ゾンビになったら一生一緒にいられるんじゃね?

才藤かづき

雨上がりの空の下

「ねぇ、もしかしてゾンビになったら、一生一緒にいられるんじゃね?」


 桶を返したかのような土砂降りの通り雨が過ぎ去った後、誰もいない学校の屋上で、彼女はそんな事を呟いた。

 俺と彼女がここに来たのはおよそ1時間ほど前、ちょうど昼休みが始まってすぐといった位の時刻だった。今頃は午後の授業が開始されている時刻だろう。

 当然屋根など存在しないそこでは、数日前までらあった過ごしやすい春の陽気が完全に消え、じめじめとした暑さを孕んだ空気が身体に落ちて少しの嫌悪感を抱かせる。

 彼女は落下防止のフェンスにその身体を預け、小さく笑いながらこちらをじっと見つめていた。雨の匂いを運ぶ風が彼女の金色の髪を揺らしている。

 先程問いかけた質問に俺が答えるのを待っているんだろう。回っていなかった頭に喝を入れ、考えを纏めるために思考を巡らせる。

 彼女はどうして、そんな事を急に聞いてきたのだろうか。それは彼女以外知るよしもなく、俺がいくら考えても結局は無駄な事だった。そして、ようやく浮かんだ答えが彼女の望んだものであるかは分からない、けれど他に思い付く答えなどなく、乾いた口を湿らせる。


「ゾンビって、たぶん意識が無いから、一緒にいられたとしても意味無いだろ」


 ゾンビ。蘇って歩く死体。パニックホラーの映画やゲーム等に度々出演している大人気の怪物。ウイルスや怪しげな儀式によるものなど、出現方法は作品によって様々な個性があるが、ゾンビの主な特徴としては、積極的に生きている人を襲う、噛まれたら彼らと同じようにゾンビになってしまう、頭を潰さない限り心臓を貫かれても死なない、と言った所だろうか。

 俺の答えを聞いた彼女は、やはりと言うべきか。返された答えが、望んでいたものではなかったらしく、口を尖らせ目を細めながらこちらを見ている。


「ちぇ~、ロマンが無いなぁロマンがさぁ~」


 そのままの顔で彼女は悪態をついてくる。そんな事を言われても、至った考えがこれしか無かったから仕方がない。それに、ゾンビになって添い遂げる事にロマンを感じるのはどうなのだろうか。


「けど、ゾンビになったら本当に意識飛んじゃう感じなのかな?」


「実際どうなのかは知らん。けど、俺が見たやつはだいたいそんな感じだったぞ」


 例外はあるかもしれないが、大半のゾンビは人間だった頃の知性を失い、ゾンビとしての本能に従って行動しているように見えた。


「ほぇ~、ゾンビとして生きるのも大変なんだねぇ~」


 生きていると言えるのだろうか、彼らは。


「ん~でもさぁ、思考停止してるのってアタシらもわりと同じだったりして。なんだっけ?哲学がどうとか」


「……俺もなんか聞いたことあるかもしれないなそれ、哲学的ゾンビとかなんとか」


「あぁ~それだ!哲学的ゾンビだ哲学的ゾンビ!」


 自らと、何故か俺までをも思考停止していると言い張った彼女の口から出て来るような言葉では無いような気がする。


「どこで覚えたんだよ、そんな言葉」


「ん~どこで覚えたんだっけ、思い出せないな~あ、そうだ!確かバイトリーダーに言われたんだっけ、アタシがバイトしてた時に結構大きめなミスしちゃってさ~、君は思考停止してる!哲学的ゾンビだ~とか何とか言われたっけ」


 彼女は以前、ファーストフード点でアルバイトをしていたはずだ。彼女の金の髪色やその髪から覗く耳に付けられたピアス等から分かるように、かなり自由な校則が売りの我が校ではあるが、何故かアルバイトだけは校則で禁止されているため、彼女は関係者に見つからないように、学校からかなり離れた店舗に勤務していた。

