2.6.『』
ツィリンの母親は検疫に同意したため、バクバの出番はなかった。
検疫所への移送には同伴はしたが、搬送車の中でも母親はずっとうなだれたままで、まったく抵抗する気配はなく、そのまま検疫所に収納されてしまった。
免疫屋の立場では検疫の結果を知ることはできない。アルナナさんに頼めば教えてくれるかもしれないが、それに甘えるのも気が引ける。そもそも数日で終わるような検査ではないし、知る必要はないと思った。ツィリンだって同じはずだ。
どちらにせよ、母親として彼女は死んだ。そう、ツィリンは母親を殺したのだ。
搬送が終わり、アルナナさんに別れを告げてホテルに戻った。
店の連中からツィリンを隠すために場所を転々としているが、彼女はこれからどうするのだろう、と疑問に思った。母親への復讐という目的を果たしたのだから、もしかしたら、壁の外にいるカタリ君のところへ行くのかもしれない。少なくとも、壁の内側はツィリンにとって心地の良い場所ではないだろう。
彼女の将来のこと、ちゃんと聞かなきゃいけないな。
「ただいま」とホテルの部屋に入る。
すると、ツィリンがベッドの上で仰向けになって天井を見上げていた。めくれたミニスカートから下着がちらついていたので、目を逸らしながら冷蔵庫に向かい「牛乳買ってきたよ」と声をかけた。
「今、パンツ見たでしょ」
「ズボンをはいてくれ。持ってないなら好きなのを買ってあげるよ」
「スカートの方がナイフを隠しやすい、そう教えたのはバクバさんよ」
確かに言った気がする。実際、ミニスカートは刃物を仕込みやすい上に動きも制限されないから、不意打ちには有利な服装だ。男のスケベ心と一緒に油断を誘える効果も狙えるだろう。とはいえ、
「パンツを見せたら、ナイフも見えるだろ?」
「やだエッチ。やっぱり見たのね」
「……さっさとパジャマを着てくれ」
へぇ、と彼女は身を起こした。
「なるほどね。このホテルにはバスローブしかない。裸バスローブがお好みなのね。わかった、シャワー浴びてくる」
「まて」
引き止めようと手を伸ばす。
すると、彼女はそれを逆手にとって、ベッドに引き込んきた。不意をつかれて足がもつれ、一緒になって倒れ込むがなんとか腕をつく。ちょうど、彼女に覆い被さる体勢になってしまった。
「何を、」する、と言いかけたが予想外に真剣な眼差しに息をのんだ。
「私ね」と彼女は深呼吸をおく。「バクバさんに恋したみたいなの」
「……脳有りは恋をしない」
「あなたは脳無しでしょ?」
「ナシナシの脳無し男だ」
彼女はぷっと吹き出したが、あわてたように口元を引き締めた。先ほどの真剣な光は瞳から消え、いつもの芝居がかった仕草で口の端を引き上げる。
「私ね。脳がすっきりしてるの」と彼女は続ける。「ずっと締めつけられる感じが消えたわ。え〜と、友達はセックスを済ませたと自慢してくるけど、あれは格好つけてるだけよ。私は違う。初めては本当に大切な人とするものなの」
あれ? 初めてなの?
