3.11『フルメタル・ジャケット』

 汽車は第六農業プラントに向かって早川門を出た。

 牽引する貨物コンテナは空っぽなため、その屋根に武装した免疫屋たちをのせているとはいえ、かなりの速度を出せる。

 途中で汽車に気がついたトロルと思わしき人影が追いかけてくることもあったが、距離を離されるだけで、あえなく免疫屋たちに撃ち殺されていた。


 バクバとツィリンは、一緒に汽車の鼻先のデッキに陣取っていた。


 汽車に駆け寄ってくる人が撃ち殺されているのを見て、バクバは思わず奥歯を噛み締めた。

 走行中の汽車から狙撃は難しく、ほとんど乱射だった。コンクリートすら穿うがつライフル弾を雨のように浴びて、体がボロ雑巾のように飛び散っていた。

 あまりにも雑過ぎる。

 携帯できる弾倉なんて四つくらいだろう。あんな乱射すれば、着く頃には弾がなくなってしまうだろう。まるで素人だ。


「トロルかどうかの確認は?」と、ツィリンがつぶやいた。


 ここの免疫屋たちはいきなり撃ち殺していた。

 助けを求める避難民とグール型の区別をどうやってつけているのか、僕にも分からない。銃声には彼らの笑い声や歓声がよく混じっていた。

 ふと『フルメタル・ジャケット』という映画を思い出す。

 軍隊に懐疑的なある兵士を主人公にしたベトナム戦争の映画で、監督は皮肉屋のキューブリックだ。

 ある日、主人公は相乗りしたヘリで、民間人を撃ち殺して楽しそうに笑う兵士に出会った。眼下には銃撃から逃げ惑う女と子どもが次々と殺されていた。

 主人公はその乱射する兵士に聞いた。

「女子供をよく殺せますね」

「簡単さ! 動きがのろいからな」

 まったく、戦争は地獄だな。


「……ケースバイケースさ」

「あんなのでいいの?」

「今は防壁の最中だ」


 肩から下げた短機関銃サブマシンガンを持ち上げて、射撃スイッチとか薬室の中を確認きた。壁から出る時、支給品の中にあったMP5という古い銃を持ってきた。拳銃用の小口径弾を使う銃で、それじゃ威力が足らんぞ、と他の免疫屋たちに笑われた。

