§013 「買い物付き合ってくれない?」
日曜日の早朝、俺は非日常を楽しみながら読書に勤しんでいた。
非日常とはほかでもない。
それは、ここが広島市西区にオープンしたばかりの超大型複合施設内のカフェであるということだ。
今日は大ヒットライトノベル『黒髪ロングの正統派美少女が何かと理由をつけてヤンキーの俺に告白させようとしてくるのだが』、通称『黒ヤン』の最新刊の発売日なのだ。
『黒ヤン』は、古き良き正統派美少女の
なんと『黒ヤン』のシリーズ累計発行部数は1000万部を突破している。
俺はその新刊を早く読みたくて、家に帰る時間も惜しんで、こうやって書店に併設されているカフェに足を運んでいるわけだ。
なお、俺ぐらいのレベルになると『鑑賞用』、『保存用』、『布教用』の3冊を購入していることは、もはや説明の必要はないだろう。
俺はコーヒーを一口含み、『黒ヤン』のページをハラリとめくる。
くぅ~。ヒロインの麗亜たんが冗談みたいに可愛すぎる。
清楚で、華憐で、奥ゆかしくて、それでいて時たま見せる蒼士のことを落としにかかる仕草がもう反則級すぎる。
特にこの勉強をするときだけかけるメガネ姿が俺のツボに大ヒットだ。
これこそ本物の“美少女”というやつだろう。
こんな感じに、悶絶を繰り返しながらも、俺は『黒ヤン』を順調に読み進めていった。
だいたい3分の1ほど読み終えた頃だろうか。
店内もそろそろ混み合ってきたようで、隣の席に客がきた。
ここは長テーブルのような横長の席のため、隣に客が来ても別におかしくない。
むしろ、俺は1人で個別テーブルを陣取るのには、いささか抵抗があるので、この長テーブルに座ってるぐらいだ。
隣に人がいるくらいで俺のラノベ全集中の呼吸が破られることはない。
俺はチラリと隣に目をやり、テーブルに置いていた荷物を少しだけこちらに寄せて、邪魔にならないような配慮をする。
ふむ。隣に来たのは若い女性のようだが、別にどうでもいいことだ。
俺はラノベの中の“美少女”……
「じゃーん! 美少女参上!」
「へっ?」
聞き覚えのある声に思わず顔を上げると、そこにいたのは、休日に出会うはずのない更科希沙良だった。
「なっ……更科。どうしてここに」
俺は驚きのあまり反射的に読んでいたラノベを隠す。
「私が日曜日に買い物に来ちゃダメなわけ? 今日は欲しい洋服がセールだったから買いに来ただけよ」
彼女は、ふんと鼻を鳴らしながら、席に腰をおろす。
足元には洋服が大量に詰まった紙袋が置かれていた。
って座るのかよ!
ここはいま俺のプライベート空間だぞ。
俺がこの時間をどれだけ楽しみにしていたことか。
できれば今日はそっとしておいてくれないだろうか。
そう思いつつも、俺は彼女の服装に目を向ける。
薄水色のシースルーのブラウスに、ベージュ色の膝丈のフレアスカート。
スカートは、巻きスカートになっており、合わせの部分にボタンがあしらわれているのが、なんとも大人っぽい。
初めて見る更科の私服。
学校での更科の印象からなんとなく派手な私服を想像していたため、清楚な服装の更科につい目を奪われてしまった。
いや、これは……
控え目に言って可愛い。
いや、控えめに言わなくても可愛い。
そして、シースルーの透け感が絶妙にエロい。
「ちょっと何ぼーっとしてるのよ」
俺はハッと我に返ると、ジトっとした目でこちらを見ていた更科と目が合う。
「更科……『限りなく透明に近い水色』って知ってるか?」
「ん? 今読んでる小説のタイトルかなにか?」
ああ、本を読んでたのはバレてたわけね。
残念ながら、村上龍の小説ではない。
「自分の胸に聞いてみろ」
「は? 意味わからないんだけど」
そう言って、自分の胸に手を当てる更科。
すると、俺の言葉の意味を理解したようで、両腕でザっと胸元を隠す。
「バッカじゃないの? この服はこういうデザインなの! エッチな目で見るな!」
「じゃあ堂々としてればいいじゃないか。とてもよく似合ってるぞ、ぐへへ」
「やめて。笑い方がいやらしい」
