1.4. 『2001年宇宙の旅』

◇ 池袋西口


 池袋西口ではいくつもの裏路地が複雑に絡み合っている。

 車内での打合せを終えたバクバたちはその一つに入っていった。ほどなくしてアルナナが古びた看板の前で足をとめる。そこには『経験カクテBar スタンリーの旅』と印字され、やけにレトロなネオン装飾が点滅していた。

「ここですか?」

 と、バクバが問いかける。

「ええ、第ゼロ号が頻繁に通っていた店です。共有脳ログにはここであの石工の経験を取得したとありました」

「経験カクテルバー、か」とバクバは看板の文字を読みあげた。「実は、初めてなんですよね。入るの」

 そもそも、脳無しが来るような場所ではない。

「アルナナさんは?」

「私も初めてですね」

「最近の若い人はこういう場所で遊ぶのでは?」

「私はそれほど若くはありません」

 確かに若者の受け答え方ではなかった。

「今年で三十になります」

「僕は三十五のはず」

「のはず?」

「うろ覚えなんですよ。脳にメモもアラーム機能もついていませんから」

 適当な笑いで誤魔化した。

「でも、意外ですね。アルナナさん、こういう店が似合いそうなのに」

「はぁ」とアルナナは首をかしげる。「編集された経験を脳に入れるのは少し抵抗がありますね。ましてや、社会大脳を経由せずに入れるのは特に。同僚はこういう場所にも通っているようですが」

 とはいえ、ここは池袋の裏路地。ちょっと違法なスリルも含めて楽しんでいる人は多いのだろう。

「ハマると危ないらしいですね。フュージョン系とか、メルト系とか、そういう体験もあるって」

「そのような麻薬性経験は違法です」

 麻薬とまではいかなくとも、共有脳で複数の経験を組み合わせるのは普通のことだ。例えば、夫婦喧嘩の経験でも、夫と妻の経験を混ぜ合わせて体験したほうが理解は深まるだろう。

 特に、娯楽性の経験は混ぜ方によってぐっと味わいが変わる。

 そこから経験カクテルという業態が流行したのだ。編集能力に長けた人がバーテンダーとして経験をシェイクする。有名な凄腕だと行列ができるほど繁盛しているようだ。

「本来」とアルナナが唇をかんだ。「複数の経験をインストールし、より多面的な視点から共感を深めるのは良いことです。しかし、娯楽目的で恣意的に経験を編集するのは、やはり、控えるべきだと思います」

「そうですか? 僕は面白そうだと思うけどな」

「そういえば、バクバさんはどうして」

 と、アルナナは言いかけて止めた。

「どうしました?」

「いえ、共有脳をインプラントされていない理由をお聞きしたかったのですが……。今ではありませんね」

「ああ」とバクバは肩をすくめる。「そうですね。そろそろ入りましょうか」

「よろしくお願いします」

 アルナナが店の扉を開けた。

 中は薄暗い。静かなで客の気配はまばらだった。背後にクラシックらしきオーケストラが流れている。バクバはどこかで聞いたことがある曲だな、と思いながらも奥へと進むアルナナについていった。