 たまたま俺がその店に行った事で、口封じにとよく絡んでくるようになったのは今はもう懐かしい記憶だ。しかし、哲学的ゾンビとは彼女のように、かどうかは一旦置いて、思考停止している人間を指す言葉だっただろうか。


「それ使い方あってるのか?違うような気がする」


「え、ゾンビだとか言われてガチめにショックだったんですけど。あの人、間違った使い方してたの?反省して損した!」


「いや、俺も詳しくは知らん。てか、ミスしたのは事実なんだから反省はしろよ」


「今あの人どうしてるんだろねぇ~」


「聞けよ!はぁ……気になるのか?その人の事」


「いや?適当に言っただけ。よく考えたらどうでも良かったよ、そんなに仲良かったわけじゃないし~」


「思考停止の部分は当たってたな、その人が言ってた事」


 脊髄の反射だけで言葉を並べているような彼女との会話に疲れて、俺はコンクリートが打ち付けられた屋上の床に腰を下ろす。

 雨が止んでからまだあまり時間が経過しておらず、捌け切っていなかった水がズボンに染み込み、濡れた布の不愉快な感触が肌に張り付く。

 だが、何故だかそんな事や哲学的ゾンビの定義についてもすぐにどうでもよくなってしまった。彼女の言う通り、俺も思考が停止してしまっているのかもしれない。


「ま、その人も元気にやってるだろ。たぶん」


 自分でも少し驚いてしまう程に興味の欠片も無さそうな声が出た。自分達の声以外に何も聞こえない静寂の場。結局の所、今この世界にいるのは自分と彼女だけ。他の事なんてどうでもいい、そう思えた。


「いやぁわかんないよ?この世の中」


「……それもそうか。……俺達はどうなるんだろうな、これから先」


「え、何急に思春期みたいな事言ってんの?」


 高校生は思春期だろ。そう喉まで込み上げてきた言葉を既の所で身体の奥に押し戻す。吐き出されたのは深いため息だけだった。自分は納得のゆく思春期を過ごせているだろうか。

 時が経って過去に思いを馳せる時、この情景を青春の1ページとして懐かしむことが出来るだろうか。

 傍から見ると、若い男女が他に誰もいない屋上で他愛もない会話を繰り広げている。それはもう青い春を謳歌しているように見えるだろう。そう思うと何故か気恥ずかしくなり、目を開けているのが窮屈になって瞼を閉じる。


「ねぇ、ゾンビとガチでやり合うなら、やっぱホームセンターに籠るのが一番良いのかな?」


 耳元から声がする。彼女は顔を寄せて話しているようだ。ゆるやかな吐息が頬を掠り少しくすぐったい。甘い香水の匂いが鼻孔を撫で回し、俺の思考は停止しかける。


「お前、またゾンビかよ……」


 今、彼女の顔はすぐ傍にあるのだろうが、俺はそれを直視出来るか分からない。瞳を閉じたまま、平静を装って答えにならない答えを投げる。


「……ホームセンターは、人が多そうだから何か嫌だ」


「うわ、オタク君が出ちゃってるよ、それ。人が多いから安全なんじゃん。それにほら、必要な物が全部揃う!ってこの前動画で見たし」


「実際にゾンビパニック経験してるわけじゃないだろ、その動画出した人。本当に何が必要かなんて、その状況になってみないと分からない」


「……アンタってゾンビ映画だと真っ先に噛まれてそう」


 それに関しては一理あるかもしれない。ゾンビ映画はパニック要素の含まれたヒューマンドラマな事が多い。結局、周りと仲良く出来ずに単独行動を取る奴から死んでゆく。


「それを言うなら、お前だってすぐ死ぬタイプだろ。冒頭でゾンビに襲われる金髪ギャルの枠で」


「わっ、ひど~い。じゃあアタシら2人ともすぐ死んでゾンビになるコンビじゃん」


「フフッ、ゾンビのコンビって、何だよそれ、ウケる」


 軽く韻の踏まれた彼女の言葉に、思わず息が零れる。以前の俺しか知らない人が見ると驚きを隠せないような、そんな軽い口調で返してしまう。

 瞼を開いて彼女の声がする方を向く。予想通り、彼女は俺の隣にしゃがみこんでいた。彼女は頬を膨らませ腕を組み、俺の言った事が不服であると全力でアピールしている。俺が彼女と目を合わせると、彼女はそれに笑顔を返して来た。