あっ……いや。これは『レオン』のセリフに似ている。マチルダがレオンに告白するシーン。と、いうことは……。
「頭痛が治ったみたいでなによりだ」
くっくっ、と彼女は息を殺して笑った。
どうやら、レオンごっこはまだ継続中だったらしい。
確か映画では、マチルダが「あなたに恋をしたみたい。お腹が温かいの。締め付けられる感じが消えたわ」と言う。それに困惑したレオンは「腹痛が治ってなによりだ」と誤魔化してしまう。さっきのはそのモノマネだろう。
はぁ〜、よかった。もし本気にしたら赤っ恥だった。
「あ〜、最っ高の気分」
「そろそろ離してよ」
彼女に腕を掴まれたままだった。
「いやよ」
「だめだ」
構わず彼女を引っぺはがしてベッドから立ち上がる。
レオンごっこといっても、十二歳だったマチルダよりも彼女は三歳くらい年上だろう。かなり華奢とはいえ、それなりに育っていて、女の体つきになってしまっている。冗談にしても危なすぎる。
つまり、まぁ、何が言いたいかいうと、僕の下半身が固く膨らんでしまっているのだ。それがバレたらかなり恥ずかしい。
「もう、遠慮しなくていいのに」
「してない」
彼女に背を向けて、ポケットに手を突っ込む。予期せぬ膨張でポジションがズレてしまったチンが、股間部を歪にもっこりとさせていた。ふぅ、なぜかいつも右に曲がるんだよなぁ。このままじゃぁ、すぐにバレてしまう。
素知らぬ風を装って、ポケットの内側からいそいそと整えはじめた。
「ねぇ、チンポジ直しているところ申し訳ないんだけどさぁ」
ぎくり、と手が止まった。
「私、バクバさんに話たいことあるの」
それは今じゃなきゃダメなの? おじさんはチンポジ直すのに忙しいのだけど。
「私ね、殺すのやめたんだ」
「それって、……お母さんを?」
「うん」
まっすぐ上にチンポジを整え終わり、ズボンのいびつな膨らみがなくなった。ゆっくりと彼女の方を振り向く。
「そうかい」
「だから、バクバさんに褒めてほしいの。ず〜と、私を苦しめていた頭のイライラがスッキリした。もしかしたら、私のトロル、治ったのかもしれない」
彼女は歯を見せて笑う。
それはごく自然で穏やかな笑みで、あの男に媚びるような芝居ではなかった。
「私はやり遂げたんだ。やりきった。初めて、自分のことを誇っていい気がしたの。もう無力でみじめだった自分じゃない。私はね。多分、ようやく私になれたのよ」
「すごいな」
「分かるの?」
彼女が母親にしたことを見ていたから分かる。
「多分だけどね。殺さないってのは難しいから」
「ねぇ、ちゃんと聞いてよ」
「もちろん」
「褒めてくれる?」
「ベタ褒めだ」
やった、と彼女はベッドから飛び降りる。まるで、子どもみたいだった。
「ねぇ、一緒にミルクを飲もうよ」
彼女は冷蔵庫から牛乳パックを持って来た。
グラスになみなみと注ぎ、テーブルの上におく。彼女とのレオンごっこが始まってから、牛乳ばかり飲まされている気がする。その代わりに酒の量が減ってしまい、すっかり健康的な生活に様変わりした。
子どもがいると生活も変わるんだなぁ。
「ほら、はやく、ここに座って」と彼女は椅子を叩く。
「はいはい」
そこから、彼女の身の上に耳を傾け続けた。
自分が想像した以上に壮絶だった彼女の幼少期。そこから逃げ出して、売春をはじめた経緯。大人たちに何度もだまされて、今度は大人をだますことを覚え、なんとかしてお金をためた。
そんな彼女の過去を聞いていると、牛乳よりもウイスキーが飲みたくなる。
それでも彼女はケリをつけた。彼女は自慢げに、共有脳インプラントの費用を母親に突っ返したところまで語った。
「どう?」
「最高にクールだね」と、素直に感想を伝える。
へへ、とまるで男の子のように彼女は鼻を鳴らした。
「大人でも君みたいには強くはない」
「そうでしょ」
満面の笑みを浮かべて彼女は牛乳を飲み干した。
その細い、少し痩せすぎの喉を眺めていると、彼女が成長期に十分な栄養を与えられなかった可能性に思いあたる。ネグレクトを受けた子どもの多くは発育が不十分で、その健康への悪影響は大人になった後も残りつづけると読んだことがある。
「もっと牛乳を飲みな」
「う〜ん、そうする。私、もっと強くなりたいから」
「君は十分に強いよ。そこら辺の大人たちよりも」
彼女は口についた牛乳を袖でぬぐった。