 確かに痛みを無視して突っ込んでくるグール型には、これではストップパワーが足りないだろう。


「どうして、MP5なの?」

「ケースバイケースだよ」

「さっきから、そればっかね」

「ツィリンもMP5を選んでいるじゃないか」


 彼女が両手で持っているのも同じ銃だった。


「私はアサルトだと手が届かなかったの。緊急時だから、支給品には短いストックのがなかった」

 彼女はかなり小柄で手足も短い。MP5は比較的コンパクトで、ストックを押し込めばかなり短くなる。たしかに、それがベストなのかもしれない。

「そうか……。そろそろツィリンも準備した方がいい」

「うん」


 ツィリンは弾倉を差し込むと、安全装置のレバーがロックになっていることを確認していた。少し緊張しているのか、いつもの憎まれ口もひかえめだ。

 彼女は今日、人を殺すかもしれないな。

 あるいは、殺されるかもしれない。

 普段からちゃんと人の殺し方を教えておくべきだった。今更になって、そんな後悔が胸をついた。僕はいつだって後悔ばかりしているな。


照準距離ゼロインを確認しておこうか」

「そうね」

「担当者がちゃんと調整してくれていればいいのだけど」


 銃のストックを肩に押し当て、頬を銃身につけてスコープに目線を通した。ちょうど手頃な木に照準を合わせて数発撃ってみたが、全部外れて周りの葉っぱを叩いてしまった。

 予想通り、照準のメンテナンスが甘かった。

 まっ、もともと支給品に期待なんてしていなかった。本属の登録銃であれば、自分でメンテナンスもできるが、よそ者への支給品ならこんなもんだろう。


「そっちも照準を確認したほうがいい。最悪、スコープは外した方がいいかも。まぁ、そもそも動いている汽車の上で狙撃なんて不可能だけどね」

「もしかして、それで短距離向けのMP5にしたの?」

「さて」


 今回は銃の調整する時間なんてなかった。

 だから、入念な照準調整が必要な狙撃はあきらめて、僕は接近戦に集中したほうが良い気がする。銃身が短く連射の良いMP5はどちらかと言えば接近戦向きではある。


「狙撃が苦手なだけだよ」

「本当? あの後ろのトリガーハッピーどもよりかは全然できるでしょ」


 後ろでは笑い声をあげながら、まだ撃ちまくっている。

 初心者ビギナーがハイになっているのだろう。普通はお目付け役の経験者ベテランが指導してやるべきだが、彼を止めようとする者は誰もいなかった。

 この免疫屋グループは少し浮ついている気がする。

 壁外への救出作戦ならもっと緊張感があるべきだろう。激戦地に行く前に無駄弾をまき散らす新人なんて、殴り飛ばされてもおかしくはないのに……。


「まぁ、あれよりかはマシだけど」

「ああいう馬鹿がゲラゲラ笑って、確認もせずに殺しまくっている。それで、さっきから不機嫌なんでしょ? バクバさん」


 やれやれ、よく見てる。


「他の人はどうでもいい」

 と銃を肩で固定し、撃ち具合を確かめる。

「どうせ、あれじゃ、当たらない。結局、やってることは威嚇射撃と同じだよ。撃たれても向かってきたならトロルだし、トロルじゃないなら逃げのびているはずだ」

「きっと、脳に電流をキメたアホよ」

「脳ビリか……、それで恐怖を感じなくなったのか」


 ありえるかも。

 危険な壁外へ行く恐怖も、間違ってトロルではない人を殺してしまう恐れもすべて電気でマヒしている。


「そうよ」

「……もうやめよう。戦場では余計なことを考えるな。ツィリン、照準の確認は?」

「今からよ」


 ツィリンはMP5を体で包み込むように構え、スコープを覗き込むと、指切りで数発撃った。その銃口の先には等間隔に並べられた標識があった。それが順番に音をたてて穴があく。

 目算で50メートル間隔、それを四つまで正確に中央を抜いている。


「200メートルまでなら誤差はなさそうね」と彼女は弾倉を入れ替える。

「……スゴイな」

 静止時なら不可能ではないが、今は走行中の汽車の上だ。少なくとも、僕には同じことはできない。

「射撃経験はレベル4まで入れているからね」

「照準は合っていたのか?」

「自分で微調整したわよ。それでうまくハマった。支給品だけど、まぁまぁ悪くなかったわよ」


 照準のせいにした自分が恥ずかしくなる。

 でも、彼女の腕は間違いない。実際にトロルを撃ったとしても、まず、外さないだろう。彼女は今日、殺しを経験する可能性は高い。

 だったら——、殺し方を教えておかなければ、彼女が死ぬ。


「ツィリン、こっちに」

「なに?」

「あの方向」と左側を指差す。「人影が見えるだろ。ざっと400メートルくらい」

「……いるわね」

「あの人に向かって威嚇射撃をしてくれ、もしトロルなら撃つ」


 ツィリンははっと息をのんで瞳をゆらした。どうして、急に? と無言で問いかけてくる。

 それから目をそらして続ける。


「ここからは戦場だ」

「だから、練習?」

「練習でも稽古でもない。本番だ。ほら、射撃姿勢」

「……うん」


 デッキに腰をおろした彼女は、手すりの横棒に銃身をのせて固定し、頬と肩で銃を包み込んで一体となった。

 美しい射撃姿勢だ。よくまとまっている。呼吸も細い。

 師であるニィ爺もよく彼女を褒めていた。脳有りなら形をマネることは得意だろう、しかし、呼吸までを整えるのは難しい。彼女はそれが自然にできていた。


「とらえた」と彼女はつぶやいた。

「最初は威嚇だ。ずらして」

「うん」

「いいかい。ここからは言われた通りにすること」

「……はい」

「まず、引き金から指を離して」


 彼女は驚いたようにこちらを振り向いたが、やがてトリガーから手をはなしグリップの底を握った。

 僕は彼女の小さな背中に腕を回して、代わりにそのトリガーに指をかける。


「照準は君だ」と彼女に言い聞かせる。「でも引き金は僕が引く。今回は二人で殺す。次があれば、君が一人でやる」

「……」

「分かった?」

「うん」


 殺人の分業化だ。

 初めて人を殺す場合、そのショックで錯乱する兵士は多い。それを和らげるために、殺人という作業を分担する。

 殺人を経験した兵士の自殺率は高い。しかし、歩兵よりも殺害数が多い砲兵は自殺率が低かったらしい。

 なぜなら大砲は分業して人を殺すからだ。

 角度調整、弾の装填、発射、観測。それぞれは別々の人が担当するため、自分が殺したという感覚を分散することができる。対して、歩兵は自分の意思で殺すしかない。それが自殺率に影響をあたえる、とある本に書いてあった。


