§010 「美少女とお近づきになれるでしょう」

「手相占い、やってもいいぜ」


 私は快く手を差し出す彼に戸惑いを隠せなかった。


 もちろん、いままでこんなに苦労したのにこんなにあっさりと?という気持ちも少なからずあったと思う。

 でも、私の心の大部分を占めていたのは、さっきの『好き』という気持ちに対する彼の言葉だった。


 私は、刹那、逡巡していた。


 ねぇ……希沙良。本当にいいの。

 彼に能力を使って……。


 心の中の私が私に問いかけてくる。


 彼は悲鳴を聞いて駆けつけてくれた男の子だよ?

 迷い犬1匹を見殺しにできないような優しい人だよ?

 私のくだらない妄言にあんなにも真剣に答えてくれた初めての人だよ?


「ホントにいいの?」


 私は心の声をそのまま声に出してしまっていた。


「早死にしますとか結婚できませんとかそういうのはやめてくれよな」


 そうやってまたくだらないことを言う。


「……………………」


 私は何をためらっているんだ。


 犬から助けてくれたことだって私が「助けて」とお願いしたわけでもない。

 あれは彼が勝手にやったこと。

 『好き』のことだって私にとってみれば実現可能性のないただの戯言。


 そうだよ。今日の目的は彼を私に惚れさせることじゃないか。

 それなのに、何をいまさら……。


 今回もいつもと同じことをするだけ……。

 そう。男を虜にするのはいつものこと……。


 あーそれにしても今日は長かった……。

 彼の手に触れるだけなのに、どれだけ苦労をしたことか……。


 でも……やっと……。


 せめてもの慈悲として、今回は思いっきり時間をかけてギュッと握ってあげるからね。

 あとで私との時間を思い出して悶絶しなさい。


 私は意を決して彼の手に触れる。

 細身の彼だからもっとヒョロっとした手かと思ったけど、ちゃんと男の人のそれだとわかる手。

 それでいて、色は白く、指先はスッと長い。

 

 なによ、生意気。手だけなら10年に1人の逸材かも……。


 私はすべすべな彼の手を全体的に撫でながら、手相の線に沿って、指を這わせる。

 当然ながら、私は手相占いなんかできない。

 ただ、彼の手の感触を確かめるだけ。


 頭上で彼の息遣いが聞こえる……。

 想像していたよりも近い……。

 そうだよね。手を握ってるんだもんね……。


 なんか手からドクドクと脈の音が伝わってくるような感覚……。


 これが男の人の手……。

 いままで、たくさんの男の人の手に触れてきたけど、この感覚は忘れてたな……。

 私にも相手のことを想ってギュと手を握っていた時代があったっけ……。


 なんだろう……すごい不思議な感覚……。

 男の人の手って……こんなにも温かかったんだね……。


 もう少し……もう少しだけ……。


「更科…………?」


 私は彼の声でハッと我に返った。

 ずいぶん長く彼の手に触れていたようだ。


「あっ……えっと、なんだっけ?」


「何言ってんだよ。占いの結果は?」


 ああ……そうだった……。

 なんかぼーっとしてしまったけど、結果的にかなりの時間、彼に触れていた。

 これだけ触れていたなら、さすがにもう私のことを好きになっているはず。


 ……ふと、彼のことを考える。


 私の下着を見て顔を真っ赤にする彼。

 無駄に運動神経がよくて逃げ足の速い彼。

 私の悲鳴を聞いて駆けつけてくれた彼。

 妙に犬の扱いに慣れている彼。

 私のことを本気で怒ってくれた彼。

 それなのに最後は優しい言葉をかけてくれた彼。


 なんか思い描いてたのと全然違ったな……。

 なんというかその……今日はいつもと違ってちょっとだけ楽しかったかも……。


 もう次はないけれど、私のくだらない話をまた聞いてよね。

 ありがとう……未知人くん……。


 私は心の中で、頬をバシッと叩いて気合いを入れ直す。


「あーそうね。占いの結果よね……?」


「うん」


「え~っとね……」


「うんうん」


「“美少女とお近づきになれるでしょう”だって」


「美少女……」


「そうそう美少女だよ」


 私は、わざとらしく首を傾けてニコッとしてみる。

 どう? 目の前にいる美少女は? 悩殺されちゃうでしょ?


「美少女って具体的にどんな人のことを言ってるの?」


「は?」


「その美少女とはいつ出会えるの?」


「はぁ?」


「一応俺の美少女の定義は『バニーガール姿の先輩』なんだけど」


「はぁ――っ!?」


 この後、私の右手が火を噴いたことは言うまでもない。

 私は、道に倒れこむ彼を尻目に、家に向かって歩き出した。


 何なの彼は……。

 今回は、最初と比べ物にならない時間、比べ物にならない強さで、彼の手をギュッと握っていた。

 それでも、まだ私のことを好きになっていない。

 

 いままで、そんな男は一人だっていなかったのに。


 なにが「その美少女とはいつ出会えるの?」よ!

 なにが「バニーガール姿の先輩」よ!

 私のことは眼中にもないわけ!?

 もう容赦しないわよ……成瀬未知人っ!


 絶対あなたに「希沙良さんのことが好きです」って言わせてやるんだからッ!!

 「だいだいだいだい……大好きです」って言わせてやるんだからッ!!


 カツカツと鳴るローファーの音は、いつもよりも心なしか大きく響いていた。


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