「そう言えば、バクバさん」
「ん」
「バクバさんが私と同じくらいの時、どんな感じだったの?」
「……ツィリンって、十五歳くらい?」
「そのくらいね」
よりによって十五歳の時か。一瞬、誤魔化そうかと目を伏せた。でも、ここまで自分をさらけ出してくれた彼女に対して、嘘をつくのは気が引けた。
「僕が十五の時は……、はじめて人を殺した」
「……」
「君のようにちゃんとは出来なかった。君のように強くはなかったんだ。学校でパンデミックが起きてね。同級生が次々感染して、脳無しの僕は無事だったんだけど、下手クソだったんだ。自分で何とかできる、とか勘違いしてた」
思い出すだけで、自分を殺したくなる。そう思うことさえ卑怯な気がするのだ。
「爺ちゃんから教えてもらった技なら何とかできると思っていた。何とかしなきゃ、って勘違いした。好きだった女の子がいたんだ。目の前でその子が襲われた時、脳無しの僕もトロルになった」
「……それで」
「殺したんだよ。たくさんね。中には友達もいた。好きだった女の子も……。事件が終わった後、まだ警察だったイワモリのおやっさんの世話になって、色々あったんだけどね。結局は免疫屋になった。免疫屋にしかなれなかった」
ふと彼女をみると、悲しそうな瞳に優しい光がたたえていた。
もし、あの時の僕にこの子と同じくらいの強さがあれば、どうなっただろうか。そんな無意味な空想をめぐらせながら、牛乳をウイスキーのように傾け、唇を濡らす。
やっぱり、ダメだ。僕ではレオンにはなれない。牛乳よりも酒が飲みたくなる。
「バクバさん、口についてるわよ。ほら」
と、ツィリンが手を伸ばしてきた。
「ありが、」と言いかけて息が止まった。
彼女の唇が僕の口をふさいでいた。
小鳥がついばむような、唇が触れるだけ軽いキス。豆鉄砲をくらったように目を丸くして固まっていると、彼女に「ふふ」と笑われてしまった。
◇
アルナナは喫茶店に入ってきたバクバを見つけると、読んでいた本を閉じて「こちらです」と手をあげた。
「すみません。遅刻しました」
「いえ」
「あっ、その本」と彼はテーブルに置いた本に気がついた。「『利己的な遺伝子』じゃないですか」
「前に教えていただいたので」
そう答えながら、店員にも手をふってコーヒーのお代わりを頼む。
普通の飲食店では無人オペレーションが当たり前なのだが、図書カフェではレトロオーガニックな雰囲気を売りにしているせいか、人間が給仕をしている。バクバさんは「カフェオレを」と言った。
「それにしても」と彼は店内を見渡し「図書カフェに『利己的な遺伝子』なんて置いてあったんですね」
この喫茶店には、バクバさんの部屋には遠くおよばないが本棚がある。
脳有りの読書趣味のためのカフェなので小説や絵本が中心だ。ざっと見渡すと『シートン動物記』『ハリー・ポッター』『千夜一夜物語』などのシリーズが並んでいた。
「いえ、これは持ち込みです」
「買ったのですか? 高かったでしょう?」
「経費で落とせました」
そういうと、彼はとても
「それで、ツィリンさんについての今後ですが」
「あっ、はい」
「母親の検査結果は陽性でした」
バクバさんは眉間にシワを寄せた。
「現在は
「僕の指摘?」
「母親もまた幼い頃に虐待を受けていました。説明は避けますがひどい虐待で、そこから逃げるために日本に移住したようです。そのせいか、あの母親ようにはなりたくない、と脅迫的に思い込んでいました。その脳内はかなり解離性が進んでおり、例えば、現実とはまったく異なる優秀な母親としての自己イメージが形成されています。幼少期に虐待を受けた母に対する否定的分離によるもの、と分析レポートにはありました」
幼少期の記憶が原因ならば、かなり深度まで脳洗浄が必要になり、自己完結型の発症率が高くなる。今回はかなり難しい施術になるだろう。
「治りそうですか?」
「難しそうではありますが、検疫官はまだ可能性はあると言っていました。今回の患者には、稼いだお金で娘に共有脳インプラントを受けさせた記憶があります。その周辺部にある不都合な記憶を洗浄すればあるいは。例えば、母親も売春をしていたのですが、その記憶を他者化マスキングし、売春宿の清掃員で稼いだという疑似記憶に置き換える。そんな脳洗浄が提案されていますね」
