九州征伐⑬ 鬼島津の夜襲
「おそらく大村と西郷は正吉郎様が信教を認めない御方だと思い込んでおるのでしょう。されど、2人はキリシタンと仏教徒で水と油の関係にありますれば、結束が固いはずもありませぬ。ならば両者の不信感を少し煽ってやれば良いのです」
「喜兵衛よ。お主の計略には恐れ入ったぞ。その策を採用しよう。では皆の中で、敵軍に夜襲を仕掛ける役目を買って出ようという者はおるか? 無論、戦功は大きいぞ」
戦功は比類なきほど大きいが、それだけに非常に危険な役目だ。当然ながら武勇に優れる者が適任となる。しばし家臣たちが逡巡していると、視界の隅で勢いよく手が上がった。
「その役目、我らにお任せくだされ!」
よく響き渡る声の主に目を向けると、島津家の4人と目が合った。
「ほう、島津の者たちか。命懸けの危険な役目となるが、良いのだな?」
史実では"釣り野伏"を編み出した男たちだ。作戦を成功させるには十分過ぎるほどの適任者だ。長兄・島津義久が切腹し、大名として滅んだ島津家を再興させるためには、何としても大きな戦功を上げなければならないという決死の覚悟なのだろう。
「「無論にございまする!」」
「その意気や良し。では、お主らに任せよう。兵50を与える故、夜襲にて大村と西郷の陣を混乱の渦に陥れるのだ。さらに南の虎口に退却し、追手を誘き寄せよ。そこを我らが叩く。この籠城戦を生き抜いた暁には相応の褒美を与えようぞ」
「「はっ、お任せあれ!」」
4人の声が同時に響いた。俺に戦功を認めてもらおうと第3軍を志願した島津兄弟だが、島津家の再興が叶うかどうか、全ては彼らの働き次第だ。見せてもらおうか、鬼島津の実力とやらを。
◇◇◇
「兄者。左馬頭様はああ仰られたが、大村と西郷は策士にござる故、ここは慎重に事を進めるべきかと存じまする」
島津兄弟をまとめる義弘に三弟の歳久が進言する。こと島津家中おいては知謀で右に出る者はいないと称された知将だ。
「うむ、又六郎の申すとおりだ。この危険な役目を見事に果たせば御家の再興も叶うやもしれぬが、焦りは禁物だ。我らが命じられた役目はあくまで敵軍の混乱と誘導だ。又四郎、国分の時のような独断専行など言語道断だぞ。良いな」
「はっ、肝に銘じておりまする」
「国分の戦い」で無謀にも追撃して敗因を作った以久が神妙に返答する。
「では、敵陣に斬り込む先鋒は俺が務めよう。3人は奇襲を仕掛けた俺の後を追うように敵陣を声高に煽り立てろ。殿は又七郎に任せる。追手を虎口に誘い込む大事な役目だ。頼んだぞ」
「はっ、お任せくだされ」
四弟の家久が決然と答える。
「敵陣が整うまで間もない。すぐに城から出て、敵に気づかれぬように山中に潜むぞ」
「「応っ!」」
島津家の4人の目は一様に百折不撓の決意で燃えていた。
◇◇◇
太陽が西の稜線に沈み、浅井城が黄昏時を迎えると、戦いの幕が静かに切って落とされようとしていた。
2月の真冬であり、4千の兵が集結した麓の陣では、暖を取るために幾つも火が焚かれている。焚火の周りでは城攻めを控えた兵たちが夕飯を取りながら、陣中には弛緩した空気が流れていた。
「痛ぇぇっ!」
「おーい、喧嘩だ、喧嘩だ!」
「大村の奴らが斬りつけて来たぞ!」
「先に手を出してきたのは西郷だ!」
大村と西郷の2つの陣の間で喧嘩騒ぎが巻き起こっていた。2人の罵り合いの口喧嘩の周りに兵が集まり、やがて集団での殴り合いとなり、形勢不利となった大村兵が刀で切りつけると、俄かに騒然とした雰囲気となっていく。
実は喧嘩の発端となった2人は敵陣に忍んだ志能便の素破であるが、喧嘩が集団同士に広がると、その2人はいつの間にか姿を眩ませていた。
一方、大村と西郷の陣の間で起きた喧嘩騒ぎを、遠くから静かに見つめる影があった。山中で息を潜めて機を窺う島津家の奇襲部隊である。
「行くぞ!」
