九州征伐⑫ 表裏比興の者

2月15日の夕方、俺は浅井城の広間で諸将を前にしていた。


皆の双眸が俺に向いている。主だったところで明智光秀、武藤昌幸、前田利蹊、朝倉景利、冨田勢源、榊原政長、本多忠勝、大島政光、島清興、それと島津家の義弘、歳久、家久の3兄弟と以久の姿も見える。


島津の4人はどうやら御家再興のため戦功をアピールしようと、俺の側から離れないつもりらしい。後ろにも国人衆が並んでいるが、その他は逃走中の混戦で逸れてしまったようだ。


城下には大村軍2千5百と西郷軍1千5百が集結しつつある。攻撃が始まるのも時間の問題であり、悠長に構えている暇はない。この籠城戦に絶対に勝つという意思統一をしなくてはならない。俺は意を決して口を開く。


「見てのとおり我らは絶体絶命の危機にある。だが既に、浅井殿に頼んで有馬家に後詰要請の使者を送ってある故、早ければ明後日、遅くとも3日後には到着するであろう。あと3日持ち堪えさえすれば我らの勝利だ」


「「おおっ」」


どよめきと共に、先ほどまで悲壮な表情だった皆の顔に明るい希望の色が浮かぶ。


「当然ながら大村と西郷も有馬の後詰が来るまでに城を落とそうと躍起になるはずだ。兵力差は4千と4百で10倍だ。故に、この3日間は死闘となるだろう。未熟な私の所為で、皆を死の淵に引き摺り込んでしまうことになる。済まぬ」


俺は偽りなき自責の念を吐露して頭を下げた。俺の性格を知る古参の重臣は平然としているが、新参者の島津兄弟は驚いたように目を見開き、他の将も目を彷徨わせている。


「正吉郎様、頭をお上げ下され。我ら家臣全員の失態にございますれば、決して正吉郎様の責ではございませぬ」


申し合わせていたかのように明智光秀が神妙に答えると、他の将たちも首肯する。俺もこれ以上引き摺るつもりはない。既に気持ちは前を向いており、皆に頷き返す。


「私はかつて『万民が笑って暮らせる天下泰平の世を作る』と誓った。その誓いは一日たりとて忘れたことはない。此度の危機は天が私に与えた最後の試練であろう。であるならば何としてでも乗り越えねばならぬ。どうか私に皆の力を貸してくれ!」


俺の偽りなき本心だ。既に地獄の一歩手前に片足を踏み入れているに等しい状況だ。これを押し戻すには、皆が背水の陣で一致団結して戦わなければ不可能だ。


しばしの沈黙が走る。そして数瞬の後に静寂を破り、島清興が精悍な面持ちで告げる。


「たとえ地獄の果てであろうとも、某は正吉郎様にお供いたしまするぞ!」


「「某もでござる!」」


「そうか。私に付いてきてくれるか。無論、私も家族を残して死ぬつもりなど毛頭ない。お主らにも叶えたい凌雲の志があるだろう。私には寺倉郷や沼上郷で六角や一色の大軍を寡兵で撃滅した実績がある。此度の危難も生き延びて、必ずや己の夢を実現するのだ!」


「「おおぅ!!」」


皆から勇ましい喚声が上がった。


「まずは裏切り者の大村民部と西郷石見守を成敗しなくてはならぬ! 良いか、我らは一蓮托生だ。一つの失態が皆を危機に晒すことになる。努々忘れるな!」


俺は強い決意と共に満足げに頷いた。


「だが、浅井城が堅城だとは言え、愚直に戦ったところで勝ち目は薄い。喜兵衛、何か策はないか?」


俺は真っ直ぐ武藤昌幸を見据えた。この危機に名軍略家が側にいるとは俺の天運の良さを物語っている。


「はい。寡兵には寡兵なりの戦い方がございますれば、そう悲観することはございませぬ。寡兵が勝つにはまず人心の掌握が第一にございます。しかし、正吉郎様は既に見事に将兵の心を掴み申した。かく申す私も感服した次第にございます。元よりこの城まで辿り着いたのは力と気概のある者ばかり故、将兵は少々の劣勢など物ともせず戦うでしょう」