「そういうものなんですね」
「ええ。自分を肯定できるように記憶を最適化する。人間の脳の根は深いので、全てを書き換えると矛盾した自己を完結しようと苦しんでしまいます。今回の母親のケースのように、自分の誇れる過去があるのなら可能性はあります」
とはいえ、かなり困難であることには変わりない。特に洗浄しにくい幼少期の記憶が課題になるだろう。
「彼女のような疾患を看ると、もっと早期に検疫していれば……といつも思ってしまいますね。定期検疫さえ受けていれば」
いや、それも違うか。この患者の幼少期には共有脳がなかったのだから。
かつては脳が十分に成長してからインプラントするのが一般的だったが、近年では幼少期に入れて積極的に脳変異を促すことが奨励されるようになった。この傾向がさらに進めば、幼少期の記憶でも脳洗浄ができるようになるかもしれない。
そんなことを考えていると、バクバさんがぽつりとつぶやいた。
「不健康な人のための定期検疫なのに、健康な人ほど熱心になる。不思議ものですよね」
「なぜなのでしょう?」
実際、その通りだった。
定期検疫は無料で受けられるのに、それを受けるのは社会的に地位が安定している大企業の職員や公務員ばかりだ。そして、そういう人たちの脳はほぼ確実に健全で、定期検疫の必要性はそれほどない。
むしろ検疫に来なくなったらトロル発症の兆候だ、と保健省でも公然と言われているくらいだ。
「テストと同じじゃないかな?」
「テスト?」
「昔は学校でテストがあって点数がつけられた。良い点数がでたら嬉しいですよね。だから自信のある人はテストが嫌いじゃない。脳検疫の場合もスコアが高ければ就職にも有利に働くでしょ。でも、自信がない人が強制されないテストをわざわざ受けますか?」
「しかし、一般の企業では定期検疫は義務です。検疫を拒否した場合は解雇も可能です」
「本当に問題なのは、そういう企業に入れない人たちじゃないかな。今は、共有脳があれば能力は関係ないけど、脳の健全性は絶対です。例えば、幼少期に虐待を受けた人がその応募要件を見て、検疫結果のスコアが必要なんだ、と思わず手がとまる。仮に検疫に挑戦したとしても、脳洗浄になればそこでドロップアウトです」
仮に、ではなく、売春経験があれば何らかの脳洗浄が行われるだろう。
そう言われると、定期検疫がトロルの抑制に寄与していないことに気がつかされる。
つまるところ、幸せな家庭に産まれ、汚れを知らずにいられた脳だけが、そのまま安定を享受し続けられる。幸せを疑いもしない彼らは検疫に抵抗がなく、高いスコアがさらに生活を盤石なものとしていく。一方で、本当に検疫が必要な人ほどそのレールからは遠ざかっていく。脳内に宿したトロルを抱えたまま社会の裏に隠れつづけ、やがては感染源として爆発する。
幸せも不幸も、まるで遺伝子のように増殖するのだ。
テーブルに置いた『利己的な遺伝子』に視線を落とすと、注文していたコーヒーとカフェオレがきた。
「なりたい自分でみんなと幸せに、それがこの共有社会が敷いたレールです。まさに徹底的に効率化された幸せへの高速列車」
と、バクバさんは受け取ったマグカップを両手で包み込んだ。
「だからこそ、一度でも乗り遅れたら追いつくのは不可能に近い。ちゃんとした脳なら失敗するはずのないレールで、どうして脳洗浄になったの? そういう恐ろしい眼差しがある。僕だってそういう目で見られてる。どうして、脳無しのままなの? って」
バクバさんはカフェオレにふーふーと息を吹きかけて一口だけ飲んだ。
「ツィリンの場合はどうでしょう?」
「彼女ですか」
「ツィリンが検疫を受けて、それでトロルと認定されたら? でも、それは彼女のせいじゃない。彼女が産まれた時点で決まっていた何かです」
「ええ、それはその通りですが」
バクバさんには黙っていたが、母親の検疫結果によって、娘である彼女の予測感染率も上方修正されていた。親にトロル発症者がいた場合、子どもの発症率は有意に増加する傾向にある。
そのせいで、すでにツィリンさんへの強制検疫も可能になった。
「しかし、誰のせいであれ、トロルへの対処は変わりません。放置すれば感染拡大の危険性があります」
