第2章
§016 「あの日からわたしの時間は止まってしまったの」
ゴールデンウイークが明けた日の放課後。
俺は突然降り出した雨で帰ることができずに、教室からぼーっと外を眺めていた。
こうやって放課後の教室に佇んでいると、更科と最初に話した日を思い出す。
あの日も校舎内はこんな感じに静まりかえっていたっけ。
もうあれから1カ月近くが経つのか……。
ショッピングモールでのデート以降も、更科からは学校の内外問わず、幾度となく話しかけられ、幾度となく連れ出され、挙句の果てにLINEの交換までしてしまった。
いまでは更科と一緒にいることが普通に感じられるくらいだ。
でも、俺の心の中のモヤモヤは日に日に増すばかりだった。
俺と更科はどういう関係性なのか、俺は更科をどう思っているのか、更科は俺に何を求めているのか……。
いまだに整理できずにいる自分がいた。
そんなことを考えながら放課後の余韻に浸っていると、ガラリと教室の扉が開いた。
突然の音に思わず扉の方に目を向けると、そこには更科希沙良……ではない女の子が立っていた。
俺とその女の子の目がバッチリと合う。
「成瀬くん……久しぶり」
彼女は俺の目を真っすぐに見つめて、開口一番でそう言った。
その落ち着き払った言葉と態度が、彼女が偶然教室に来たのではないことを物語っていた。
「赤梨……か」
彼女の名前は、
肩にかかるぐらいの亜麻色の髪と小柄な見た目が特徴的な何とも愛らしい女の子だ。
俺と赤梨は1年生のときは同じクラスで、国分も含めて一緒に遊びに行く仲だった。
しかし、あることをキッカケにすっかり疎遠になってしまっていた。
俺と赤梨が会話をするのは実に半年ぶりのことだった。
「いきなりすぎてびっくりしたよね。よかったらちょっと話さない?」
赤梨は後ろ手でそっと扉を閉めると、静かにこちらに歩みよってくる。
表情からは今後の展開はうかがい知れないが、俺にとってプラスの状況でないことは確かだ。
だって……俺と赤梨の関係はあの時、終わってしまったのだから。
なんとなく空気が重たくなるのを感じた俺は、とりあえず、赤梨の様子を窺うために軽口から入ってみることにする。
「この展開ってもしかしてこれから告白されちゃうやつか?」
赤梨はハァとわざとらしくため息をつく。
「なんでそういう気まずくなること言うかな~。あまりにも久々すぎて、わたしも距離感を掴みかねてるのに」
赤梨は呆れた表情を見せた後、「でも」と言って続ける。
「放課後の薄暗い教室にふたりっきり……その可能性も十分あるよね?」
赤梨はそう言って、妖艶な笑みを浮かべながらクスっと笑う。
シリアスな方向に引き戻されそうになる流れを必死に抑え、俺は努めて軽口に徹する。
できれば赤梨とはそういう雰囲気になりたくなかった……。
「そんなイベントが用意されてるなら先に教えてくれよ。俺にも心の準備が必要なんだ」
「先に教えてたら告白の意味が無くなっちゃうでしょ」
髪を耳にかき上げた彼女は、少し目を細めてから、お上品にくすくすと笑う。
ああ……そういえば赤梨はこうやってコロコロと表情を変える子だったっけ……。
赤梨は実のところ、男どもからの人気はかなり高い。
派手なタイプではないが、少し幼さの残る容姿と女の子らしい身体つきが、男どもの好みのドンピシャリなのだ。
性格もいわゆる女の子という感じなので庇護欲をほどよく刺激してくる。
なんだかんだうちの学年は更科の独壇場になってしまっているため表立ってモテているわけじゃないが、1年生のときは、人知れず告白して撃沈しているやつを何人も見てきた。
なお、国分の情報網によれば、現在彼氏はいない模様。
「ねぇ……そろそろ本題に入っていい? このまま成瀬くんのノリに付き合ってたら日が暮れちゃうよ」
尚も笑顔を絶やさない赤梨だが、心なしか真剣な面持ちに変わる。
俺はその空気の変わり身にゴクリと唾を飲み込む。
「まずは成瀬くんに謝らなきゃね」
「謝るって……?」
俺は心当たりがなくて、思わず聞き返してしまった。
「ほら……」
赤梨は気まずそうに唇を噛み、視線を下に落とす。
「成瀬くんはせっかくわたしに嬉しい言葉を伝えてくれたのに……お返事ができてなかったから」
赤梨の言葉を聞いた瞬間、思い出したくなかった記憶がまるで走馬灯のように脳裏に流れ込んできた。
忘れようとしていた記憶、過去のことにしようとしていた記憶。
「あぁ……」
俺は言葉にならない声をあげる。
「成瀬くん……本当にごめんなさい」
赤梨は声を詰まらせつつも、俺に向かって深々と頭を下げる。
そして、伏し目がちに続ける。
「あの時わたしが逃げ出さなければよかったんだって何度も考えた。そうしたら成瀬くんも大怪我することはなかったし……『あの事件』なんて言われて学校で孤立することもなかった」
「…………」
「そう考えたら成瀬くんに会うのが怖くなっちゃって……また逃げ出して……お見舞いにも行けなくて……そうしたらますます会うのが気まずくなっちゃって……」
ついには嗚咽を漏らし始める赤梨。
「気にするなよ。赤梨は何も悪くない。全部俺の責任だ。あの頃の俺は『友情』と『愛情』の区別がついてなかったんだ」
「あの頃は……?」
赤梨は少し寂しそうな顔を見せる。
「わたしね……あれからたくさんたくさん考えたの。成瀬くんの言葉を、仕草を、表情を」
「…………」
「それでね……やっと心の整理がついた」
「…………」
「わたし……成瀬くんのことが好き」
この言葉を聞いた瞬間、心臓がトクンと跳ねるのがわかった。
同時に胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
「あの日、成瀬くんが伝えてくれた『好き』は本当に嬉しかった。でもね……あのときのわたしは成瀬くんのことを恋愛の対象として見ていなかった。だから……どうしていいかわからなくなっちゃって……ちゃんと成瀬くんの気持ちに向き合わずにあの場から逃げ出した」
彼女はそう言うと、俺から視線を切って窓の外を眺める。
「あの日からわたしの時間は止まってしまったの……」
「…………」
「成瀬くんに大怪我をさせてしまったから……」
「…………」
「成瀬くんの告白から逃げてしまったから……」
「…………」
「大好きだった人にも裏切られてしまったから……」
ほんの少しの沈黙。
時間にして数秒。
その数秒が俺にはすごく長く感じられた。
「……ねえ、成瀬くん」
彼女が意を決したようにそうつぶやく。
「あのときの告白はまだ有効?」
彼女の真っすぐな瞳が儚げに揺れていた。
俺は……彼女からの一言に……嬉しいはずだった一言に……答えを用意していなかった。
俺は無言のまま、ただ窓際に佇む彼女を見つめることしかできなかった。
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