九州征伐⑭ 決死の籠城戦

2月16日の早朝を迎えた。空は俺の心境を表すかのように厚い雲に覆われてどんよりと薄暗い。


昨夜の夜襲では、虎口に誘い込んで3百の将兵を一網打尽にしたが、それ以外にも順蔵の配下が起こした喧嘩騒ぎを発端とした同士討ちや島津家の夜襲により、大村軍に大きなダメージを与えたはずだ。


城内では昨夜遅くまで勝鬨が響き渡っていた。城兵は緒戦の勝利に熱狂し、大村兵を嘲笑うように歓喜の笑顔を浮かべていた。


最も大きかったのは、大村軍と西郷軍が陣を退き、昨夜の城攻めが行われずに今朝まで時間を稼いだという点だ。援軍が到着するまでの時間稼ぎを目的とする寺倉軍にとって余りにも大きい戦果であり、城兵の士気はさらに上がるだろう。


大村と西郷はここで俺を殺さなければ、もはや大名として生き残るのは不可能だ。俺が生き延びさえすれば、寺倉軍は3軍に分けているため致命傷にはならない。浅井や蒲生という心強い味方もいるとなれば、いずれ滅ぼされるのは自明だからだ。


したがって、俺を籠城にまで追い詰めたからには、この好機をみすみす逃す訳には行かないはずだ。何がなんでもこの城で俺を殺そうと、目の色を変えて苛烈な攻勢に出るに違いない。


兵数差が10倍から8倍程度に縮まったとしても依然として我らが寡兵で不利なことに変わりはない。だからこそ昨夜の勝利で勝鬨を上げながらも、俺は気を引き締めるように己を戒めていた。


浅井城に入って丸1昼夜が経った。既に援軍要請の使者が日野江城に着き、今頃は有馬義貞が援軍を送る準備をしているはずだ。早ければ明日の夕方、遅くても明後日の昼過ぎには援軍が着くだろう。それまで何としてでも耐え抜くしかない。




◇◇◇




一方その頃、後退した大村軍の陣中では、死傷者数の報告を受けた大村純忠が頭を抱えていた。


「まさか、これほどの被害を受けるとは痛恨の失策だわ。寺倉にも策士がいたか。伊達に"天下人"になった訳ではないということか」


大村軍は昨夜の喧嘩による同士討ちで2百、寺倉軍の夜襲により5百、虎口に誘い込まれて3百の計1千の将兵を失い、2千5百だった大村軍は1千5百となり、甚大な被害を被っていたのだ。


そこへ怒りの形相の西郷純堯が現れた。


「民部大輔殿、昨夜の喧嘩騒ぎは敵の策略に嵌められて已むを得ぬとしても、我らに断りもなく、退き陣するとは如何したことか! 返答如何によっては我らは手を退かせてもらうぞ!」


西郷軍も喧嘩騒ぎの同士討ちにより2百を失い、1千5百から1千3百となっていたが、それよりも大村軍が無断で陣を退き、西郷軍に城攻めを押し付けようとした行為が純堯の逆鱗に触れたのだ。


「いや、退き陣の伝令を送ったのだが、伝令兵が敵の夜襲で討たれてしまい、貴殿に伝わらなかったようだ」


実は純忠は伝令を送ってなどおらず、真っ赤な嘘である。しかし、ここで西郷軍に撤退されては城攻めが失敗しかねないため、咄嗟に嘘の弁明をしたのだ。


「ふん、真であろうな?」


「石見守殿。此処で我らが仲間割れしては、寺倉を喜ばせるだけにござるぞ。昨夜の城攻めを見送った分、今日は我らから城攻めを始めさせていただく故、その後は3刻毎に交代でお頼み申す」


大村軍と西郷軍は将兵が1日中戦い続けるのは体力的に不可能なため、6時間毎に交互に休みながら昼夜続けて城攻めを行う一方で、寺倉軍には少しの休む暇も与えずに早期に城を落とし、正吉郎を討ち取るという作戦となっている。


