日ノ本の平定④ 新たな門出
「ところで正吉郎、朝廷は如何するのだ? 大坂城内に清涼殿と紫宸殿を造ったからには、よもや潰すつもりはあるまい」
「はい、三郎殿。既に朝廷と交渉し、来春には京から大坂御所に遷座いただく予定です」
海千山千の朝廷とのネゴも済み、春には大坂に遷都する計画だ。公家衆はリストラで削減されるが、帝の補佐役として関白や右大臣、左大臣は残す予定でいる。
「ただし、天下の政権は我らが握りますが、朝廷とは今後も良好な関係を続けていくべきであり、帝の権威を奪うのは寺社の反発を招いて危険です。そこで、帝には日ノ本の神道や仏教を統括する『法王』として全国の寺社を治めていただく考えです。全国の寺社領から年貢を献納させれば、朝廷の財政も今よりは潤いましょう」
当初は現代日本のように帝は「象徴」として政治権力を削ぐ考えだったが、日本の真髄とも言える存在だ。江戸幕府のような末路を避けるため朝廷との関係には腐心した。
「異論はござらぬ。朝廷とは末長く良好な関係を築くべきだ」
輝虎がそう言うと、皆も頷いている。
「ご賛同いただき、かたじけなく存じます。それと日ノ本の平定と大坂遷都に伴い、朝廷は年明けにも改元する意向です。戦乱の『永禄』の世は終わらせ、泰平の世を迎えて人心を一新するためです」
「おお、それはいい。正しく天下泰平の始まりとなろう。では名実共に大坂が日ノ本の都となるのだな」
「遷都となれば京から公家や坊主、町人たちも大勢移るでしょうね」
「そうなると、かつて都であった奈良のように京の町も寂れてしまうだろうな」
信長と長政の言葉に、領内に京を抱える忠秀が眉を顰める。将来に懸念を抱いたのだろう。
「権太郎殿。仰る通りこのままでは京の町は寂れてしまいます。そこで『応仁の乱』以降荒れ果てた京の町を復興するため、足利学校のような学問を学ぶ学校や伝統工芸の工房を造ってはいかがでしょうか? 全国から優れた頭脳や技術を持った人材を集め、京の町を学問と文化の町とするのです」
上手くいけば京は学芸文化都市として発展していくだろう。
「なるほど、学問と文化の町とは良い考えだが、坊主どもが少々厄介だな」
「確かに現状では学問は寺社が中心ですが、学問から宗教的な内容はできる限り排除すべきです。寺倉領内でも各国の郡毎に寺子屋を設け、すべての童に読み書きや算術を教える考えにて、地道に取り組めば子や孫の代には大きな成果となると存じます」
寺倉領内では寺子屋を整備し、昼飯を提供して義務教育を始めるつもりだ。当面は小学校程度だが、優秀な子供を選抜して高度な教育を施すつもりだ。
「ほう、正吉郎は領内の童すべてに読み書きや算術を教えるつもりか?」
「左様だ、半兵衛。領民の中にも優れた才能を持つ子が隠れているはずだ。無論、人にはそれぞれ向き不向きがある故、読み書きや算術を教えた後は、学問を究めたい者は京の学校に行き、算術が得意な者は商人に、手先が器用な者は職人に、いずれも苦手な者は農民になればいいだろう」
「それは素晴らしい考えだな。確かに時間は掛かるが、学問を広め、人を育てるのは領主の大事な務めだ。私も真似させてもらうぞ」
「いや、それは我ら全員が真似すべきであろう」
「三郎殿、かたじけなく存じます。領民は決して路傍の"民草"ではありませぬ。一朝一夕には無理ですが、100年後には領民はすべて読み書きや算術が出来るようになり、文官どころか『子爵』や『男爵』になる者が必ずや現れると信じております」
「確かに、読み書きや算術も出来ぬままでは向き不向きさえ分からず、田畑を耕して一生を終えるしかあるまい。だが、藤吉郎のような異才の者は埋もれておるに違いないわ」
「仰るとおりです。では、これで皆様方と話し合いたかった内容は粗方済みました故、最後に初代の『大公』を決めては如何でしょうか?」