軍略を説くように落ち着いた所作で話す昌幸の言葉には説得力がある。


大軍を動かす場合は末端の兵の統制がどうしても甘くなってしまう。だからこそ山田城が夜襲で大混乱する事態を招いてしまったという後悔が、俺に重く圧し掛かる。


「うむ、喜兵衛の申すとおり確かに寡兵は不利だが、逆手に利用することもできる。此処にいる将はそれぞれが敵兵10人にも勝る勇将だ。この程度の不利など撥ね返せよう」


「正吉郎様が寺倉郷や沼上郷で寡兵で勝利した際は、事前に周到な策を仕掛けられたと聞き及んでおります。ただ此度は左様な仕掛けもなく、大きな損耗を強いられるは必定故、第2の策を献策させていただきまする」


「うむ、申してくれ」


「この浅井城は尾根の北端に築かれており、北側は険しい崖にございます。敵の立場になって考えますと、北から攻めるのは無理にござれば、攻め口は南側となります。南側は虎口以外は堀切と土塁が備わり、大軍が一気に攻め入ることは難しいでしょう。しからば我らは虎口に兵を集中させ、敵を一網打尽にすべきと存じまする」


浅井城は北に向かって突出した尾根の先端に築かれた単郭の山城だ。主郭の北側は断崖絶壁で、南側は深い堀切で遮断され、土塁も設けられている。堀切を渡って土塁を越えるには傾斜が非常に厳しく、城兵の弓や槍の格好の餌食となりやすい。


そうなれば敵は必然的に虎口、つまり城門に繋がる細長い通路を抜けなければならない。虎口は3人分の狭い幅しかなく、左右は城壁に囲まれ、上から弓矢や投石で狙われる。


さらには通路の奥には城門があるが、通路の途中はクランクで曲がっているため丸太の破城槌は運ぶのも使うのも難しい。この城は俺が攻めるとしても兵糧攻めしか思いつかないほどの堅城なのだ。


「城を落とそうとすれば虎口に敵兵が集まることになるが、大村民部と西郷石見守は相当な切れ者だぞ」


「はい。おそらく始めは虎口から攻めるでしょうが、それが難しいと知れれば、次は夜襲で堀切と土塁を越えるか、あるいは火攻めを考えるでしょう」


大村純忠と西郷純堯が愚直に城門を攻めるだけとは考え難い。そのことは昌幸も理解していたらしく、俺の言葉に頷き返した。


「だが彼奴らが2日で城を落とせなければ、最悪は私さえ殺せばいいと見切りを付けるだろう。ならば明後日の夜には警戒の薄い北の崖を少ない兵でよじ登って城内に忍び込ませ、私の命を狙おうとするであろうな」


「さすがは正吉郎様でございますな。ならば我らも守るだけではなく、先手を打って夜襲を仕掛けるのはいかがでしょうか。夜中はどうしても警戒が薄くなります。敵は大村と西郷の寄り合い所帯故、統制が取れずに混乱するのは必定かと存じまする」


「ふふ、『孫子』にも"攻撃は最大の防御なり"とあるが、山田城で我らが夜襲で混乱した意趣返しという訳か」


「はい。大村と西郷は義兄弟ですが、信教の違いで激しく敵視し合っているようです。今は寺倉家を共通の敵として一時的に協力しているに過ぎませぬ」


大村純忠はキリスト教、西郷純堯は仏教か。信教の違いは大きな溝を生む。異教徒の共存が難しいのは前世の中東を見れば分かる。


「なるほど呉越同舟というところか。だが、少人数で夜襲を仕掛けるのは面白いが、素早く退避するとしても相当な危険を伴うぞ」


「無策では当然危険ですが、大村や西郷がいくら頭の切れる男と言えども、その下の将兵は違います。夜襲の前に忍ばせた素破が喧嘩騒ぎを起こして煽りでもすれば、多少なりとも両者は疑心暗鬼に陥るでしょう。そして、夜襲で敵陣が混乱して敵将が正確な判断を下せなくなった時に、素破が『敵は向こうだ。追え』と指示すれば、敵兵は自ずと誘導されるでしょう」


「つまりは大村と西郷を同士討ちさせようという訳だな?」


そう訊ねると、昌幸は口角を上げて首肯した。さすがは"表裏比興の者"だな。

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