第10章 侯爵家

 カンファーの名門、リリー家の興りは古い。ほぼ建国と同時と言っても差し支えない。

 一説には祖とされる人物は初代国王の庶子であったとも伝えられ、事実、与えられた所領は諸卿の中でも群を抜いて広大だった。彼が叙されたソーン伯爵位はカンファーの世襲貴族の筆頭であり、その序列は現在に至るまで変わらない。

 この小国にあってその存在感は第二の王家と称されるほどであり、歴代国王の実に半数近くはこの一族から妃を迎えている。王家コロンバインに流れる血の半分はリリーの血とも言われるが、あながちそれは誇張でもなかった。

 国王といえどソーン伯の同意無しに国政を進めることはできず、両者の連携があって初めて、この国は成立するとさえ言われていた。

 数百年にわたり、そんなソーン伯を宗主に擁するリリーの一強時代が続いていたが、やがてその権力構造は新興勢力の切り崩しに遭う。

 それが東部で台頭してきたカーラント家だった。元は小さな荘園を仕切る一介の騎士家にすぎなかったという同家だが、長年敵なしの状態を謳歌してきたリリーが鷹揚に構えているうちに、その陰で不満を抱える貴族や騎士階級を取り込み、障害となる者は裏から手を回して消すなどして、やがてカンファー宮廷にのし上がった。

 常に黒い噂が付き纏うと古参の貴族に眉をひそめられながらも、当主がグネモン州および隣接する諸州の領主としてグネモン侯に封ぜられたのが数代前のこと、そして当代のグネモン侯ヘムロック・カーラントに至っては、遂に娘を王妃の座に就けることに成功する。

 今やグネモン侯爵家は王家の外戚として、カンファーで最も権勢を誇る一門に数えられるのだった。



「おい、もう酒がねぇのか」

 山腹に空いた洞窟内、篝火が明々と燃える中、人相の悪い男たちがたむろしている。彼らはめいめいに酒やら食糧を抱えてくつろいでいたが、ひとりがそう言って、持っている酒壺をひっくり返した。

「今んでしまいだ。くそったれめ、全部呑みやがって」

 別の男が悪態をつく。近頃どうにも実入りが悪く、食糧も酒もそろそろ底をつきかけていた。

「なぁに、もちっと待ってりゃあ、頭がたんまり礼金もらって帰ってくんだろ」

 ひとりが明るい声で言うと、その横で寝転がってちびちびと杯を傾けていた男が不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「今度は逃がしゃしねぇだろうな。ったくあんなガキ、さっさとっちまえばよかったのによ。そんで金もらって女買った方が俺ぁ、なんぼかマシだ」

 その言葉に隣の男は苦笑いする。

「しゃあねえだろ、ありゃあ病気だ」

「わっかんねぇや」

「ま、お前さんからしたらそうかもしれねぇけどよ。……あんまめったなこと言わねぇほうがいい。頭に聞かれたらぶっ殺されるぜ。目ぇやられてから機嫌わりいったら」

「けっ! てめぇの不始末じゃねえか。情けねぇ、八ツ当たりしやがって」

 酔いの勢いか頭目への悪口が次第に大声になっていく仲間に、周りの男たちは肩を竦める。

 とばっちりはご免だ、とばかりに皆がその男に背を向け、離れていこうとしたそのとき、一陣の風が洞窟内を吹き過ぎた。

 一斉に篝火が消える。

 男たちは驚きの声をあげた。

「なんだ?」

 座っていた者も腰を浮かせ、きょろきょろと辺りを見回す。と、そこに再び洞窟内に風がはしった。

「がッ……」

 暗闇に誰かの呻きが響く。続いてどさりと身体が地面に倒れる音。その音源のすぐ近くに居合わせた者の顔に、生暖かい飛沫が飛び散った。

 錆のような臭い。夜目が利かずとも分かる。それは血だった。

「な……」

 動揺に声をあげるのとほぼ同時に、また同じ風の音。そして仲間の血に顔を濡らした男は、それが風ではなく飛来した武器の刃であることを、ほどなくその身で知ることとなった。