くぅ~と悔しそうな顔を見せる更科がなんだかすごく愛おしく思えた。
だって、俺は変なこと言ってないも~ん。
そういうデザインの服を似合ってるって褒めてるだけだも~ん。
「そんなことよりさっきはな~にを隠したのかな? もしかしてエッチな本?」
更科は話題を変えるように俺に身を寄せると、左手に持っていたラノベを無理やり奪い取りにくる。
いや……マジでちょっと待て。
その服装で前かがみになられるのは、マジでいろいろ見えちゃいそうでヤバい。
シースルーのところから、限りなく透明に近い水色の紐見えてて、すでに想像力がかきたてられているところだったのに。
「3.14159265358979……」
「んっ? なにブツブツ言ってるの?」
「円周率を用いてフェルマーの最終定理を解けないか試してるんだよ」
「ふぅ~ん、キモイわね。円周率じゃフェルマーの最終定理は解けないし」
「うるせえよ。俺もいろいろ大変なんだよ」
このままの体勢だと俺の人権にすら危険が及ぶと判断したので、俺は渋々左手のラノベを差し出す。
「これは?」
美少女のイラストが描かれた本を物珍しそうにしげしげと見つめる更科。
「『黒髪ロングの正統派美少女が何かと理由をつけてヤンキーの俺に告白させようとしてくるのだが』ってラノベだよ。今日が最新刊の発売日だったから、そこの本屋に並んで買ってきたんだ」
「そのラノベってもしかして、主人公の名前は『成瀬』なんじゃない?」
「念のため訂正するが、俺はヤンキーではない」
「じゃあもしかしてヒロインは『更科』って名前かしら?」
「お前はいつから黒髪ロングになったんだよ」
「え~でも正統派美少女には違いないでしょ?」
「自信過剰にもほどがあるだろ。ヒロインは『麗亜』っていうメガネが似合う奥ゆかしい女の子だよ。お前とは全然違う」
「あん? 私が奥ゆかしくないってこと?」
更科が鋭い視線を俺に向けてくる。
「沈黙が答えとはよく言ったものだ」
「はぁ? それに私だってメガネ似合うし」
「誰に対抗意識燃やしてるんだよ。更科がメガネかけてるところなんて見たことないから知らねーよ」
その言葉を聞いて、更科はふぅ~んとまるでいたずらを思いついた子供のような無邪気な笑みを浮かべる。
「まあ、メガネの話は置いておくとして、未知人くんってそういうの読むんだね。なんかちょっと意外かも。ヤンキーだし」
「だから俺はヤンキーじゃない。確かに本とか読まなそうってよく言われるけど」
「それってあなたはバカそうですよって言われてるようなものだよ? わかってる?」
更科はかわいそうな少年を見つめるように、心底残念そうな表情を浮かべる。
「まあ、事実そんなに頭良くないし、確かに俺みたいなキャラがラノベなんかと思うときはあるよ」
「何かキッカケがあったの?」
キッカケか……。
不意の更科からの問いかけに、俺は一瞬、逡巡した。
なぜなら、この質問に答えるには、自ずと『あの事件』に触れなければならなくなるからだ。
俺が1年生の時に起こしてしまった『あの事件』。
いままで更科とやり取りをしてわかったことだが、どうやら更科は『あの事件』については知らないようだ。
ちょっと調べればわかることだし、別に嘘をついてまで隠そうとは思わない。
しかし、何となく彼女には『あの事件』のことを知られたくないと思っている自分がいた。
さて、どこまで説明したものか。
「実は俺、1年生のときに3カ月ばかり入院してたことがあるんだよ」
「入院って……どこか身体悪いの? 3カ月ってかなり長いけど」
更科は一瞬驚いた表情を見せ、それから途端に申し訳なさそうな顔をする。
「そんな変なこと聞いちゃってごめんみたいな顔やめろよ。余命幾ばくしかありませんとかそういうパターンじゃないから」
俺は出来るだけおちゃらけた雰囲気を出しながら、努めて明るく答える。
その反応に少し安堵したのか、表情に微笑みを取り戻す更科。
「ちょっと悪ふざけしてたら怪我しちゃっただけさ。いや~それにしても今考えるとあれが人生の分岐点だったな。あの入院生活でラノベに手を出さなければ、今の俺は存在しないわけだからな」
