六絃琴の音

月猫

六絃琴の音

 「嘘だろ……」


 ピックを持つ手が震えてギターを弾くどころの話ではない。

 俺は目の前の現実に打ちのめされそうになっていた。



 *


 「然、お前今日はどうしたんだよ……」


 この日、俺は普段からやっているライブハウスでの演奏があった。 自分たちが住んでいる地域じゃそこそこ名をはせているほどのバンドで近々地元にある事務所との契約の話も出ている。

 そんなバンドのメインギターは俺、すなわちぜんというわけだ。 この日は特に目新しい曲もやらずついてくれているファンとただ楽しむだけというライブのはずだった。


 「くそっ! なんでだよ……」


 いつもは練習から本番までミスなんてほとんどしないのに今日に関しては絶対にしないミスまでしてしまっている。 すっかり楽しむことも忘れ、次はミスしないと強く思いながら弾いていた。


 ギュイーン


「「なっ!」」


 またミスをしてしまった、しかも演奏が止まるほどのものだ。 この時、俺は周りなど見えておらず自分の中で何かが崩れ落ちる音しか聞こえてはいなかった。


 *


 そうして今に至るというわけだ。

 来てくれていたファンの人たちからはミスなんてレアだと喜んでもらえたみたいだが俺とバンドの仲間からするとただ大失敗したようにしか感じられない。 今後こんなミスをしないようにと意気込んでピックを持ってみればこのありさまだ……

 そこで俺はライブの日から一週間考えある決断をバンド仲間に伝えるため、いつものライブハウスへ向かった。




「急にどうしたんだ然、一週間連絡も返してくれなかったのにいきなり呼び出したりなんかして」


 こいつは俺が入っているバンドのリーダーである修二しゅうじだ。 

こいつのベースと歌声があってこそ俺たちのバンドは人気が出たといっても過言ではない。


「そうだよ、僕からの電話もずっと無視して」


 ドラムを担当しているおーちゃんこと桜介おうすけが言う。

 俺らのバンドはスリーピースバンドで尚且つ幼馴染三人で結成されている。


「そこに関してはすまないと思っている。 でも今日はもっと大事なことを伝えないといけないんだ」


 言わなくてはならない、この関係が崩れようとも伝えなくちゃいけないんだ。


「俺はこのバンドを抜けようと思う」


「「はあ!?」」


 まあ、驚くよな。

 そりゃそうだろ、何年もやってきた仲間が抜けるなんて言い出してんだからな。


「まあ、見てくれよ。 このありさまを」


 俺はギターを構えピックを持つ、やっぱりだ。

 ピックを持つ手の震えが止まらない。


「然…… お前……」


 まあこれで二人も理解してくれるだろう。


「な、なんて言ったらいいのかわからないけど…… 時間はあるんだからゆっくり克服すればいいんじゃないの……?」


「そんなこと言ったっていつ治るかも分からないのに二人の時間を無駄にはできない」


 事務所との契約だってあるんだし、二人の技術は誰がどう見たって本物だから面倒はかけられない。

 

「ふざけんな! 然がいなくなったらギターはどうするんだ!?」


「俺よりギターがうまい奴なんてこの世の中いくらでもいるだろ? お前らなら募集すればすぐにでも集まるよ」


 そうだ、俺なんかみたいなのは埋もれるだけなんだから。


「お前が言いたいことはわかった、だが抜けることは絶対に許さん」


「そうだよ! たとえギターが弾けなくなったって機材運搬とかできることは山ほどあるはずだよ!」


 くそ、お前らは何で素直にやめさせてくれないんだ……

 それが一番辛いって言うのに……


「そこまで言うなら頼みがある。 もう一回俺にギターを弾かしてくれ」


 本当は言うはずのなかった言葉、俺の最奥にある本音だ。

 迷惑かけるくらいならやめてやろうと思っていた俺の決意はわずか三十分で砕かれてしまった。


「「ああ! もちろん!」」




「さて、まずはトラウマの原因を探そう」


 場所を俺の家に移し会議を始める。


「それはもちろんあのライブなんでしょ?」


「ああ、その通りだ。 でもあんなにミスするなんて調子が悪いってだけじゃありえないだろ?」


「まあ、そうだね。 ファンの人達が気づいているかは分からないけど僕らがわかる範囲でもあのミスの量は変だったよね」


 やっぱり二人もあの日の俺のミスの多さに気づいていたのか……


「なあ、然。 なにか思い当たることはないか?」

 

