九州征伐⑥ 憤怒の交渉

「左馬頭様。人質となった栖本家の娘は天草伊豆守殿(久種)に嫁ぐ予定にございます。当家は天草家とも盟を結んでおりますが、この件により天草家が反発して天草郡の平定が遅れかねませぬ」


天草家も"天草五人衆"と呼ばれる有力国人で相良家を後ろ盾としており、天草に上陸後は臣従させる予定だった。厄介な邪魔が入ったものだ。


「確か天草では肥前の伴天連どもがキリスト教を広めておると聞く。だが、寺倉領内ではキリスト教の布教は禁じると伴天連に伝えてある故、天草で一揆を煽られでもしたら面倒だな」


天草はキリスト教の影響が強く、史実では天草家もキリスト教に入信している。史実の「天草の乱」の天草四郎の本名は益田時貞であり天草家とは無関係だが、"天草家の乱"なんて真っ平御免だ。


俺はキリスト教を禁教として宣教師を国外追放する考えだが、既に入信したキリスト教信者に罪はないので迫害したり、改宗を迫るつもりはない。小さな集落で密かに信仰するくらいは害はないので黙認する腹積もりでいる。


「実は先ほど軍を3方向に分けると決めたところだ。隈本から筑後へ北上する第1軍の2万、東の阿蘇に第2軍の1万、そして私は天草から肥前の島原へ進む第3軍の2万に加わる故、始めから天草に向かう予定だったのだ」


既に島原半島に勢力を持つ有馬家は服従を表明しており、第3軍は海沿いを進むので南蛮船も随行する。俺が第3軍に加わるのは艦砲射撃の援護も得られ、劣勢となれば船で退避でき、最も安全だという理由からだ。


「左馬頭様。何をしでかすか分からぬ故、弟を説得するためにも私も同道させていただきまする」


「うむ」


物心がついた頃から疎遠となった弟に対する蹊長の悔恨の念がひしひしと伝わってくる。確かに庶子故に不遇だったのだろうが、俺は同情なんてしない。庶子であろうと才覚と努力で立身出世した者は幾らでもいるからだ。


菊池家は肥後守護の威光を肥後の平定に利用できるのなら再興するのもいいだろうが、弟とは無関係だ。本来は泰平の世を乱しかねない者は消すべきだが、改心して兄と和解すれば殺さずに済むかもしれない。すべては弟の対応次第だ。




◇◇◇




肥後国・阿村神社。


天草上島の北端にある阿村神社は天照大神、神武天皇、八井耳命の三神と、阿蘇十二神が奉られ、1400年もの長い歴史を持つ神社である。


宇土半島から目と鼻の先にある天草上島には船で阿村湊に上陸するしかないが、八代海の北部は20m以浅の遠浅で南蛮船での上陸が難しいため、正吉郎を少ない手勢で誘き寄せるには絶好の場所であった。


1月7日、栖本鎮通が新年の宴で天草久種を饗応する隙に、相良頼貞は"協力者"の助力を得て久種の婚約者である鎮通の娘・悠姫を誘拐することに成功した。そして、"協力者"が用意した船で辿り着いた阿村神社に立て籠もっていた。


その"協力者"とは肥前国諫早を本拠とする西郷家の当主である西郷純堯であった。西郷家は栖本家と同じく菊池家の庶流であり、両家は菊池家が滅んだ後も細々と交流を続けていた。


純堯は年始の挨拶で南蛮の品々を栖本家に贈るため、城内に遣わせた数人の使者が密かに悠姫の誘拐に協力したのだ。


純堯が同族である栖本家の娘の誘拐を唆したのは、純堯が菊池家の名跡を継ごうと狙っていたためであった。だが、西郷家が菊池家再興を目論んだとバレては色々と都合が悪い。そこで、菊池家とは無関係で栖本家に居候する相良頼貞に目を付け、手駒として利用したのだった。


頼貞も菊池家再興の話を持ち掛けられた時は訝しんだが、世話になっている栖本家には恩を仇で返してしまうにも関わらず、"兄に一泡吹かせる好機だ"という相手の口車にまんまと乗せられてしまう。


浅はかにも娘を攫えば相良家と栖本家の同盟が壊れると考え、兄への反抗心から承諾した頼貞だったが、西郷純堯との背後関係は絶対に口外しないよう厳命されており、頼貞も如何なる結果になろうとも自己責任を覚悟していた。