「……なんとも派手なことだ」

 そう言って、惨を極めた眼前の光景にクローブはわずかに顔を顰める。殲滅された賊の血煙がいまだ空気の中を漂っているかのごとく、辺りは生々しい臭気を放っていた。

「クローブ様。死体の始末はいかがいたしましょう」

「放っておいてニームに腑分けさせればよい……と言いたいところだが、これでは不必要に狼どもを寄せつけることになりかねんな。すべて人里離れた場所に移せ。その先は任せる――そう指示を出しておけ」

「は」

 ひと通り部下に命じると、クローブは踵を返し洞窟を後にした。

「帰還する。子供の様子は?」

「……眠っております」

「静かで何よりだ」

 山中の木に繋がれ従者が見張る馬の背に、拘束されたディルは横向きに括りつけられている。捕らえた場所から運び出してからは総じて大人しく、特に抵抗する様子も見せなかった。

 連れの命がもはや無いだろうと聞かされあらがう気力を失ったか、はたまた単なる疲労ゆえか。歳のわりにしっかりした口を利いてはいたが、まだ子供だ。

 その憔悴した寝顔を見遣ると、頬が激しく腫れあがって変色しており、クローブは苦々しげに眉根を寄せる。

「まったく余計な真似を。ヘムロック様の目にかけるにはあまりに見苦しい。数日はおかねばならんな」

 彼の言葉に、部下の騎士は首を傾げた。

「旦那様がお会いに?」

「そうお望みだ」

「なにゆえ……。もとは殺してしまうはずの者だったのでしょう?」

「お気が変わられたらしい。もはやリリーの書簡などより興味をお持ちのご様子だ」

「はて……」

 怪訝な表情のまま、しかしそれ以上の詮索は恐らく意味がないとクローブの口調から悟った騎士は、口を閉ざして馬の方に歩み寄り、従者から手綱を受け取った。

 クローブも同じく馬の手綱を取り、その背に跨る。そして一行は静かに道を進み始めた。



 この宵の始まりとは打って変わり、穏やかならぬ心持ちで眠りの淵に沈んでいたディルは、馬の背から伝わる振動でわずかに意識が浮上する。

 微睡まどろむ脳裏に、何かが浮かんだ。

 白い花。

 誰とも分からぬ相手に手渡され、名も知らぬまま父親の墓に供えたあの花だ。

 あれからあまりに自分を取り巻く世界が急変し、ゆっくり思い返すこともできずにいた。

 なんの花だったのか、自分はいつか、それを知ることができるのだろうか。

 そしてあのときは父の死で頭がいっぱいで、深く考えることもなかったが、花をくれた相手はいったい誰だったのだろう。

 目深に被った外套の奥、その顔は陽を背にしていたこともあり、まったく見えなかった。ただ、年若い声だったことはなんとなく覚えている。

(……あれ?)

 何か引っ掛かりを感じ、ディルは夢現ゆめうつつの中で首を傾げた。

 

 ――どうぞ。


 丁寧な発音の、優しい声。

 たったひと言ではあったが、それと同じように話す人間を、自分は知ってはいないか。

(ヴィー……?)

 不思議な巡りあわせの果て、自分の庇護者となった謎めいた若者。

(もしかして、あのひと、ヴィーだったのかな……?)

 一度そう思ってしまうと、さまざまなことが符合する気がした。

 明らかに平民と分かる、それも子供の自分に対して、あんな口調で話す貴族など何人もいそうにない。

 花を取り落とさせてしまったのに怒る様子もなく、自分と真新しい墓を目にして、わざわざ別の一輪を選んで渡してくれた。

 直感的に、亡くす痛みを知っているひとだと思った。そして彼らにとっては取るに足らない、自分のような何も持たないちっぽけな存在にも、厭わず寄り添ってくれるひとだ。

 だから彼は、ただ落ちて花弁がきず付いた花を下げ渡すのではなく、無傷のものを贈ってくれたのだ。哀悼の意を込めて。

 あのとき、そこまでディルは事態を理解していたわけではなかった。けれど、さりげなく寄せられた見知らぬ相手の真心を、漠然と心のどこかで感じた。だからこそそれをきっかけに、正気を取り戻したのである。

(ヴィーなら、きっとああする)

 戦いの最中さなかというのに、恐怖と不安に負け、泣きながら道理の通らぬ我儘を言った自分に、ヴィーは恐ろしく真摯に向き合ってくれた。

 そんな彼なら、あの墓地での場面で同じことをするに違いないと、ディルには思えるのだった。

 あのときはまだ、自分はリリー家の使用人として、もう少ししゃんとした身なりをしていた。仮にあのひとがヴィーだったとして、汚れきって痩せ細り、顔中痣だらけになった自分が、墓地にいた子供と同一人物だと気付いていない可能性は大いにある。

 今度また会えたら、訊いてみよう。王都の墓地で子供にぶつかられなかったか。その子供に、花を渡さなかったか。

 そこまで考えて、ふと素朴な疑問が浮かんだ。

(あの花、ヴィーは誰の墓に供えるつもりだったんだろう?)



 次にディルが目を覚ましたとき、すでに一行の移動は終わっていたようで、どこかの建物の中だった。

「ちょっと! あんたそろそろ起きなさい」

 威勢のよい誰かの声に驚き、慌てて目を開けた。

 簡素な寝床の上に寝かされていたらしい。そしてその傍らに、両手を腰に当て、肩を怒らせた年配の女性が立っていて、こちらを見下ろしていた。

 自分を拘束していた縄は解かれており、ディルはその女の咎めるような顔つきを見て、ともあれ身を起こす。

「捕まって連れてこられたってのに、よく寝ておいでだったこと! ずいぶん度胸の据わった子だね」

 身なりと体格の良さからすると、どこかの屋敷の使用人、下働きの洗濯婦といったところか。

「……ここはどこ?」

 ぼんやりする頭を振りながら、ディルは訊く。

「グネモン侯爵さまのお屋敷だよ。ほら、さっさと起きて。体を洗ってもらうんだから」

 王都なのか。どうりで、空気の匂いがどことなく懐かしい。

 ここしばらく山の中に身を置いていたが、やはり馴染み深いのは王都の、貴族の屋敷の中だ。

 ――それがたとえ、旧主の政敵のものであったとしても。

 洗い場に連れていかれたディルは、着ていた衣服を脱がされ、大きな洗い桶に溜めた水の中に全身を浸けられる。冷たさに身が縮んだが、文句を言う隙も与えられずに頭から水を掛けられた。

「っ……」

 女が首を竦めたディルの髪に手を突っ込み、がしがしと頭を洗い始める。

 自分で洗える、とディルは言いたくなったが、何か有無を言わせぬ迫力を彼女から感じ、黙ってされるがままにした。

「山賊かなんかのところにいたって聞いたけど……。にしちゃあ、綺麗じゃないかい? 泥だらけっちゃあ泥だらけだけど、もっと垢まみれでどうしようもないかと思ってたよ」

 言われて、ディルは言葉少なに答えた。

「……おれを拾ったひとに、いちど洗われた」

 小川で魚を捕るついでに、ヴィーと一度水浴びをしたのだ。


 ――貴方はずっとろくに食べてなくて、体力が落ちています。せめて身体を清潔にしておかないとすぐ病気になってしまいますよ!


 面倒だし冷たいし、と渋る自分に、彼はそう言った。身体の汚れと病気の関係がいまいちディルには分からなかったが、このときもその口調に母親みたいだと思ったものだ。

 そういえば、もうとうに夜は明けている。ヴィーはどうなったのか。それを考えると、ディルの胸はつきりと痛んだ。

「へえ? どうりで」

 女は感心したように言って、ディルから手を離した。

「他も洗って、泥はちゃんと落としとくれ。あんたのせいでお屋敷が汚れたなんてことになったら、いい迷惑だからね」

 別に望んでここに来たわけではないし、まして泥だらけになった原因はむしろそっちのほうにあるのに、とディルは思ったが、そんなことを彼女に言ったところで無意味なことも分かっており、ただ口を噤む。

 顔を洗ったとき、自分の手が触れた左頬に激しい痛みが走った。

「ッ痛……」

「なんだか顔も身体も痣だらけだね。そいつは特にひどい。……やだやだ、賊なんて連中は乱暴でさ」

 痛みに呻くディルの様子を見て、女は自分の頬まで痛んだかのように顔を顰める。彼女のその言葉については、ディルもまったく同感だった。

 ただ、彼女の口調からは実際の無法者など見たことがないのだろうということが、端々から感じ取れる。伝え聞いた厄介な連中、くらいの認識で、彼らに一度は殺されかけ、はたまた捕らわれ寝食を共にさせられた自分からすれば、その表現はまったくもって現実感を伴っていない。

 自分だって、かつてはそうだった。

 カンファーは国自体がそれなりに豊かと言われており、王都は総じて治安が良い。内郭なら尚更だ。

 ずっとその中で暮らしていたディルには、豊かであるとは何か、治安が良いとはどういうことなのか、まるで分かっていなかった。噂に聞く野盗だの山賊だの、そんなものは他人事だったのだ。

 なんだか、ディルは自分が王都の人間ではなくなってしまったような気がした。

 もっとも、事実そうとも言える。

 今の自分には、ここ内郭にいられる正当な根拠がない。

 手形も仕える貴族の主人も持たない自分がどうやってここまで運び込まれたのかは分からないが、荷に紛れて城門を通過したか何かか。グネモン侯爵の名を出されてわざわざ一行をあらためようという兵も役人もいないだろう。

 結局、賊の許を離れられても、自分はいまだ法から外れた存在でしかないのか。そう思うとディルは暗澹あんたんたる気分になった。

(こんなふうに、王都に戻りたくなかったな……)

 もし平和裏にヴィーとここまで至れたとして、自分がどうなっていたのかは分からないけれど。

 ひと通り身体を洗い、桶から出ると新しい衣服が用意されていた。

 もともとディルが着ていたような何の変哲もないこざっぱりとした短衣である。泥まみれだった元の服がどこに持っていかれたのかは、分からなかった。

「さあ、さっきの部屋に戻るよ」

 ディルが身支度を整えると、さきほどの女が急かすように言う。

「おれ、なんでここに?」

 ディルが問うと、彼女は肩を竦めた。

「さあね、そんなことはあたしらには分からないさ。その顔がもちっと綺麗になるまで、あんたはあの部屋で過ごすんだとさ」

「顔……?」

「そんな醜く腫れた顔したのがお屋敷をうろつくなんて、とんでもないだろ。ここは王妃様のご実家でもあるお屋敷なんだよ? 万一、人目に触れたら旦那様の恥になる」

 そんなにひどい顔になっているのか。まあ、あの勢いで殴られたのだから無理もない。歯が折れなくてよかった、とディルは心底思った。

「……あんた、名前は?」

 そう訊かれ、ディルは答えようと口を開く。そのときだった。

「無駄口はそこまでだ」

 鋭い声がふたりの間に割り込んできた。聞き覚えがある。昨夜自分を捕らえた男の声だ。

 洗い場に現れた、場違いとも言える上等な身なりの騎士の姿に、女がひっと息を飲む。

「ク、クローブさま!?」

 クローブは女の方を見ると顎で洗い場の外を示した。

「女、ご苦労だった。仕事に戻ってよい」

「は、はい……っ」

 怯えたように彼女は一礼すると、慌てて洗い場から去っていく。

 ディルは初めて明るいところで彼の姿を見た。

 歳の頃は自分の父親と同じくらいだろうか。ぴしりと伸びた背筋に、笑う姿など容易に想像できないような、厳格そうな顔つきをしている。

 昨夜は他の騎士を指揮していたし、周囲の彼に対する態度を見るに、侯爵家に仕える騎士の中でもかなり身分が高いのだろうと思われた。もしかすると自身、カーラントの一門に連なるのかもしれない。

 腰に提げた長剣が飾り物でないことは、昨夜さんざん見せつけられたばかりだ。

 クローブはつかつかとこちらに歩いてきて、ディルを頭の先からつま先まで一頻り眺めた。無遠慮な視線にディルは居心地悪そうに眼を逸らす。

「ふん、やはりその顔、ひどいことになったな。女の言ったとおり、お前はしばらく与えた部屋で過ごせ。逃げようなどとは考えぬことだな。――逃げる先があるとも思えぬが」

「……なんでおれを……」

 ディルがそう言いかけた途端、クローブは強い声音で遮った。

「ここは王都だ。昨夜までお前がいた山野ではない。仮にも内郭育ちの知識層の端くれならば、。それともその身は性根まで賊と化したのか」

 ディルは一瞬、強い反感とともにクローブを睨み返したが、しかし彼の厳しい口調の中から読み取れた言葉の意味に、咄嗟に出そうになった反論を飲み込む。

 クローブは、ディルを賊に身を落とした孤児ではなく、貴族に仕える書記の息子、と認識しているのだ。少なくとも、彼がそれに相応しい態度を取るのであれば。

 ディルはひとつ深呼吸をすると、睨めつけるような目つきはそのままに、しかし背筋を伸ばして口調をあらためた。

「……どうしておれをここに連れてきたのですか?」

 自分の言外の意図を正確に汲み取ったディルに、クローブは満足そうな様子で身体の向きを変え、ついてこい、と身振りで示してから歩き始めた。

 クローブの後についてディルも洗い場を出、通路を進む。

「……お前の質問については今は回答できん。もう少し見目がましになったら、我が主から直々に話があろう」

「……グネモン侯爵さま、からですか?」

 ディルは躊躇いがちにその名を口にする。大物すぎて現実感が湧かない。

 クローブは目だけをこちらに向け、言った。

「『旦那様』、だ」

「……侯爵さまは、おれの主人じゃありません」

 ディルの言葉に、クローブは意外そうに眉を上げる。

「なんだ、リリー卿への義理立てか? 草まで差し向けてお前を消そうとした相手だぞ?」

 その言葉はディルの胸を抉った。どうして自分が? という気持ちは当然、欠片かけらも解決していない。

 しかし、そのこととディルの拒絶はまた別の問題だった。

「おれはここには連れてこられただけです。それに、リリー卿じゃなくて……おれは、あのひとと一緒に行くと決めてます」

「……お前を賊の許から連れ出した者のことか」

 ディルは黙って肯く。

「リリー家が抹殺を諦めるとは思えんぞ。それはお前自身のこともだ。昨夜は腕の立つ連れのお陰でどうにか凌げたろうが、もはやそれもない。我が主の庇護なしに、お前は一日たりともながらえられぬだろう」

「……あのひとは、生きてるんですか?」

 やや確信を伴ったディルの問いに、クローブは面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「仕留めたという報は受け取っていない。リリーが隠蔽していなければの話だが。……お前の連れがただのお人好しだという認識は改める必要があるな」

「……おれも、ゆうべまではそう思ってました……」

 安堵からか、つい、ディルは本音を漏らす。クローブは若干驚いた顔をして、ディルを軽く振り返った。

「……お人好し、という話か?」

 訊き返され、ディルは気まずそうな顔になる。

「はい……」

 クローブはやや呆れた顔をした。

「拾った相手にそう思われていたとは憐れな話だ」

「強いなんて知らなかったんです」

 言い訳しながら、戦いとはまるで無縁そうな外見のヴィーを思い返す。

 頼れる相手と思ってついて歩いていたとは言えないのは、確かだった。とはいえ、クローブの指摘のとおり、ちょっとヴィーに対してひどかったかもしれない、とディルは反省する。

「……まあいい、そうは言っても時間の問題だ。カーラントの領域に入ったお前とは違い、連れはどこへ行こうとリリーの標的であり続けるのだからな」

「そんな……!」

「当然だろう。無駄な期待は抱かぬことだ」

 そこまで言って、ディルが先ほど寝かされていた部屋の前でクローブは立ち止まる。扉を顎で示し、中に入るよう彼を促した。

 再び悄然となったディルは自分で扉を開け、部屋に入る。

「お前は自分が生き延びるには何が最善かだけを考えるがいい。幸い、時間はたっぷりとある」

 項垂うなだれているディルを廊下から見遣り、クローブはそう言った。

「まずは傷を治すことだ。その後はお前の選択次第となるだろう。それまではこの部屋から出ることを禁ずる」

「えっ……」

「外から鍵を掛ける。馬鹿なことは考えぬことだな」

「しょ、食事は!?」

 思わず、ディルは叫んだ。

 近頃ずっと、人に会うたびに食べ物の心配しかしていないなと自分で思い、なんだか情けなくなる。しかし、仕方がない。これが切実な問題であることは間違いなかった。

「お前を餓死させるためにここまで捕らえてきたわけではない。案ずるな。時間になれば運ばせる」

「時間って……」

「朝食は先ほど終わったところだ。数刻もすれば昼食の時間になる。大人しくしていろ」

 無情にもそう言って、クローブは扉を閉めた。すぐに外から金属音がし、鍵を掛けられたことが分かる。

 ディルはがっくりと肩を落とした。無性に空腹が気になりだす。

「……なんで朝飯の前に起こしてくれなかったの……!?」

 元から好意など持ちようもない相手だったが、ディルはクローブのことが、ひとつ嫌いになった。

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