「やっぱり開始までの時間かな。 いつもはリハーサルをしてセットリストを何回も確認して本番って感じだったけど今回は現場入りからすぐ本番だったからかな」


 指が温まってないのも一つの原因だったのかもしれない。


「確かにアップも何もせずに始まったからね。 僕も最初は全然腕が動かなかったよ」


 それでもミスなく完璧だったじゃないか……


「だいたい修二とおうちゃんは上手すぎるんだよ!」


 桜ちゃんが言ったことが皮肉にしか聞こえなかった。


「ご、ごめんね…… そんなつもりで言ったわけじゃ……」


「こっちこそごめんな…… 真剣に考えていてくれてるのに……」


 やっぱり俺に克服は無理なんじゃないかと思ってしまう。 仮に克服したとしても今の二人の技術の前ではお荷物になってしまうだろう。


「然はネガティブに考えすぎなんだよ、もっと簡単に考えてみろ」


「簡単に?」


「そうだ、お前は俺らに追いつくために必死に練習してきたんだろ?」


 それはそうだ。 いつだって追いつくために時間を割いてきたんだ。


「うん。 どんな時も二人に追いつきたくて必死に弾いてきたよ」


「そんだけの自覚があってなんでやめようと思ったんだ?」


「それは…… もうすぐ事務所と契約してプロになれるかもしれないのに俺のために二人の未来を潰すわけにはいかないと思って」


 二人は絶対にプロになんなくちゃいけないんだ。 才能が埋もれるのは見たくない。


「バーカ。 どうせ才能が埋もれるのは見たくないとか思ってるんだろ?」


「うう…… お見通しかよ……」


「そんなこと思ってたの!? 僕は才能があるのは然だと思ってるのに!」


「お世辞はやめろ! 別に慰めてほしいわけじゃないんだ!」


「違うよ! 僕らはずっと然を見てきたから言えるんだよ!」


 やめろ、俺に才能なんかない。

 才能があればこんなことで悩んだりもしない。


「いい加減気づけよ、お前のやっていることは今までの努力を否定してるようなもんなんだぞ?」


「だからって二人に追いつけるわけじゃないんだ!」


「もっと大事なことがあるんだけどな…… もう今日はお開きにしよう」


「そうだね、これ以上は何の解決にもならないね」


 そう言うと二人は荷物をまとめて帰ってしまった。

 俺はどんなに努力しても二人に追いつけないからまだまだ練習が足りないと思っているだけだ。




「お兄ちゃん…… 全部聞いてたんだけどちょっといい?」


 隣の部屋にいた妹の彩乃あやのが突然部屋に入ってきた。


「聞いてたのかよ……」


「うん…… 私からは簡単に言うね。 修二くんが言いたかったことって俺らを信じろってことなんじゃないの?」


 どういうことだ?


「お兄ちゃんは周りを見ていないだけだよ? 二人ともミスしたことに何も責めてこなかったんでしょ?」


「ああ、だけどそれがなんだ?」


 責めなかったのは悪い空気にしたくなかったからじゃないのか?


「さっきお兄ちゃんが努力は無駄だった。 みたいなことを言った時の二人はどうだった?」


 ……!

 二人はそのことを言った俺に怒っていた。


「わかったみたいだね。 最初から自分一人で抱え込もうとするからお兄ちゃんはすぐに悩むんだよ」


 妹にそんなことを言われるなんて……

 だがそのおかげで自分自身と向き合えた気がする。


「ありがとな、おかげでどうにかなりそうだ」


 俺がわかっていなかったこと。 それは二人に追いつくために努力することじゃなく二人のために努力することだったんだな。

 よし…… 今なら弾ける気がする。




「ひ、弾けた…… 弾けたぞ!」


 試しに一曲弾いてみたがミスなく引くことができた。 

 ただ二人のためとだけと思っただけなのにこんなに変わるなんて……


「ねえお兄ちゃん。 ギターって和名で六絃琴って言うんだって」


「それがどうしたんだ?」


 初耳だが結構かっこいいんだな。


「その絃って字の意味はね、優美で人を引き付ける魅力って意味なんだって。 確か初めて楽器を持つときにギターは二人から勧められたんでしょ?」


 そんな意味があったのか……


「そんな大層な期待が込められてるならやるしかないだろ」





「少しは頭冷えたか?」


 次の日、俺はまた二人をスタジオに呼んだ。


「なあ、見てくれよ」


 俺は二人の前でギターを構えピックを持った。

 指の震えは起きなかった。


「「え!」」


 二人は驚きの顔を浮かべている。 それもそうか。

 一夜にしてトラウマを克服してるんだもんな。


「もう大丈夫なの!?」


「ああ、昨日はすまない…… 悪い空気にしちまって……」


「そんなことどうでもよく思えるんだけど……」


「やっと俺らの気持ちが分かったか」


「ああ、おかげでまたギターが弾ける」


 やっぱり修二はすごいな。 メンバーのことは何でもわかってるってか。


「あと、俺にギターを勧めてくれたのにもあんな意味があったなんてな」


「「??」」


 え、なんで二人とも首をかしげてるんだ?


「ギターの絃って字の意味を知った上で俺に勧めたんじゃないのか!?」


「すまん、それは知らん」


「ごめんねー。 ちなみにどんな意味なの?」


「な、何でもないぞ。 それより練習しよう!」


「「おう!」」



 *



「そういう過去がおありだったんですね! 今ではすっかり日本を代表するギタリストなんて言われていますがどうですか?」


「本当に恥ずかしいのでやめてほしいですね」


 俺たちは今、某人気音楽番組でインタビューを受けている。

 あの物語の後、事務所に所属しここまで上り詰めることができた。


「ほんとは呼んでもらって照れてるだけですよ」


「あ、修二! てめえ!」


「まあまあ、本番なんだから落ち着いてよ……」


「き、気を取り直して演奏に移ってもらいましょう!」


 おっと、もう本番か。


「じゃあ行くぞ二人とも、念願の舞台! 思いっきり楽しんでやろうぜ!」


「「おう!」」


 そうして俺たちはスポットライトが照り付けるステージへと歩み始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

六絃琴の音 月猫 @Tukineko_satuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る