「まずは威嚇射撃。用意」

「照準よし」

「単発で3発撃つ。5秒後、4、3、2、1、撃つ!」

 僕は引き金を三回、指きりで引いた。

「そのまま。目標を確認」

「確認。こっちに向かって走ってきてる! トロル!」

「まだ、そのまま」


 自分のMP5引き寄せてスコープを覗き込む。両手を振り回した無茶苦茶な走り方が見える。典型的なグール型の様子。


「こちらもグール型と断定! 距離30まで引きつける。モードを連発に変更」

 人差し指を伸ばして、ツィリンのMP5の射撃モードレバーを切り替える。

「……他の免疫屋も迎え撃つだろう。僕らは30まで撃たない」

「うん」

「頭は狙うな。胴だ」

「でも、グール型は頭でしょ?」

「ケースバイケースだ。今は言われた通りに」

「……はい」


 できれば他の免疫屋がやってくれ、と願いながら、肉眼ですらだんだん大きくなっていくトロルを睨みつけた。

 後ろの貨物車両からアサルトの乱射が降り始め、向かってくるトロルの足元に土埃を巻き上げる。だが、トロルはそれを掻い潜るようにして迫ってくる。

 下手くそ! ちゃんと当てろ。

 ——この子には、まだ早すぎるんだぞ。


「距離50」


 もう顔が見える距離だ。表情筋の制御が失われ、ニヤついた顔つきをしている。ほぼ確実にグール型の感染者だ。


「40」


 相変わらず、トリガーハッピーどもの乱射は地面ばかりを叩いている。

 ……本当にダメだなぁ。ここの免疫屋は。


「いいか」と指をトリガーにかける。「撃つのは僕だ」と言い添えて、僕はツィリンの引き金を引いた。


 MP5の連射音は軽快で、ぱぱぱっと銃口から白煙を吹く。

 ツィリンの照準は正確だった。

 心臓のあたりに弾が集束していく。穴だらけになった心臓をかばうように、トロルは身をよじり、足がもつれたのか転んだ。動きが止まったところで、ようやくトリガーハッピーの連射がその体を包み込んだ。

 その体は一瞬にして、ボロ雑巾のように千切れ飛んだ。

 今ごろ当てても遅い……、とため息がでた。

 高速で走る汽車は、あっと言う間もなく、その死体を視界の後ろに送ってしまった。


「いい腕だ」と銃の安全装置を入れて、彼女の肩を叩く。「よくやった」

 触れたその肩は小刻みに震えていた。

「……体を狙え、って」

「ん」

「私に言ったよね。頭じゃなくて、体だって」


 ツィリンはスコープを覗き込んだまま聞いてきた。その銃口の先にはもう誰もいないのに、スコープが目にくっついたように、彼女はそのままだった。


「それって、……私に殺させたくなかったから?」

「殺したのは僕だ。まだ君じゃない」

「ねぇ、どうして?」

「頭を狙うと、殺せなくなる」

「どういうこと?」


 ようやく、ツィリンはスコープから目をはずしてこっちを向いた。唇が震えているせいで、その声から動揺が伝わってくる。

 はじめての殺人だ。すこし時間をかけて落ち着かせたほうがいい。


「実戦では頭はやめた方がいい。教則本では頭を狙えとあるけどね」

「だって、グール型は痛覚がないから胴体じゃ止まらない、ってそれは事実なんでしょ。遠距離なら命中率重視かもしれないけど、さっきは30メートルだった」

「頭を狙えば、相手の目を見てしまう」


 ツィリンはぐっと息をのんだ。


「見ると撃てなくなる。目を合わせると相手を殺せなくなる、そういう人は多い。慣れないうちは特にね」

「……分からないよ」


 ツィリンは頭を左右に振る。


「そういうものなの? だって、さっきだって、私が何をやったのかよく分からない。次は私が一人でやるの?」

「……」

「できるのかな。私、顔なんて見てなかった。胴体を狙え、って言われたから、心臓なのかな、お腹なのかな、って、結局、どっちを狙ったのかも……よく分からないよ」

「初めはそれでいい」

「だって、さっき、撃って、死んだんだよ。当てたんだ。私が当てたんだよ!」


 ツィリンはもう堪えられなくなったのか、興奮と錯乱が混じった様子でまくし立て始めた。


「私、当てたんだよ! あっけなかった。ずっとずっと簡単だった。多分、私は人を殺せるよ。簡単に殺せるよ。でも、なんなの。人の命ってこんなにあっけないものなの? ねぇ」

