日ノ本の平定③ 日ノ本の統治体制
「正吉郎が話し合いたいのは、我らが死んだ後の日ノ本を案じてのことだろう?」
「流石は半兵衛だな。我ら"六雄"の団結は皆様方が存命の内は大丈夫でしょう。ですが、子や孫の代になったら如何なるでしょうか? 何の策も無くば100年後には綻びが出て、それこそ『応仁の乱』よりも長い戦乱が再び始まるやもしれませぬ」
「確かに正吉郎の申すとおりだ。我らが苦労してようやく平定した日ノ本を、僅か100年や其処らで戦乱の世に戻すことなど絶対に許さぬ!」
輝虎がグッと拳を握りしめる。"軍神"の威圧感は凄まじい。断固たる思いがひしひしと伝わってきた。
「はい。平三殿の仰るとおりそれだけは絶対に避けねばなりませぬ。無論、未来永劫続く体制などあり得ぬやもしれませぬが、恒久の平和を目指すためにも脆弱な足利幕府よりも遙かに強固な統治体制を築くべく、皆様方に提案がございます」
「良かろう。申してみよ」
信長が俺の目を見て先を促す。
「まずは今後の統治体制は幕府ではなく、6つの道州による連邦国家体制を築きたいと考えます。同時に、混沌極まる律令制の官位を概ね廃止し、職位に応じて『爵位』を授けることとします」
「爵位? 大陸にあるようなものか?」
「左様だ、半兵衛。つまり律令の官位制度を廃して新たな貴族制度を創設し、"六雄"はそれぞれ『公爵』とし、その下に大国と上国の国司として『侯爵』、中国と下国の国司が『伯爵』、守護代を『子爵』、郡代や大都市の長を『男爵』とし、秩序を保つため今後は官位の自称は一切認めぬつもりだ」
「ほう、我らは『公爵』か」
「はい、平三殿。我ら"六雄"は日ノ本を平定した功労者です故、『公爵』は世襲制としますが、世襲制は古今東西、国を滅ぼす要因です故、『公爵』以外は世襲制ではなく、能力が低ければ職位を免じ、爵位も下がる仕組みとします」
俺は史実の明治時代の「華族制度」を参考にして構想したが、最も重要なポイントは『公爵』以外は世襲制ではないという点だ。古代エジプトを始め世界中の王朝が衰退した原因の大半は世襲制だ。名将の子が名将とは限らないのだ。
「だが正吉郎。我ら"六雄"が日ノ本を平定した功労者とは言え、『公爵』に世襲制を認めては、それこそ日ノ本を滅ぼす要因となりかねぬのではないか?」
「半兵衛の懸念は尤もだが、我らは先ほど婚姻や養子の縁組を約したばかりではないか。もし、我ら6家で跡継ぎが絶えたり、嫡男が暗愚で跡継ぎに相応しからぬ場合は、他の5家から養子を迎えればいいだろう。そのためにも我らは今後も互いに縁戚関係を結んでいくべきだと思うが、どうだ?」
「正吉郎の申すとおりだ。我が織田家も嫡男の奇妙丸(後の織田信忠)は跡継ぎに相応しいが、次男(後の織田信雄)や三男(後の織田信孝)は我が子ながら不出来でな。仮にあれらが長男でも跡を継がせる訳には行かぬわ。その時は寺倉家から養子を迎えようぞ」
半兵衛の懸念を解消しようと答えると、信長が賛同してくれた。やはり信雄や信孝は身内に甘い信長の目にも暗愚に映るようだな。
「確かにそうだな」
「我らは具体的には、上杉家は『北海公』、織田家は『東海公』、蒲生家は『山陽公』、竹中家は『東山公』、浅井家は『北山公』、そして寺倉家が『南海公』という同格の『公爵』に就きます」
「なるほど、律令制の五畿七道を元にした訳か。上杉殿の『北海公』と浅井殿の『北山公』だけは新しい名前だな」
忠秀が顎に手をやりながら云々と頷きつつ告げた。
「権太郎殿。浅井家は北陸道と山陰道を併せて『北山公』とし、上杉家には将来は北の蝦夷も治めていただく故、『北海公』と命名しましたが、いかがでしょうか?」
「義兄上、私は『北山公』で異論ございませぬ」
「うむ。儂も『北海公』で構わぬ。では蝦夷はいずれ『北海道』と呼ぶとしよう」
輝虎は蝦夷を北海道と名付けた。他の呼称は今でも少々引っかかるので、そう名付ける様に仕向けた形だ。
