旧き威信の掃討② 古河公方の矜持

昨年11月に「河越城の戦い」で北条家の残党が敗れた後、"関東大連合"の状況はお世辞にも芳しいとは言えなかった。当然のことながら「地黄八幡」こと北条綱成の討死があまりにも大きすぎた。


"関東大連合"の盟主は古河公方だが、これまで北条家が実質的なリーダーとして関東の諸勢力を束ねる求心力になっていたからこそ、織田家や竹中家と対抗できていたのだ。


"関東大連合"を形成する「関東八屋形」は下総守護の千葉家、常陸守護の佐竹家、下野守護の結城家、小山家、宇都宮家など、鎌倉公方を支えるべく屋形号を授けられた関東の守護家の総称であり、本来は決して連合体などではない。


史実においても時には北条家、時には上杉家に従属と離反を繰り返してきた彼らは、時には領地を巡って相争いながら、時には同盟や婚姻関係を結ぶなど、その時々の利害関係に応じて離合集散を繰り返す強かな存在である。


しかし、その実態は極めて不安定であり、今回は織田家や竹中家という共通の外敵に対して、一時的に協調体制を取ったにすぎず、北条家の敗北により関東八屋形の7家に激震が走ることとなった。


事態はそれだけには留まらなかった。これまで日和見に徹していた弱小国人たちが織田家や竹中家の優位はもはや動かないと見切りを付けると、挙って恭順する姿勢を見せ始めたのだ。たとえ弱小であろうと、10家を軽く超えれば大きな戦力となる。


やがて混乱に陥った関東各地で内紛が頻発し、古河公方による統制はもはや不可能となると、室町幕府という旧き威信の呪縛に縛られていた関東の諸勢力は古河公方を見限り、織田家と竹中家の攻勢に相次いで膝を屈していった。


もちろん、中には佐竹家や里見家など、最後まで徹底抗戦を貫く大名家も存在したが、5月までに常陸や安房も制圧され、御家断絶の憂き目に遭うこととなった。


"関東大連合"は総崩れし、古河公方は窮地に追い詰められることとなった。




◇◇◇




下総国・関宿城。


江戸時代に"坂東太郎"利根川の流路が東遷される以前は、渡良瀬川は現在の江戸川の流路を辿って東京湾に注いでいた。


その渡良瀬川の水運の要所にある関宿は北関東への連絡口でもあり、舟役と呼ばれる水運の通行税に加えて、行き交う商人の売買や宿場利用によって経済的にも発展している。


渡良瀬川を遮るように築かれた関宿城は、史実でも北条氏康が『この地を抑えるということは一国を獲得することと同じである』と評したほど、関東における軍事戦略上の最重要拠点であり、北条家と上杉家の間で激しい争奪戦が繰り広げられた。


現在の関宿城は「関東大乱」を企てた古河公方・足利義氏の本拠であり、梅雨の気配が漂う6月上旬の夕刻の本丸に、激情の孕んだ叫び声が響き渡った。


「くっ、織田と竹中め! 目に物見せてくれるわ!」


声の主は簗田洗心斎という。出家前は簗田晴助といい、家督を嫡男の梁田持助に譲ったものの、依然として古河公方家の実権を握る筆頭重臣である。武闘派の洗心斎は気弱な主君・足利義氏に代わって日夜奔走していた。


しかし、"関東大連合"は既に崩壊し、関宿城は今、眼下の5万の大軍に四方八方を囲まれている。対する古河公方陣営に残る兵は僅か1千。万に一つも勝ち目などないのは誰の目にも明らかであった。


だからと言って、ここで降伏したとしても"関東大連合"の盟主であり、「関東大乱」の首謀者である義氏が許されないのは明白である。処断されると分かっていながら降伏する訳には行かない。


(どうにかして甥御だけでも……)


古河公方家、いや足利家の血筋を残す者として義氏の異母弟である足利藤政がいた。藤政の母は洗心斎の姉であるため、梁田家の血を残すためにも甥の藤政だけは救けたいというのが偽らざる本音であった。