「あら、いらっしゃい」

 と、カウンターから、タイトなドレスを着た女がこちらに顔を向ける。

「初めての方かしら?」

「ええ」

 アルナナはカウンターに腰かけた。

「そちらは、お連れさま?」と女は首を傾けて背後のバクバを見る。

「そうです」

 女は首の後ろを人差し指でとんとんと叩いた。

「ここは経験カクテルだけじゃなくて、お酒も出せるわ。お兄さんはそっちかしら?」

「あ、いや」とバクバも椅子に腰をかける。どうやら、一目で脳無しだとバレてしまったらしい。

「よく分かりましたね」

「ここは池袋よ。自然脳の人も多いわ。お酒は?」

「カフェオレとかあります?」

「あら、バーでミルク? 荒野のガンマンかしら」

 女がカウンター裏の冷蔵庫を開けた。彼女のドレスは背中がおおきく露出している。首すじから腰にかけてのしなやかな曲線がのぞいていた。

 どことなく、あの石工が目を奪われた女に似ている気がする。

「で、彼女のほうは経験カクテル?」

「いえ」とアルナナは短く否定した。「お聞きしたいことがあります。ここで取引している創作経験について。石工の経験なのですが」

「……今は他のお客さんがいるのよ」

 と、女は急に声を落としてアルナナを見る。

「保健省?」

 アルナナが眉をひそめた。

「図星ね」

 と女は肩をすくめた。

「と、いうことは、もしかして、カフェオレはあのバクバさんなのかしら?」

「あのバクバさん?」

 ますます、アルナナの眉間が険しくなっていく。

「やだ。本当に本物なの? 初めて見るわ」

 女はバクバに手を差し伸べる。戸惑いながらもその手を取ると、女の細長い指が蛇のようにからみついた。

「なぜ、保健省だと?」

 アルナナの低い声が横合いから割り込んだ。

「理由? そうねぇ。育ちの良さそうなお嬢さんが、脳無しの男を連れてバーにやってくる。それって珍しいことなのよ。保健省のガサ入れくらいにはね」

「……お聞きしたいことがあります。これ以降は思念通話で」

「勘弁してちょうだい。今は他のお客さんがいると言ったでしょ」

「つまり、黙秘される、と?」

「はぁ」

 女は大げさにため息をつき、バクバに向かって「ねぇ」と媚びた声をだした。

「バクバさんからもお願いできませんか」

「えぇ」

「お願い」

 女はウインクをして手を合わせた。

「あなたがここの店長?」

「カゲツです」

 バクバは目をぱちくりとさせた。

「私の名前です。シャクヤ・カゲツ。ええ、スタンリーの旅の店長をやっています」

「スタンリーの旅……。もしかして、スタンリー・キューブリックですか?」

「あら、」とカゲツは目を輝かした。「ご存じなの?」

「脳無しですから。映画は好きなんですよ」

「『2001年宇宙の旅[7]』、見ました?」

 そこでようやく、店に流れているクラシックが映画のオープニングに使われているオーケストラだったことに気がついた。

「ああ、だからこの曲なんですね」

「そうなの」

「個人的には『フルメタル・ジャケット[8]』のほうが好きですけどね」と同じ監督による戦争映画の名をあげる。「スタンリー好きには物足りないと言われますけど。『逃げる奴はベトコンだ、逃げない奴はよく訓練されたベトコンだ』とか歯切れの良い名台詞が多い」

「あら、野蛮なのね」

「猿の投げた骨が軍事衛星になったり、人工知能が殺人を企てたり、しまいには宇宙船の船長が赤ちゃんになる」と『2001年宇宙の旅』のあらすじをまくし立てた。「そんな映画はよく分からなくて」

「あれが良いのよ。視ている時以上に、視た後の解釈や余韻を楽しむのがスタンリー映画なのだから。……ねぇ」

 と、女がにじりよってきた。

「保健省の事情聴取なんでしょ。バクバさんも同席してくださるの?」

 バクバが反射的にアルナナの方を見ると、刃物のような目で睨み返された。

「ええ……。多分」

「あら、うれしいわ。なら、一時間だけお時間を頂けるかしら。お客さんに事情を説明しないと。今日はもう店じまいね」

「あの、アルナナさん?」

「問題ありません。店内で待たせて頂きます」

「構わないわ。そうだ、お暇でしょうからお嬢さんにはこちらを」

 カゲツは注射器を模したデバイスを取り出した。その針の部分には共有脳の外接プラグがついている。

「当店おすすめの経験カクテルです」

「いりません」

 にべもなく、アルナナは即答した。

「あら、心配しなくても大丈夫よ。これは社会大脳にもあるカクテルだから。チェーホフはご存じ? その演劇『かもめ』を経験カクテルで再現したカバーカクテル。悲劇風喜劇の傑作ですよ」

