天下泰平の幕開け② 南海の防衛戦

俺は『大公』の1年目は日ノ本の基盤固めに専念する方針を定めたが、もちろん内政だけではなく、軍事面の体制整備も怠らなかった。


確かに日ノ本は平定され、当面は反乱の危険もないように見受けられるが、『大公』を設けた第一の理由として、かつての「元寇」のような海外からの侵略という国難から日ノ本を守る"国防"という重要な役割がある。


前世では「非武装中立」や「平和外交」を綱領に掲げる野党があったが、太平洋戦争での敗北で国が焦土と化したと言えど、チベットを制圧したり北方領土を占拠する隣国を抱えながら、国防の軍事力である自衛隊を否定する政治家など逆に平和を乱す火種にしかならない。


いつの時代も国と国との関係は『力こそ正義』である。平和とは水や空気のように労せずタダで手に入るものではなく、平和を保つには軍事力が不可欠だ。軍事力という抑止力があってこそ他国から攻められずに平和が担保され、こちらから攻め込まない限り戦争が回避されるのだ。


ましてや国連や日米安保条約なんて存在しないこの時代は、いくら自国だけ戦のない平和主義を貫いたところで、他国からの侵攻を防げなければ国は滅び、アフリカのように植民地化された挙句に、国民を奴隷として攫われてしまう。正に『勝てば官軍、負ければ賊軍』という言葉のとおりだ。


そうした中、恒和元年の7月に琉球王国を支配下に置き、「琉球州」とした。2年前に琉球王国に送り込んだ一条松平家の土居宗珊や鳥居元忠、松永久秀らの働きにより、尚元王と次男の嗣子・尚永は史実よりも早く"病死"し、その混乱に乗じて琉球を制圧したという。


どうやら土佐一条家と全く同じ手口で、一条家康に尚元王の娘を娶らせ、尚王家を乗っ取る計画のようだが、俺は約束どおり一条家康を琉球州代官とし、『琉球伯』に任じた。


それと、尚元王の長男は庶子なので問題ないが、三男の尚久(金武王子朝公)の存在が邪魔らしい。尚久は12歳だが、史実では琉球王国を支えた英傑なので、一条家康に代わる小姓として大坂城に出仕させることにした。




◇◇◇




恒和2年(1572年)に入ると、俺は6隻に増えた寺倉海軍の南蛮船艦隊を琉球を経由して南進させ、台湾を占領した。


台湾は後期倭寇の根城になっていたが、君主と言える存在も碌な武力も持たないため、抵抗も大したことはなく簡単に制圧した。壊滅させた倭寇からは数多くのジャンク船を鹵獲できたため、日本本土と琉球・台湾間の海上輸送に活用することを決めている。


とは言っても支配下に置いたのは台湾の沿岸部だけで、原住民の住む山岳部を制圧するには後数年は要するだろう。なぜなら台湾は九州とほぼ同じ広さのある大きな島だからだ。


史実では「日清戦争」で勝利した後の下関条約で清から割譲を受けて以降、太平洋戦争終結までの50年間、日本が台湾を統治し、電気・水道・通信・鉄道などインフラ整備や、ダムの灌漑による農地開拓、鉱山開発、教育、医療など近代化を推し進め、飛躍的発展を遂げた台湾は大の親日国だった。似たような統治を受けながら全く反対の反応で癇癪を起こす国もあるが。


台湾は日ノ本では高山国と呼ばれているが、実際にはそんな国は存在しない。史実では17世紀前半にオランダが台湾南部を占領するまでは、明からも蛮族の住む"化外の地"とされた島だ。


その未開地の台湾を今の時期に制圧したのは、北東アジアの交易拠点だった琉球が日ノ本に制圧されたため、イスパニアが日ノ本侵攻の拠点として台湾を狙っているとの情報が、ルソンに送り込んだ素破から届いたからだ。


イスパニアだけでなく、ポルトガルの存在もあるため、できれば日本本土から遠く離れた所で南蛮の艦隊を打ち破るのが望ましい。そこで俺は日本防衛の前線基地として台湾を制圧することにしたのだ。


