九州征伐⑮ 死線の先の凱歌

2月17日の朝、西郷軍の陣では西郷純堯が長々と思案に耽っていた。


「ええぃ、兵は1千に減ったというのに未だ落とせぬのか!」


(此処は手の退き時か? だが、それではいずれ滅ぼされるだけだ。ならば一層のこと大村を背後から攻め、民部大輔の首を手土産に降伏するか?)


昨夜も夜通しで攻めたにも関わらず、浅井城を落とせないどころか、自軍の兵が減るだけの状況に、純堯は大村軍との手切れを考え始めていた。


そこへ純堯の次弟の深堀純賢が慌てた様子で訪ねてきた。純賢は5年前に長崎半島の国人の深堀家の養子に入り、家督を継いでいる。


「兄上、一大事にござる!」


純賢の尋常ではない慌てぶりに、純堯は眉を顰める。


(有馬の後詰が現れたにしては些か早すぎはせぬか?)


「慌てるでない。徒に兵たちの不安を煽れば士気を下げかねぬぞ」


「それどころではござらぬ。昨夜、権現岳城が龍造寺軍3千に攻め落とされたとの由にござる!」


権現岳城は多良岳の東麓の有明海沿いにあり、龍造寺家との領境を守る要衝である。城主は遠竹堯運が務めているが、権現岳城から伊佐早は目と鼻の先だ。この出陣では領内から兵を掻き集めたため、居城の高城城はもぬけの殻も同然であった。


「それは真か! くっ、龍造寺は大友領を掠め取るのではなかったか。ならば是非もなし。大膳、すぐに高城城へ戻るぞ! 撤退だ!」


「ははっ!」


このままでは西郷家は本貫を失ってしまう。それでは寺倉家に勝てたとしても意味がない。純堯は迷わず撤退を決めた。




◇◇◇




「民部大輔様、申し上げます。西郷軍が伊佐早へ兵を退きましてございまする!」


陣中の大村純忠の元に重臣の富永忠重が駆け込むなり、慌てて捲し立てる。


「又助、今何と申した。西郷が退いただと!? 何故だ?」


「それが龍造寺が攻め寄せてきたため急ぎ伊佐早に戻るとの由にございまする」


(寺倉左馬頭を小城に追い詰めた我らを龍造寺が何故邪魔するのだ? その話が真ならば、伊佐早を制圧されれば我らも退路を塞がれることになる。拙いぞ)


「龍造寺は日和見から大友領狙いに転じたはずだが、……それは石見守からの言伝か?」


龍造寺の侵攻が真実なのか、純忠は疑った。ただでさえ西郷家とは信頼関係など無いのだ。西郷純堯が難航する城攻めを諦め、手切れをしたと疑うのも無理はなかった。


「左様にございまする」


(だが、龍造寺が寺倉の味方とは限らぬ。漁夫の利を狙い、大村領を奪う魂胆やもしれぬ。ならば我らも兵を退くべきか?)


一瞬だけ『退却』の文字が頭に過ぎるが、純忠は即座に振り払う。


(いや、大村に戻って龍造寺を撤退させたとしても、此処で寺倉左馬頭を仕留めなければ、いずれ寺倉に滅ぼされるだけで結果は同じだ。ならば、此処は西郷軍の踏ん張りに期待するしかあるまい)


「だが、今は断じて退くことなど出来ぬ。我らは今日中に浅井城を落とす! そして明日には大村に取って返し、龍造寺を撃退する! 寺倉は相当消耗しているはずだ。畳み掛けるぞ!」


「ははっ!」


今の戦力で龍蔵寺軍を撃退するのが厳しいのは百も承知だったが、いずれにしても浅井城を落とすのが先決だった。大村軍は全力で浅井城を攻め始めた。




◇◇◇




「「おおおォォー!」」


昼過ぎ、南の曲輪から歓声が響いてくる。


「左馬頭様。島左近様が敵将、長崎甚左衛門を討ち取ったとの由にございまする!」


「そうか、でかしたぞ!」


島清興が大村純忠の娘婿である長崎純景を討ち取ったとの報せに、本陣は沸き立った。


「既に西郷軍は撤退したぞ! 残るは大村軍1千のみだ! もう少しで有馬の後詰が駆けつける! 皆、もう少しの辛抱だ! 耐え抜くのだ!」


あと少しなのだ。皆が力を合わせれば必ず生き残れる。そう自分に言い聞かせながら全身全霊を以って戦っている将兵たちを、俺はただひたすら鼓舞し続け、辛うじて踏み止まっていた。