「おっ、最近アタシの口調が移って来たんじゃね?これは洗脳が効いて来た証拠かな?」


 俺の知らない間に、彼女は俺に洗脳を掛けていたようだ。それなら、この身体が痒くなるような想いも、彼女の洗脳のおかげなのだろうか。もしそうだとしたら、それはとてもありがたいように思えた。

 それとも、こんな想いが俺の奥底から湧き上がって来ている事を認めたくないだけなのだろうか。結局、この思いを外に出してやることも出来ずにここまで来てしまった。

 俺はその思いを掻き消そうと他の事に思いを巡らす。

 ホームセンターか。普段は人が多くて、絶対に必要な物がある時以外はほとんど行かないような場所だが、彼女とならそれも悪くないのかもしれない。

 むしろ、様々な商品を見て新鮮な反応をする彼女に、俺まで楽しくなってしまうような、そんな気さえも生まれ始める。


「行こうか、ホームセンター」


 気付けば、そんな言葉が俺の口から発されていた。確かこの学校からそう遠くはない距離に、かなり大きい店舗が建っていたはずだ。道は混んでいるだろうが、ここでずっとこうしているのは彼女にとっては退屈だろう。

 それに、ゾンビと違って、俺たちは生きている。身体を動かすためには栄養が必要なんだ。彼女と話していると、大して頭を回していない筈なのにとても疲れが溜まって来る。ホームセンターに着いたら何か食べよう。


「お、急にやる気になったの?いいじゃん。でも、どうやって行くの?歩いて?」


「それしかないだろ。車とかバイクの免許なんて持ってるわけないんだから」


「んー……あ、そうだ!誰かの自転車借りちゃおう!駐輪所に行けば鍵掛かってないやつの1台や2台くらいは探せば見付かるだろうしさ!」


 両手を振り上げて笑顔で叫ぶ彼女だが、果たして借りた後に返す気はあるのだろうか。俺が感じた罪悪感も、彼女の嬉しそうな顔に掻き消されてどこかへ消えて行ってしまう。

 こんな時だ、それくらいは許してもらえるだろう。やはり俺は彼女といると他の事がどうでもよくなってしまうようだった。彼女の言うとおりにしよう。


「それじゃあ、探しに行こう」


 俺は立ち上がり、屋上の端にある校舎へと通じる扉の方へと歩き始める。何歩か進んだ所で、背後から彼女の笑い声が聞こえた。

 どうしたんだと思い振り返ると、彼女は右手でこちらを指を差しながら、もう片方の手で腹を抱えて笑っていた。


「あはは!真面目な顔して話してたくせに、おしりの所濡れてんのマジウケる!」


 忘れていた。水に濡れたコンクリートに座ったせいだ。俺は慌てて両手を伸ばして濡れている箇所を隠すようにする。恥ずかしさが込み上げてくる。

 だが、彼女以外にその不格好な様子を見る者は存在せず、彼女には既にそれを見られている。隠している意味が無いなこれだと。

 俺は隠していた手をどけ、彼女へと向き直る。笑顔を映している彼女の顔が見える。その顔を見ていると、何故か笑われているはずの俺も可笑しくなって、笑いが込み上げてきた。

 そしてしばらく、2人で笑い合っていた。こんなにもくだらない事で、こんなにも激しく笑ったのは、生まれて初めての事かもしれない。


 ひとしきり笑って疲れた果てた後、俺達は屋上の扉をくぐり、静かな校舎の中を進む。階段を下りる靴音だけが響いている。そしてそのまま外に出ると、校舎裏にあった駐輪所まで足を運んだ。