俺は冗談めかしてハハッと笑い声をあげる。
それに合わせるように、更科も冗談めかして、俺をからかうように質問を投げかけてくる。
「でも3カ月の怪我って相当じゃない? バイクで事故ったとかでしょ?」
「バイクの免許なんか持ってねーよ。俺はヤンキーじゃない」
「あ、わかった。自転車の二人乗りだ」
「二人乗りをしてくれる友達なんかいない。そして俺はヤンキーじゃない」
「煙草の火でやけどしたとか?」
「このやけどはチャーハン作ってるときのやつだ。繰り返しになるが、俺はヤンキーじゃない」
「じゃあ信号無視して車に轢かれたとか?」
「交通法規は守れってじっちゃんが言ってたわ。それにしつこいようだけど、俺はヤンキーじゃない」
「じゃあ他校のイケイケなリーゼントと金属バットで殴り合ったとか?」
「…………」
「ん?」
俺は一瞬返答に躊躇してしまった。
更科は俺の微妙な変化を見逃さず、不思議そうに首を傾げる。
さっきまでは嘘をついてまで隠す必要はないと思っていた。
話さなければならないのなら話してしまおうと。
しかし、冗談めかして俺に質問を投げかけてくる更科の笑顔を見ていたら、どうにもこの場で『あの事件』の話をする気にはなれなかった。
結局、俺は……
「んなわけねーだろ。俺はヤンキーじゃない」
俺はいままでと全く同じ反応を意識しつつ、いかにもそんなことあるわけないだろという雰囲気を出しながら笑ってみせる。
すると、更科は一瞬複雑な表情を浮かべたが、「そうだよね」と言って、さも可笑しそうに肩を揺らす。
その更科の笑みを見て、心がチクリと痛むのを感じた。
さすがにこのままこの話題を続けるとボロが出そうなので、どうにか話を逸らそうと別の話題を探していると、
「そうだ!」
と言って、更科は突然何かを思い立ったように立ち上がった。
「なっ……なんだよ突然」
俺は突然のことに困惑して、まじまじと更科を見つめる。
すると、更科はニコッと笑って、わざとらしく潤んだ瞳を俺に向けてくる。
「せっかくショッピングモール来てるんだからさ、いまから買い物付き合ってくれない?」
「……買い物?」
「うん。未知人くんに付き合ってほしいところがあるの……だめ?」
そう言って強調された胸の前で手を合わせ、上目遣いで俺を見つめてくる更科。
買い物か……あの憂いを帯びた目で「だめ?」と聞かれると、さすがに心がざわざわする。
しかし、今日の俺の目的はなんだ。
そうだ。圧倒的正統派美少女の“麗亜たん”とデートすることじゃないか。
さすがにこれ以上更科のペースに巻き込まれるわけにはいかない。
ここは男らしくきっぱりと断らせてもらおう。
「更科……今日は悪いんだけどラノベを読みたいんだ。買い物はまた今度にしてくれないか?」
そう言って、更科の反応を窺う。
すると更科は、俺の予想に反して、「もう……しょうがないな~」と言って眉をひそめる。
あれ……今日は聞き分けがいいんだな……?
そう思って安堵してしまったのが間違いだった。
次の瞬間、更科は俺からひょいとラノベを取り上げると、そのまま店の外に歩き出した。
「返してほしかったらついてきてね。未知人くん」
そう言って、いたずらな笑みを浮かべる更科。
「おっ……おい」
俺は突然の更科の行動に思考が追い付かず、一瞬その場で唖然としていた。
そして、ハッと我に返ると、その場には更科が大量に買い込んだ洋服が置きっぱになっていた。
あいつ……完全に俺に荷物持ちをやらせるつもりじゃねーか。
俺はハァとため息をつき、何の気なしに床に置かれた紙袋に目をやると、そこにはさっき更科が買ったのだろう下着が綺麗に包装されていた。
「…………」
俺はさっきよりも更に大きくハァァァとため息をついて覚悟を決めると、そそくさとコーヒーカップを片付けて更科の後を追った。
それにしても…………更科って本当に水色が好きなんだな。
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