「その『利己的な遺伝子』に」とバクバさんはテーブルの本を指差した。「ミームという言葉が出てきます。習慣や思想といったものも遺伝子のように自己増殖する性質がある。そういう文化的な遺伝を著者のドーキンスはミームと名付けた」
「ええ、読みました」
「トロルもミームです」
「そうなりますね」
「彼女が頭に抱えているトロルの正体は、母親とその男たちが植え付けた利己的なミーム。遺伝子と同じように、彼女は産まれた時点からそれを受け継いでしまった。彼女に罪はありません」
「分かります。しかし、」
「そのミームから彼女を救い出すことが、本来あるべき社会の形です」
「……」
「理想論、ですけどね。免疫屋として何人も殺してきた僕が言うと滑稽ですが」
共感はできる。でも、防疫官としてはそれに同意するのは難しい。
ツィリンさんが母親から受け継いだミームはおそらく強毒性のトロルだ。放置すれば、いずれ感染源へと育つだろう。すみやかに脳洗浄か殺処分がセオリーだ。同情で判断を誤りパンデミックを許してしまえば、東京は大阪の二の舞になる。
「バクバさんは、ツィリンさんを助けたいのですね?」
カタリからの手紙には、ツィリンさんを救ってください、と書かれていた。
「……ツィリンには助かる資格があります」
「資格?」
「彼女は自分自身のトロルと戦い続けています。絶望的な戦いです。でも、彼女なら勝てるかもしれない。彼女は僕なんかよりもずっと強いから」
「勝てる?」
そもそも、勝てるとか負けるとか、そういう発想自体がトロル的と言える。なのにトロルに勝つと言うのは矛盾だ。でも、トロルに対抗するために
「もしかしたら、カタリ君の言うとおりかもしれない」
バクバさんの口からカタリの名が出たので、思わず目を細めた。
「彼女ならトロルを治せるかも」
「自然治癒すると?」
過去の実績からそれに期待すべきではない。過去の刑罰システムがいくら努力しても再犯率の改善に限界があったように、脳への直接介入以外に彼女の病を治すことはできないだろう。
「もう少しだけ、彼女に時間をいただけませんでしょうか? もしかしたら、彼女なら検疫をクリアできるかもしれません。アルナナさんが、僕を助けるために人を殺してしまった時みたいに、ちゃんと検疫を突破できる可能性はゼロじゃない」
「そうですね……」
もちろん、ゼロじゃない。
でも、私の時と比べて彼女は不利だ。防疫官である私には周囲からの理解があった。彼女は違う。ずっと他者からの承認を得られずにいた。もはや脳に直接介入するしかない。
「あまり、おすすめできま、」
と言いかけた時、マリーから緊急の思念通話が入った。
「失礼、」と指で首筋を叩く。
(どうしました?)
(あの小娘がさらわれたわ。今、追跡中よ)
(もしかして、例の売春組織ですか?)
(多分ね。ホテルの外で男どもが襲ってきた。小娘も抵抗して一人刺したけど、数が違うわ)
刺した? バクバさんが渡したナイフで? だとしたら、バクバさんの責任問題に発展しかねない。
(まさか殺したのですか?)
(いんや、殺してはないね。逆にぼっこぼこに殴られて車につめこまれた)
ほっ、と胸をなで下ろす。殺人になれば、もう私ではバクバさんをかばいきれなくなっただろう。
(では、ツィリンさんも生きているのですね? その車の映像を転送してください。街中の監視システムで特定します)
(あいよ。あたいはこのまま追跡してみるわ)
通話が切れると、マリーからツィリンさんが車に連れ込まれた時の視覚記憶が送られてくる。目を閉じてまぶたの裏に投影しつつ、車の形状やナンバープレート、現場情報などを社会大脳へアップロードし、割り込み最優先で追跡処理を申請した。
「バクバさん」
「あ、はい」
「ツィリンさんが例の売春組織に誘拐されたようです。監視から報告が入りました」
「……」
「今、システムで追跡をしている最中ですが……」
ちょうどその時、社会大脳から返答が入った。特徴が完全一致した車の走行中データが脳内に流れ込んでくる。ふむ、まだ遠くには行ってはいないようね。
「見つけました。追跡可能です」
「どこですか?」
バクバさんが怖い顔をしていた。
「このまま行けますか?」
「ええ、もちろんです」
「では」
お代わりのコーヒーを残したまま、私たちは席をたった。
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