「そうは申すがのう。戦ったところで勝てるはずなどあるまい」


窮地に立たされている当の本人がのほほんとした態度で振る舞っていることに、内心の苛立ちを隠せない洗心斎は眉間に皺を寄せた。


「公方様が左様に諦念に耽られては勝てる戦も勝てませぬぞ!」


洗心斎が強い口調で義氏を諫めた刹那、義氏の目が鋭く光った。


「ならば問うが、今日明日と運良く敵を退けたとして、古河公方の威光が再び関東の地に示される日が来ると、本気で思うておるのか? それが夢幻なのは余でも分かるぞ」


「ぐ、ううむ……」


「既に本家の室町幕府が亡び、北条の後ろ盾も無くなった今、もはや古河公方など泰平の世を妨げる足枷でしかない。洗心斎よ、違うか?」


義氏は決して暗愚ではなかった。かつては母方の北条家に傀儡化されていたが、北条家の呪縛から解放された今では視野が大きく広がり、自分の行為が徒に戦乱を長引かせ、民を苦しめていると気付いたのだ。


「ですが、このままでは座して死を待つだけにございます。公方様は死を恐れぬのですか?」


「無論死ぬのは怖い。だが、それよりも恐れるのは、関東を乱した元凶として後世に悪名を残すことだ。天下の万民から不名誉な誹りを受ける訳には行かぬ」


それは正しく由緒ある足利家の血脈を受け継ぐ古河公方としての矜持であった。


「では、公方様は戦わずして腹を召されるおつもりですか? 某は打って出ますぞ! 武士として最後の最後まで戦う覚悟にござる!」


激情で顔を赤らめた洗心斎は歯軋りを響かせ、大きな跫音で部屋から出て行こうとするが、直後に義氏の口から意外な言葉が紡がれる。


「兵たちを無駄に死なせ、余に悪業を重ねさせるつもりか?……しかし兵を、そして家臣を見捨てるのも我が意にそぐわぬ。困ったのう、どちらを進んでも茨の道じゃ。誰か余と共に参ろうという忠義の者はおらぬかのう」


最後に独り言のように告げた義氏の拳が微かに震えていた。千人の命を見殺しに出来るほど強い精神力は備えていない義氏は、この期に及んで無辜の領民兵だけは救けようというのだ。


部屋にいた重臣たちは驚いたように目を見開き、洗心斎の足も止まった。


「公方様、某がお供いたしまする」


「某も参りまするぞ!」


数瞬の後、北条家の残党の生き残りである大道寺政繁と清水康英が賛意の声を挙げると、幾人も後に続く。


「無理強いはせぬ。余の前には死出の道しかない。それでも余と共に行かんとする者はついて参れ!」


「「応ッ!!!」」


義氏は満足げに頷いた。洗心斎は深く頭を垂れた。




◇◇◇




一刻ほど経った日没後、義氏は10名足らずの重臣たちと別れの盃を交わしていた。


「公方様。正直に申しますれば、某は公方様を暗愚な腰抜けだと思うておりました。誠に申し訳ございませぬ。お許しくだされ」


義氏を蔑ろにし、家中で専横に振舞っていた洗心斎は、死を目前に控えて初めて真情を吐露する。


「ふふふ。それはまた唐突だが、お主の腹の内くらい疾うの昔に存じておったぞ」


「ははは、左様でしたか。ですが、今は公方様にお仕えできたことを誇りに思うておりまする」


「うむ、そうか。では冥府の道案内を頼んだぞ」


その後、足利義氏は重臣たちと近習の兵100を連れて、関宿城から打って出た。


暗闇に乗じて敵本陣を奇襲する腹積りだったが、5万の軍勢ともなれば本陣は遠く離れており、わずか100の古河公方軍の将兵は奮戦虚しく返り討ちにされていく。


「足利右兵衛佐を討ち取ったりぃーー!!」


やがて義氏を討ち取ったとの叫び声が響くと、残った僅かな将兵も後を追い、関宿城は落城した。




◇◇◇




「ふん、腰抜けと思うておったが、最後は武士らしく潔く散ったか」


足利義氏の討死に、信長はある意味讃えるように独りごちた。そもそも義氏が矢面に立つことはないと確信していた。しかしわざわざ命を捨てにいくような行動に出たことで、なけなしの胆力とは感じても信長の言葉に一切の侮蔑の感情は含まれていない。


そこに半兵衛からの声がかかる。


「三郎殿。ついに関東を平定しましたな」


「うむ、正吉郎たちと再会するのが楽しみだな」


信長と半兵衛は敵ながら古河公方の最後の戦いぶりを称えた。同時に乱世の終結と今後の泰平を祈り、満天に広がる星空に黙祷を捧げたのだった。

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