§009 「なんでそんなに優しくするの……」

 私は黙り込む未知人くんを見て、ハッと我に返った。 


 なんで私はこんなことをこんな変態野郎に話してるんだろう……。

 どんなに答えを求めたって、私の期待する答えなんて返ってこないのに。 


 おそらく、いっときの気の迷いだったんだと思う。

 『能力』が効かない男の子なんて初めてだったから。

 能力が効かない男の子を疎ましく思う反面で、実は能力が効かない男の子に興味が湧いていたんだと思う。

 普通の男の子なら私の言葉を聞いてどういう反応をするのだろうって。

 その気持ちがちょっとだけ表に出ちゃったみたい……。

 

 でも、期待するだけ無駄だよね。

 私の期待する答えなんて、本当は存在しないんだから。


 どうせ返ってくるのは綺麗ごとを規則的に並べた定型句だけ。


 そう、私は彼に期待などしていない。

 もう私はすべてを諦めてるから……。


 そう思って、私は憐憫と慈愛に満ちた笑顔を彼に向ける。

 

 さあ、答えてみなさい……成瀬未知人……。

 普通の男の子なりの普通の意見を……。

 

「もしかしたら、更科の期待する答えじゃないかもしれないけど、俺はな……『好き』という気持ちは相手のことをたくさんたくさん考えた結果だと思うんだ」


 彼は私の気持ちを慮ってか、言葉を選ぶように慎重に話し出す。

 今回の彼の言葉にはもう怒気は含まれていなかった。


「考えた結果?」


 彼がいつになく真面目なトーンで話すものだから、私もつい釣られてそのまま聞き返してしまった。


「そう。人が『好き』と思うきっかけは様々だと思う。一目惚れであったり、ギュッと手を握られたときであったり、優しい声をかけられたときであったり。でも、これはまだ『好き』と思うにすぎない」


「きっかけ……」


 私は自分に問いかけるように、彼の言葉を復唱してみる。


「本当に大事なのはこのが芽生えたあと。気付いたらその人のことを目で追っていて。その人の仕草の1つ1つが気になっていて。その人のことがもっともっと知りたくなって。その人のことをたくさんたくさん考える。自分のことをどう思っているのだろうか、どうしたら自分に振り向いてくれるだろうか、他に好きな人がいるんじゃないだろうか、ってね。そして、いつの間にかその人のことで頭の中がいっぱいになっている。もう、その人のこと以外を考えられないくらいに。そうやって大事に大事に育てた感情が『本物の好き』という気持ちなんじゃないかと俺は思うよ」


 そこで、彼はふぅっと息を吸い込むと、私のことを真っすぐ見つめて、こう言った。


「つまり何が言いたいかと言うと、『好き』というのは特別な感情だ。怒りや悲しみや喜びとは違ってたくさんたくさん考えた上で導かれた大切な感情。だからさ……まずは相手の『好き』という気持ちをちゃんと受け止めてあげてほしい。その『好き』という気持ちを更科なりに考えてあげてほしい。そして……できればその気持ちに真っすぐに応えてあげてほしい。逃げたり、誤魔化したりせずに。そうすれば、どんな結果になろうと、相手もきっと納得してくれると思うから」


 そこまで言うと、彼は恥ずかしそうに私から目を逸らした。


 私は呆気にとられて、何も言えなかった。


 そっ……そんなこと……言われなくてもわかってる。

 『好き』という感情が特別なものだなんて、痛いほどわかっている。

 でも……『好き』という気持ちを考えるなんて……その気持ちに真っすぐ応えるなんて私にはできないんだよ……。


 私だって、心の底から『好き』と言える人がいれば、心の底から『好き』と言ってくれる人がいれば、その人の表情を思い出してドキドキして、その人の声を思い出してキュンキュンして、その人の匂いを思い出してニヤニヤする。


 私だって、もしそれが叶うなら……。


 私だって普通の恋愛ができるなら……。


 でもね……私にはもう無理なんだよ……。

 

 私に向けられる『好き』は『本物の好き』じゃないんだから。


「(そんなに簡単に言わないでよ……)」


 私にはもう彼に真正面からぶつかる気持ちは残っていなかった。

 彼に聞こえないぐらいの声で、本当に本当に小さな声で、こうつぶやくのがやっとだった。


「更科……俺はちょっとお前のこと誤解してたかもしれない。お前はてっきり順風満帆な人生を歩んできて、すべてが自分の思い通りになると思い上がってるやつだと思ってたから……こんなに悩んでるなんて少し意外だった」


 彼は気まずそうに、一度言葉を切る。


「実は俺も告白については軽いトラウマがあって、ついその時の自分と重ねて考えちまったんだ」


「…………」


「さっきは……その……怒鳴りつけるようなことして……悪かった」


 彼はバツの悪そうな表情を浮かべながらも、終始、私から目を逸らすことはなかった。


 なんであなたが謝るの……。

 悪魔みたいなことを言ってるのは私なのに……。

 もっと怒られて然るべきなのに……。


 なんでそんなに優しくするの……。


 ああ……こいつは……。

 まだ、話して間もないのに、私の心の中に土足で入ってきて、どうしてすべてを見透かしたようなことを言うんだ。

 こんな変態野郎に、私は何を振り回されてるんだ。


 私は彼を直視することができなかった。

 彼の目を見たら、涙がこぼれ落ちそうで。


 すると、俯いていた私の視界に色白な手がスッと現れる。


「なんか湿っぽくなっちゃったから、手相占いやってもいいぜ。その代わり、真壁にはちゃんと謝れよ」


 私が驚いて顔を上げると、そこには微笑みながら右手を差し出す彼の姿があった。


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