九州征伐⑧ 肥前の情勢と有馬兄弟
日野江城の大広間に入ると、俺は勧められた上座を丁重に断った。有馬義貞は"六雄"への服従を申し出たが、肥前は浅井家の領分のため寺倉家には臣従しておらず、協力者という関係だ。
主君ではない俺は義貞と下座で向かい合って座ると、諸大名が群雄割拠する肥前国の情勢について説明を受けた。
有力大名ではまず東肥前の佐嘉郡を本拠とする龍造寺家だ。主家の少弐家を攻め滅ぼすと東肥前の国人を降し、大名の地位を確立したのが"肥前の熊"こと龍造寺隆信だ。今は40歳を過ぎた円熟期だ。
西肥前は松浦郡平戸の松浦家の勢力が大きい。明や南蛮との交易で稼いだ富により領内で鉄砲を製造し、軍備を拡大して本家の相神浦松浦家を凌ぐほどに成長を遂げている。商売で軍備を拡大し、松浦水軍を有する点は寺倉家とも共通する点だ。
先代当主の松浦隆信はキリスト教に関心がなく、平戸で南蛮商人が殺傷されると南蛮船は大村領に移ってしまうと、必然的に南蛮交易は終わりを告げる。一昨年には嫡男の松浦鎮信が当主を継いだが、実権は隆信が握っているようだ。鎮信は大友宗麟(義鎮)から偏諱を授かっているので、"親大友"と見ていいだろう。
松浦郡唐津には同じ松浦党の波多家も存在する。当主の波多鎮は有馬義貞の三男で養子に入ったが、波多家の庶子との家督争いで家中が分裂し、壱岐に逃げた対立派が松浦家に降ったため勢力が後退している。
南肥前の彼杵郡では大村家だ。当主の大村純忠は有馬義貞の次弟で、母方の大村家の養子となって後を継いだ。純忠は日本初のキリシタン大名で、俺と以前面会した宣教師は大村城下を根城にしている。
大村純忠は義貞の実弟なので大村家は有馬家の味方だが、今では半ば独立し、有馬家とはどうやら同盟関係に近いようだ。
大村純忠と因縁が深いのは杵島郡武雄の後藤家だ。当主の後藤貴明は先代の大村純前の庶子で、義貞や純忠とは従兄弟だ。だが、従兄の純忠が養子に入ったために後藤家へ養子に出された貴明は純忠を恨んでいるらしい。
あと忘れてはいけないのは西郷家だ。高来郡伊佐早の西郷家の当主・西郷純堯も義貞や純忠と従兄弟であり、義貞の娘婿でもある。そして相良頼貞を唆した黒幕で、要注意人物だ。
最後に有馬家だが、肥前守護で先代の父・有馬晴純の存命中は大村家も西郷家も有馬家の従属下だったが、父の死後に情勢が大きく変わり、最盛期には20万石を超えた有馬家の所領も、今や高来郡の島原半島だけに閉塞している。
義貞の話によれば衰退の要因はやはり西郷純堯のようだ。熱心な仏教徒の純堯はキリシタンとなった大村純忠への反感から離反したらしい。純堯は松浦隆信や後藤貴明と盟を結び、大村家を攻めたため有馬家は西郷家と抗争を繰り返すこととなったからだ。
「弟の大村民部大輔(純忠)殿はキリシタンだが、修理大夫(義貞)殿は入信せぬのか?」
キリスト教の話題が出たので訊ねると、義貞は首を左右に振る。
「南蛮との交易には興味はございますが、キリスト教を禁じる"六雄"の治世において、御家の存続を秤に掛けてまで入信するつもりなど毛頭ございませぬ」
「左様か。賢明な判断だな」
入信しない義貞は有馬家中ではどうやら少数派のようだ。有馬家臣の目からは明らかな敵意を感じるからだ。肥前でキリスト教の布教がかなり進んでいる証だな。
俺がキリスト教を禁教としたのは南蛮人の侵略から日本を守るための措置だが、キリシタンは南蛮人が日本侵略を企んでいるなど知る由もなく、宣教師を領内から追放した俺を敵視するのは当然だ。キリスト教自体には何の悪意もないので、さすがに心が痛むが、こればかりは国防のため致し方なかろう。
◇◇◇
「兄上、失礼いたしますぞ」
その後も多少の居心地の悪さは我慢しつつ、有馬義貞と歓談していると突然、大広間に入ってきた30代後半と思しき男から溌剌とした声が響き渡った。
