§017 「もう一度だけ言うね」
「そんなに悲しそうな顔しないでよ」
最初に口を開いたのは彼女だった。
「……いや。なんかごめん」
「ううん。わたしの方こそごめん」
「……赤梨」
「わかってるよ。今更図々しかったよね。こんな放課後の教室で誘惑するような態度取って……」
俺は何も言えなかった。
何か言葉を繋ごうと彼女に目を向けると、彼女はもう俺の方を見ておらず、ただひたすらに小雨が降りしきる空を眺めていた。
気まずい沈黙が流れる。
ここでも最初に口を開いたのは、やはり赤梨だった。
「これだけ時間が経ったらどんな気持ちでも冷めちゃうよね。あのとき、成瀬くんの気持ちに応えていたらと思うと……本当に悔しいよ」
そう言って、彼女は唇を噛みしめる。
そして、わざとらしく俺の方に向き直ると「それとも……」と切り返す。
「時間が経ったからではなく、新しい好きな子ができた……とか?」
赤梨はうっすらと笑みを浮かべ、探るような上目遣いで俺に問いかける。
俺は首を横に振る。
そして「そんな子いないよ」と答えようとすると、俺が口を開くよりも先に彼女が言葉を放つ。
「もしかして……希沙良ちゃん……かな?」
「……へ?」
俺は予想もしていなかった名前が挙がって、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「いやいや、ないないないない! なんで俺が更科のことを!」
俺は首をブルンブルン振って、全力で否定する。
「その必死な感じすご~く怪しいよ」
彼女が疑り深く目を細める。
「いや、ほんとにそれは誤解だから」
「だって最近仲良くない? 2人でいるところよく見かけるし」
「あれは無理矢理付き合わされているというかなんというか」
「教室でほっぺたをつまみ合ってるくせに?」
赤梨は口角を上げてかすかな笑みを浮かべるが、目が全然笑っていない。
それにね、と彼女が続ける。
「実は、この間、2人がショッピングモールで買い物してるところ見ちゃったんだ。ゲームセンターできゃっきゃしてぬいぐるみ取ってるところ。あれってデートでしょ?」
彼女はもう俺を逃してくれる気はないようだ。
俺に向けられる眼差しはどんどん鋭くなるし、もうネタは上がってるんだぜと言わんばかりの自信満々な態度だ。
「見てたのか?」
「たまたまね」
「たまたまゲーセン?」
「あっ……いま『こいつ週末に1人でゲーセンに行くような寂しい女なのか』とか思ったでしょ」
「思ってねえよ。どうせお前だって誰かと一緒に来てたんだろ?」
「その『誰か』を気にしてくれないんだ?」
俺は赤梨の不機嫌そうな一言に言葉を詰まらせる。
「こういうこと言うと、すごい性格悪い女みたいな感じだけどさ、希沙良ちゃんだけはやめておいた方がいいよ」
「なんかラブコメの負けヒロインみたいな発言になってるけど大丈夫か?」
「ちゃかさないで。わたしは真面目に言ってるの」
「じょ……冗談です。『希沙良ちゃん』ってお前と更科はどこかで面識あるのか?」
俺の問いかけに、一瞬表情を曇らせる彼女。
「友達だったよ……昔はね」
「昔は……?」
意味深な言葉に俺は思わず聞き返してしまった。
「言葉どおりの意味よ。今は違うってこと。希沙良ちゃんとはね……中学校が一緒だったの」
赤梨と更科の中学校が同じだったのは初耳だった。
そして、彼女の発言から、赤梨と更科の間で過去に何かあったことは明白だった。
おそらく赤梨は更科のことを快く思っていないのだろう。
果たして、俺はここに言及していいものなのだろうか。女の子のケンカってドロドロしてるっていうし……。
俺は刹那、逡巡したが、意を決して聞いてみることにした。
「更科との間で何かあったのか?」
俺の問いかけに対して、押し黙る赤梨。
「希沙良ちゃんから何も聞いていないんだね……」
そう言った彼女は、憐憫の表情を浮かべて窓際に歩み寄る。
俺は赤梨の言葉の意味が理解できなかった。
更科は俺に何かを隠してるのか……?
俺の反応を見て、赤梨が納得したかのようにコクリと頷く。
「それならわたしの口から話すわけにはいかないかな。これは……わたしが希沙良ちゃんと交わした最後の約束だから……元親友として……希沙良ちゃんの苦悩はわかってあげてるつもりだし」
そう言って、赤梨は黒雲の天を仰ぐ。
どうしても……二人の間で何が起こったかは教えてくれないようだ。
ただ、俺にはもう一つ気になっていることがあった。
「二人の間で何かがあったことはわかった。でもどうしてそれが俺と更科がかかわっちゃいけないことにつながるんだ?」
俺の言葉を聞いた途端、赤梨がグイっとこちらに向き直る。
どうやら俺は聞いてはいけないことを聞いてしまったみたいだ。
赤梨の目には涙が溢れ、歪んだ表情は悲しみに満たされていた。
「成瀬くんの人生がめちゃくちゃになっちゃうからだよ……」
彼女は今にも泣きだしそうな表情で叫ぶ。
「いくら大好きな……大好きだった希沙良ちゃんでもね……わたしだって看過できないことはあるんだよっ!」
彼女のあまりの剣幕に次の言葉が出てこなかった。
俺が驚きのあまり身動きが取れずにいると、彼女がコツコツと音を鳴らして、俺のもとに歩み寄ってきた。
そして、今にもくっつきそうな距離で俺の顔を覗き込む赤梨。
「もう一度確認するけど、成瀬くんは本当に希沙良ちゃんのことを好きじゃないんだよね?」
彼女は俺の目を真っすぐに見つめる。
「ああ……好きじゃないよ」
俺は彼女を真っすぐ見つめ返して答える。
これは俺の本心だ。
別に赤梨に気を遣ったりとか、照れ隠しで言っているわけじゃない。
確かに最近は更科について考えさせられることが多くなったことは認める。
でも、それは好きとは違うんだ。
この気持ちの名前を知らないが、俺はもうそんな簡単に人を好きになることはない。
「わかったよ。わたしは成瀬くんの言葉を信じる。だからさ……成瀬くんもわたしの言葉を信じてほしい。成瀬くんが希沙良ちゃんを『好き』になってしまったら……もう取返しがつかないから」
そこまで言い終わると、赤梨はふぅとため息をついて、教室の扉に向かって歩き出した。
そして、扉の前まで来ると、半身だけこちらに向き直る。
「もう一度だけ言うね。希沙良ちゃんにはもう近付かないで。いまはもしかしたら理解できないかもしれないけど、わたしは成瀬くんのためを思ってこう言ってるんだから」
そこまで言い終わると、赤梨は俺に完全に背を向ける。
「わたし……成瀬くんを守るためなら悪魔にだってなれるから……」
赤梨は最後にそう言い残すと、扉を開けて教室を出て行った。
薄暗い教室に彼女が走り去る靴の音が虚しく響き渡る。
俺は赤梨の言葉を反芻する。
俺が更科と一緒にいると人生めちゃくちゃになる……?
俺が更科を好きになってしまったらもう取返しがつかない……?
もうわからないことだらけで途方に暮れるほかなかった。
それに…………最後に見せた赤梨の表情がどうしても頭から離れなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます