第6章 孤独な戦い

 身を潜めた茂み越しに十分に敵を引きつけてから、ヴィーはまず右手に持っていた小刀を投げつけた。

「うぁっ……!?」

「おい、火を消せ!」

 敵の悲鳴でそれが相手に命中したことが分かる。接近戦の前に向こうの戦力を削ぐ考えなのだろう。

 後衛の松明を持った者たちが慌てて火を消す。

 そんな混乱の中へ矢継ぎ早に二本目、三本目を投擲とうてきしたのち、ヴィーは初めて抜剣した。ディルに目配せをして低木の陰から飛び出す。

 ヴィーの初手に賊たちの足並みが乱れる。ディルはその隙に別方向に走り出した。

(約束……約束……あの日、ヴィーはなんて言ってたっけ!?)

 彼の最後の言葉が何を指しているのか、どうにか思い出そうと記憶を探る。

 しかし思い出すより先にヴィーに斬りつけられた男が派手な悲鳴をあげた。思考が乱され、記憶の探索は中断を余儀なくされてしまう。

 血も凍るような大の男の叫びにディルはつい足が止まりそうになった。

 先日無我夢中で振り回したナイフが、赤夜狐の頭目の顔面を深々と抉った感覚が生々しく甦り、胃から何かが逆流しそうになる。

「捕まえたぞこのガキが! 嬲り殺してやる!」

 まさにその頭目がディルの襟首を掴み上げ、残った片目から憤怒を迸らせて顔を覗き込んできた。

「……っ!」

 頬に重い拳を叩き込まれ、ディルの身体は真横に吹き飛ぶ。

 幸か不幸か、この男から逃げた後に捕まった賊たちから日常的に殴られる生活を送ったディルは、顔に拳が至る寸前、無意識に歯を食い締めて顎を守った。

 頭から地面に叩きつけられる。歯と舌はどうにか殴打の衝撃に耐えたが、それでも口の中に血の味が広がった。

 この、暴力で何もかもを一方的に踏みにじられる感覚。理屈も何もなく、ただ恐怖と痛みで心身が萎縮する。

 しかし、そんなディルの心中を見透かしたかのように、すぐさまヴィーの叱咤が飛んできた。

「立って! そこで負けてどうします。貴方の敵はもっと大きいのですよ!」

 複数の賊と打ち合いながらよくこちらに注意を向けられたものだが、その声はディルに、自分が独りではないことを思い出させた。

「……っ」

 あんな奴らに負けるわけにはいかない。大勢を一度に相手にするのは苦手だと言っていたのに、自らその状況に飛び込んでいったヴィーの足を引っ張るわけにもいかない。

 地面に投げ出された自分を切り刻むつもりか、剣を抜き、頭目が大股にやってくる。

 踏みつけようと出された足を、ディルは横に転がって躱した。そしてありったけの気力を振り絞って身を起こす。

 彼らが現れて以来、灯りを使わず行動していたディルは、追っ手よりよほど闇に目が慣れている。いまだ足許が危うい敵よりいち早く道を見付けて駆け出した。

「くそっ、逃がさねぇぞ!」

 すぐさま頭目が追ってくる。

 無理からぬこととも言えるが、ディルから受けた傷と屈辱によほど逆上しているのか、剣を振るい仲間に斬りかかっているヴィーのほうには目もくれず、ひたすらディルを捕らえようと恐ろしい形相で迫ってきた。

 このまま捕まったら殺されてしまう。あの様子では、騎士の出した指示など全く聞く気が無さそうだ。

 斜面を慎重に駆け下る。

 頭目はいまだ目が慣れきらない闇と、そして恐らく片目であるせいで思うように進まず、ディルとの距離を詰められない。

 やがてディルは坂を降りきり、平地を駆ける。捕り物は賊に任せ、野営地の焚火跡に佇むふたりの騎士の方を目指した。

 騎士たちが走ってくるディルとそれを追う頭目に気付く。ひとりが、先にすぐ近くまでやってきたディルに腕を伸ばしてその手首を捕らえ、そのまま捻り上げた。

「痛……っ」

 腕と肩が不自然に引っ張られ、ディルは痛みに顔を顰める。

 ディルを手首から吊り下げるように掴んだまま、騎士は追ってくる頭目とディルの間に自らの身体を割り込ませた。

 頭目は足を止めつつ、自ら獲物を捕らえ損なったことに盛大な舌打ちをする。

 その反応は予想済みだったのか、騎士は意に介さず事務的に言った。

「ご苦労、こちらはもうよい。手下に加勢し連れのほうも捕らえよ」

「ああ?」

 頭目は全く納得がいかない様子で騎士に食ってかかった。

「待てよ、このガキには思い知らせてやらなきゃ気が済まねぇんだよ」

「お前の私怨など知ったことか。早く行け」

「なに!?」

 粗野な態度の相手に辟易した様子で、騎士は顔をしかめる。

主人あるじはこの子供に用があると仰せだ。お前に壊されるわけにはいかぬ」

「……殺せって話だったじゃねぇかよ!」

 頭目は騎士の身体の陰に隠れる形になったディルが、思わず首を竦めたくなる声量で怒鳴る。

 しかし騎士の身体は微動だにしない。

「それはお前がこの子供を逃がす前の話だ。余計なことをせずそのとき殺しておけばよかったものを」

「……っ」

 反論に窮し無言で騎士を睨めつけた頭目は、傷が痛むのか片手で包帯を押さえる。その様子を冷ややかに見返し、やがて騎士は頭目に背を向けた。

「これは拘束しておけ」

「は」

 かたわらに立つ、もうひとりの騎士にディルを引き渡す。ディルはその騎士に縄で両手両足を縛られ、肩に担がれた。

 その様子を頭目は歯軋りしながら凝視する。

 身体の自由を奪われたものの、どうにか狙い通り賊ではなく騎士のほうに囚われることになったディルは、誰にも気付かれないように小さく安堵の息を吐いた。

「頭ぁ……っ!」

 ヴィーと戦っていたはずの賊のひとりがよろめきながら戻ってくる。腕に深傷を負っているのか傷口を押さえ、さらに片脚も引き摺っていた。

「……なんだ、ったか?」

 不機嫌に応じた頭目に、その男は息を切らしながら激しく首を横に振る。

「そうじゃねえ、逃げられた」

「ああ? なんで追わねぇ」

「……奴、森ん中滑り降りて行きやがってよぉ、見失っちまった。他の奴らも斬られて……っ」

「馬鹿野郎!」

 頭目は持っていた抜き身の剣を放り捨てると、そのまま手下を殴り倒した。

「逃しただと!? 俺の顔に泥塗るんじゃねぇよ。くそっ、どいつもこいつも……!」

 殴るだけでは飽き足らず、悲鳴をあげて倒れた手下を幾度も踏みつける。

 見ていた騎士がため息をつく。そしておもむろに剣の柄に手をかけると、無造作にその背に斬りつけた。

「……!!」

 驚愕に目を剥き、こちらを振り向こうとした頭目の胸に、今度は切っ先が深々と突き刺さる。

 地面に転がって頭目の暴行に耐えていた賊も、もうひとりの騎士に担がれたまま一部始終を見ていたディルも、呆然と目を見開いた。

「お前に我が主人の狐を名乗る資格などないわ」

 呆気なく絶命した頭目の身体から剣を引き抜き、騎士は冷然と言った。

「泥を塗られたのはお前ではない。我らのほうだ」

「か、頭……!」

 手下が狼狽えながら起き上がろうとしたが、騎士はその男の喉をもあっさりと掻き切る。

 彼は血濡れたふたつの骸を一瞥もせず、剣をひと振りして付着物を払い、鞘に収めた。

「……なんで……」

 反抗的な頭目はともかく、その手下までをも躊躇いなく斬って捨てた騎士に、ディルは思わず叫んだ。

「なんで!? 味方なんじゃ……」

 しかしすかさず騎士はディルの方を向き、その顎を乱暴に掴んで引き上げた。

「無礼者。リリーの使用人だったと聞いたが、騎士への口の利き方も心得ぬとは随分躾のなっていないことだ。国内最古と謳われる名門といえど、今やこんなものか」

「……っ」

 したたかに殴られた頬が腫れ始めていたディルは、騎士の指が皮膚に食い込む痛みに声も出ず、顔を歪める。

 彼の口ぶりから、ヴィーの言う通り彼がリリー家と長年敵対しているカーラント家の手の者だというのは間違いないように見えた。

 確かに、リリー卿の屋敷にいた頃であれば、こんな口調で騎士身分の相手に食ってかかるなど考えられないことだった。

 おそらく、ヴィーに出会う前であれば、受けた扱いが一方的に不当なものであったとしても、簡単に屈していたかもしれない。戦える相手だなどと思っていなかったのだから。

 やがて騎士は口をつぐんだディルから手を離し、彼を担いでいる配下と思しき騎士に向かって言った。

「ふん、おもな者が先達せんだっての流行り病でみなやられたという話は確かなようだな。想像を絶する質の悪さよ」

「ええ、まったく……呆れるばかりです」

(流行り病……?)

 その会話に、ディルは自分の母も命を落とした悪性の風邪が、一時期王都内外で猛威を振るっていたことを思い出す。

 もしそれが同じ病のことだとしたら、母の命を奪った怖ろしくも恨めしい死病が、一方で自分の窮地を救ったのかもしれない、とディルは現実の皮肉さにひどく複雑な気持ちになった。

 もし別の者が頭目であったら、あの場から逃げおおせるなど不可能だったに違いないのだから。

「しかしクローブ様、残りの者はいかがいたしましょう」

「まともに動ける者はいないようだが……息があるかは見ねばならんな」

 クローブと呼ばれた騎士は答えながら、自らが斬った二人目の賊の方に顔を向ける。そして何かに気付き身を屈めた。

 腕と足に、ヴィーが投げた小刀が刺さっている。そのひとつを引き抜くと、ディルによく見えるように彼の目の前にかざした。

 血と肉片が付いたままの生々しさに、ディルは思わず目を逸らす。

「お前の連れのものか?」

 クローブの問いに、ディルは何と答えたものかと押し黙る。が、すぐさまクローブは小刀の握りの先端をディルの顎下に当て、ぐいと突き上げた。

「答えろ」

 その簡潔で冷徹な口調に、強引に顔を上げさせられたディルは背筋が凍る。

 今の今まで人体に刺さっていた武器から立ち昇る血の臭いが鼻にまとわりつき、せそうになった。

 賊の頭目も怖ろしかったが、それとは別種の底知れない恐怖を、この騎士から感じる。自分の敵はもっと大きい――ヴィーの言葉の意味が感覚的に分かるようだった。

「……違う。逃げてる間に森の奥で別のやつらに襲われて、そいつらが投げてきた。それを使っただけ」

「結構。要点を捉えた回答だ。やはりお前は歳のわりになかなか賢いようだな」

 そう言ってクローブはディルの顔から小刀を離す。

「……草を出してきたか。ふん、いちいち癪に障る連中よ。……こんな手合いを使わねばならぬ我らには、まったく羨ましいことだが」

 細かいことまで理解できなかったが、自嘲めいたクローブの言葉が赤夜狐を指していることは、ディルにも漠然と分かる。赤夜狐というのは、どうやら元々カーラント家と繋がりのある賊らしい。

(それでヴィー、グネモン侯爵家って言ったのか)

「さて、ではもうひとつ。お前はリリーから書簡を持たされていたはずだ。今もお前が持っているのか?」

 いきなりこの場で本題に切り込まれ、ディルは面食らう。しかしヴィーからどうすべきか教えられていたこともあり、すぐに答えた。

「持ってない。あの人に渡した」

「お前の連れのことか?」

 ディルはうなずく。

「連れは何者だ? どこの家に仕えている」

 この質問に、ディルは力なく首を振った。

「知らない……。エレカンペインから来たってことしか」

「エレカンペイン?」

 クローブが微かに目を見開く。

「お前たちはなぜ行動を共にしていた」

「おれが他の盗賊に捕まって働かされてたら、あのひともそいつらに捕まえられてきた。あそこから逃がすかわりに、おれも連れてってくれるってことになって……」

 クローブはディルの説明を吟味するように、彼から目を離さぬまましばし沈黙した。

「……お前の身の上のことはいつ話した?」

「さっき。おれが追われてるって分かったから」

「つまりそれまでは何も知らなかったはずだと?」

 その問いにディルははっきりと肯く。

 クローブは顎に手を当て、僅かの間、再び黙考した。

「……真実何も知らずにお前を保護し、お前が狙われていると知って書簡を預かったというのなら、余程の世間知らずでお人好しとみえるな。安易な正義感に駆られたのか知らぬが、書簡を見られた以上……いや――」

 クローブはいちど言葉を切り、顎から手を離して背後を振り返った。

 先ほどディルがヴィーと共に身を潜めていた方角をしばし見遣り、それからこちらに向き直る。

「小僧。よいことを教えてやろう」

 あらたまったクローブの言葉に、ディルは顔を上げた。

「お前の連れは、生きてこの森を出ることはない」

「――」

 告げられた内容の恐ろしさに、ディルの思考はしばし停止する。

「……うそだ……」

 呆然としたまま言葉が口をついて出てきたが、自分で何を言ったかすら意識の外だった。

 血の気が引いていく。その音が聞こえた気すらした。

 凍りついたディルを憐れむような目で見下ろし、クローブは噛んで含めるような口調で続ける。

「草は標的を逃がしはせぬ。多少腕が立とうと、夜が明けるころには物言わぬ骸となっていよう。草が動くとは、そういうことだ」

 もうディルの耳には話の後半は入ってこなかった。胃の腑を鷲掴みにされたような感覚が彼を襲い、不安が冷水のようにその心を冷やしていく。

(そんなの、うそだ。だってヴィーは……)

 ヴィーは相手が草だと分かっていた。だからこそ、自分を引き渡す判断をしたのだから。容易ならざる相手だとは承知の上で、しかしひとりでならなんとかなる、そう言っていた。

 ヴィーのげんを信じたい。

 信じたいが、もはや自分に都合の良い事柄だけを心のたのみとするには、近頃ディルの周囲で凶事が起き過ぎていた。

 それに、時として、予想外の事態は起こる。例えば自分が、力では到底敵わないはずの大男から片眼を奪ったように。

 何事にも絶対はない。もし、クローブの手にあるのと同じ特殊な形をした小刀が、ひとつでもヴィーの身体に至ったら?

 先端は細く鋭く、刀身の途中が広がり、返しの付いたやじりのように反り返って再び細くなるこの形は、おそらく引き抜く際に肉を抉り、傷を広げることを目的としているのだろう。小さくても標的に十分な痛手を与えるために。

 こんなものが一箇所でも突き刺さったら、身体の動きは制限される。場合によってはその傷がもとで死に至ることもあるだろう。

(……もし、ヴィーが死んじゃったら……?)

 居ても立ってもいられず、胸を掻き毟りたい衝動に駆られた。が、拘束された身にそれは叶わない。

(いやだ、いやだよヴィー。死なないで……! おれはまた置いてかれるの?)

 また自分は独りになるのか。それ以上に、あのヴィーが無残に殺されてしまうなど、考えるだけで気が変になりそうになる。

 しかし自分には成す術もなく、そのことに、恐慌のあまり視界が真っ黒に塗り潰された。

 そんななか、不意にヴィーの声が脳裏に響く。


 ――決して、貴方の悪いようにはしません。どこかに置いていったりもしない。約束します――。


(……ああ、そうだ)

 ディルの目に涙が滲む。

 思い出した。絶対に忘れるなと言われた、彼の約束。

 ディルは堪えるように唇を噛み、自由にならない手で拳を握りしめた。

 ヴィーはおそらく、できない約束をする人間ではない。クローブが言うような薄っぺらい正義感で、その場限りの綺麗事ばかり並べる人間だったら、とうに自分を見捨てている。

 けれどヴィーは沈着で、姿や口調に似合わず冷徹で、本気で互いの生き残りを賭けているからこそ、自分を敵の手に渡したのだ。

 だからきっと、信じていい。

 不安に押し潰されそうになる胸中を必死に奮い立たせ、ディルはクローブの言葉を頭から締め出した。そして意識を広げて耳を澄ませる。

 この場で目覚めたときと同じ夜の森の静寂が、いつしか戻ってきていた。

 しかしどんなに夜闇の鼓動を窺おうと、ヴィーが駆ける足音や、あるいは戦闘による剣戟の音ひとつ、どこからも伝わってはこない。

 全てを飲み込んだまま、森は何事もなかったかのように沈黙を続けた。



「いたたたた……」

 道なき森の木々の間から、夜闇にそぐわぬ暢気のんきな声が発せられる。

 ひと冬雪の下に埋もれ、その湿気でぬめる腐りかけの落ち葉を全身に纏わりつかせたまま、ヴィーは緩慢な動きで身を起こした。

(雪も無いのに無茶だったかな……)

 真っ先に外套のフードを被り直しながら、先ほど自分が身を躍らせた高所を見上げる。

 賊との斬り合いもほどほどに、ヴィーは上から覗けば崖にしか見えない急斜面に飛び出し、降り積もった落ち葉の上を滑降したのだった。

 踵に体重をかけた両脚と杖代わりに身体の後ろに突き立てた長剣で、勢いを制しながら降りるつもりだったが、目論見通りにいくほど山も森も甘くはない。

 落ち葉など大した緩衝力はなく、その下に埋もれた岩や突き出た木の根に身体を打ち付けること数知れず、どうにか落下が止まった頃にはヴィーは身体のどこがどう痛むのか、ほとんど把握不能な状態になっていた。

 いずれの打撲も骨にまでは被害が及ばなかったのが、不思議なくらいである。

 全身が痛みを訴えるが、のんびりとはしていられない。早々に動かなければ追っ手の餌食だ。常人には厄介な夜陰も急斜面も、夜目が利き、木々を渡れる草にとってはさしたる障害にはならない。

「!」

 案の定、何かが空を切る音がし、ヴィーは咄嗟に腕をかざして顔を庇う。手甲がわりに前腕に巻いているなめし革に、もはや見慣れてしまった形の小刀が突き立った。

 息つく暇もなく、先ほどとは比較にならない量の暗器が次々と飛んで来る。転がって躱すも向こうも動きを読んでくるので、いくつかはヴィーの身体を掠め、衣服を裂き、皮膚を傷付けた。

 隙をついて立ち上がり、鞘に収めたままの剣と外套を防具がわりに操りながら、ヴィーは森を駆ける。

 追っ手の攻撃は執拗だった。

(いったい何人出してきたのだろう!?)

 彼は辟易する。

 人数、技量、地理的条件……どれを取っても自分が追っ手より有利な要素が無い。

 なるべく低木のそば、密集した木々の間など、飛び道具を使いにくい場所を選んで進む。それでもいつ障害物を掻い潜って暗器が飛んで来るか分からない。

 攻撃が集中しないよう、縦横に逃げる。傾斜があるため方角自体は見失いにくいが、それは逆に言えば自分が最終的には低地を目指すであろうことを、向こうも分かっているということだった。

 暗器の雨と探索の目を掻い潜り、飛び込んだ低木の根元で地面に転がる。

 寸刻、呼吸を整えるつもりだったが、手も足も地面に縫い付けられたように重い。両手両脚を投げ出し、荒い呼吸を繰り返す。

 疲れた。もう、このまま目を閉じてしまいたい……。

 自らの疲労感と戦っていると、近くで沢の水音がした。沢に出れば、おそらく最短で街道に至る。

 が、まだ夜も明けないこの時間に道に出たところで、追っ手が憚るであろう人目も無い。開けた場所に自分の身を晒すだけだ。

 このまま足場が悪くとも、森の中で時間稼ぎをするべきか――しかしこの状態も長く続けられはしないだろう。

 あちらは野犬の群れの如く交代で自分を追い続けられる。こちらはいずれ体力切れとなり、生きながらはらわたに食いつかれる運命の獲物だ。

 ヴィーは逡巡した。

を使うしかないか……)

 今後のためにここは自力で切り抜けたかったが、仕方がない。命あっての物種だ。

 ヴィーは自分の首元を探り、外衣の下から何かを引っ張り出そうとした。が、その手が途中で止まる。

 何かが彼の耳に届いたのだ。

(馬蹄の音……!?)

 この夜中にはるか下方の街道を馬が駆けてくる。そして微かに聞こえた誰かの声。

 ヴィーは即座に剣を掴んで身体を反転させ、低木の下から這い出す。途端に飛来する暗器を剣で弾き返しつつ、沢を目指して進み始めた。

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