これには、当主同士が険悪な関係で信頼感が存在しないため、別々に攻めることによって同士討ちを防ぐ意図もあったのだが、昨夜は出だし早々に躓いた恰好だった。


「……良かろう。だが、同じ言い訳は二度と通用せぬぞ」


純堯は純忠の弁明が嘘だと見破っていたが、長居は無用と足早に陣を出て行った。





◇◇◇




半刻後、純忠は陣を動かし、城攻めを始めた。南蛮交易の利益を惜しみなく傭兵や武器に使った大村軍は、地力では圧倒的に有利だった。


虎口から城門を攻めるのは徒に兵を失うだけだと判断した大村軍は、堀切と土塁を越えて曲輪に侵入する作戦に切り替えていた。


しかし、昨夜の夜襲の成功により士気が大いに上がった寺倉軍は手強かった。精鋭揃いでもあり、寡兵の劣勢は何処へやら、大村兵を寄せ付けない鉄壁な戦いぶりを見せつける。


「奴らは軟弱なキリシタン故、精強な我らに太刀打ちなど出来ぬ。今だ、丸太を落とせ!」


山城の浅井城では丸太を大量に確保していた。土塁を駆け上がろうとする大村兵を槍で堀切に叩き落とし、さらには敵が怯んだ隙を狙い、土塁の上から重い丸太を堀切の向こう側に放り落とす。


「「ぎゃああぁー!!」」


大村兵は勢いよく転がり落ちる重い丸太に轢かれて将棋倒しとなり、態勢が乱れたところで弓矢や投石の餌食となっていく。


これが寡兵で大軍に立ち向かう戦い方であった。中には北の断崖絶壁を少人数でよじ登ってくる敵兵もいたため、彼らには2つある腰曲輪からの丸太攻撃は特に絶大な効果だった。


また寺倉軍には印地隊があり、志能便に鍛え上げられた正確無比な投石は、下手な弓矢や鉄砲よりも大きな威力を発揮した。兵数に劣る寺倉軍にとって大きな戦力となった。


一方、寺倉軍自慢の鉄砲は浅井城まで運べたのは30挺ほどだった上に、弾と火薬が心許なかったため、正吉郎は鉄砲は最後の最後まで出来るだけ温存するつもりだった。


しかし、それでも数に勝る大村軍に次第に圧倒される形となり、寺倉軍の劣勢は否めなかった。夕方になる頃には城兵の疲労は一目瞭然だった。


「皆の者、敵は2千にまで半減したぞ! 一方の我らは1人も死んではおらぬ。これを優勢と言わずして何と申すか! 余りに堅い守りに手も足も出ぬ大村兵は焦っておるぞ!」


大村・西郷軍が2千に半減したとの確証など無かったが、正吉郎は城兵を鼓舞しようと、誇張を交えて檄を飛ばす。


しかし、実際には大村軍の攻勢に対して土塁を越えて曲輪に侵入するのを辛うじて防ぎ、土俵際ギリギリで踏み止まっている状況である。それでも兵数差を考えれば善戦しているのは明らかだった。


(間もなく日が暮れるが、大村や西郷に同じ手が2度も通用するとは思えない。今夜は喧嘩騒ぎを起こした者は死罪だと周知徹底し、混乱を未然に防ぐくらいはするだろう。それに、今夜は奇襲で城から打って出るのは無理だろうしな)


昼過ぎに大村軍から西郷軍に交代したことから、夜中も交互に城攻めを続ける作戦であるのは正吉郎にも判っていた。


(もう少しだ。もう少しで援軍がやって来る。それまでの辛抱だ)


正吉郎は一刻も早く援軍が到着するのをただ願うしか無かったが、このままでは城兵の体力が限界を迎えるのも後1日と言わざるを得ない状況に陥っていた。




◇◇◇




「それにしても小城ながら想像以上に堅いわ。4百の兵相手に此処まで手古摺るとはな」


同じ頃、大村純忠は依然として落ちる気配の見えない浅井城に悪態を吐きつつも、心中は焦りに侵食され始めていた。


なぜならば今回の策略は時間が命だからである。援軍が着くまでに如何にして寺倉正吉郎を討ち取れるか、の一点に焦点が置かれていたのだ。


「昨夜の城攻めが出来ておれば今頃、城は落ちていたはずだ。やはり只の若造ではないといったところか。しぶといわ」


正吉郎を討ち取りさえすれば、大村家は肥前の他勢力の支持を得て、大友家や龍造寺家とも協力して九州から"六雄"を追い出せる。そうすれば大村家が肥前に覇を唱えることも夢ではない。


キリスト教には死とは永遠の命の始まりであり、何も恐れることはないという教えがある。死を厭わない頑強な精神を備えた大村兵は、一向一揆にも似た厄介な性質を持っていた。故に、純忠もたとえ最後の一人になろうとも、決して屈するつもりなど無いのが実情であった。

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