九州征伐⑦ 和解と島原上陸

「どうやら思い当たる節があるようだな。童の頃は誰でも多少の悪戯はするものだが、いつまで経っても反省する態度も見えぬ子には、父親もさすがに愛想を尽かすであろうよ。父親がお前を寺に入れたのは父親の所為ではない。お前自身がそうさせたのだ。つまりはお前の不遇は自業自得によるものだ。分かったか、この戯け者めが!」


俺が血も涙もない冷酷な男であれば、家臣でもない家の娘を救けに出向くなど馬鹿馬鹿しいと見殺しにすれば良いだけで、そもそもこの場に足を運ぶ必要はなかった。それをわざわざ俺が出向いたのには天草郡をスムーズに平定するためという理由はあるが、それだけではない。


同い年の蹊長の弟である頼貞に更生の余地があるならば兄弟を和解させ、どうにかして更生させてやりたいという温情が働いたからに他ならない。我ながらいつまで経っても甘いなとは思うが、間違っているとは思わないし、改めたくもない。


「……だが、最早やり直しは効かぬ。俺が武士として起つには、これしか方法はなかったのだ」


これまで頼貞はこれほど真剣に叱責を受けたことなど無かったのだろう。ようやく自分の方がよっぽど甘やかされていたのを自覚し、幼い頃の過ちに気づいたようだ。


俺は相良蹊長にチラッと視線を向ける。すると、頭の回転の速い蹊長はその意味をすぐに理解したようで小さく頷いた。


「だが、一時の感情に突き動かされ、罪もない娘を拐かすような者に菊池家の当主が務まるはずもない。仮に、お前に菊池家を継がせたとしても俺に仕えることになる。名前だけの当主がお前の望んだものか? 違うだろう。お前は己が武勇を天下に示し、勇猛な武士と称えられることを望んでいたはずだ。故に、俺はお前を菊池家の当主に認めるつもりはない」


「ぐっ……」


「このような愚行に走らずとも、戦で戦功を挙げれば兄から重用され、家臣からも敬われたのだ。お前は己が不遇を恨む前に、己の行いを省みて己を磨くべきだったのだ」


自分の行いを後悔した頼貞は構えていた小刀を下ろし、悠姫を掴んでいた手を放した。悠姫は驚きながらも、恐る恐る俺の方へ寄ってきた。


「娘を解放した故、もう俺を殺せるぞ。御家を乱した大罪人だ。煮るなり焼くなり好きにすれば良かろう」


頼貞が自暴自棄になって告げると、すかさず兄の蹊長が平伏して横から口を挟んだ。


「左馬頭様。どうか弟の命だけはお救けくだされ。お詫びとして加増していただいた天草郡を返上いたします故、どうかお頼み申しまする」


蹊長の命乞いはグッドタイミングだったが、天草郡を返上してまで弟の助命を嘆願したのには俺も驚いた。


「俺がいつお前を殺すと言った? お前には3つの選択肢を与えよう。1つは同い年の俺との一騎討ちだ。俺に勝てば菊池家の再興を認めてやろう。だが、負ければ二度と刀を握れぬように利き腕を折らせてもらう。2つ目は子を作れぬように去勢する。3つ目は鞭打ち10回だ。いずれも兄と和解し、迷惑を掛けた栖本家に真摯に謝罪することが条件だがな」


「なっ!」


頼貞は絶句している。国を乱すような愚行を犯した自分を赦そうというのだから当然か。


「お前は武芸に自信があるようだが、俺も後ろの冨田五郎左衛門(勢源)に師事しておってな。お前には余裕で勝てると五郎左衛門が申しておるが、試合うてみるか?」


「……いや、俺もお前に勝てる気はせぬ。だが、子を作れぬのも困る。故に鞭打ちを受けるとしよう」


「そうか。まあ、九州征伐はまだ途上だ。お前のような腕自慢の武士が一人でも多い方が心強いのは確かだがな」


「俺を必要だと言われたら泥水啜ってでもやるしかねぇが、本当にそれで赦してくれるんだな?」


「"綸言汗の如し"。主君が一度口にした言葉は取り消すことは出来ぬ。もし取り消せば家臣の信頼を失ってしまう故な。既にお前は娘を解放した故、兄に頭を下げ、栖本家に謝罪すれば鞭打ちで赦すと約束しよう」