 彼女と手分けをして鍵の掛かっていない自転車を探す。

 予想はしていたが、規則正しく並べられている自転車のほとんどはしっかりと鍵が掛けられていた。鍵の掛かっていないものはいくつかあったが、どれも長年放置されているだけのようで、チェーンが錆び付き、とても使えた物ではないと判断する。


「お~い!あったよ、使えそうなの!」


 声のした方へと歩いてゆくと、彼女が先ほど言った通り、鍵の掛かっていない自転車があった。

 それは放置されて錆び付いているような物ではなく、きちんと手入れされているようで新品同然、もしかすると新入生が登校の為に買った新品なのかもしれないと思った。

 掛け忘れかいつもそうしているのか、どちらにせよ、運悪く俺達に見付かってしまったこの自転車は、ホームセンターへと連れ去られる事が決定した。


「見た感じこれ1台しか無さそ。ま、2人乗りすればオッケーだけどさ」


 窃盗に2人乗り。彼女はどれだけ俺に悪事を重ねさせるつもりなのだろうか。この場合は、彼女も共犯という事にはなるが。

 だが、見る人がいなければ大丈夫だろう。そんな事を考えてしまう程には、俺は彼女の洗脳に深く掛かってしまっているのかもしれない。

 俺はその自転車を押して駐輪場の出口へと向かう。すると、重さを感じなかった自転車が急に重くなったのを感じた。


「ふぃ~もう歩くのメンドくなっちゃった」


 後ろを見ると、自転車の荷台を付けるための土台に彼女が腰掛けているのが見えた。


「おい、まだ乗るなよ、重いだろ」


「女子に向かって重いとかひっど!お嬢様に楽させるのも、執事の仕事っしょ?」


 俺はいつの間にか彼女の執事になっていたみたいだ。お前のようなお嬢様がいるか。そんな言葉が脳裏に浮かぶが、口に出すとまた文句を言われそうだったので止めた。

 俺は無言で、金髪ギャルのお嬢様が乗った自転車を校門に向かって押してゆく。そして、柵によって閉ざされた出口の前まで辿り着いた。

 その柵を開け、俺は自転車に跨った。そして足と手に力を入れ、いざ漕ぎ始めようとした瞬間、背後から声を掛けられた。


「ねぇ」


 それは彼女の声だった。だが、いつものように明るくはきはきとした声ではなく、消え入りそうなほど、押し潰されそうなほど、大きな不安を孕んだような、そんな声だった。


「……どうした?」


 小さく言葉を返す。すると、背後から俺を抱きしめるように腕が回される。彼女の体温を背中に感じる。突然の事に心臓の鼓動を跳ね上げながら、彼女の次の言葉を待った。


「……死ぬ時までは、一緒にいてあげる」


 俺が彼女の鼓動を感じているように、彼女も俺の鼓動を感じているだろう。回された腕に手を重ねる。彼女の細い腕を、力強く握りしめる。


「痛いよ……バカ」


 俺の身体に回された腕の力に力が込められる。俺は無言で地面を蹴り、ペダルに乗せた足を動かした。


 ゾンビになって一生一緒。彼女となら、それすらも少しだけ魅力的に感じてしまう。

 だが、そんな未来は絶対に来ないでくれと切に願う。俺はもう一度彼女の腕に手を重ねる。


 思考が停止してしまえば、彼女の温もりを、想いを、感じる事が出来ないのだから。俺も彼女と同じ気持ちだった。死ぬ時までは、君と一緒にいたい。そう思った。


「ゾンビにならなくても、一生一緒にいて欲しい」


 こんな状況にならないと言えないなんて、男として恥ずかしいと思った。

 けれど彼女は、俺のそんな情けない願いに強い抱擁で返してくれた。

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