「決まっておろう。『大公』は正吉郎を措いて他にはおらぬ」
信長が間髪置かず発言したのは意外だった。むしろ自信満々に断言する信長の口振りに、俺は僅かながら動揺した。
有り体に言えば『大公』は日本の国王だ。人一倍プライドが高い信長が今後10年間も人の下に付くなど良しとはせず、自ら『大公』に立候補するだろうと予想していたからだ。
「儂も異論などない。正吉郎は日ノ本を治めるに相応しき男だ」
「私も全く同感にて、正吉郎が適任かと存じます」
「最初の10年は国の礎を固める上で重要だ。正吉郎以外には務まらぬ」
「私も『大公』には義兄上しかないと存じます」
輝虎が賛意を述べると、他の3人も続いて同じような口上を述べた。
日ノ本の連邦国家体制はまずは発案者の俺が体制を整え、次代の『大公』に繋ぐのが理想的だと考えたのだろう。
「……承知しました。では誠に僭越ながら、この寺倉正吉郎左馬頭蹊政が初代の『大公』の重責を担わせていただきます。これからも皆様方と力を合わせ、この日ノ本を共に盛り立てて参りましょうぞ」
「「応っ」」
5人の野太い賛同の声が口々に発せられた。
◇◇◇
会談が終わった時には既に日没を迎えており、祝宴の支度が整えられた部屋に案内すると、皆は途端に素の笑顔を浮かべた。
当然ながら"六雄"の面々は既に肉食を採り入れており、料理は選りすぐりの和洋中のメニューで構成されている。現代の日本人に好まれた美味しそうな料理が目の前に並び、未体験のカレーの匂いには誰でも食欲を刺激されるはずだ。
急かされるような無言の圧力を受けた俺は一瞬瞑目した後、酒を満たした盃を掲げ、音頭を取った。
「泰平の世を迎えた日ノ本の万民に栄えあれ!! 乾杯!」
「「乾杯!!」」
この時代の日本には乾杯の風習はないが、皆は大陸の風習とでも思ったのだろう。5人とも異を挟むことなく、俺の掛け声に従って声を張り上げ、揃って盃を飲み干す。
日本を平定した達成感からか、誰もが腹の底から笑い合い、美味な料理に舌鼓を打っている。これこそ俺が志した『誰もが豊かな生活を送り、戦ではなく笑顔の絶えない世を作る』という言葉を体現したような光景だ。
これほど充足感に満たされたのは「蓮華の誓い」以来だろうか。大坂城の城下に向かって叫び声を上げたいほどだ。もちろん日ノ本の民全員に等しく静謐や安寧を届けられた訳ではない。だが、せめて今この時くらいは許されるだろう。
俺は天上で優しく笑顔で見守っているであろう亡き父上と母上の笑顔を思い浮かべる。21世紀の日本という平和で生温い世界から転生した自分が、16世紀の過酷な戦乱の世を鎮めるなんて出来るはずがない。そう思ったのは数知れず、幾度も挫折や死地を経験した。
それでも挫けることなく、ここまで来られたのは、父上の遺志、妻の市や子供たち、そして背中を預け合う"六雄"という頼もしい存在、そして家臣から一兵卒まで、その全てが俺を支えてくれたお陰だ。
感傷に浸る内に自然と目が潤むと、俺は誰にも見られまいと目許を拭った。俺は"六芒星"に支えられ、"六雄"の上に立った。だが、これは戦乱の世の終着点であると同時に、泰平の世の幕開けに過ぎない。
日ノ本の民はようやく訪れた泰平の世と"六雄"の統治に期待しているだろう。俺にはその期待を裏切らないよう天下万民の幸福を願い、理想の政治を行わなければならない義務がある。
(父上。私はこれからも民を思い、必ずや父上のような民に慕われる立派な君主になります。父上が見せてくれた教えを忘れず、一歩一歩歩んで参ります。どうか母上と共に天上から見守っていてくだされ!)
六芒星が頂に、そして大坂城の夜空に輝く美麗な星々に手を差し伸べながら、俺は新たな決意を胸に刻むのだった。
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