「ああ」と彼女の肩を抱く。「こんなもんさ。銃を使えば誰だってできる簡単な仕事だよ」

「そうじゃなくて、そうなんだけど……。ただ、全然、思っていたのと違ったの」

「ああ」

「だって、もっと、すごいことだと思ってた。簡単すぎて、意味わかんない」


 人の命はその重さの割に、本当に簡単に殺せてしまう。

 免疫屋はこの矛盾をあつかう仕事だ。そういう意識が欠けている免疫屋は多いけれど。


「正解なんて本に書いてない。多分、共有脳のプリセットにもない。だから、自分が決めたルールくらいは守るべきだ」

「……わかんないよ」


 ツィリンは頭をこすり付けてきて小刻みに体を震わせた。

 ああ、間違いない。ツィリンには免疫屋の才能がある。

 狙いを外さない冷静さも、稽古への熱意も、……人の命に向き合える心もある。ニィ爺はそれを見抜いたからこそ、彼女に稽古をつけたのだろう。


「おや、どうしたのかね?」


 横からの大きな声が、感傷的な雰囲気を吹き飛ばした。

 振り向くと、市長の兜が太陽を反射して、僕の目を刺した。


「トロルが接近してきましたので」

「実は見ていたよ」と市長はにんまりと笑った。「見事な腕前だった。実戦で指導なんてねぇ。頼もしいことだよ」

「いえ、僕の失敗です」とため息がこぼれた。「教えるならもっと前から……、こんな本番のギリギリだなんて」

「そんなもんだ。本番を目の前にしなければ、教わる方も真剣になれまい」

 市長は僕の肩に手をおいた。

「それにしても、ユニークな指導だ。一緒に殺してやるとはな。君は優しい」

「……」

「私も防疫官時代に殺処分した経験がある。もっとも、君のように優しく指導してくれる先輩などいなかったから、当時の私はどんどんスマイルを無くしてしまったものだ。まぁ、壁外に飛ばされる防疫官なんて、私のような脳が汚れた連中ばかりだよ」

「市長は……、脳洗浄はされなかったのですか?」

「しなかったねぇ」

「理由をお聞きしても?」

「君なら忘れたいかね? 自分が殺した相手の記憶を」

「いいえ」


 それは即答できる。


「そうだろう。相手に失礼だ」

「ええ」

「自分だけが楽になる、脳洗浄とは共感とほど遠い治療だよ。それなら、脳に電流を流しても、忘れずに前向きに生きていった方がよっぽど人間的だ。そうは思わんかね?」

「……」


 最後の意見は、ポジション・トークな気がした。

 自分がすでに推進している脳ビリを正当化するための意見であって、本当に正しいかどうかはあやしい。だけど、脳洗浄か脳ビリか、の二択なら、僕は脳洗浄は絶対に選べない。


「……そろそろ、避難民の回収地点に着く」


 市長のそれが合図だったかのように、車輪がレールをこする金切り音が鼓膜をつき、汽車はゆっくりと減速しはじめた。

 前方には農業プラントと列車の乗り場が見える。そこでできるだけ避難民を回収しつつ車両を回頭する。機関車をターンテーブルのせ、避難民を回収している間は、襲ってくるトロルから守る必要があるだろう。


「いよいよ、ですね」

「そうだ。トロルを近づけるなよ」

「ツィリン、やれるかい?」

「……はい」


 顔をあげた彼女は、免疫屋の顔になってしまった。




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『フルメタル・ジャケット』(監督:スタンリー・キューブリック)

 ハートマン専任軍曹の訓練兵を罵倒するシーンがあまりにも有名な映画。先任軍曹が長身の新兵を見上げて「180センチだと。そんな高くそびえ立つクソを初めて見たぞ!」と罵るなど、その皮肉のきいた罵倒が大人気だった。

 本作はベトナム戦争を描いた作品。

 アメリカ映画でベトナム戦争となれば、多くの場合、反戦的で自嘲的な作風になるものだが、本作は戦争で狂気に染まっていく兵士たちをただただ映している。オススメです。


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