「寺倉左馬頭様。誠に畏れながらご無礼の段、何卒お許し願いまする」
「おい、新八郎。無礼と分かっておるのならば、後にせい!」
義貞が強く戒めるが、新八郎と呼ばれた男は俺を見据えて逸らさない。
「構わぬ。何やら大事な用件があるのだろう」
「はっ、誠にかたじけなく存じまする! 某は大村民部大輔純忠と申しまする。寺倉左馬頭様に拝謁を賜り、誠に光栄に存じまする」
大村純忠は『ドン・バルトロメオ』の洗礼名を持つ日本初のキリシタン大名だ。
平戸に代わる新たな交易拠点を探す南蛮人に、純忠は自領である西彼杵半島の北端の佐世保湾に面する横瀬浦を提供した。やがてイエズス会の日本の布教責任者のコスメ・デ・トーレスが純忠に洗礼を施し、イエズス会は日本における布教の拠点とした。
その後、五島列島の大名の宇久純定もキリシタンとなり、史実では8年後に大友宗麟もキリシタン大名になる。侵略のために権力者を信者にして傀儡化するという手口は、インドやセイロンと同じで全く芸がない。
純忠は松浦家に代わって南蛮貿易でかなり儲けており、キリスト教布教に便宜を図るため領内の寺社を破壊して僧や神官を殺し、キリスト教への改宗を拒む領民を迫害していると義貞から聞いたが、事実ならば言語道断だ。
純忠は西郷純堯と並んで油断ならない男だと考えていたが、本当の姿を見極めさせてもらおうか。
「領内で南蛮と交易し、キリスト教に入信したそうだな」
「はい。某が大村家を継ぐまで領内は貧しく、領民も飢えに喘いでおりました。それを変えたのは他でもない、南蛮との交易にございます。やがて某はキリスト教の教えに感銘を受け、受洗しました」
純忠の瞳に揺るぎはない。南蛮交易がなければ貧困が続いていたとの言い分は否定できないだろう。
「だが、先祖の墓や寺社を壊し、僧や仏教徒を迫害するのは度が過ぎやせぬか?」
俺は眼光を鋭くして問い掛ける。
「とんでもございませぬ。事実無根にございまする。某はキリシタンにございますが、領主として大村の民に貧しき暮らしを強いる訳には参りませぬ。そのためには南蛮との交易の拠点が必要にございまする!」
俺は首肯して続きを促した。
「ご無礼ながら申し上げます。左馬頭様は領内でキリスト教を禁じておられますが、大村の民の多くはキリシタンにございますれば、日ノ本を平定された暁には伴天連を追放し、我らキリシタンを迫害しはせぬかと案じておりまする。左馬頭様にはどうか、寛大な処置をお頼み申しまする!」
感極まって途切れ途切れながらも、純忠は必死な答弁だ。
肥前は南蛮交易が盛んで、大きな恩恵を受けているのは事実だ。だが、史実では幕末の開国後に、諸外国との金銀の交換比率の違いにより大量の金の国外流出を招いたように、南蛮交易も金の流出や奴隷貿易など不利益を被る部分も多い。詳細を調べて慎重な判断を下す必要があり、即断は拙いな。
それに、南蛮交易とキリスト教は別物だ。宗教としてのキリスト教は否定しないが、宣教師が日本を侵略しようと企むポルトガルやイスパニアの手先なのは紛れもない事実だ。敵の尖兵を国内でのさばらせる訳には行かない。
「申し分は分かった。……他の者にも申しておくが、人が何を信じるか、信教は自由でなければならぬ。故に、もし南蛮人がキリスト教の信仰を交易の条件とするのであれば、断じて認める訳には行かぬ。だが、私も民を苦しめるつもりはない故、善処しよう」
「……承知いたし申した」
俯いた純忠の表情は窺い知れないが、先ほどよりも低い声で返答して大広間を出て行った純忠に、有馬家臣も唖然としている。
南蛮交易とキリスト教の信仰は分けて考えるべきだという俺の考えを、キリスト教に心酔する純忠ははたして理解してくれたのだろうか。
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