「公務の途中ですので」

 会話を断ち切るようにアルナナは立ち上がり、空いているテーブル席に移動してしまった。

「彼女、怒っちゃったわね」

「え、ええ」

 怒らせた、の間違いではないだろうか。と、バクバは思った。

「申し訳ないけど、かわりに慰めてあげてちょうだい」

 カゲツは先ほどの注射器風の経験インジェクターを差し出した。

 バクバは肩をすくめながらもそれを受け取ると、アルナナの方へと歩み寄る。

「なんですか。それ」

 と、アルナナに手元を睨みつけられた。

「いや、何となく」

 しまった、とバクバは後悔した。つい、勢いで持って来てしまった。

「実はちょっと興味があって」

「……」

「『かもめ[9]』は色んな登場人物の愛憎がもつれる群像劇なんですよ。だから、経験カクテルならすごい合うだろうな、と」

「バクバさんはなんでもご存じなのですね」

「そうですか?」

 脳無しである自分が、そんな風に言われることは意外だった。

「映画とか演劇とか、スタンリーとかいうのも、私にはまったく分かりませんでした」

「共有脳で調べればすぐに分かりますよ」

「聞いたことのある音楽だとか、あれが好きだとか嫌いだとか、そういうのはどこにもありません」

 口調に棘がある。不機嫌のようだ。どうしよう。

「僕は脳無しだから、読んでないと不安になるのです。『かもめ』は演劇ですけど、有名だから脚本も出版された。実は演劇を見たことはない。本だけ」

「映画は?」

「アーサー・C・クラークはSF小説の大家ですから……。あっ、『2001年宇宙の旅』は彼の小説でもあるのです。スタンリーが映画にした」

「……」

「不思議な映画なんですよ。一部に熱心なファンがいますけど、普通の人は意味不明だから見て損した、なんて思うでしょうね。僕もあんまりだったな」

「彼女はお好きのようですね」

 アルナナはカゲツの方をつんと顎で示した。そのカゲツはテーブルを回って客に頭を下げている。おそらく、急な閉店を謝罪しているのであろう。

「店名にもじるくらいですから、よほどのスタンリー好きでしょうね。脳有りの人には珍しいな。きっと趣味が合わないだろうな」

「でも、楽しそうに話していました」

「そりゃ、人と映画の話なんてなかなかできませんから。脳無し同士でもあまりないことですよ。見てみれば面白いのに。この経験カクテルだって面白いと思います」

「……どんな話なんですか」

「『かもめ』ですか?」

「はい」

 バクバは、このプラグを差せばすぐに分かるのでは? と疑問に思いながらも、別のことを口にした。

「難しいですね」

「難しい話なのですか?」

「実のところ、説明できるほどハッキリとは覚えていません。脳無しですから」

「でも、面白いかったことは覚えている?」

「そういうものなのです」

 面白かった、と感動したことは忘れない。でも、登場人物や物語の詳細までは忘れてしまう。共有脳があればちゃんと覚えていられるのだろうか。忘れることすら自在だと聞いたことがある。

「たしか、」と脳に力をこめてひねり出してみる。「若い男女がいて、ふたりは恋人で、おたがいに作家と女優になることを志している。夢見る若い恋人。でも、上手くいかない。他の男女たちもからんでくる」

「はい」

「ある日、その女優志望の娘は別の男に憧れてしまう。すでに売れっ子の小説家の男——大人の男です。はじめこそ、夢を実現した人への憧憬≪どうけい≫に過ぎなかったでしょう。でも、小説家もまんざらではなくなり、やがて二人は恋に落ちてしまう。でも、その小説家にも恋人がいた。有名な女優だった。しかも、夢見る娘のかつての恋人の母親だった。……そういう筋書きだったはずです」

「複雑ですね。難しい話なのでは?」

「難しい話でした。説明しようとするともっと難しい」

 ああ、脳がかゆい。

「これ以上は勘弁してください。こんな風なドタバタなんです。演劇ですからセリフ回しが面白いんですよ。例えば、作家志望の若者が母親に不平をこぼす時なんて、こんな風に言う。『ぼくがいなけりゃ三十二歳でいられるのに、ぼくがいるから四十三歳になっちまう。それで息子がうとましいのさ』ってな感じです。どうです?」