だが、昨日は高い士気によって圧倒していた城兵だったが、一昼夜続けての城攻めに、今朝からは睡眠不足と疲労により精強な兵たちの反応も明らかに弱くなっている。


大村軍は西郷軍が撤退したために独力で落とさなければならなくなり、何かに追われているような切迫感さえ感じる。そこに付け入る隙があるかもしれないが、策を考える暇もなく、俺は温存していた鉄砲を撃ちながら檄を飛ばす。


「左馬頭様、北の腰曲輪が突破されました!」


やはり守りの薄い北の断崖絶壁をよじ登って来たか。


「誰か、北に向かえ!」


手が空いている者などいるはずもない。誰もが自分の持ち場を守るのに精一杯なのだ。


「又左衛門、慶次郎、平八郎、北の腰曲輪に向かってくれ!」


俺は前田利蹊と朝倉景利、本多忠勝の3人に増援を命じた。


「「ですが!」」


「お主たちは槍が得物故、広い場所が思う存分戦えよう。此処は五郎左衛門(冨田勢源)と小平太(榊原政長)がおる故、私は大丈夫だ。押し戻さねば全員が城を枕に討死だ! 迷っている暇は無い。行け!」


「承知しました。正吉郎様、ご武運を!」


俺は返事を返す暇も惜しみ、鉄砲を構えて狙いを定めた。




◇◇◇




増援に向かった前田利蹊、朝倉景利、本多忠勝はそこで惨状を目撃した。北の腰曲輪には城兵50人が配置されていたが、誰もが鮮血を纏わせ、地面は倒れた両軍の兵の血で真っ赤に染まっていた。


「くっ、慶次郎、平八郎。全力で押し返すぞ。良いな!」


「「応ッ!!」」


決意に満ちた心強い声が耳を鳴らすと、即座に利蹊が雄叫びのような名乗りを上げる。


「やあやあ、我こそは"槍の又左"こと、前田又左衛門利蹊なり! 命の要らぬ者は掛かってこい!」


「我は朝倉慶次郎景利なり! 大村兵どもよ、我が朱槍の錆びとなるが良いわ!」


「俺は本多平八郎忠勝なり! 我が蜻蛉切で異教の天国とやらに送ってやろう!」


3人は得物の槍に裂帛の気合いを纏わせて突っ込んでいく。


「退け、退けぃ! 正吉郎様の命だ。一兵たりとも此処を通す訳にはいかねぇんだよ!」


まるで3柱の阿修羅が降臨したような一騎当千の武力を見せつける。山の傾斜を利用して加速した3人の槍は、紅い花火のような血飛沫を一面に咲き乱らせる。


「ひぅっ、鬼だ。赤鬼が3匹も現れた! 助けてくれぇぇ!」


当時の日本のキリシタンの半分は大村領におり、今回の従軍兵もほとんどはキリシタンだった。しかし、実際には純忠から改宗を強制された者も多く、本音ではキリスト教を嫌う者も少なからず存在した。


それ故に、3人が返り血で全身を真っ赤に染めると、大村兵の目には恐怖と絶望が混ざった色が宿り始める。やがて諦念から投降するか、悲鳴を上げて逃げ出し、余りにも呆気なく瓦解が起き始める。


疲労困憊と満身創痍で動けなかった城兵たちも、3人の武勇に触発されたように再び武器を構え、逃げる兵を討ち取っていく。


将星3人の活躍により北の腰曲輪は敵兵を追い払うことが叶った。しかし、それも一時に過ぎない。ほんの僅かな休息を経ると、再び現れる敵兵との死闘が再開される。


やがて太陽が西の空を紅く染める頃、誰しも腕が鉛のように重くなり、体力の限界を感じていた。その時である。


「敵が撤退していくぞぉぉー!!!」


待ちに待った歓声が響き渡る。


「勝った? 勝ったのか?」


安堵した城兵たちは力が抜けて、その場でへたり込む。しかし、何かの間違いかと疑った将が、眼下の麓を撤退していく大村軍の姿を目に映すと、歓喜に震え出した。


「勝った。俺たちは勝ったぞぉぉー!!」


「「「おおおォォーー!!!」」」


日没を迎えた刹那、怒号にも似た歓声が浅井城を揺るがした。


正吉郎の口許には達成感からか晴れ晴れとした笑みが浮かんでいたが、半刻の後には大村軍の撤退が意外な援軍のお陰であると知ることになる。

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