一方、正吉郎は水深の浅い八代海北部は南蛮船では座礁の危険があって危ないと知ると、少数の護衛で自分を誘き出そうという敵の魂胆を見抜いた。そこで、水深のやや深い八代海南部を南蛮船で天草下島に渡ることにした。


天草下島と100mほどしか離れていない天草上島とはほぼ地続きであり、正吉郎は阿村神社に到着すると、過剰とも言える5千の兵で包囲した。


まさかの計算違いに狼狽した頼貞は、阿村神社の本殿で後ろ手に縛られた悠姫に小刀を向けて不機嫌そうに座っていた。泣きそうな顔の悠姫は視線を不安気に彷徨わせながらも、必死に涙を堪えている。


対する正吉郎は相良蹊長と馬廻りの朝倉景利と榊原政長、さらには剣術指南役の冨田勢源を連れて本殿に入ると、一瞬たりとも気を抜くことなく頼貞と対峙する。この2人は奇しくも同い年であった。


「此様な仕儀に出るとは、とんでもない阿呆だな。既に此処は5千の兵に囲まれておる故、その娘を手に掛ければお前は殺す。助かりたければ娘を解放して命乞いするしかないぞ。如何するつもりだ?」


臆することなく侮蔑する言葉を告げる正吉郎に、後ろに控える蹊長は驚きを隠すのに必死だった。人質に刀を向ける弟に主導権があるため、何をするか分からない弟を煽るような行為は禁じ手のはずだったからだ。


しかし、これは正吉郎の賭けだった。相手の優位を崩すため、あえて娘の命には目もくれず、逆に圧倒的な武力で威圧し、頼貞を脅迫した。


「何とでも言え。娘が死ねば栖本兵部大輔殿も相良家を恨んで敵対し、愚兄に一泡吹かせてやれるというものよ。俺は戦わずして敵に降る弱腰の愚兄には怒り心頭でな。お前は俺と同い年と聞いたが、お前のように甘やかされて幼少を過ごした奴には分からぬだろう」


「何? 俺が甘やかされて幼少を過ごしたと、本気で思っておるのか? 戯れ言も大概にしろ!」


沸々と湧き上がる怒りを抑え、鋭い眼光の正吉郎が冷酷な声で告げる。


「ああ、何度でも言ってやる。お前は餓鬼の頃、何の苦労もせずに育ったってな。側室腹のために寺に入れられた俺とは違い、どうせ親の七光で領地を大きくしたのだろうが」


生まれて初めて同い年の男の気迫に圧倒された頼貞は、背筋が凍るような威圧感を覚えながらも虚勢を張った。


「言っておくが、寺倉家は元は5千石の近江の山間の貧しい国人領主だ。俺は15の時に父を謀殺され、当主になってから12年で寺倉家を370万石の大名家にまで大きくした。下剋上の成り上がり者だと罵るのは構わぬ。そのとおりだからな。だが、この世で自分が一番不幸だと他人を妬み、俺が甘やかれて育ったと宣うなど言語道断だ」


「……」


頼貞は口を噤んだ。寺に入っていた頼貞は遠く離れた近江や畿内の動向など知る由もなかった。九州で寺倉蹊政の名が知られるようになったのは、寺倉家が伊勢を刈り取って100万石の大名になった時であり、頼貞のように寺倉家の過去について多くは知らない者が大半であった。


「良いか。人間は一人では何もできぬ。俺も後ろにいる家臣たちの支えがあったからこそ、此処まで来れたのだ。お前の兄も12で当主を継いだ時には、さぞや頼れる腹心が欲しかったであろう。弟のお前が武勇で兄を支えておれば、今頃は島津を滅ぼして"南九州の覇者"の右腕としてその名を轟かせていたであろう。さすれば、周囲の目も自ずと尊敬に変わっていたであろうよ」


「だが、俺は寺に入れられ、父親に見捨てられたのだ」


「次男は本来嫡男を支え、嫡男が早逝した時には後を継ぐべき存在だ。その次男のお前が父親の遺言によって寺に入れられたのは、お前の行状にそうせざるを得ない理由があったからではないか?」


「ぐっ……」


正吉郎の正鵠を射た指摘に、反抗心旺盛な頼貞もぐうの音も出なかった。

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