「それでは、息子さんは十一歳の子どもになってしまいますね」

「あれ?」

「四十三歳から三十二歳ですから、引き算は十一です。息子さんがいるせいで増えた年齢は十一になります」

「でもこの反抗期の若者は二十歳くらいのはずです。ふられちゃったけど恋人もいたし、その娘はいい歳をした小説家と恋に落ちました。十一歳だったら、できるのはママゴトくらいだ」

 つまり、親子関係は単純な引き算では説明できないのだろう。

「気がつかなかったな。息子を二十歳まで育てる苦労は十一年分くらい、という換算なのかな。残りの九年は?」

「その母親は女優らしいですから、仕事をしていたのでは」

「大変だったでしょうね。もしかしたら、息子は甘えていて、母親がまるまる二十年を自分にかけなかったことが不満だったのかも。この息子が、母親はケチでお小遣いをくれない、と嘆く場面もあったはず」

「随分な息子ですね」

「うん。……やっぱり、面白いなぁ。そういう読み方もあったんだ」

「なるほど。確かに、面白そうですね」

 アルナナはテーブルの上に置かれた注射器風のインジェクターを手にとり、それをじっと眺めた。

「……」

「どうしました?」

「……少しだけ試してみましょうか」

「本当ですか?」

「ええ」

 アルナナは顔を横に向け、後ろ髪を指でわけた。彼女の白いうなじが露わになり、そこある共有脳のソケットがのぞく。

「……れて頂けますか」と、彼女の声が細くなった。

 バクバは自分が頼まれていると気がつくのに数秒かかった。共有脳のソケットは他人に見せるものではない。男でも襟足の髪を長くして首裏を隠している人は多い。それに加え、高い襟やスカーフを巻いて二重に隠す人もいる。

 彼女はそのソケットを自分から見せたのだ。それが特別な意味をもつことくらいは自分でも知っている。それに、彼女の様子に気がついた周りの客がざわつきはじめていた。

 この注射器を彼女のソケットにいれる。

 そんな事、自分にできるのだろうか……。あっ、いや、よく考えたら何回もやったことがあった。もっとも、差し込むのは検疫針スキャナーで、相手は感染者ばかりだったけど。

「操作は検疫針と同じですよね?」

「……ええ」

 こうなっては覚悟を決めるしかない。冷静に考えれば、自分は能無しだからノーカウントという可能性もある。こちらには直結できる脳はないのだから。

 隣に近寄ってアルナナの肩に手を添えると、良い匂いが鼻をついた。女の匂いだ。香水なのかもしれないけど。どちらにせよ、いい匂いだ。

 などと、もたもたしていると、アルナナさんの方から体を寄せてきた。自然と肩を抱き寄せる形になる。柔らかい感触といい匂いが一気に攻め寄せてきて、せっかく固めた覚悟がまたしぼみだす。

「バクバさん」

「ち、ちょっと待ってください」

「先っぽだけですよ」

「ん?」

 いきなり、ここの近くにある風俗店のようなことを言われた。

「そのインジェクターには昏睡装置が仕込まれています。突起プラグの根元につけられているのがそれです」

「……」

 注射器に視線を落とす。根元には小さな金色のリングがついていた。これがその昏睡装置なのだろうか。

「確かめないで」と小声で囁かれる。「あの女に気づかれてしまいます」

「はい」

 アルナナさんはあたかも情事にふけっているかのように、自分の胸をなでた。やめてください。男の乳首だって性感帯なんですよ。

「根元までは挿れないでください。私は昏睡を装って脳機能を十五分間ほど停止します。相手の出方を待ちましょう」

 黙って頷く。

「その間、私を守ってください。殺処分も許可します。責任はすべて私が」

「……はい」

「いいですか? 先っぽだけですよ」

 アルナナさんはそのまま頭を自分の胸元によせ、後ろ髪を分けて共有脳のソケットを完全に露出させた。

 そこに注射器のプラグを沿わせる。すると、彼女の肩がびくっと震えた。

 気をつけろ、先っぽだけだぞ、と念じながら、針の中ごろまでゆっくりと挿入していく。意外に抵抗が強い。彼女の手が自分の肩を掴んだ。痛かった? 加減がよく分からないのだけど。

