九州征伐⑩ 島原半島撤退戦

日野江城で休息を取りつつ肥前の諸勢力に調略を仕掛けていた俺は、2月12日の朝、第3軍2万の兵を率いて日野江城を出立した。


2万という兵数は80万石の動員兵力に相当し、肥前の石高30万石の倍以上だ。有馬軍の参陣は不要のため、見送りに出た有馬義貞には万一の時の援軍を頼むと、寺倉軍のみで進軍を行った。


義貞から肥前のレクチャーを受けた時には、肥前の各大名の態度はまだ明確ではなかった。しかし、その後に浅井・蒲生軍が大友領に、寺倉軍の第1軍・第2軍が北肥後に侵攻したことにより肥前の情勢も一変する。


肥前で最有力の龍造寺隆信は俺が送った"六雄"への降伏勧告を無視した。植田順蔵によると、どうやら史実と同じく大友領をどさくさ紛れで掠め取ろうという魂胆らしい。後で後悔しても遅いがな。


一方、松浦鎮信は大友に味方して"六雄"に敵対するようだ。他にも神埼郡の神代長良や小城郡の小田鎮光といった実力者も同調するようだが、所詮は国人領主で大した脅威ではない。


よって、先ずは松浦家を討伐するため本拠の平戸に向けうことにした。島原半島から北松浦半島を南北に縦断する形だが、既に南蛮船2隻も平戸に向かったので、第3軍が到着する頃に艦砲射撃により松浦家は降伏しているかもしれない。


第3軍は島原半島の中央に聳える雲仙岳の東の有明海沿いに、有馬領の島原半島を悠然と行軍する。弧を描く遠浅の伊佐早湾が長閑な空気を纏わせるが、唯一の懸念はこの先の伊佐早の高城城を居城とする西郷純堯だ。


相良頼貞を唆して人質事件を画策した以上、西郷純堯が臣従するはずもない。降伏勧告は使者が殺される危険が高いので送らない。伊佐早は平戸への通過点でもあるので、見せしめに滅ぼすつもりだ。




◇◇◇




肥前国・山田城。


出立して3日目の夜、俺は有馬家臣の山田純規の居城である山田城に逗留した。もちろん2万もの兵は城内に収容できないので兵たちは城の周りで野営だ。いよいよ明日は西郷家の高城城に着く予定だ。


この時の俺は有馬家譜代の重臣の山田純規の歓待を受けて少し気が緩んだのかもしれない。そんな俺を嘲笑うかのように、深夜に甲高い悲鳴が響き渡った。


「敵襲ぅー! 敵襲だぁー!!」


切羽詰まった叫び声は、暗闇の城内の俺の耳まで届いた。山田純規が裏切ったのか? いや、それならば城内の俺を襲うはずだ。叫び声は城の外からだ。ならば、西郷が先制攻撃を仕掛けてきたと考えるべきだろう。


俺は冷静に分析する。「関谷の退き口」での苦い記憶が頭を過ぎる。あの時の俺は狼狽えて判断が遅れた。その所為で多くの将兵を死なせ、俺も死に直面した。


あの時の教訓から俺は夜襲がないと高を括ることはせず、警戒を強めていた。だが、「関谷の退き口」を経験した古参の将兵は半数にも満たず、未経験の将兵との意識の乖離は致命的だ。改めて大軍を動かすことの難しさを実感させられる。


「正吉郎様、敵は西郷石見守の手勢と存じます。城外の兵は夜襲を受けて混乱しており、先ほど城に火が放たれました! どうか御下知を!」


「この小城ではすぐに燃え落ちます。ですが、乱戦の城外は闇夜で危険にございまする」


部屋に駆け込んできた明智光秀と武藤昌幸が急き立てるように告げる。2人の背後には前田利蹊、朝倉景利、冨田勢源、榊原政長、本多忠勝、大島政光、島清興といった綺羅星の如き武将が控えており、俺は間髪入れずに頷く。


