九州征伐⑪ 大村と西郷の暗躍
その日の夕方、順蔵が目を覚ましたと聞いて、すぐに俺は別室を訪ねた。幸いにも順蔵の顔には血色が戻っており、俺は内心でほっと安堵の息を吐く。
「順蔵、具合はどうだ?」
「正吉郎様が自ら施術をしていただいたそうで、誠にかたじけなく存じまする。お陰様で痛みもほとんどありませぬ」
「痩せ我慢せずとも良い。順蔵は命の恩人だ。身を挺して庇ってくれたお主の献身には心から感謝しておる。このとおりだ」
今にして思えば九州平定も間近だという慢心から、敵地が目前であるのに油断していたのは否めない。主従の立場など度外視し、俺は順蔵に深々と頭を下げる。
「どうか頭をお上げくだされ。そもそも某が大村と西郷の動きを掴んでおれば起こり得なかったことにございます。全ては某の責にござれば自業自得にございまする」
「そうではないのだ、順蔵。私はこれまで一度たりとてお主ら素破を卑しい者と粗略に扱ったことなどないが、お主の忠義に何ら報いてやれないどころか、私の未熟さ故にお主に深手を負わせてしまった。誠に済まなんだ。許してくれ、うっ……」
その後は嗚咽で言葉にはならなかった。これまで順蔵は未熟な俺を陰から支えてくれた。順蔵なくして今の俺はあり得ない。
「正吉郎様のような名君に仕えることができ、某は日ノ本一の果報者にございます。正吉郎様のために身命を賭して参り申した故、利き腕が使えなくなろうとも悔いなどございませぬ。むしろ某の腕一本で正吉郎様の御命を救えたのならば安いものにございまする。ははは」
そう言って順蔵は豪快に笑い飛ばす。
「それに某も齢50も間近となり、そろそろ隠居する頃合いと思うており申した。故に志能便の棟梁には根津甚八郎を娘婿として後を継がせますれば、何の問題もあり申さぬ」
心中を吐露する順蔵の言葉の端からは、俺の役に立てないという哀切がひしひしと伝わってくる。
「順蔵が隠居を考えていたとは驚いた。だが、お主にはまだまだ私を支えて貰わねばならぬ。これからは私の相談役として寺倉家を支えてくれ。頼んだぞ」
「はい。それに、治らぬと決まった訳ではございませぬ。"寺倉六芒星"の一人として胸を張るため、力を尽くして治して御覧に入れまする」
「うむ、その意気や良し! しばらくは養生して傷を治すのに専念してくれ。では、先ずはこの窮地を脱せねばならぬな。十兵衛、皆を集めよ。評定を行うぞ!」
4百対4千で10倍の敵だろうと関係ない。泥水を啜ってでも、皆で必ず生き延びて見せる。全てはこの日ノ本から戦を無くすためだ。俺は鋭い眼差しで未来を見据えた。
◇◇◇
一方その頃、浅井城の囲む麓の敵陣では、大村純忠と西郷純堯が顔を合わせていた。
「素破に邪魔されて左馬頭を撃ち漏らしたのは残念だったが、存外と撤退させるのは容易かったのう。"天下人"と言えども所詮は若造に過ぎなんだか。余りに事が上手く運びすぎて却って警戒したくらいだが、取り越し苦労だったわ。ははは」
ここまで自分の描いた筋書きどおり順調に進捗し、純忠は嘲るように笑う。
「さしずめ優秀な家臣に恵まれたのであろうよ。御仏に信心深くもなければ、頭が切れる訳でもない。至って凡庸な男よ」
純堯も吐き捨てるように告げる。
「神の教えを禁じ、伴天連を追放するような男なぞ元より信用できるはずもないわ」
純忠はキリスト教への入信に消極的な態度を取る兄・有馬義貞にかねてより不信感を募らせていたが、義貞が伴天連を追放した寺倉家に味方したため、ついに堪忍袋の緒が切れた。
しかし、キリシタンの多い肥前では"六雄"に対する反発が強いという実情を無視した義貞の浅慮を、純忠が表立って非難しなかったのは公然と有馬家と対立することの危険性からだった。
有馬家と対立すれば必然的に寺倉家は大村家を敵と見做すことになる。300万石を軽く超える寺倉家と正面から戦っても勝てる見込みがないことは、純忠も十分すぎるほど理解していた。