 突然、アルナナさんの力が抜けた。腕はだらりと垂れ落ちて指先が床にふれる。

「アルナナさん?」

 慎重に注射器を抜き取って抱き起こす。その拍子に彼女の頭が膝の上にずり落ちてしまった。慌てて助け起こすが、安定した座らせ方がなかなか見つからない。全身がだらりと弛緩して人形みたいになっていた。

 完全に意識を失っている。間違って、奥まで差し込んでないよな。

「あら、いかがしました?」

 カゲツが近づいて来た。

「……」

 彼女はどうするつもりなのだろう。まだ他の客もいるのに。

「ご警戒されていますね。脳無しの方はどう感じておられるか、分かりにくいのですが」

「これはあなたが?」

「ええ」

 左右に視線をちらすと、客たちがこちらを囲んでいた。人数はざっと十二人か。客もグルだったのか? だとすればかなり前にここに来ることが漏れていたことになる。

「思念通話が使えれば、私たちに悪意がないことにご納得いただけるのですけど」

「|私たち≪・・・≫、ですか」

 やはり、客も仲間か。

「ふふ、まるで映画のようなやり取りだと思いませんか? 共有脳に縛られた私たちは嘘がつけなくなりました。この時代、この中に一人だけ嘘つきがいる、というミステリーはもう成立しないのです」

「技術の発展による陳腐化はミステリーの宿命ですよ。かつて携帯電話が普及した頃にも、孤島連続殺人モノは作られなくなった、と嘆かれたものです」

 相手に分からないよう、わずかに腰を浮かす。これで咄嗟に動ける体勢はととのえた。とはいえ、この人数を同時に相手するのは少し冒険だが。

「孤島連続殺人モノ?」

「例えば、孤島に遭難して取り残されたグループがいる。そこで誰かが殺されます。犯人はこの中にいるはずだ、となる。主人公はその犯人を見つけなければならない」

「ああ、そういう展開ね」

 いわゆるクローズド・サークルとも呼ばれるこの密室殺人パターンは、かつては大人気のジャンルだった。

「ご存じだったかしら?」

 カゲツが周囲の客を振り返った。

「つまり、クローズド・サークルかね。アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』が特に有名だ」

 と、右手にいる中年の男がそう答えた。思わず、目が見開いた。脳有りなのに推理小説を知っているのか?

 次に、奥の少年が胸をはる。

「ゲームでも『かまいたちの夜』という作品があるよ。あれは吹雪の山荘だけどね。主人公の行動を読者に選択させる、という工夫はゲームだからこそ。ミステリーとの相性もバッツグンだった」

 今度は、背後にいる少女が微笑んだ。

「だけど、携帯可能な通信端末の普及をもって、クローズド・サークルが衰退した原因とするのは暴論よね」

「……例えば」とカゲツが目を閉じた。「携帯の普及後に本格的に流行したデスゲーム系作品も、その閉鎖性と狂気が類似することから、クローズド・サークルの派生であると言える」と、締めくくった。