俺は台湾を「台湾州」とすると、伊勢州代官の北畠惟蹊を台湾州総督に任命し、『台湾侯』に任じることにした。『伊勢侯』と同じ『侯爵』だが、台湾州総督となれば栄達となる。


「嵯治郎、お前には台湾州総督として台湾を任せる。彼の地を安心して任せられる者は嵯治郎しかおらぬのだ。九州と同じくらい広い未開の島である故、人と金は可能な限り支援しよう。苦労を掛けるが、頼んだぞ」


台湾は日ノ本から遠く離れていて統制が緩くなる危険があるため、下手な家臣では万が一叛乱を起こして独立でもされたら目も当てられない。そこで白羽の矢が立ったのが、絶対に裏切らない保証のある実弟の惟蹊だった。


「はい。兄上の信頼を裏切らぬよう台湾を開拓し、発展させてみせまする」


因みに惟蹊には昨年、待望の嫡男・鈴吉丸(後の北畠惟郷)が誕生している。15歳を迎えた北畠家の茅夜姫が男児を出産したのだ。北畠家の血統を継ぐ跡継ぎの誕生に、旧北畠家臣は当然ながら狂喜乱舞に震えたといい、既に惟蹊とは鈴吉丸には俺の3歳になる双子の妹の美咲を嫁がせる約束を交わしている。


「うむ。それと伊勢州代官の後任には前田又左衛門を任ずる。長年に渡る又左衛門の忠義に報いたつもりだ。伊勢州を任せたぞ」


「はっ、誠にかたじけなく存じまする。うっ、うぅ……」


桑名郡代官だった前田利蹊は『男爵』から『伊勢侯』に大出世し、嬉し涙で顔を濡らしていた。


台湾は現時点では貧しい未開地のため、西日本の戸籍調査で住所不定と判明した破落戸を屯田兵として送った。破落戸の排除による日本本土の治安向上と、屯田兵に台湾の開拓を担わせ、さらに南蛮との戦いには民兵として活用するという一石三鳥の策だ。


それと、台湾には北東アジア一の金山である金瓜石鉱山が未発見で眠っている。山師の安曇真蔵と鉱山奉行の大蔵長安を派遣して開発を急がせるつもりだ。



◇◇◇




恒和3年(1573年)の春、ルソンのイスパニア艦隊3隻が台湾制圧を狙って侵攻した。


一方、台湾は碌なインフラ整備も出来ていなかったものの、台湾南部には南蛮の侵攻に備えて南蛮船の艦砲射撃の射程外となる山に防衛用の城塞を最優先で築き、大倉久秀を守将として常備兵1万が駐留していた。


実は日ノ本が平定された後、寺倉軍を始めとする"六雄"の常備兵は役割を終えることなく、国防のための陸軍兵として再編されている。体格に勝る南蛮兵に対抗するのを第一目標に量産された刀や槍、鉄砲、鎧の配備が進められた。


実際のところ海戦能力は別として、日ノ本の陸上戦力は決して弱くはない。それどころか、100年も続いた戦国乱世のお陰で対人戦闘の経験豊富な兵士が多い上に、日ノ本の鉄砲保有数はこの時点では世界一の規模を誇る。


したがって、大航海時代で鍛えられた南蛮の艦隊と海戦を行っても勝ち目はないと踏んだ正吉郎は、陸上での戦いに焦点を当てたのである。


一方、南蛮人は有色人種を下等人種と見下し、アジア人は低能な黄色い猿と蔑視する者が大半であり、まさか実戦経験豊富な精鋭1万が台湾で手ぐすねを引いて待ち構えているとは夢にも思うはずもなかった。


「くっ、腰抜けの猿どもめ、艦砲射撃の届かぬ所に城など築きおって! 南蛮船に恐れ慄き、城から出て来られぬか!」


城に籠ったまま一向に打って出てこない日ノ本軍を嘲笑したイスパニア艦隊の司令官は、南蛮船から陸戦兵1千を上陸させると、直ちに城攻めを命じた。


かくして、日ノ本の命運を賭けたイスパニア軍との決戦の火蓋が切られることとなった。

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