「やはり西郷か、してやられたわ。だが西郷の狙いはただ一つ、私の頸だ! ならば一旦退き、守りの固い城に避難するしかあるまい。喜兵衛、どこが良いか?」


「はっ、東の浅井城が良いかと」


「そうか。愚図愚図してはおられぬ。皆、全力で浅井城へ退くぞ!」


「「応ッ!」」


城外では大勢の将兵が西郷兵に応戦しているが、夜が明ければ数で負けるはずはない。他の将には自力で後に付いて来てもらうしかない。


馬に飛び乗った俺は馬廻りに囲まれて安全を確保しつつ、手勢を率いて全速力で街道を東進する。俺の指示に従って動けたのはわずか2千程度だった。


浅井城は途中の多比良にあった山城で、険しい山頂に築かれており、城主の浅井貴安は有馬家の忠臣だった。だが、山田城からは15kmほど離れており、馬でも1時間以上は要する。追手の兵は予想以上に多かったが、それでも脇目も振らずに俺は全力で馬を駆ける。


2千の兵の中には体力に限界を感じ、力尽きる前にせめて追手を足止めしようと、途中で脱落する兵も多かった。悲しむ暇もない俺は『生きて戻ってくれ』と祈りながら、彼らの忠義に応えるためにも必ず生き延びると決意する。


重い甲冑を身に付けての撤退は体力よりも精神的な疲労が大きかった。極度の緊張による脱水症状から息は絶え絶えとなり、やがて意識が朦朧とした時だった。


「正吉郎様っ!!」


突然、順蔵の声が近くに響いて意識が覚める。直後に銃声が響くと、黒い影がスローモーションのように視界を覆い、気付いた時には順蔵の身体が力なく馬上の俺からずり落ちた。


「ッ!!!」


思わず声にならない悲鳴を上げた。順蔵は伏兵が狙撃した銃弾の射線を自分の身体で遮り、被弾したのだ。


「正吉郎様、順蔵殿は後ろの者が救けます故、馬を止めてはなりませぬ!」


並走する朝倉景利が叫ぶ。順蔵の生死は不明だが、ここで止まって俺が命を落とせば、順蔵の献身を無にしてしまう。


「順蔵、死んではならぬぞ!」


俺は奥歯を噛んで手綱を握り締めた。




◇◇◇





肥前国・浅井城。


既に丑の刻過ぎ頃(午前3時)だろうか。俺は疲労困憊ながら辛くも浅井城に辿り着くことが叶った。


城主の浅井貴安は驚きながらも突然来訪した俺たちを城内に受け入れてくれ、俺は疲労と安堵感から膝から崩れ落ちると、やがて意識を手放した。


「ん? ここは……?」


「正吉郎様! 目覚められましたか。心配いたしましたぞ」


目が覚めると、既に払暁の光が薄白い東の雲り空を照らす黎明の刻だった。3時間ほど昏睡してしまったようだ。記憶の混濁から回復した俺は側に控える光秀に訊ねる。


「済まなんだな。そうか、浅井城に辿り着いたのだったな。今の状況は?」


「はっ、浅井城に辿り着けた将兵は凡そ4百にございまする」


山田城を出た2千の5分の1か。これほどの無力感に苛まれたのは「関谷の退き口」以来だな。


「城を囲む敵兵は凡そ4千。敵陣には西郷に加えて、大村の家紋の幟も見えまする」


「大村民部大輔が裏切っただと? ふん、直談判への俺の返答が不満だったと、そういう訳か。では大村家自慢の鉄砲隊が待ち伏せして狙撃したのか。報いは必ず受けさせようぞ」


狙撃? そうだ、順蔵が撃たれたのだ!


「十兵衛、俺の身代わりに撃たれた順蔵はいかがした?」


「はっ、弾は急所を外れており、命は無事にございまする」


別室では俺を庇って重傷を負った順蔵が眠っていた。右肩に巻かれた包帯には血が滲んでいる。痛々しい姿の順蔵と無傷の己が身を比べ、俺は悔恨の念に苛まれる。


「済まぬ、順蔵。私が未熟なばかりに……済まぬ」


謝罪の言葉が口から溢れ出る。一乗谷で出会って以来、ずっと尽くしてくれた順蔵を盾のように扱ってしまった。利き腕の右腕が動かせなくなれば、忍働きは満足にできなくなる。どう謝ったら良いのか。


自責の念が胸を切り裂き、血の涙で目頭が熱くなるが、事態は俺が嘆き悲しむのをいつまでも許してはくれない。まずは順蔵の右肩から銃弾を摘出する必要がある。


「十兵衛、鉄砲の弾は鉛だ。早く摘出せねば鉛の毒で順蔵が死んでしまう。以前に一乗谷で金次に施したのと同様の施術を行うぞ」


「はっ、すぐに支度いたしまする」


こうして俺は気を失っている順蔵に銃弾の摘出手術を施した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る