 別々の人から統一したミステリー論が語られている。まるで彼ら全員が同じ人物の思考を持っているかのように……。

「貴方達は、憑依型のトロルなのか?」

 憑依型は人格をコピーするトロルウイルスだ。

「違うわ」とカゲツは鋭く否定したが、すぐに口調を改める。「……私はシャクヤ・カゲツ。私はユニークで複製なんてされない。周りのみんなもそれは同じ」

 こちらを囲む、老若男女はそれぞれの仕草でそれに合意した。薄く笑う少女に、肩をすくめる男、目尻を下げる老人。

「でも、私たちはカタリを共有している。それぞれの脳の一部をカタリと交換した」

「カタリ?」

「これ以上はいけないわ。どんなに説明したって、保健省はカタリを認めないでしょう。カタリだって理解して欲しいとは思っていない」

 カゲツは向かいの椅子に腰をかけた。

「ねぇ、お願いがあるの」と、テーブルに肘をついてこちらを覗き込んでくる。「そのお嬢さんの脳を覗かせてくださらない?」

 すると、横から男が近づいてきて、テーブルの上に野太い接続コードを置いた。

 つまり、アルナナさんに脳直結させろ、ということだ。

「それはダメだ」

 記憶漏洩だけではない、脳が上書きされる可能性もある。

「野蛮はやりたくないの」

「こっちもそうだけど」

 と言いながら、腰裏にそっと手を忍ばせ、仕込んでいた短刀の柄を掴んだ。

「バクバさんは有名な免疫屋ですから、腕に自信があるのでしょうけど。カタリにも荒事が得意な脳はいます。もちろん、体のトレーニングも欠かしていませんよ」

「そうですか」

「自信満々?」

「どうでしょう。しかし、警告はしておきます」

「なにかしら?」

「脳無しである僕は他人に共感できない。だから平気で人すらも殺せますよ」

「ふふ、」とカゲツは笑った。「人すらも殺せますよ、ですか」

「……」

「でも、私たちはトロルなのでは?」

 彼女は見透かすように目を細めた。

「トロルを殺すのがバクバさんの仕事なのでしょう? わざわざ、そうやって脅す必要もありませんのに」

「あなたがトロルなのかは、僕が判断することです」

「あら、意外に高慢なのね」

「殺すのは僕です。だから、僕が決めなければダメだ」

 沈黙が数秒だけ続いた。

 彼女の目をじっと見る。まだ彼女がトロルかどうかは判断できない。保健省の定義とか、アルナナさんの責任とかは関係ない。この短刀を握っているのは自分なのだから。

 やがて、カゲツの口の端がつり上がった。耐えかねたように吹き出し、ついには膝を叩いて笑いはじめる。

「なるほど、なるほどね。確かにそうだわ。ごく自然のことね。カタリも『これには反論できないね』だって」と、こめかみに指をあてた。「ほら、ここに入っているカタリの部分がうずいちゃって、もう」

「……」

「ふぅ。いいわ。分かりました」

 とカゲツは立ち上がった。

「あなたをカタリのところに案内しましょう」





——————

[7]『2001年宇宙の旅』(映画、監督スタンリー・キューブリック)

 ヒューマンドラマよりのSF映画かな、と思って見たら全然違ってびっくりした。本作に該当する適切なジャンルはないと思うが、強いて言えば現代芸術的映画とも言うべきだろうか。とても人を選ぶ作品だと思います。


[8]『フルメタル・ジャケット』(映画、監督スタンリー・キューブリック)

 「逃げる奴は皆ベトコンだ」「まるでそびえたつ糞だ!」「よく女子供を殺せるな→簡単さ、動きがのろいからな→ホント、戦争は地獄だぜ!」などの名セリフでネットでも有名な作品。まるで「どんな美少女でも糞はする。だったら、美少女ではなく糞も撮影しようぜ」とでも言わんばかりのスタンリーのロックな姿勢が表れている名作です。


[9]『かもめ』(集英社e文庫、脚本:チェーホフ、翻訳:沼野充義)

 結局のところ、青春とは青臭いだけの勘違いなんだと私は読みました。(演劇は見てないけど)成功に憧れて、恋人を裏切り、売れっ子の小説家のもとにはしったニーナという娘のことが嫌いになれない。それに振り回されるかつての恋人のトレープレフのことも。二人はあまりにも若く必死なのだと思いました。個人的にはこのような自身の青春物語を「喜劇」と呼んだチェーホフの皮肉屋の部分が面白いと思いました。


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