面に向けられる。


「それじゃあハサミいれちゃいますね~」


 そんな合図とともに旋律を刻むようにハサミがいれられる。


 チョキチョキチョキチョキ。

 シュシュシュシュ。


「ちょっと短めにしちゃうけど、私のセンスでいいかな?」


「お任せで」


「お任せいただきました~」


 彼女の軽やかな声が静かな家庭科室に響きわたり、非日常感が漂う。


 今更ながらこのシチュエーションはやばいんじゃないのかと思えてきた。

 クラスのアイドルに放課後の家庭科室で髪を切ってもらうというシチュエーション。


 そんなことを一度意識したものだから、真後ろから聞こえる彼女の吐息が気になって仕方なくなってしまった。


 頭皮に彼女の品やかな指が触れる。

 それはちょっとくすぐったく、実に繊細な指裁き。


 俺は意識すればするほどに募る恥ずかしさに、少し俯き加減になる。

 するととたんに「前向いてくださいね~」と顔をぐいと上に向けられる。

 『じゃんけんブルドッグ』のときもそうだったが、本当にこれは一体なんてラノベですか。


 確かに最近は更科との仲は悪くない。

 最初の頃抱いていた『かかわりたくない』という感情はいつしか消えてしまっていた。

 だからといって、果たして、普通の友達はこうやって髪を切ったりするものなのだろうか。

 俺はいまでも更科との距離感を掴めずにいた。


 それに正直なところ、この前赤梨の言っていた言葉が気がかりになっていた。

 俺の人生がめちゃくちゃになる、更科にもう近付くな。

 警告ともとれるこの言葉の意味を、俺はいまでも理解できていなかった。


「未知人くん……いま何考えてる?」


 俺は更科の声にハッとする。

 その声は、更科が時々醸し出す男を魅了するような妖艶なものではなく、聞きたいことを聞いているという純粋な質問に聞こえた。

 いつもなら「エッチなこと考えてるでしょ」とかからかってきそうなものだが、今日は全然そういう感じではない。

 俺はその変化にわずかな違和感を覚えた。


「更科、髪切るのうまいなと思って。そういうのやってたりしたのか?」


「私ってなんだかんだなんでもできるからね~」


 背後から彼女が得意げにふんと鼻を鳴らすのが聞こえてくる。


「それを自分で言わなきゃ魅力的なんだけどな」


「ふふ。これが私だもん。髪切るのはオシャレの研究してたらいつの間にか身についちゃった感じかな」


「なるほど。確かに更科の髪ってサラサラしてるし、セットとかめっちゃ時間かかってそう」


「人並には気を遣ってるかもね。未知人くんも髪は染めてるの? 綺麗な赤色」


「いや、これは地毛だよ。決して某海賊団の船長に憧れてるとかではない」


「え~某海賊団の船長みたいでかっこいいなと思ったのに」


「よし。いますぐ麦わら帽子を買いにいこう」


 彼女はおかしそうにくすくす笑っていた。

 笑っていたと思ったのだが、その笑い声は段々としぼんで寂しそうな声に変わる。


 あれ? 何か変なこと言ったかな。


「やっぱり未知人くんって変わってるよね」


「俺が変わってる?」


「そう」


「いやいや、普通だろ俺は」


 彼女が意図していることはわからないが、俺はおそらく平均の中の平均だ。

 特に変わってる要素なんてないと思うが。

 むしろ、それを言うなら更科こそ『スペシャル』という意味で変わってる言葉が似合うのではないか。

 俺がそんなことを考えていると、更科は何か思いを巡らせるように、規則的に動かしていたハサミを止める。


「未知人くんはね……普通であって普通ではないんだよ」


 だって、と言って更科は言葉を続ける。


「あなたは他の男の子みたいに私のことを好きになったりしないでしょ」

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