敵陣は一見すると蟻の這い出る隙間も無いほどの厳重な守りであったが、守りの兵たちが喧嘩騒ぎに気を取られている今こそ好機であった。夜戦の開幕である。
「「ぐわぁぁ!!!」」
雑兵2人の悲鳴を皮切りに、側にいた兵たちが次々と切り捨てられていく。喧嘩騒ぎもあって陣内は酷く混乱し、大村軍は防戦も碌に出来ずに被害を大きくしていった。
◇◇◇
やがて剣が擦れ合う不穏な金属音が、陣幕の外から大村純忠の耳に響いた。
「まだ城攻めを始めるまで一刻はあるはずだが、まさか西郷の裏切りか?」
純忠も陣内での騒ぎに普段の仏頂面を崩さずにはいられない。西郷純堯が裏切ったとは思いたくもなかったが、元より2人の間には信頼関係などなく、可能性は否定できなかった。だが思いの外、純忠は冷静だった。
「誰かある!」
「ここに」
現れたのは大村一族で純忠から厚い信頼を受けていた重臣の今道純近である。
「遠江守か。何があったのだ?」
「はっ、どうやら兵たちの喧嘩騒ぎにございます。西郷の兵がキリシタンへの暴言を吐いた挙句に殴り掛かり、取っ組み合った大村の兵が刀を抜いて応じたため大喧嘩となり、刀で討ち合う同士討ちの様相を呈しておりまする」
純忠の歯軋りが響く。沈黙が場を支配した。
「愚か者どもめ。城攻めの前に身内同士で争って如何するのだ。すぐに止めさせよ!」
「はっ」
その時である。重臣の宮原純房が慌てた様子で本陣に入ってきた。
「民部大輔様、敵襲にございます!」
「何だと! 兵どもの喧嘩騒ぎではなかったのか?」
「いえ、喧嘩騒ぎが大きくなったのを見計らったように、寺倉の小部隊が夜襲を仕掛けてきた由にございます!」
「くっ、喧嘩騒ぎも寺倉の策か。まんまとしてやられたわ!」
数瞬の後、純忠は喧嘩騒ぎも夜襲のための敵の策であることに気付いた。その額には尋常でない量の汗が噴き出ている。
大村軍は西郷軍との軋轢が争いを生んだために、連携した防戦などできるはずもなく、将の指示も錯綜して混乱に陥り、寺倉軍の夜襲を西郷軍の裏切りだと勘違いする有様であった。
それに加えて、囮役の島津兄弟が退却する際に敵将を侮辱して扇動した。激昂した敵将が独断で追撃するなど大村軍の統率は大きく乱れていた。
「おそらくは伏兵が潜んでいたのだな。ぬかったわ。……已むを得ぬ。今夜の城攻めは西郷軍に任せ、我が陣は一旦後方に下げるぞ! この程度で我らの優勢は揺るがぬ。明日改めて城攻めを始めれば良い。斯様な敵の策に嵌るような愚かどもは大村家には要らぬ。其奴らは捨ておけぃ!」
「は、はっ!」
本来ならば今夜から大村軍と西郷軍の部隊が交代しながら昼夜続けて城攻めを行う予定だったが、もはや到底不可能な状況であるのは明らかだった。
やはり策士と言うべきか、純忠は事態の収拾に困難を極める状況だと冷静に判断を下すと、混乱を免れて指示が届く将兵を優先して後方へ下げる決断をする。
純忠は今夜の城攻めを見送り、混乱が収まる明日まで待つ腹積もりであり、独断で寺倉の部隊を追った将兵は時間稼ぎのための捨て石とする冷酷な指示であった。
一方、西郷軍の陣では西郷純堯は四半刻ほど後に大村軍の退き陣を知った。
「なに! 大村軍が陣を下げただと?」
今夜の城攻めをするつもりがないのは明白だった。
「くっ、我らに城攻めを押し付け、兵を温存するつもりか。ならば我らも陣を下げるぞ!」
◇◇◇
その頃、浅井城では南の虎口に誘い込まれた大村軍の将兵が、城門までの狭い通路で鉄砲や弓矢、投石で一網打尽にされ、正吉郎が勝鬨を上げていた。
「皆の者、我らの勝ちだ! 勝鬨を上げよ。えいッ! えいッ! 応ッッッー!!!」
――えいッ! えいッ! 応ッッッーー!!!
雷鳴にも似た将兵の咆哮が闇夜に轟き渡ると、寺倉軍の勝利を祝うかのように、厚い雲の切れ目から月明りが差し込んでいた。
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