「しかし正吉郎は先ほど、6つの道州による連邦国家と申した。ならば連邦国家を束ねる者が要るのではないか?」
「平三殿、正にそのとおりです。そこで6人の『公爵』の頂点には『大公』の地位を設けます。『大公』は国家元首として日ノ本全体を統治し、この大坂城に在城していただく考えです」
もしポルトガルやイスパニアの艦隊が日本に攻め入ってくるような国難に見舞われた時に、6人の『公爵』の意見が対立していては対応できない。日本の舵取りをするリーダーを明確にするためにも、連邦国家を束ねる『大公』を定めるのは必要不可欠だ。
『大公』は豊臣秀吉の「太閤」と奇しくも同音で、他の『公爵』5人も「五大老」と似ているのは、俺が史実の豊臣政権を参考にしたからだ。
「ふむ、なかなか面白い。だが、その『大公』は如何にして決めるのだ?」
「三郎殿。『大公』は6人の『公爵』の互選によって決めたいと考えております。多数決ではなく、全員の同意を得ねば『大公』にはなれませぬ。さらに、特段の事情が無い限り『大公』の任期は最長10年とし、連続での再任は不可で就任は2回までと定めます。これは『大公』による独裁を防ぐための措置です」
国家元首に権力が集中してしまうと独裁化が進み、対抗勢力を抑圧する恐れが大きい。史実のナチス・ドイツやソ連、共産党中国を見れば明白だ。
「さらに、最低でも『公爵』1人が大坂の屋敷に交代で在住し、『大公』が独裁しないか監視することとします。同時に『公爵』の10歳から元服前までの子は大坂に住まわせ、次代の『公爵』同士が交流する機会を作りたいと思います」
これは言うまでもなく、史実の江戸幕府が行った「参勤交代」の制度を模したものだが、『公爵』の結束が固ければお互いで監視できるので、わざわざ人質を取る意味は薄い。
「正吉郎。『大公』を監視するために『公爵』が交代で大坂に住むのは賛成だが、子を大坂に住まわせるのは人質に取るのが目的ではないか?」
「半兵衛。もし『大公』が『公爵』の子を人質に取って独裁しようとした時は、『公爵』5人が『大公』を罷免できると定めるつもりだ。それでも『大公』が従わない時は『公爵』5人が『大公』を討てばいい。それよりも次代の『公爵』同士が交流し、我らのような信頼関係を築くことの方が重要だと思うが、どうだ?」
「なるほど、確かに次代同士が我らのような信頼関係を築くのは大事だな」
「半兵衛が懸念した件だが、俺は寺倉領内では一門衆以外の『侯爵』から『男爵』は数年に一度は居城に出仕させ、子を城下に住まわせるつもりだ。これは降伏臣従した家臣の子を人質とすると同時に、往復の移動費用を負担させて強大化を防ぎ、領内で金を使わせて景気を良くするためだ」
俺は「参勤交代」のように大名に相当する『侯爵』や『伯爵』の妻子を大坂に住まわせて人質を取るのは避けた。『侯爵』や『伯爵』の主君は『公爵』なので、不満の種になりかねないからだ。
その代わり、配下の『侯爵』以下を夏の居城の統麟城や春秋の玲鵬城、そして冬の湯築城あらため翔鷺城に参勤交代させ、子供を人質に取るつもりだ。『公爵』6家がそれぞれ参勤交代させれば、史実の薩長土肥のような倒幕運動は防げるだろう。
「ほう、正吉郎もなかなか悪辣なことを考える。確かに反乱を防ぐには有効な策に違いない」
「我が領内でも参考にさせてもらいまする」
「我ら『公爵』は領内の統治にはお互い干渉しませぬ故、権太郎殿や新九郎の判断にお任せします」
「「承知しました」」
半兵衛が他の4人に目配せし、車座の面々は鷹揚に頷く。
「それでは、正吉郎が説明した『公爵』6家が治める道州による連邦国家体制という提案に異議はございませぬか?」
「「「異議なし!」」」
こうして、俺が提案した日ノ本の新たな統治体制案は全会一致で承認されるに至った。
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