純忠はキリシタンである自分が、キリスト教を禁じる正吉郎に警戒されることは当然想定内であり、そこで先手を打って信用を得るべく情に訴えた。
だが、正吉郎は『信教は自由だ』と言いながらキリスト教の禁教を撤回せず、反対にキリスト教の布教が南蛮交易の条件であれば南蛮交易も認めないと告げられた。
純忠は正吉郎が自分とは決して相いれない考えの持ち主であり、ここで正吉郎を殺さなければ、キリシタンが平穏に暮らせない世の中となってしまうと確信するに至る。ならば表向きは寺倉家に恭順する姿勢を見せて、油断した隙に付け入るべきだと考えたのである。
だが、そのためには敵対する西郷家が邪魔だった。純忠の妻は純堯の妹であり、純堯とは義兄弟である。だが、純堯は曹洞宗を熱心に信仰しており、キリシタン大名となった純忠を敵視したのだ。
純堯は松浦家や後藤家と結んで幾度となく大村領内に攻め入り、純忠も有馬義貞の援軍を受けつつも対応に苦心するほど決して相容れない両者だったが、一方で純堯は寺倉家に対しても大きな憎悪を抱いていた。
九州では寺倉家は石山本願寺や金剛峯寺を滅ぼしたばかりか、石山の寺内町ごと業火で焼き尽したと伝わっている。それは伝染病を防ぐため已むを得ない措置だったのだが、それが伝わることはなく、純堯の狂信的な信仰心は寺倉家に対する猜疑心を生み、やがては嫌悪の感情へと変わっていった。
かくして、純忠と純堯は利害が一致する格好となる。しかし、それは寺倉家への強烈な敵対心という一点に限った話であり、両者は同床異夢、いや呉越同舟と言うべき関係だった。
「ふん、某にすれば得体の知れぬ南蛮の異教に心を冒された貴様も大して変わらぬがな。貴様の申すキリスト教なぞ欠片ほども信用できぬぞ」
一方、純堯は"天草五人衆"を寺倉家と敵対させるため、同族の栖本家をも毒牙に掛けた。正吉郎を誘き寄せるべく詭計を巡らせ、手頃な客将の相良頼貞を捨て駒に利用したのだ。
結果的に菊池家の再興は失敗に終わったが、あくまで正吉郎を誘き寄せるための餌に過ぎず、純堯にとって菊池家の再興など二の次だったのである。
その後、島原半島に上陸した寺倉軍は敵対姿勢を明確にした松浦家の討伐のために北上する。元々松浦家は南蛮交易で巨万の富を築いており、日本人の奴隷貿易を嫌う寺倉家とは敵対する構えだった。
松浦家は鉄砲の有用性を早くから理解し、多大な財を背景に軍備を拡大しており、西肥前で確固たる地位を確立している。当主の松浦鎮信は大友宗麟(義鎮)の偏諱を受けるなど、大友家との結びつきが強い上に、純堯の娘を娶って西郷家とも同盟関係であった。
したがって、寺倉家の目は必然的に西郷家と松浦家に向けられることになった。これにより正吉郎に直談判して信用を得ようと画策した純忠は、幸いにも有馬義貞の弟であることから大村家への警戒心を薄めることに成功したのだ。
両者のこうした水面下の暗躍が功を奏し、正吉郎を目の前の山城に追い詰めるまでに至ったのだ。籠城兵とは10倍の差があり、後は浅井城を落とすだけであった。
しかし、2人はほくそ笑みながらも警戒は一切解かず、油断や慢心もなかった。寺倉家が逆境に強く、過去に寡兵で大軍を何度も撃退してきたという逸話を半分は誇張だと疑いながらも、残り半分は真実かもしれないと考えていたからである。
「民部大輔殿、有馬家の後詰が来るまでに城を落とさねばならぬ。せいぜい後2日しか残されておらぬぞ」
「石見守殿、斯様な小城相手に10倍の兵ならば、2日と言わず明日には落とせるであろうよ」
純堯の言葉に純忠は大言壮語すると、山上の浅井城を見つめるのであった。
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