「分かった。……兄上、これまで身勝手な行いで迷惑を掛けて申し訳ない。赦してもらえるならば、これからは一家臣として忠義を尽くすと誓い申す」


どうやら頼貞は改心したようだ。蹊長は弟と和解できて目に涙を浮かべて頷いている。


「ああ、赦そう。大膳大夫よ、これからは私を支えてくれ」


その後、頼貞は栖本鎮通に土下座して謝罪し、鞭打ち10回を受けた。まあ、20回だと大抵の男は死にかねないので10回にしたのだが、それでも背中の肉が裂けて気絶したのは仕方ないだろう。


こうして、後に「頼貞事件」と呼ばれる今回の人質事件は、頼貞の臣従により幕を閉じた。


しかし落とし前は付けなければならない。罰として頼貞は相良姓を剥奪され、断絶していた相良家庶流の上村家を継いで「上村房嵩」と改名した。一家臣として兄・蹊長に仕えることになった房嵩は心を入れ替え、相良家への忠勤に励むこととなる。


無事に解放された悠姫は当初の予定どおり天草家の嫡男・天草久種に嫁ぐこととなり、菊池家の再興は潰えた。栖本鎮通と天草尚種以外の"天草五人衆"と呼ばれる志岐鎮経、大矢野種光、上津浦鎮貞も抵抗することなく臣従し、1月下旬に天草郡は平定された。


その天草郡は蹊長が頼貞の助命嘆願のために返上を申し出たが、それでは召し上げた薩摩の伊佐郡が丸損で相良家臣から不満が出かねない。そこで一旦は俺が預かるが、天草郡には相良家と縁の深い国人がいるので、今後の九州征伐で相良家が戦功を挙げたならば改めて返還するつもりだ。


それと、菊池家の再興は菊池家の血を引く栖本家の悠姫を強引に娶って実現しようとしたものだが、改心した頼貞が今回の事件の黒幕は肥前の西郷純堯だと自供したことにより、島原半島への上陸に俄かに暗雲が垂れ込めるのだった。




◇◇◇





肥前国・日野江城。


2月上旬、天草郡を手中に収めた俺は2万の寺倉軍第3軍を率いて、南蛮船で南肥前の島原半島に渡った。


諸大名が群雄割拠する肥前において、島原半島を治めているのは有馬家だ。有馬家は平直澄を祖とし、子孫の初代・経澄が鎌倉幕府から肥前国高来郡有馬庄の地頭に任じられ、有馬姓を名乗ったのが始まりであり、今の当主は12代・有馬義貞だ。


その義貞は既に使者を通じて"六雄"への服従を申し出ており、島原半島の南端にある口之津に上陸すると、俺は20歳くらいの若者の出迎えを受けた。


「寺倉左馬頭様。某は有馬修理大夫が嫡男、有馬太郎義純と申しまする。某が日野江城までご案内いたしまする」


有馬義純は史実では今年に義貞から家督を継ぐが、翌年に夭折してしまう。病弱には見えないので暗殺の可能性が高いだろう。


義純の死後は義貞の後見により幼年の次男の有馬晴信が後を継ぐが、龍造寺家の圧迫を受けることになる。だが、後に「沖田畷の戦い」で龍造寺隆信を討ち、豊臣秀吉の九州征伐で有馬家は本領を安堵されるというのが歴史の筋書きだ。


俺は義純の先導で島原街道の東岸を15kmほど北上し、有馬家の居城である日野江城に入った。日野江城は350年ほど前に有馬川河口に近い小高い丘に築かれた平山城だ。


史実では晴信がキリシタン大名となり、城下には教会が建てられるが、今はまだキリスト教の影響は見られない。


「寺倉左馬頭様。お初に御目に掛かりまする。私は有馬家当主、有馬修理大夫義貞と申しまする。此度はようこそお越しくださいました」


「寺倉左馬頭蹊政と申す。出迎え大儀である」


日野江城の城門で出迎えた有馬義貞は、50歳くらいの温厚で誠実そうな人物だった。おそらくは慎重な性格で行動は如臨深渕なのかもしれない。だからこそ下手なプライドを捨て、一戦もせずに"六雄"に降るのを選んだのだろう。


俺は日野江城の本丸に案内され、義貞と肥前国の情勢について話を進めた。

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